学位論文要旨



No 117902
著者(漢字) 有川,智己
著者(英字)
著者(カナ) アリカワ,トモツグ
標題(和) キヌゴケ属(ハイゴケ科、蘚類)の分類学的研究
標題(洋) A taxonomic study of the genus Pylaisia (Hypnaceae, Musci)
報告番号 117902
報告番号 甲17902
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4373号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 樋口,正信
 東京大学 教授 加藤,雅啓
 東京大学 助教授 野�ア,久義
 東京大学 教授 柏谷,博之
 総合研究大学院大学 教授 神田,啓史
内容要旨 要旨を表示する

 ハイゴケ科Hypnaceaeは,蘇類の中でも最も多様化している群の一つであり,科に含まれる属の取り扱いや科内分類体系について様々な説がある.また,ハイゴケ科のような葉の中肋が2本ある群は,蘇類の中で派生的で比較的新しい単系統群とされている腋蘇類の中でも,派生的で新しい群とされている.一方,最近の予備的な分子系統学的研究によれば,ハイゴケ科はいくつにも分かれる側系統群であることが示唆されている.

 キヌゴケ属Pylaisiaはハイゴケ科キヌゴケ亜科の中心的な分類群で,東アジアを中心に21種が知られていた.本属はSchimper(1851)により設立されたが,それ以来多くの研究者によりその位置づけが明確にされないまま多くの種が発表されてきた.これまでにToyama(1938)によって日本産キヌゴケ属が検討されたことがあるだけで,まとまった分類学的検討はなされていなかった.そこで本研究では,キヌゴケ属の概念を明らかにし,これまで本属の種として知られていた全ての種を再検討することを目的とした.

 本研究では国立科学博物館(TNS)所蔵の標本(有川採集品や本研究にあたり国内外から提供された標本を含む)および国内外のハーバリウム(BM,CANM,FH,FI,G,GB,H,HIRO,JE,KUN,KYO,L,LD,M,MO,NICH,NY,OSA,PC,S,US,WB)より借用した標本(45種14変種のタイプ標本を含む)約2000点をもちいた.

 本属の種は雌雄同株で胞子体をよく形成する.胞子体のさく歯の構造は蘇類の分類形質として最も重視されており,科および属で共通の構造を示すことが普通である.しかし,キヌゴケ属においてはさく歯の構造が多様で,分類形質の一つとして重視されてきた.ところが比較研究は充分ではなく,今回は走査型電子顕微鏡を用いて詳細に検討した.

 また,キヌゴケ亜科の属間関係を調べる目的で形態観察に加えて分子系統解析を行った.分子系統解析には,新鮮なサンプルや採集後数年以内の標本を用いた.CTAB法によりDNAを抽出し,PCR法によって葉緑体のrbcL遺伝子の部分塩基配列を増幅し,サイクルシークエンス法により塩基配列を決定した.系統解析には,近隣結合法による系統樹と,PAUP*4.0bでHeuristic法によって探索した最節約系統樹とを出発点として,MOLPHY2.3b3のNucMLの局所再配置法により最尤系統樹を探索した.作成した系統樹を尤度基準により比較して系統を推定した.

結果と考察

 Niskmmura et al.(1984)とBuck(1984)によれば,キヌゴケ亜科に含まれるのは,キヌゴケ属,Giraldiella属,Platygyriella属,イヌサナダゴケ属(Platygyrium)の4属である.キヌゴケ亜科の属間関係を考える上で重要と考えられる形質を,これらの属について調べた(表1).その結果,以下の3点が,キヌゴケ属とGiraldiella層とで一致し,Platygyriella属,イヌサナダゴケ属とは異なることが明らかになった.(1)偽毛葉は葉状で,その葉縁に鋸歯があること,(2)さく柄は下部では左巻き,上部では右巻きにねじれること,(3)外さく歯の下部のラメラに囲まれた細胞板には横条やパピラはなく,平滑であること(図1).

 キヌゴケ属,イヌサナダゴケ属,Giraldiella属の3属について分子系統解析を行った結果,以下のことが示唆された.(1)キヌゴケ属7種は最大でも15塩基の違いしかなく,まとまりがあったが,今回得られた系統樹では属の単系統性は示されなかった.(2)Platygyrium属はハシボソゴケ科のクレードに含まれた.(3)Giraldiella属はキヌゴケ属のまとまりの中に含まれた.(4)キヌゴケ亜科は多系統であり,再検討が必要である.キヌゴケ属の単系統性が示されなかったのは,rbcL遺伝子の情報不足が主な原因と考えられる.形態と分子の両面から,Platygyrium属やPlatygyrilla属はキヌゴケ属と近縁でなく,逆に,Giraldiella属は,キヌゴケ属に含まれることが示唆された.

 キヌゴケ属の種の分類形質として,(1)茎,(2)葉(葉の形,葉のへり,中肋,葉身細胞,翼部),(3)偽毛葉,(4)内雌包葉,(5)さく柄,(6)さく,(7)さく歯,などについて詳細な検討を行った.その結果,次のものが有効な分類形質として認められた.(1)茎葉の形と大きさ,(2)葉のへりの反曲,(3)葉身細胞の形と大きさ,(4)葉の翼細胞の数,(5)内雌包葉の長さ,(6)さくの形,(7)さく歯の諸形質(内さく歯の状態,長さや形,パピラの状態),(8)胞子の大きさ.

 とくに,内さく歯の状態に関して,本属のさく歯を,以下の5タイプに分けることができた.(A)深くキールするもの,(B)折れ目に孔があくもの,(C)折れ目で裂けるもの,(D)折れ目で裂けて下部が外さく歯と癒着するもの,(E)断片化し外さく歯と癒着するもの.

 本研究の結果,15種がキヌゴケ属に認められた.(1)Pylaisia polyantha(Hedw.)Schimp,(2)Pylaisia steerei(Ando&Higuchi)Ignatov,(3)Pylaisia curviramea Dixon,(4)Pylaisia levieri(Mull.Hal.)Arikawa,comb.nov(=Giraldiella levieli Mull.Hal.),(5)Pyiaisia extenta(Mitt.)A.Jaeger,(6)Pylaisia falcata Schimp,(7)Pylaisia kunisawae(Ando)Arikawa,comb.nov,(=Pyiaisiella kunisawae Ando),(8)Pylaisia obtusa Lindb,(9)Pylaisia selwynii Kindb.(10)Pylaisia brotheri Beach,(11)Pylaisia subcircinata Cardot,(12)Pylaisia cristata Cardot,(13)Pylaisia intricata(Hedw.)Shimp(14)Pylaisia stereodontoides Broth. & Yasuda ex Iisiba,(15)Pylaisia nana Mitt.

 内さく歯の状態による5つのタイプ分けと対応させると,Aタイプ:(1),(2);Bタイプ:(3)-(6);Cタイプ:(7),(8);タイプ:(9)-(11);Eタイプ:(12)-(15),となる.これまでP.polyanthaの異名とされてきた,北海道に産するP.sublaevidensは,この内さく歯のタイプ分けがCタイプであり,AタイプのP.polyanthaとはことなり,記載以来ほとんど記録のなかったP.obtusaの異名となった.これまでP.intricataの異名とされてきた日本産のP.cardotiiは,内さく歯タイプはEタイプではあるが,茎葉の形,内さく歯の断片化の程度,外さく歯の先の長さ,外さく歯外側表面のパピラの状態,などにより明確に区別され,これまでP.selwyniiの異名とされてきたP.stereodontoidesのタイプ標本と一致することがわかり,P.stereodontoidesの異名となった.Ignatov et al.(2000)が,独特な外見のP.Polyanthaとして報告した標本は,分子系統解析でもP.Polyanthaと区別されたが,記載以来ほとんど記録のなかったP.curvirameaであることが明らかになった.形態の類似しているP.brotheriとP.selwyniiがそれぞれ明確な種であることが分子系統解析によって示され,これまで言及されてきた茎葉翼部の大きさやさくの形のほかに,葉の先端部が長く伸びるかどうかと葉身細胞の大きさも両種を区別する目安になることが新たにわかった.

 その他に,P.subimbricataをP.brotheriの,P.robustaをP.cristataの,P.coreanaをP.polyanthaの,P.macrotisをP.falcataの異名にそれぞれ落とした.また,P.latifolia,P.austrarisを他属の異名に落とし,P.frahmiiはPlatygyriekka属へ移し,新組合せを行った.

 今回認めた15種の内,14種が東アジアに分布し,そのうち10種が東アジアに限られ,東アジアに見られないのは1種のみであった,従って,本属における種分化と分布の中心は東アジアと考えられる.

表1.ハイゴケ科キヌゴケ亜科1の属間関係に関わる形質

図1.キヌゴケ属,Giraldiella属,Platygyriella属の偽毛葉,さく柄,外さく歯基部外側表面の比較。A-C.Pylaisia subcircinata(A,B.Arikawa 2473 C.Arikawa2515;TNS)D-F. Giraldiella levieri(holotype,F1).G-I.Platygyriella aurea(Higuchi 17601,TNS).A,D,G胞子体、B,E,H偽毛葉.C,F,I外さく歯基部外側表面。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は6章からなり、第1章は序文、第2章はキヌゴケ属の歴史、第3章は植物体の形態学的及び解剖学的特徴とそれらの分類形質としての評価、第4章は近縁属間の分類学的検討の考察結果、第5章は分子系統解析、第6章は本属の種の分類学的検討の考察結果について述べられている。

 本研究は蘇類の中で最大のグループであり、最も系統関係のわかっていない科の一つであるハイゴケ科に所属するキヌゴケ属のモノグラフ作成を目的に、国立科学博物館所蔵の標本及び国内外の研究所より借用した標本、計約2000点の資料に基づいて行われたものである。また、比較検討に必要な基準標本や論文に引用された標本についても世界各地の研究所から借用し、詳細に検討されている。第1章と第2章でキヌゴケ属を分類学的に考察する根拠と必要性を明確に示した後、第3章では、これまでに分類学的に重要と考えられてきた植物体各部の形質を再検討するとともに、これまで見過ごされてきた形質も検討し、個々の形質の有効性を評価した。特に、走査型電子顕微鏡を用いたさく歯の微細構造の観察により、本属のさく歯は5タイプに分けられることを示した。第4章では、本属と近縁属との属間関係を考える上で、偽毛葉、さく柄、外さく歯の形質が有効であることを明らかにした。その結果、キヌゴケ属はGiraldiella層とこれらの形質で一致すること、Platygyriella属とイヌサナダゴケ属とは明瞭に区別されることが示唆された。第5章では、キヌゴケ属、イヌサナダゴケ属、Giraldiella属の3属の種について、葉緑体のrbcL遺伝子による分子系統解析を行った。形態形質と分子系統解析の結果から、Giraldiella属はキヌゴケ属に含まれること、Platygyrium属とPlatygyriella属はキヌゴケ属と近縁でないことが示唆された。第6章では、これらの研究結果からこれまでに報告されたキヌゴケ属の種および近縁属の種を分類学的に整理し、新組み合わせ2種を含む15種がキヌゴケ属に認められると結論づけた。形態形質と分子系統解析の結果を踏まえ、Giraldiella属はキヌゴケ属のシノニムとすることが提唱された。

 本研究により、キヌゴケ属の種の識別形質が明確に示され、また、近縁属との類縁関係も分子系統解析を合わせて行うことにより明らかにされた。現在、コケ植物ではその系統解析に分子系統学的手法の導入が遅れており、方法もまだ十分に確立されていない。したがって、本論文の特徴の一つは、形態形質の形質評価に基づいたモノグラフ作成に加え、独自の工夫により現時点で最善の分子系統解析を行い、それらの研究成果を取り入れた点にある。今回のモノグラフ作成に用いられた研究手法は、これからのコケ植物の分類学的研究の方向性を示すものと評価できる。

 なお、本論文第5章は樋口正信との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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