学位論文要旨



No 117900
著者(漢字) 前田,郁麻
著者(英字)
著者(カナ) マエダ,イクマ
標題(和) 線虫遺伝子機能の体系的解析によって同定された生殖細胞形成に必須な遺伝子hmg-3の解析
標題(洋)
報告番号 117900
報告番号 甲17900
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4371号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 飯野,雄一
 東京大学 助教授 室伏,擴
 東京大学 教授 伊庭,英夫
 東京大学 教授 多羽田,哲也
 東京大学 教授 山本,正幸
内容要旨 要旨を表示する

 線虫C.elegansではゲノムプロジェクトにより約19,000の遺伝子が予測されているが,大多数の予測遺伝子は依然として機能不明であり,ゲノム情報を利用した体系的な遺伝子機能解析が必要とされている.そこで,近年急速に普及したRNAi法を用いて体系的に遺伝子機能破壊を行う系を構築した.通常C.elegansでRNAiを行うときはRNAを個体に導入する手段として微量注入を用いるが,網羅的にRNAiを行うにはその方法では負担がかかりすぎる.そこで本研究では微量注入に代わる簡便なRNA導入法として,RNA溶液に線虫を浸けておくだけのRNAi-by-soaking法を確立した.C.elegansではESTプロジェクトにより予測遺伝子の過半数についてcDNAが同定されている.これにもとづいた非重複cDNAセットを鋳型として二本鎖RNAを合成し,RNAi-by-soaking法によって各遺伝子のRNAiを行った(図1(a)).本研究では全遺伝子の13%に当たる約2,500遺伝子の解析を行い,それらのうち27%で何らかの表現型を認め(図1(b)),それらの中から生殖細胞特異的に機能している遺伝子を同定することを目的として,F1世代に不稔性をもたらした遺伝子について詳しい解析を行った.これまでに,生殖細胞の増殖・卵形成・卵成熟・生殖腺形成などに関与する遺伝子を同定した(図2).

 同定できた遺伝子のうち,HMGboxファミリーに属するヒトSSRP1(Structure-SpecificRecognitionProtein1)の相同遺伝子,hmg-3の解析をさらに進めた.hmg-3に対してRNAiを行い機能破壊を詳しく解析したところ,生殖細胞の増殖が少なく不稔であったが,体細胞には影響が見られなかった.さらに染色体上のhmg-3遺伝子を欠いた欠失変異体も取得したが,その表現型はRNAiを行った場合とほぼ同じであった(図3(a)).したがって,hmg-3の機能は生殖細胞特異的であると予想された.一方,hmg3にはhmg-4というparalogが存在するが,hmg-4に対してRNAiを行うと幼生致死になった.ほとんど全てのF1個体が同じステージで成長停止したのち動きが鈍くなり,やがて死に至った.幼生致死となった個体は形態的にはほぼ正常であった(図3(b)).さらに,hmg-3とhmg-4の機能を同時に破壊すると胚性致死となった.成長停止した胚を詳しく観察したところ,細胞増殖はかなり起きているものの,形態形成を開始することができずに細胞塊となったままであった(図3(c)).ただし,腸や筋肉などの組織への分化はある程度見られた.以上の結果から,hmg-3とhmg-4は胚発生時にはredundantに働き,胚発生以降は生殖系列と体細胞系列で独立に働いていることが示唆された.

 ヒトSSRP1はSpt16というタンパク質とFACTと呼ばれるヘテロダイマーを形成して,ヌクレオソームを鋳型としたRNAポリメラーゼIIによる転写の伸長やDNAの複製といった基本的な生命現象に関与することが知られている.C.elegansにもSptl6は保存されており,この遺伝子をCe-Spt-16と名付けて機能解析を行った.Ce-Spt-16に対してRNAiを行ったところhmg-3とhmg-4に対して二重RNAiを行ったときとよく似た表現型の胚性致死を示した.このことから,C.elegnsにおいてもFACT複合体は保存されており,胚発生において重要な役割を担っていることが示唆された.

 次に,hmg-3が単純に生殖細胞の生存や細胞分裂などの基本的な現象に必須の役割をしているのか,それとも何らかのシグナル伝達系路に関与しているかを確かめるため,生殖細胞で腫瘍を引き起こすgld-1,gld-2二重変異体に対してhmg-3のRNAiを行った.gld-1とgld-2は減数分裂の開始にredundantに働く遺伝子で,gld-1gld-2二重変異体では生殖細胞で体細胞分裂だけが起きるという腫瘍的な表現型を示す.gld-1gld-2の上流でそれらの機能を押さえるように働いて,減数分裂への移行を阻害し体細胞分裂を促しているのがC.elegansのNotch経路であるglp-1経路である.glp-1単独の変異では全ての生殖細胞が増殖することなく減数分裂に移行してしまうため,若干の精子のみが作られるという表現型が見られるが,glp-1変異はgld-1gld2二重変異の腫瘍を抑圧することはできない.一方,体細胞分裂などの基本的な現象に関わる遺伝子の機能を抑えればgld-1gld-2二重変異の腫瘍は抑圧できると予想される曲結果として,hmg-3はgld-1gld-2の腫瘍を部分約にのみ抑圧した.このことから、hmg-3はgld-1経路に何らかの形で関わることが予想されたが,それ以外の体細胞分裂の進行過程にも何らかの役割を果たしていることが示唆された.

 C.elegansの近縁の線虫であるC.briggsaeにもSSRP1の相同遺伝子が2つ存在することが分かったので顎それぞれCb-hmg-3,Cb-hmg-4と名付けて機能解析を行った.Cb-hmg-3に対してRNaiを行ったところ,F1個体は不稔となったが,C.elegansの場合とは逆に細胞増殖は十分に起きていた.しかし,減数分裂に移行して配偶子を形成することができず,かわりに体細胞分裂が起き続けてしまうという腫瘍的な表現型を示した.一方,Cb-hmg-4の機能はあまり重要ではないらしく華RNAiではF1個体が野生型に比べてやや体が小さいという傾向が見られたが,稔佳や生存には影響がなかった曲さらに,Cb-hmg-3とCb-hmg-4の機能を同時に欠損すると胚性致死の表現型が見られた.このことから争表現型の細部で違いが見られるものの、C.briggsaeでも,C.elegansで見られたような体細胞と生殖細胞におけるSSRP1の使い分けという機構は保存されていることが分かった.

 以上の結果から,hmg-3は,生殖系列特異的に転写やDNA複製のような基本的な生命現象に関与するというよりは,特定の複数の標的遺伝子を制獅するレギュレーターとしての機能を持つと予想される.C.briggsaeの相同遺伝子が,一般的な転写やDNA複製の効率低下からは説明できない腫瘍的な表現型を示したこともこれを支持する、現在標的の一つとして考えられるのはglp-1経路に関わる遺伝予群であるが,hmg-3gld-1gld-2三重変異体の解析緕果から,それ以外にもいくつかの標的があることが示唆された,一方、2つのSSRP1を生殖系列と体細胞で使い分けるという機構は大変興味深い,現在分かっている限りでは,SSRP1を二種類持っている動物は線虫だけであり,C.elegansだけでなくその近縁種のC.briggsaeでも同じ様であった.線虫の生殖系列では特殊な転写制欄が行われていることが知られており,そのためにこのような機構が進化した可能佳も考えられる.

図1 (a)本研究で行われた体系的RNAiスクリーニングの概略。各cDNAクローンをT3/T7プロモーター配列を含むプライマーでPCR増幅したものを鋳型とし,in vitroで合成したdsRNAをRNAiに用いる。精製したdsRNA溶液に野生型の線虫を24時間浸けてdsRNAを体内に導入してから通常の培地に戻し,浸けておいた線虫(P0)とその次世代(F1)の表現型を実体顕微鏡で観察する。RNA合成から線虫を浸ける作業を全て96穴のフォーマットで行えるようにし,効率化を図った。(b)体系的スクリーニングで見られた各表現型の割合

図2 不稔性を示した表現型の例由成虫雌雄周体の微分干渉顕微鏡像を示す.(a)野生型雌雄同体、(b-g)RNAiで見られた表現型,(b)yk187a3(F1世代).生殖細胞の量が少ない苗配偶子は見られない,(c)yk260b7(F1),一部のF1個体が生殖細胞の遼剰な増殖を示した.(d)yk213d3(F1)生殖腺の形態に異常が見られる。配偶子は形成されない、(e)yk218f9(F1)未受精卵が子宮に蓄積する.(f)yk267a9(F1)生殖腺基部に空胞化した卵細胞が見られる.(g)yk201d3(P0)排卵が見られず,卵細胞が卵巣に欝積する.Vu,陰門;DT生殖腺の先端部;Oo,卵細胞;Sp,精子;E,受精卵;UG、未分化状態の生殖細胞;UE,未受精卵;V,空胞化した卵細胞;A守蓄積した卵細胞.

図3 hmg-3およびhmg-4の機能を破壊したときに見られた表現型.(a-b)雌雄同体の生殖腺を切り出してhoechst33342でDNAを染色した蛍光顕微鏡像(a)野生型雌雄同体(b)hmg-3に対してRNAiを行ったF1個体,おそらく未分化と思われる細胞がわずかにのみ見られる(c-d)野生型雌雄同体成虫(c)とhmg-4に対してRNAiを行ったF1個体(d)を同一倍率で示したもの,hmg-4はごく若い幼虫の段階で成長停止する.(e-f)野生型(e)とhmg-3hmg-4二重RNAi個体(f)の胚発生過程,野生型では胚の伸長が起きるが(e),二重RNAi個体(f)では胚の伸長は観察されない.

審査要旨 要旨を表示する

 線虫C.elegansではゲノムプロジェクトにより約19,OOOの遺伝子が予測されているが,大多数の予測遺伝子は依然として機能不明であり,ゲノム情報を利用した体系的な遺伝子機能解析が必要とされている.そこで学位申請者前田郁麻は,近年急速に普及したRNAi法を用いて,C.elegansで体系的に遺伝子機能破壊を行う系を構築した.通常C.elegansでRNAiを行うときはRNAを個体に導入する手段として微量注入を用いるが,網羅的にRNAiを行うには負担が大きい.そこで学位申請者は簡便なRNA導入法として,RNA溶液にC.elegansを浸けておくだけのRNAi-by-soaking法の確立を目指した.C.elegansではESTプロジェクトにより予測遺伝子の過半数についてcDNAが同定されている.これに基づく非重複cDNAセットを鋳型として二本鎖RNAを合成し,RNAi-by-soaking法によって各遺伝子のRNAiを行った.本研究では全遺伝子の13%に当たる約2,500遺伝子の解析を行い,それらのうち27%で何らかの表現型を認めた.さらにそれらの中から生殖細胞特異的に機能している遺伝子を同定することを目的として,F1世代に不稔性をもたらした遺伝子の詳しい解析を行い,生殖細胞の増殖・卵形成・卵成熟・生殖腺形成などに関与する遺伝子を同定した.

 学位申請者は同定できた遺伝子のうち,HMGboxファミリーに属するヒトSSRP1(Structure-Specific Recognition Protein1)の相同遺伝子,hmg-3の解析をさらに進めた.hmg-3のRNAiでは,生殖細胞の増殖が少なく不稔であったが,体細胞には影響が見られなかった.さらに染色体上のhmg-3遺伝子を欠いた欠失変異体を取得したところ,その表現型はRNAiの場合とほぼ同一であった.したがって,hmg-3の機能は生殖細胞特異的であると予想された.一方,hmg-3にはhmg-4というparalogが存在するが,hmg-4に対するRNAiは幼生致死であり,ほとんど全てのF1個体が同じステージで成長停止したのち動きが鈍くなり,やがて死に至った.幼生致死となった個体は形態的にはほぼ正常であった.hmg-3とhmg-4の機能を同時に破壊すると胚性致死となり,成長停止した胚は,細胞増殖はかなり起きているものの,形態形成を開始せずに細胞塊となったままであった.ただし,腸や筋肉などの組織への分化はある程度見られた.以上の結果から,hmg-3とhmg-4は胚発生時にはredundantに働き,胚発生以降は生殖系列と体細胞系列で独立に働いていることが示唆された.

 C,elegansの生殖細胞増殖は,ショウジョウバエのNotch経路と相同なglp-1経路によって制御されている.glp-1は生殖腺ディスタル側において,gld-1とgld-2という減数分裂開始にredundantに働く二つの遺伝子を負に制御することにより,体細胞分裂の進行および生殖細胞の増殖を実現している.hmg-3がglp-1と同じようにgid-1とgid-2の上流で働いている可能性を調べるため,生殖細胞が体細胞分裂ばかりを起こして腫瘍が生じるgld-1gld-2二重変異体に対してRNAiを行った.その結果,hmg-3はgld-1gld-2による生殖細胞の腫瘍を部分的にしか抑圧できないことが分かった.したがって,hmg-3はおそらくglp-1経路を介してgld-1gld-2の上流で働くと考えられたが,全く抑圧能を持たないglp-1とは表現型が異なるので,体細胞分裂の進行過程などの他のプロセスにも何らかの役割を持つと考えられる.

 学位申請者はC.elegansの近縁の線虫であるC.briggsaeにSSRP1の相同遺伝子が2つ存在することを認め,それぞれCb-hmg-3,Cb-hmg-4と名付けて機能解析を行った.Cb-hmg-3に対してRNAiを行ったところ,F1個体は不稔となったが,C.elegnsの場合とは逆に,体細胞分裂が起き続けてしまうという腫瘍的な表現型を示した.一方,Cb-hmg-4の機能はあまり重要ではないと思われ,RNAiではF1個体が野生型に比べてやや体が小さいという傾向が見られたが,稔性や生存には影響がなかった.さらに,Cb-hmg-3とCb-hmg-4の機能を同時に欠損すると胚性致死の表現型が見られた.このことから,表現型の細部で違いが見られるものの,C.briggsaeでも,C.elegansで見られたような体細胞と生殖細胞におけるSSRP1の使い分けという機構は保存されていることが分かった.

 以上,前田郁麻は線虫C.elegansで体系的に遺伝子機能破壊を行って,数多くの遺伝子についてその働きの推測を可能にした.さらに線虫の体細胞と生殖細胞におけるSSRP1の使い分けという興味深い機構の存在を明らかにした.本研究の成果は線虫の分子生物学,特に生殖細胞の形成機構の解明に大きく寄与するものであり,学位申請者の業績は博士(理学)の称号を受けるにふさわしいと審査員全員が判定した.なお本論文は杉本亜砂子,小原雄治,山本正幸との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 したがって,前田郁麻に博士(理学)の学位を授与できると認める.

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