学位論文要旨



No 117911
著者(漢字) 池田,一穂
著者(英字)
著者(カナ) イケダ,カズホ
標題(和) 鞭毛軸糸9+2構造の保持に必要な新規蛋白質の同定
標題(洋) Characterization of a novel axonemal protein essential for the integrity of the 9+2 structure
報告番号 117911
報告番号 甲17911
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4382号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神谷,律
 東京大学 教授 森沢,正昭
 東京大学 助教授 奥野,誠
 東京大学 助教授 上村,慎治
 東京大学 助教授 広野,雅文
内容要旨 要旨を表示する

 真核生物の鞭毛、繊毛は2本の中心微小管とそれを取り囲む9組の周辺微小管を基礎として構成される運動性の細胞器官である。微小管上にはダイニンやラジアルスポークなどの多様な構造がそれぞれ周期的に結合しており、軸糸は長軸方向に約96nmを単位とした規則正しい構造をとっている。周辺微小管のA小管にはリボンと呼ばれる3本のプロトフィラメントからなる構造が存在し、その構成蛋白質の一部は周辺微小管の構造や構築を担うとともに、このような軸糸の周期性の構築に関与しているとも考えられている。

 鞭毛は周辺微小管上のモーター蛋白質ダイニンが発生する力を原動力として周期的な屈曲運動を行う。この際、周辺微小管は互いに結合したまま、隣り合う微小管の間にすべりが生じることによって軸糸の屈曲波が形成される。ダイニンについてはその分子構造やATP分解酵素としての機能に関して多くのことが明らかにされているが、それが発生するすべり運動がどのような機構で周期的な屈曲運動に変換されるのかはまだほとんど分かっていない。このような機構の一部として極めて重要と考えられるのは、微小管同士をつなぐ仮想的な弾性繊維である。この構造によって微小管間のすべりは一定の振幅に抑えられ、鞭毛の波打ち運動が生じると考えられている。

 そのような繊維状構造はネキシンリンクあるいはインターダブレットリンクと呼ばれ、隣接する微小管同士を架橋する構造として、軸糸の長軸方向に96nmごとに存在することが電子顕微鏡によって観察されている。この構造はプロテアーゼとATP存在下における軸糸の解体(Sliding disintegration)の際に分解消失することから、ダイニンのすべりを一定の振幅に抑える弾性繊維そのものと期待されている。しかし、その蛋白質としての実体と構造的、機能的な性質はいまだ未知であり、弾性を持つことを疑問視する報告もある。現在、ダイニンやラジアルスポークといった軸糸内部の構造の構成蛋白質については、鞭毛内構造を欠失したクラミドモナスの変異株の解析によって、多くのことが明らかになっているが、ネキシンリンクの場合はそれを欠失すると鞭毛が生えなくなるためか、まだ変異株がとられていない。そのため、ネキシンリンクは鞭毛運動において極めて重要な機能が想定されているにも関わらず、解明が進んでいないのである。

 そこで、本研究ではネキシンリンクを構成する蛋白質を生化学的に同定することを試みた。前述のように、このリンクはプロテアーゼ処理による軸糸の解体とともに失われる蛋白質によって構成されていると期待される。そこで、クラミドモナスから単離した鞭毛軸糸にトリプシンとATPを加え、sliding disintegrationの進行と同様の時間過程で分解される蛋白質を調べたところ、約70kDaの蛋白質が電気泳動ゲル上で同定された。さらに軸糸を高イオン強度、及び低イオン強度の溶液で抽出した結果、この蛋白質は抽出した軸糸中に残ることが示され、またこの条件では周辺微小管は結合したままであることが分かった。そこでその遺伝子のクローニングを行った。この蛋白質の部分アミノ酸配列を決定し、クラミドモナスのcDNAライブラリーをスクリーニングしたところ、アミノ酸635残基をコードするcDNAを得た。その配列からこの蛋白質はC末にCa2+結合モチーフとして知られるEF-hand構造を2つ持ち、分子内には3つのDM10ドメインを持つ推定分子量71,985Daの蛋白質であることが判明した。ヒトやマウス、ショウジョウバエなどに相同な遺伝子があることが分かったが、いずれも機能は明らかにされていない。この蛋白質はほぼ同時期にPetal-Kingらの報告したp72と同一であったが、局在の検定の結果、後に述べる通りプロトフィラメントリボンとの相互作用が認められたためRib72と呼ぶこととした。

 Rib72の性質を詳しく検討するために、まずRib72をバクテリアで発現させ、そのリコンビナントRib72を抗原として特異的な抗体を作成した。Rib72は軸糸のsliding disintegrationとともに失われる蛋白質として同定されたが、実際にプロテアーゼによって分解されるかどうかは不明である。そこでトリプシン、エラスターゼ、およびナガーゼによってsliding disintegrationを起こさせた軸糸のウエスタンブロット解析を行った。軸糸のsliding disintegrationの進行と、Rib72の分解の時間過程を調べたところ、Rib72はどのような分解条件下でも軸糸のsliding disintegrationとほぼ平行して分解されることが示された。また、どのプロテアーゼ処理によってもRib72は分子の端から10kDa程度の部位で切断された。これはおそらくRib72の分子中のその部位が微小管表面上に露出しているためであると考えられる。

 次に、この抗体を用いてRib72の局在の観察を試みた。間接蛍光抗体法により細胞を観察したところ、Rib72は鞭毛内に均一に存在することが示された。さらに金コロイドで標識した2次抗体を用いて免疫電顕による観察を行ったところ、金コロイドが微小管上に結合する様子が観察された。プロテアーゼ処理によって部分的に解体された軸糸では金コロイドによる標識がさらに高頻度で起こり、部分的には鞭毛の基本単位に近い約100nmの周期性が確認された。この結果はRib72の大部分は軸糸の表面には露出していないが、プロテアーゼ処理によって露出してくることを示唆する。Rib72が高イオン強度、及び低イオン強度の溶液で軸糸から抽出されなかったことも考慮すると、Rib72は軸糸の内側、あるいは微小管の内部に局在しているという可能性が高い。そこで、軸糸をSarkosy1で抽出し、プロトフィラメントリボンにまで解体し、その抽出上清と抽出残渣をウエスタンブット解析で比較することによりRib72の微小管内の局在を調べた。その結果、Rib72のほとんどが不溶性の画分に検出されることが明らかになった。Sarkosy1処理した軸糸を免疫電顕で観察すると、金コロイドがリボンや部分的に解体した微小管の周りに高頻度でまとわりつくように結合する様子が見出された。またリボンから離れ、単独の細いフィラメントを作っているように見える部分も観察された。すなわち、Rib72はリボンそのもののコンポーネントではなく、その結合蛋白質であると考えられる。これらの結果から、Rib72はこのように、その大部分は微小管の中に埋もれているが、一部が微小管表面上に露出している、という特徴的な局在を示すことが示唆された。Rib72はこのような局在を示しながらも、プロテアーゼによって軸糸構造の崩壊と似た時間経過で分解されるという興味深い性質を持つことが分かった。

 配列から推定されるRib72分子は既知のリボン構成蛋白質との相同性は認められず、内部にはEF-hand、DM10以外に特徴的なドメインを持たない。配列からの予測ではRib72はαヘリックス含量が低く、単体で繊維状のポリマーを構成するとは考えにくい構造であるが、それでは、軸糸内ではどのような状態で存在するのだろうか?軸糸由来のRib72とリコンビナントRib72をゲルろ過カラムクロマトグラフィーにかけた結果、この蛋白質はRib72単独の分子量の2-3倍の値を持つ複合体を形成していることが示唆された。すなわち、Rib72はそれ自身でダイマーを形成し、さらに他の未知蛋白質を含むコンプレックスを構成する可能性が高いと想像される。分子の半分を占めるDM10ドメインの機能は未知であるが、この結合に関与している可能性も考えられる。微小管と直接相互作用するかどうかについては今後の課題である。

 現段階ではこの蛋白質と軸糸周辺微小管同士をつなぐネキシンリンクとの関連は不明だが、これらの結果からRib72はネキシンリンク本体というよりは、その一部を構成している蛋白質か、或いはその機能の一端を担う結合蛋白質である可能性が大きいと考えられる。いずれにしても、鞭毛、繊毛を持つ生物に普遍的に存在し、軸糸構造の保持に寄与する新規リボン結合蛋白質Rib72の発見は、鞭毛の運動機構および構築機構の解明にとって重要であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 真核生物の鞭毛繊毛は9本の周辺微小管が局所的に滑り運動を行うことによって屈曲運動を行う.その運動機構においては,周辺微小管同士を結合する弾性的線維構造(ネキシンリンク)が重要な役割を果たしていると想像されている.ネキシンリンクは電子顕微鏡観察によって軸糸微小管上に約100nmの周期で存在し,蛋白質分解酵素で容易に分解されることがわかっているが,その分子的実体はまだ明らかになっていない.本論文は,そのリンク構成蛋白質を同定することを目的にして行った研究について述べたものである.研究の結果申請者は,ネキシンリンクそのものではないが,その構造と密接に関連すると思われる新規蛋白質を発見することに成功した.

 本研究ではネキシンリンク構成蛋白質の同定のために,軸糸に様々な抽出・解体処理を施し,その際に軸糸の解体と同時に失われる蛋白質を検索するという方法が用いられた.特に有効であった方法は,ATP存在下における蛋白質分解酵素処理である.これにより,軸糸は周辺微小管の滑り運動を伴いながら解体されるが,その際,分子量72kDの蛋白質(Rib72)が解体の進行と同じ時間経過で失われることが明らかになった.その蛋白質を精製してアミノ酸配列を決定し,さらにその配列をもとにしてPCRを行って,cDNAを得た.その結果,この蛋白質はC末端部分にカルシウム結合ドメインを持つ新規蛋白質であることが判明した.これと相同な蛋白質はヒト,ショウジョウバエなど鞭毛繊毛を持つ生物に広く存在していたが,いずれも機能未知蛋白質として登録されているものであった.また,ミネソタ大学研究者との共同研究により,この蛋白質が周辺微小管中のリボン構造と呼ばれる構造に含まれることが明らかになった.

 大腸菌で発現した蛋白質を抗原として抗体を作製し,間接蛍光抗体法,免役電子顕微鏡法で軸糸内の局在を調べたところ,この抗原は無処理の軸糸微小管上ではネキシンリンクの繰り返し周期と同様に約100nmの周期で存在したが,界面活性剤サルコシル処理によって部分分解した周辺微小管上では10-20nm間隔という高密度で存在することが判明した.また,軸糸を蛋白質分解酵素で処理して滑り運動を誘発すると,この蛋白質は軸糸の解体と同様の時間経過で実際に分解されることが認められた.その際,すべてのRib72分子からまず10kD程度の断片が切り取られることが判明した.これらのことから,Rib72はその大部分が周辺微小管内に埋もれて存在するが,一端から10kD程度の部分が蛋白質分解酵素の結合が可能な状態で微小管表面に露出していること,また,抗体の結合が可能な状態で露出した分子が100nmごとに存在することが示唆された.

 以上の結果より,申請者は,Rib72はネキシンリンクそのものでは無いが,それと何らかの相互作用を行う蛋白質である可能性が大きいと結論している.いずれにしても,この蛋白質は様々な生物種の軸糸に普遍的かつ比較的多量に存在する蛋白質であることから考えて,軸糸の構築に重要な役割を果たしていることは間違いないものと思われる.したがってこの蛋白質を同定した本研究は,軸糸の構築と運動機能の研究に大きく貢献するものと評価できる.

 なお、本論文は本研究科の八木俊樹,広野雅文、神谷律,およびミネソタ大学のJennifer Brown,Jan Norrander,Eric Eccleston,Richard Linck各博士との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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