No | 117904 | |
著者(漢字) | 今井,洋 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | イマイ,ヒロシ | |
標題(和) | 鞭毛微小管の滑り速度に影響を与える要因の解析 | |
標題(洋) | Studies on factors affecting the velocity of microtubule sliding in flagella | |
報告番号 | 117904 | |
報告番号 | 甲17904 | |
学位授与日 | 2003.03.28 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第4375号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 生物科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 序論 真核生物の鞭毛・繊毛運動は,ダブレット微小管間の滑り運動を原動力としている.微小管滑り運動は,ダブレット上に2列に並ぶ外腕ダイニンと内腕ダイニンがATPを加水分解しこの時生じる化学エネルギーが力学的エネルギーに変換されることによって起される.これまでの研究から,鞭毛運動の制御において,内腕は屈曲形成に必須であるのに対し,外腕は滑り速度調節に重要であるといわれている.例えば,膜除去後のウニ精子やクラミドモナスの鞭毛を再活性化した場合,その鞭毛打頻度は外腕抽出により低下する.また,トリプシン処理によりダブレット間の滑りを誘導すると,その速度は,外腕抽出により低下する.しかし,単離した外腕と内腕が起す微小管滑り運動の速度は必らずしも異ならないことが報告されている.従って,外腕と内腕が存在する場合に内腕のみの場合より滑り速度が高いことは,外腕と内腕の特性の違いとして単純に説明することはできない. ところで,ウニ精子鞭毛の外腕ダイニンである21Sダイニンは,トリプシン処理により,モータードメインを含むC末の340kDa断片とそれ以外のN末の110kDa断片に分れる.340kDa断片には,ダイニンが微小管とATP依存的に結合する部位(B-link)が含まれるが,ATPに非依存的に結合する部位(A・link)は110kDa断片に含まれる.また,21SダイニンのATPase活性はトリプシン処理により上昇することが知られている.これらのことから,トリプシン処理によりATPase活性の上昇した断片が微小管滑り速度を高めている可能性も考えられる.しかし,トリプシン処理断片は隣り合う微小管間を架橋できないのでこの断片のみで高い速度の滑り運動は起せないと思われる. 本研究では,外腕存在下でトリプシン処理軸糸の滑り速度が高いのは,どのような仕組みによるのかという疑問を解くことを手がかりとして,鞭毛運動の基本である滑り活性の調節機構における外腕と内腕の役割を解明することを目指した.滑り速度を解析するには,軸糸構造の一部を酵素処理によりこわす必要がある.本研究では,滑りの制御系を残したまま滑りを誘導できるエラスターゼ処理と一部のダイニンのトリプシン処理とを組み合わせるという新しい手法の導入により大きな成果を得た. 材料と方法 実験にはキタムラサキウニ,バフンウニ,ムラサキウニの精子を用いた.精子を除膜後断片化し(intact軸糸と呼ぶ),0.6MKCl処理とこの処理の後0.75MKCl処理により外腕を抽出した軸糸を用いた.また,外腕を抽出した軸糸に,外腕や外腕のトリプシン処理断片を再構成した軸糸も用いた.これらの軸糸を約5μlのchamberに潅流後,1mMATP存在下でエラスターゼ,またはトリプシンを潅流して,微小管の滑りを誘導し,滑り速度を解析した.滑り運動は暗視野顕微鏡で観察し,イメージインテンシファイアー付きの高感度CCDカメラでビデオに記録後,モニター画面上で微小管の動きをトレースし,速度を解析した.軸糸のダイニンについては電気泳動,immunoblotを用いて解析した.その結果,0.6MKCl処理軸糸には約5%の外腕とほぼすべての内腕が残っていること,0.6MKCl処理後0.75MKCl処理をした軸糸には約70%の内腕のみが残っていることがわかった. 結果と考察 <エラスターゼ処理軸糸とトリプシン処理軸糸の滑り運動> 5μg/m1エラスターゼ処理軸糸では,約60%がエラスターゼ処理に典型的な1回のみの滑りを示し,2本のダブレットの束に分かれた.一方,1μg/mlトリプシン処理軸糸においても約40%が,同様の滑りを示した.この割合は,外腕を抽出しても変化しなかった.滑り速度を正確に測定するために,この1回のみの滑りに着目し,速度を解析した. 5μg/mlエラスターゼにより誘導した滑り速度は平均約8μm/secで,外腕の有無によって有意な変化を示さなかった(Mann-WhitneyU・testにより検定).一方,1μg/mlトリプシンにより誘導した滑り速度は,intact軸糸,0.6MKCl処理軸糸では11・15μm/secとエラスターゼ処理による滑りより有意に速いが,0.75MKCl処理軸糸では,エラスターゼ処理の場合と有意な差はみられなかった. ほとんどの軸糸が滑りを起すエラスターゼ3分間処理とトリプシン1分間処理後の軸糸についてSDS・PAGEでダイニンの状態を調べたところ,ダイニン重鎖はエラスターゼ処理では影響を受けている様子はなかった.しかし,トリプシン処理ではダイニンは切断されてより小さなバンドが生じていた.このことから,エラスターゼ処理による滑りの方がトリプシン処理よりも生体内に近い状態を反映していると考えることができる. <酵素処理から滑り開始までに要する時間> 以上の結果から,外腕と内腕が共に存在する軸糸と内腕のみが存在する軸糸の滑り速度はほぼ等しいと予想される.しかし,これ以外にもこの結果を説明する仮説は考えられる.その1つは,エラスターゼ処理軸糸では,外腕が滑りに貢献していないため外腕の有無が速度に影響しなかったという仮説である.そこで,エラスターゼ処理開始から滑り開始までの時間(time lag)を検討した.軸糸の滑り運動は,生体内で滑りを抑制している構造が消化されて抑制が弱くなり,ダイニンの滑りの力の方が大きくなったときに起るとすると,timelagは,滑りを起すダイニンの数を反映することになる.Intact軸糸から外腕を抽出するとエラスターゼでもトリプシンでもlagが長くなった.従って,エラスターゼ処理により誘導される滑りには外腕も貢献していたと考えられる. もう1つは,エラスターゼが,自由な滑りを抑制している構造を十分消化しない結果,トリプシンより速度が遅くなったという仮説である.そこで消化の状態を変えるために,0.1μg/mlトリプシンと20μg/mlエラスターゼを用いて測定を行った.その結果,プロテアーゼ濃度の増減によりlagや滑りのパターンは変化したが,滑り速度は影響を受けなかった.従って,一部の軸糸構造の消化が不十分なために滑り速度が低いわけではないことが示された. 以上の結果から,外腕と内腕の揃った軸糸と内腕のみの軸糸で微小管滑り速度はほぼ等しく,外腕がトリプシン処理による滑り速度上昇に関与していることが示唆された.そこで,トリプシン処理をした外腕を外腕のない軸糸に再構成し,エラスターゼにより誘導される滑り速度に対する効果を検討した. <トリプシン処理外腕再構成軸糸の滑り速度> Crudeの外腕を1mMATP存在下でトリプシン処理し,外腕抽出軸糸とインキュベート後,エラスターゼと1mMATPにより滑りを誘導した.0.75MKCl処理軸糸に再構成した場合滑り速度は変化しなかったが,5%の外腕が存在する0.6MKC1処理軸糸では滑り速度が有意に高くなった.ところが,外腕をATP非存在下でトリプシン処理した場合にはこのような速度上昇はみられなかった.SDS・PAGEで調べたところ,ATP存在下でトリプシン処理した外腕は主に350kDa断片となり,1mMATP存在下で軸糸に結合することがわかった.従って,速度の上昇には,軸糸に一部の外腕が存在すること,ATP存在下で外腕をトリプシン処理することが重要であることがわかった. <トリプシン処理21Sダイニン再構成軸糸の滑り速度> 軸糸に滑りを誘導するときのトリプシン処理はdigestion index(DI:トリプシン濃度x処理時間/タンパク濃度)で約300である.精製した外腕である21Sダイニンを,DI300と3000でトリプシン処理後0.6MKC1処理軸糸に再構成して滑りをみた.その結果速度の有意な上昇がみられた.DI300では,ダイニンのα重鎖の約半分が切断され,β重鎖はほとんど影響を受けていなかった.従って,滑り速度上昇にはα重鎖の断片が重要である可能性が高い.また,ATPase活性は,トリプシン処理によって有意に上昇し,微小管存在下ではさらに上昇した. <トリプシン処理軸糸から得られた滑り速度に関わる要因> トリプシン処理により軸糸に滑りを誘導したとき,速度上昇にかかわる外腕の断片が作られていると予想される.それは滑りの間ダブレット上にあるのかもしれないが,遊離する可能性も考えられる.そこで,トリプシン処理(DI=300)で滑りを誘導後,ダブレット上に残った外腕断片とダブレット以外の外液成分について調べた.その結果,ダブレットに残った外腕断片には滑り速度上昇の効果はみられなかったが,外液成分には滑り速度上昇の効果がみられた. 最後に,外液成分を分画し,ダイニン重鎖,350kDaの断片,140kDaの断片を含む主に3種の画分を得た.これらの画分の効果を検討したところ,350kDaの断片を含む画分のみが滑り速度上昇の効果を示した.この結果から,ATPase活性の高まった350kDaの断片が,軸糸内でまだ断片化していない外腕に作用してその活性を高める結果,滑り速度が上昇するのではないかと考えられる 以上のように,本研究では,ウニ精子鞭毛において外腕と内腕の存在する軸糸の微小管滑り速度はトリプシン処理外腕断片の働きにより上昇することを明らかにした.滑り速度をパラメーターとして,ダイニン相互の活性の協調的制御を捉えることに成功したという点でこの成果は重要な意味を持つ. | |
審査要旨 | 真核生物の鞭毛運動は,外腕・内腕ダイニンによって起されるダブレット微小管間の滑り運動を原動力としている.外腕は滑り運動に必要な力発生を行うだけでなく,滑り速度の調節に重要であるといわれている.しかし,その機構はまだ明らかにされていない.本論文は,新しい実験手法の導入により,外腕ダイニンの滑り速度制御機構の一端を初めて明らかにしたものである. 滑り運動の解析を行うには,ダブレット間を繋ぎとめいる構造を壊す必要がある.ウニ精子鞭毛でトリプシン処理により滑りを誘導すると,外腕と内腕がともに存在する軸糸の滑り速度は,内腕のみの軸糸の滑り速度の約2倍である.したがって,外腕が滑り速度の制御に関与していると思われる.トリプシン処理により外腕ダイニンは切断を受け,その断片のATP加水分解活性は切断前より高くなる.しかし,この断片はダブレット間に架橋構造を形成できないため,断片のみで滑りを起こすことは難しい.以上のことから,外腕の存在する軸糸がトリプシン処理により高い滑り速度を示すという実験事実を説明するには,滑りを起こすことのできるダイニンとダイニン断片との間のなんらかの制御を考える必要がある. 本研究では,まず,ダイニンを切断しない手法で滑りを誘導した場合にも,外腕と内腕の存在する軸糸の滑り速度が内腕のみの軸糸の滑り速度より速いのかについて検討した.エラスターゼ処理したウニ精子鞭毛軸糸は,構造の一部が消化され,滑りを起こすことができるにも関わらず,滑りの制御機構をある程度保持している.高濃度ATPでは,この軸糸は2本のダブレットの束に別れるような滑りを示す.この滑り運動の解析によりダブレット間の滑り速度を精度よく解析した.その結果,トリプシン処理で滑りを誘導すると,外腕と内腕の揃っている軸糸が最も速い速度を示し(平均約15μm/秒),外腕の大部分を取り除くと速度が少し減少する(約11μmノ秒).これに対し,内腕のみの軸糸では約8μm/秒となった.一方,エラスターゼで滑りを誘導すると,外腕の存在によらずすべての軸糸で約8μmノ秒となり,速度は変化しなかった.また,トリプシン処理はダイニンを切断するが,エラスターゼ処理はダイニンをほとんど切断しないことが確かめられた.したがって,トリプシン処理軸糸における速度の上昇は,外腕の切断と関連している可能性が高い. そこで,トリプシン処理により生ずる断片がエラスターゼにより誘導される滑り速度に与える影響の解析を行った.軸糸から大部分の外腕を取り除き,約5%の外腕とほぼ全ての内腕の存在する軸糸を作成する.この軸糸とトリプシン処理ダイニン断片とを反応させ,断片が軸糸に再結合するのか,さらにこの軸糸にエラスターゼ処理による滑りを誘導した場合,その速度が上昇するのかを検討した.軸糸から高塩濃度処理により抽出した粗抽出外腕ダイニンでも精製した21Sダイニンでも,トリプシン処理後軸糸に結合し,滑り速度を有意に上昇させた.この速度上昇の効果は,ダイニンをATP存在下でトリプシン処理した時に見られ,外腕を全て取り除いた内腕のみの軸糸に再結合させても見られなかった.また,外腕ダイニンの2つの重鎖の内のα重鎖がトリプシン処理により切断されていること,切断により生じた350kDa断片がATP存在下で軸糸に再結合していることが確かめられた.これらはいずれも新しい発見である. さらに,トリプシン処理により外腕と内腕の存在する軸糸に滑りを誘導した場合にも,同様のトリプシン断片が生ずる結果滑り速度上昇が起こるかを調べた.滑り終わった後のダブレット上に残るダイニンを高塩濃度処理で抽出し,その効果を見たが、エラスターゼ処理による滑りには変化が見られなかった.これに対し,トリプシンによる滑り誘導後の上清を調べたところ,エラスターゼによる滑りの速度上昇が見られた.上清をショ糖密度勾配遠心により分画し速度上昇の因子を探索した結果,350kDa断片を含む画分が速度上昇の効果を示した.以上の結果は,外腕の3切kDaトリプシン断片が,速度上昇の主要な因子であり,この因子が切断を受けていない外腕ダイニンとダブレット微小管を介して相互作用することにより,滑り速度を上昇させると考えられる. 本研究では,ウニ精子鞭毛において外腕と内腕の存在する軸糸の微小管滑り速度はトリプシン処理外腕断片の働きにより上昇することを初めて明らかにした.滑り速度をパラメーターとして,ダイニン相互の活性の協調的制御を捉えることに成功したという点でこの成果の意義は大きい. なお,本論文は,真行寺千佳子氏との共著であるが,論文提出者が主体となって実験,解析を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する. したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める. | |
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