学位論文要旨



No 117907
著者(漢字) 朴,贊澔
著者(英字)
著者(カナ) パク,チャンホ
標題(和) ハコネシケチシダ(イワデンダ科)における無配生殖とその進化に関する研究
標題(洋) APOMIXIS AND ITS EVOLUTION IN CORNOPTERIS CHRISTENSENIANA (WOODSIACEAE)
報告番号 117907
報告番号 甲17907
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4378号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,雅啓
 東京大学 助教授 野�ア,久義
 東京大学 教授 雨宮,昭南
 東京大学 講師 上島,励
 東京大学 助教授 樋口,正信
内容要旨 要旨を表示する

 世界のシダ植物の約10%が無配生殖種であり,日本の種では約15%が無配生殖を行う。しかも無配生殖種の約75%が倍数体でしかもほとんどが3倍体である。このように,無配生殖とそれに伴う倍数性はシダ植物の多様化に深くかかわっている。無配生殖種の起源については,有性生殖種と無配生殖種間の雑種が無配生殖様式を母種から受け継ぐことによって新種が生じる例が知られている。一方,存性生殖種の種間雑種が無配生殖を獲得して不稔状態を脱し,独立種になったと推定されることもある。しかし無配生殖という様式がどのように進化したかはわかっていない。無配生殖(無融合生殖)では,非減数胞子(染色体数が複相)が形成され,その後,受精なしに非減数配偶体の栄養細胞から直接胞子体が生じる(狭義の無配生殖)という2つの過程が生活環で相次いで起こる(図1)。本研究は,不稔雑種とされるハコネシケチシダにおける不完全:あるいは初期進化段階と予想される無配生殖を解析し,無配生殖の起源を探ることを目的とする。

1.半人工環境下における自然繁殖

 シケチシダ属の3倍体ハコネシケチシダは形態,染色体数および分布からイッポンワラビ(2倍体)とシケチシダ(4倍体)の種間3倍体不稔雑種と推定されている。しかし日本から韓国南部に広く分布しているので不明の生殖様式によって繁殖している可能性がある。一方,東京大学植物園の「シダ園」(屋外半地下)で自然繁殖したハコネシケチシダと見られる幼個体が多数見つかった(図2)。この幼個体は(1)シダ園で共に栽培されているイッポンワラビとシケチシダの新たな雑種形成によって,あるいは(2)シダ園および近くの栽培場にある日本各地から集められたハコネシケチシダ成個体から無配生殖によって繁殖した可能性の2つが考えられる。そこでどのように繁殖するかを明らかにするために東大植物園および自然集団のハコネシケチシダと近縁種について染色体数を観察した。幼個体を倍数体レベルにより同定するために,シダ園及び栽培場から集められた3種の27の幼個体及び27成個体の合計54個体について染色体数を観察した(図3-12)。21幼個体は3倍体(2n=120),1幼個体は異数体(2n=121)のハコネシケチシダであった。シダ園のハコネシケチシダ一成個体も120本の染色体をもつ3倍体であった。栽培場の25成個体は120,121,122,126本の染色体をもつ4つの異数性サイトタイプに分かれた。2n=120のサイトタイプ19個体,121,122本の異数体がそれぞれ3個体,2個体,126本の異数体は1個であった。シダ園のイッポンワラビの1幼個体と1成個体はともに2倍体(2n=80)であり,シケチシダの5幼個体と1成個体は4倍体(2n=160)であった。シダ園ではイッポンワラビの繁殖は極端に少なかった。この結果および比較形態(データ省略)から,ハコネシケチシダは胞子(無配生殖)を介して自然繁殖する可能性が高いことが示唆された。

2.酵素多型およびDNA多型分析

 シダ園でハコネシケチシダ幼個体が無配生殖で自然繁殖した可能性と,両親種間の新たな交雑によって繁殖した可能性をさらに検証するために,酵素多型およびDNA多型分析を行った。

2-1.酵素多型分析

 3種の計108個体について13酵素種を予備的に検査したところ10アイソザイムで変異が見られた。幼個体で検出された8アロザイムパターンのいずれもイッポンワラビとシケチシダの交雑の結果生じると期待される表現型と一致しなかった(表1)。したがって,ハコネシケチシダ幼個体がシダ園において交雑によって生じた可能性はないと考えられる。これに対し,ハコネシケチシダ幼個体で見つかった8表現型のうち,A-Fの6型は植物園で栽培されている成個体と同一であり,ハコネシケチシダ幼個体が6個体以上の成個体の非減数胞子から生じたことが示された(表1)。一方,残り2幼個体の表現型GとHは成個体では見つけられず,親子関係は不明である。

 さらに,ハコネシケチシダ成個体には6つの表現型以外にも19表現型,計25型があることがわかった(表1)。したがって,ハコネシケチシダ白身が著しい複数回起源であることが示唆される。

2-2.DNA多型分析

 葉緑体はほとんどの被子植物及びあるシダ植物では母性遺伝することが知られている。無配生殖による親子関係をさらに検証するために,葉緑体DNA上のtrnL-F遺伝子間領域の塩基配列を比較解析した(図13)。得られた系統樹はイッポンワラビとシケチシダの2つの群に分かれ,調べた69個体のハコネシケチシダ中30幼個体はそのどちらかに分かれた。従ってハコネシケチシダ幼個体は,イッポンワラビを母親とするか,シケチシダを母親とした交雑によって生じた成個体からつくられることが示された。また,ハコネシケチシダ幼個体の8つのアロザイム表現型は2つの群のどちらかに分かれるものの他に,両方の群に分かれるもの(例えば表現型A)があった。酵素多型分析とDNA多型分析結果を合せると,ハコネシケチシダ幼個体には12のタイプが存在することが明らかになり,それらはそれぞれ異なった成個体から派生したことが示された(表2,図13)。これより,シダ園においてハコネシケチシダは頻繁に無配生殖によって繁殖できることが示唆される。

 さらに,ハコネシケチシダ成個体にもイッポンワラビを母種とするもの,シケチシダを母種とするものがあり,同一のアロザイムタイプでも両方の場合があることもわかった。結局,日本各地から集められたハコネシケチシダ成個体には,酵素多型及びDNA多型データによって34の表現型が識別されることが明らかになった。多型が生じる要因として(1)異なる遺伝子型のイッポンワラビとシケチシダの親個体の間で複数回交雑が起こった,あるいは(2)交雑後に突然変異が蓄積された可能性が考えられる。酵素多型がアロザイムの組合せによるものでありユニークなアロザイムがないことと,個体によって母親種が異なっていることから,(1)が主たる要因であると考えられる。このような有性生殖種間の交雑が複数回起こって,無配生殖する独立種が生じるパターンはハコネシケチシダで初めて示された。

3.胞子形成と胞子体形成

3-1.胞子形成

 ハコネシケチシダが繁殖に必要な稔性のある良形胞子をどのようにつくるかを明らかにするために胞子形成過程を調べた。成個体は観察したすべての胞子嚢で異常な胞子形成パターンを示した。1胞子嚢中には通常16個(稀に14か12)の胞子母細胞(SMC)がつくられ(図14),無配生殖に典型的な8SMCをつくる胞子嚢は見られなかった。第一減数分裂では,二価染色体は規則的に分かれるものの,一価染色体が細胞中に散乱し,不稔雑種で見られるような異常が観察された(図15)。SMCのその後の発生により,4つの胞子形成パターンが観察された。胞子の多数またはほとんどが集合し不良形であるパターン1(図16),約64の良形胞子を形成するパターン2(図17),約64個の胞子のほとんどが不良形で一部は良形であったパターン3(図18)の他,まれに16の良形胞子を形成するパターン4(図19)もあった。また日本各地から集めた成個体について良形胞子形成率を調べた結果,個体によって変異が大きかった(表3)。以上より,ハコネシケチシダの良形胞子形成は不稔雑種に見られるパターンとよく似ており,一般的な無配生殖の非減数胞子形成(復旧核を伴う8個の倍数体SMCを経由するDopp-Manton形式,あるいは減数分裂時に復旧核となるBraithwaite形式:図1)とは異なることが明らかになった。

3-2.無配生殖による胞子体形成

 ハコネシケチシダの配偶体が無配生殖によって胞子体をつくるかどうかを確かめるために,成個体の胞子を採集し培養した。成個体の良形胞子の発芽率は個体によって変異が大きく,良形胞子形成率が高い個体ほど発芽率も高い傾向があった(表3)。酵素多型及びDNA多型分析により,親子関係が推定できた成個体について発芽率を比べた結果,良形胞子形成率が高いものは発芽率も高い相関が認められた。配偶体は造卵器と造精器とも生じず,栄養組織から胞子体を無配生殖的に形成し(図20,図21),胞子体形成率も個体によってばらつきがあるが,良形胞子形成率および発芽率とおおまかな正の相関が認められた(表3)。

4.考察

 本研究により,これまで不稔雑種とされたハコネシケチシダは人工的環境下ではあるが無配生殖によって自然繁殖することが示され,培養条件下で確認された。シダ植物に一般的な無配生殖ではDopp-Manton形式またはBraithwaite形式によって32個の非減数胞子(図1)を作るのに対して,ハコネシケチシダではそれらとは異なり不稔雑種で見られるような胞子形成パターンを示した。そして,比較的低い頻度(0-45%)で配偶体から胞子体を無配生殖的に形成する(表3),したがって,非減数胞子形成と無配生殖(狭義)の両方の過程が不完全であり,無配生殖種の初期の進化段階にあると考えられる。さらに本研究により,ハコネシケチシダそのものが交雑による多数回起源(少なくとも34回)であることが示された(表2,図13)。また胞子形成パターンと狭義の無配生殖パターンの観察から,無配生殖は遺伝子レベルではまだ確立していないと推定され,不完全な無配生殖がくり返されている可能性が高いといえる。無配生殖の起源について,非減数胞子形成にかかわる遺伝子が無配生殖(狭義)も支配するとする一遺伝子説と,2つの過程それぞれにかかわる複数の突然変異が起こったとする説が提唱されている。本研究により非減数胞子と狭義の無配生殖の生理的つながりがハコネシケチシダの少なくとも34系列(クローン)で生まれていることから,非減数胞子形成を起こす突然変異が起これば,狭義の無配生殖も引き起こされるという1遺伝子説の方がより支持される。

図1.シダ植物の有性生殖と無配生殖における胞子形成過程と生活環,胞子形成過程の赤い矢印は染色体倍加(復旧核)を示す.

図2.東京大学植物園とシダ園

図3-12.ハコネシケチシダ(3-8),イッポンワラビ(9,10)及びシケチシダ(11,12)成・幼個体の体細胞染色体,3幼個体2n=120,4成個体2n=120.5幼個体2n=121.6成個体2n=121.7成個体2n=122.8成個体2n=126.9幼個体2n=80.10成個体2n=80.11幼個体2n=180.12成個体2n=180.スケール=10μm.

表1.シケチシダ属3種のアイソザイムパターン(表現型)

表2.ハコネシケチシダ幼個体の推定両親種

図13.ハコネシケチシダ,イッポンワラビ及びシケチシダのNJ方法に基づく葉緑体遺伝子の系統樹,†はイッポンワラビ,*はシケチシダを,φはハコネシケチシダ幼個体,赤い色はハコネシケチシダ成個体を示す.A-Zはアロザイム型(表1)を示す.

図14-19.ハコネシケチシダ成個体の胞子形成過過程1416個の胞子母細胞,15第一減数分裂,16不良形胞子を形成するタイプ.17約64個の良形胞子を形成するタイプ.18小数の良形胞子を形成するタイプ.19約16個の良形胞子を形成するタイプ14,15スケール=10μm.16-19スケール=100μm.

図20-21. 配偶体から無配生殖敵に生じたハコネシケチシダ胞子体,スケル=1mm

表3.ハコネシケチシダの良形胞子形成率,発芽率,無配生殖(狭義)と無配生殖(広義)の頻度

審査要旨 要旨を表示する

 無配生殖とそれに伴う3倍体倍数性は植物の進化,多様化に深くかかわっていることが知られていたが,無配生殖様式の起源についてはほとんどわかっていなかった.とりわけ,有性生殖種間に生じた不稔の雑種が無配生殖を進化させる過程については明らかにされていない.本論文はその起源の解明に寄与した研究である.まず,関連する先行研究成果を要領良くまとめ,本論文の研究を開始するに至った問題を浮き彫りにしている.研究対象となったハコネシケチシダはこれまで不稔の種間雑種と見られていたが,東大附属植物園内のシダ園で本シダの幼植物が相当数繁殖していることに着目して,本シダが無配生殖をしている可能性を考えたのが研究の端緒となった.観察の鋭さと仮説提唱の独創性は本論文作成の重要な礎となっている.ハコネシケチシダがシダ園という人工的な環境ながら胞子によって自然繁殖することを,細胞分類学的手法を用いて明らかにした.次に,胞子形成過程を観察し,良形の胞子が異常な胞子形成過程を経て,平均的には低頻度ではあるが個体によってさまざまな頻度でつくられることを明らかにした.胞子発芽・配偶体培養実験を行い,良形胞子の一部は発芽し配偶体に成長し,配偶体の一部が無配生殖(狭義)によって次世代の胞子体を形成することを明らかにした.これによって,ハコネシケチシダは不完全ではあるが無配生殖する能力をもつことを示すことができた.この結果は,正常な無配生殖をする植物では内部倍数化を伴った非減数胞子形成が起こることに比べて,本シダの無配生殖が異質な胞子形成パターンを巻き込んでいること示すものであり,意義深い初めての発見である.さらに,シダ園での自然繁殖が無配生殖によるものであることを,電気泳動法を用いた酵素多型分析と分子系統解析によって示した.その結果,シダ園の幼植物は,シダ園周辺で栽培されている個体の内の12個体の親植物から生じたことになり,ハコネシケチシダの無配生殖が多くの個体で起こることを示した.これは,人工発芽・培養実験,酵素多型分析と分子系統解析を巧に組み合わせて,無配生殖の進化の初期段階を初めて明らかにした非常に興味深い発見である.

 ハコネシケチシダの幼植物の由来を探る研究の過程で,本シダの親個体に遺伝的変異があることが示された.これは,有性生殖種間の雑種から無配生殖種がそれぞれの種で1回だけ進化したとする従来の研究結果とは異なる興味深い結果である.これを手がかりにして論文提出者は,北海道を除く日本各地(大韓民国南部にも)に分布するハコネシケチシダの自生個体の遺伝的多型を酵素多型分析および分子系統解析によって調べた.その結果,2有性生殖母種の内,母親・父親種が異なる組合せの交雑によって生じたハコネシケチシダの個体が多数ある場合の他,塩基配列が異なる個体もあり,調べた57個体中34個体(約60%)が互いに独立に生じたと推定した.このような種の著しい多数回起源は本論文が最初の報告である.この注目に値するパターンは,1回起源の種分化を含む無配生殖種の種分化のパターンをうまく説明でき,今後の種分化研究の方向を指し示すといえる.さらに,進化の初期段階にある無配生殖種であるハコネシケチシダが,無配生殖の遺伝的制御系が確立していない状態で多数回起源したと推定した.これは,非減数胞子が形成されるような突然変異が起こる、それから配偶体における無配生殖(狭義)を誘発する効果が生じるとする仮説(1遺伝子説)に合致する結果であり,無配生殖の進化について研究をすすめる上できわめて有力なデータを示したといえる.このように,本論文は無配生殖種の進化の初期段階を示すことを通して,無配生殖の進化の解明に大きく貢献した.

 なお,本論文の染色体数(3.1,4.2,5.1),胞子形成(3.3,4.3.5.2),発芽(3.4,4.4,5.3)の部分は,加藤雅啓との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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