学位論文要旨



No 117895
著者(漢字) 辻,拓也
著者(英字)
著者(カナ) ツジ,タクヤ
標題(和) Lim1の機能解析を中心としたショウジョウバエ成虫肢における領域の決定機構の解析
標題(洋)
報告番号 117895
報告番号 甲17895
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4366号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 多羽田,哲也
 国立遺伝子学研究所  教授 上田,龍
 東京大学 助教授 平良,眞規
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 助教授 能瀬,聡直
 東京大学 教授 西郷,薫
内容要旨 要旨を表示する

 多細胞生物の発生過程における基本的なメカニズムの一つは、最初均一であった細胞集団が、モルフォゲンと呼ばれる分泌性因子の濃度又は活性に依存して領域特異的に転写因子を発現することにより性質の異なる領域に分割されることである。ショウジョウバエの成虫肢は遠近軸に沿って根元側から基節、転節、腿節、脛節、第1〜5付節、先付節と呼ばれる節から構成されている。この成虫肢は単層の細胞からなる肢原基から生じる。肢原基の中心領域は成虫肢の先端部分に対応し、より周辺の領域は成虫肢のより根元側の部分に対応している。よって成虫肢の遠近軸に沿ったパターン形成に関わる遺伝子の多くは肢原基上では同心円状に異なる領域で発現している。成虫肢の最も先端の節である爪の存在する先付節に対応する領域ではホメオボックス遺伝子であるaristaless(al)が、そのすぐ根元側の付節に対応する領域には同じくホメオボックス遺伝子であるBarH1/BarH2(Bar)が発現し、これらの節の決定に関わっている。alとBarの発現領域は、発現初期の頃には一部重なり合う部分があるが、後になると厳密に分かれる。この厳密な領域分割にはalとBarの相互発現抑制が必要であることが当研究室のこれまでの解析によりわかってきた。このことから、モルフォゲンによっておおまかに領域が決定され、その後、転写因子同士の相互作用によって領域が厳密に決定されると考えられる。

 本研究では、この厳密な領域分割に関与する新たな遺伝子の解析を目的として、レポーター遺伝子の発現がalと非常によく似ているエンハンサートラップ系統P0092の解析を行った。P0092のP因子挿入点近傍のゲノムを単離し、解析した結果、P0092は脊椎動物のLim1と非常に高い相同性をもつLIM-ホメオボックス遺伝子をトラップしていた。アフリカツメガエル胚でのmRNAインジェクションによる解析において、このショウジョウバエのLim1は、脊椎動物のLim1と同様に、LIM-ホメオトメインタンパク質のコファクターLdb1依存的に二次軸を誘導することができた。このことより、ショウジョウバエのLim1と脊椎動物のLim1では、アミノ酸配列だけでなく、その機能もまた保存されていることが明らかとなった。P0092からP因子の再転移により、Lim1の機能完全欠失変異体Lim17B2を単離した。Lim1変異体は蜻期致死であり、口器、肢、触角の形態に異常がみられた。肢の先端部分では、alの強い変異体では先付節の構造が完全に失われるのに対し、Lim1の変異体では先付節の構造の一部のみが欠失していた。このLim1の変異体の表現型はalの弱い変異体の表現型とよく似ている。次に肢原基での解析を行った。Lim1はalやBarよりも遅れて発現し始め、発現開始時からすでにBarの発現領域とは重なる部分はなかった。alを強制発現させたところ、Lim1の発現に変化はみられなかったが、al変異体ではLim1の発現は完全に失われた。しかし、このとき同時にBarの発現が先付節でおこっており、さらにBarを強制発現させるとLim1の発現が非常に強く抑制されたことから、al変異体でLim4の発現が失われるのは異所的に発現したBarによる二次的な効果であると考えられた。また、Lim1を強制発現させるとalの発現が誘導され、Lim1変異体を用いたモザイク解析ではLim1変異体の細胞でalの発現レベルが下がった。これらのことよりLim1はalの正常レベルの発現に必要であることがわかった。Lim1変異体でもLim1を強制発現させてもBarの発現に変化がみられなかったことからLim1はBarの発現抑制には直接的には関係ないことがわかった。またLim4の異所発現ではalの発現が誘導されるにもかかわらず、Barの発現が抑制されないことから、Lim1とalだけではBarの発現抑制には不十分であることも示唆された。

 Lim1変異体およびalの弱い変異体単独では付前一先付節間の境界はほとんど正常であったが、これらの二重変異体では、この境界が顕著に乱れた。また、細胞間接着因子Fasciclin2(Fas2)がal発現領域内のBar発現領域に接する一列の細胞で発現しており、Barによって発現が正に制御されているのだが、Lim1変異体とalの弱い変異体の二重変異体ではこの発現が著しく減少した。これらのことよりLim1とalはFas2の発現、及び付節-先付節境界の確立に必要であることが明らかになった。

 またLim1はより根元側の脛節、腿節、基節に対応する領域でも発現している。Lim1変異体では基節の大部分が失われ、腿節の大きさが減少した。alもこれらの領域で発現しており、Lim1変異体ではalの腿節、基節の発現が欠失し、脛節の発現が減少することから、これらの場所でもLim1はalの正常な発現に必要であることが明らかになった。しかし、al変異体では脛節、腿節、基節は正常なので、Lim1はal以外の別の遺伝子の発現制御を介してこれらの節の発生を制御していると思われる。

 背側の腿節領域には弦音器官(chordotonal organ)と呼ばれる感覚器官が存在する。弦音器官は表皮上にあるproneural cluster内の細胞が下に落ち込みSOP(sensory organ precursor)を形成し、SOPがproneural cluster内の細胞をさらに次々とSOPへとリクルートすることにより形成される。Lim1はこのSOPにおいて発現がみられた。弦音器官のProneural geneであるatonal(ato)はSOP及びProneural clusterで発現しているが、Lim1変異体ではSOPでのatoの発現は正常であるが、proneural clusterでのatoの発現は失われた。このことから、Lim1はSOPがproneural cluster内の細胞をSOPへとリクルートするためのシグナルの制御に関わっていることが示唆された。

 上記の研究と並行して当研究室で行われていた研究により、先付節-村節の領域決定の過程にはホメオボックス遺伝子Clawless(cll)がさらに必要とされることが明らかになった。cllは先付節領域においてalと同様に発現しalとともにBarの発現を抑制している。これらの一連の研究により、初期にal、cll,Barが相互作用することによってそれぞれの発現領域が決められ、後期にal,cll、Bar,Lim1が初期とは違った様式で相互作用することによってそれぞれの発現領域が維持されるという二段階の制御機構が働いているということがわかってきている。本研究ではさらにこのような制御機構が実際に分子レベルでどのように働いているのかを解明するために、al及びcllのエンハンサー領域の探索及び解析を行った。それぞれのゲノム領域を断片化し、各断片をレポーター遺伝子lacZにつないだものをもつ形質転換体を作製しlacZの発現を調べた。alについては、転写開始部位の上流領域に存在する6.1kbの断片に肢原基でのエンハンサー活性があり、このうち0.5kbの断片には初期の、残りの5.6kbの断片には後期の発現を制御する活性があった。cllについては転写開始部位の上流領域に存在する6.8kbの断片に後期の発現を制御する活性があり、終止コドンの下流領域に存在する2.1kbの断片に初期の発現を制御する活性があった。このように初期エンハンサーと後期エンハンサーが別々に分かれて存在することは、上で述べた二段階の制御機構という考え方とよく一致している。

 従来、成虫肢の遠近軸は前後区画境界背側から分泌されるDecapentaplegic(Dpp)と、前後区画境界腹側から分泌されるWingless(Wg)が濃度依存的に協調作用することにより形成されると考えられてきたが、最近、付節及び先付節に関しては中心から分泌されるEGFRのリガンドの濃度依存的な作用によって遠近軸の形成がおこる、すなわちalやBarなどの遺伝子の発現誘導がおこるということが報告された。しかしながら、Dpp,Wgのシグナルレベルが下がるクローンをつくると、細胞自律的にalやBarの発現が変化するので、Dpp,WgシグナルがEGFRシグナルとは独立にalやBarの発現を制御しているということが示唆された。そこで実際にこれらシグナルが働いているのか、また、どのように働いているのかを調べるために、Dpp,Wg,EGFRシグナルの下流転写因子であるMad・Brk,dTCF,Pnt・Yanがalの初期エンハンサーに結合するかどうかをDNaseIフットプリント法により調べた。その結果、それぞれ数カ所ずつに結合することがわかった。これらの結合部位が生体内で実際に機能しているのかどうかを調べるため、これらの結合部位に変異を導入した断片のエンハンサー活性を調べた。その結果、少なくともBrk結合部位一カ所とPnt・Yan結合部位一カ所に関しては実際に機能していることが明らかになった。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は2章からなり、第1章は、LIM-ホメオボックス遺伝子LiM1のショウジョウバエ成虫肢形成における機能の解析、第2章はショウジョウバエ成虫肢の遠近軸形成に関わる遺伝子aristaless及びclawlessのエンハンサー領域の解析について述べられている。

 ショウジョウバエの成虫肢は遠近軸に沿って分節化されており、最も先端の先附節領域ではホメオボックス遺伝子aristaless(al)が、そのすぐ根元側の附節領域ではホメオボックス遺伝子BarH1/BarH2(BarH1とBarH2は機能的に冗長なので以下まとめてBarとする)が発現し、これらの節の決定に関わっている。alとBarの発現領域は、発現初期には重なり合う部分があるが後期になると厳密に分かれる。この厳密な領域分割には当初alとBarの相互発現抑制だけによると考えられた。実際、Barはalの発現抑制に必要十分であることがモザイク解析と異所発現実験で示された。しかしalはBarの発現抑制に必要であるが十分でないことが分った。このことはalとともにBarの発現抑制に関わる他の因子の存在を示唆している。そこで本研究では候補をエンハンサートラップ法を用いて探索した。その結果alの発現パターンとよく似たレポーター遺伝子発現を示すエンハンサートラップ系統P0092を見出し、また別の探索でal変異体と同様に先付節の構造が失われる変異の原因遺伝子clawless(cll)を見出した。第1章では前者の解析に主な焦点を当てている。まず、P0092系統が脊椎動物のLim1と高い相同性をもつLIM-ホメオボックス遺伝子をトラップしていることを示した。他のグループとの共同研究でアフリカツメガエル胚のmRNA注入実験により、ハエと脊椎動物のLim1では一次構造だけでなくその機能もまた保存されていることが分った。Lim1変異体をP因子の再転移により単離した。Lim1変異体には弱いal変異体に類似した先付節構造の異常がみられ、Lim1が先付節の正常発生に必要であることが分った。さらに肢原基での遺伝子発現、モザイク解析、異所発現実験等により、Lim1がalやBarよりも遅れて発現しalの後期の発現水準を維持している事、BarはLim1の発現抑制を介してalの発現を抑制している事、Lim1はその活性は弱いもののalと協調してBarの発現抑制に働いている事が示された。しかしalとLim1だけでもBarの発現抑制に十分でないのでBarの抑制に関わる因子は他にも存在するであろう。

 エンハンサートラップ法とは別の手法により得られたcllはalと同様の発現をしBarの発現抑制に関与していることが共同研究者により示された。第1章の一連のLim1に関する研究及びcllについての研究からal,cll,Barの発現領域はその初期にそれらの相互作用により決められ、後期にはそれにLim1が加わり初期とは違った様式で相互作用し、それぞれの発現領域が維持されるという二段階の制御機構が働いていることが分った。第2章ではこのような制御機構が実際に.分子レベルでどのように働いているのかをより詳細に解明するためにal及びcllのエンハンサー領域の探索及び解析が行われた。その結果al,cllともに初期、後期の発現を制御する領域が別々に存在することが明らかになり、上記の二段階の制御機構はエンハンサー領域の切り替えによるものであると示唆された。

 最近、付節及び先付節に関しては中心から分泌されるEGFRリガンドの濃度依存的な作用により遠近軸が形成されることが報告されている。しかし、本研究によりDpp,Wgのシグナルレベルが下がるクローンでは細胞自律的にalやBarの発現が変化することが見出され、Dpp,WgシグナルはEGFRシグナルとは独立にalやBarの発現を制御し得ることが強く示唆された。そこで実際にこれらシグナルがエンハンサーレベルで働いているのか否かを検証する第一歩として、DpP,Wg,EGFRシグナルの下流転写因子であるMad/Brk,dTCF,Pnt/Yanのalの初期エンハンサーへの結合をワツトプリントにより調べた。その結果、それぞれの因子が1〜数カ所づつ結合することが分った。さらにこれらの結合部位に塩基配列変異を導入したエンハンサー断片の活性を調べたところ、少なくともBrk結合蔀位一カ所とPnt/Yan結合部位一カ所が生体内で機能する上で必須であることが分った。

 なお、本論文は佐藤淳博士・平谷伊智朗氏・平良眞規博士・小嶋徹也博士・西郷薫博士との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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