学位論文要旨



No 117914
著者(漢字) 甲斐田,大輔
著者(英字)
著者(カナ) カイダ,ダイスケ
標題(和) 出芽酵母STREを介した遺伝子発現制御に関する研究
標題(洋) Studies on regulation of STRE-mediated gene expression in Saccharomyees cerevisiae
報告番号 117914
報告番号 甲17914
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4385号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 菊池,淑子
 東京大学 教授 東江,昭夫
 東京大学 教授 米田,好文
 東京大学 助教授 西田,生郎
 東京大学 教授 内宮,博文
内容要旨 要旨を表示する

序論

 生物は生育に不利な条件下、すなわちストレス条件下でも増殖するための様々な機能を保持している。ストレスにより、様々な酵素の活性が変化し、数多くの遺伝子の発現が活性化され、ストレス耐性の獲得や、細胞増殖の制御につながっている。

 出芽酵母においても、ストレスによって発現が誘導される遺伝子は数多く知られている。高温条件下における転写因子Hsf1を介したヒートショックタンパクの遺伝子発現活性化や、高浸透圧条件下でのHog1-MAPキナーゼ経路によるGPD1遺伝子などの発現活性化が知られている。さらに、高温、塩、栄養源枯渇などの様々なストレス条件下において、転写因子Msn2/4を介し、数多くのストレス遺伝子の発現が活性化される。この機構は、General stress responseと呼ばれている。

 Msn2はZinc-finger motifを持つ転写因子であり、ストレスがかかると細胞質から核に移行し、ストレス誘導性遺伝子のプロモータ領域にあるSTRE(stress response element)に結合することで、これらの遺伝子の転写を活性化する(図1)。また、Msn2の核移行はPKAやTor、Srb10などのキナーゼによって制御されている。

 私は、修士課程において、出芽酵母whi2変異株では、Msn2が過剰にリン酸化され、Msn2による転写活性が低いことを明らかにした。しかし、whi2変異株でみられるMsn2の過剰なリン酸化に関わるキナーゼやフォスファターゼは何であるのか?また、リン酸化されたMsn2は、なぜ転写活性化能が低いのかなどの様々な疑問が残っていた。

 私は博士課程において、細胞膜に局在するPsr-フォスファターゼがWhi2と複合体を形成し、Msn2の脱リン酸化に関与していることを明らかにした。General stress responseにフォスファターゼが関わる初めての例である。また、定常期においてwhi2株の細胞が小さくなる理由の一つは、STREを介した遺伝子発現の活性化の遅れであるごとを明らかにした。

結果と考察

(1)Psr1/2によるMsn2転写活性化能の制御

 whi2と結合する因子としてPsr1が単離されており、また、Psr1とそのホモログPsr2は細胞膜に存在するフォスファターゼであった。実際、免疫沈降実験により、Whi2とPsr1は共沈し、さらに、Whi2とMsn2も共沈した。これらのことから、私は、これらのフォスファターゼがMsn2の脱リン酸化に関わっているのではないかと考え、psr1 psr2二重破壊株でMsn2のリン酸化レベルを調べた。psr1 psr2二重破壊株では、whi2破壊株同様、Msn2が過剰にリン酸化されていた(図2)。また、psr1 psr2株でSTREを介した遺伝子発現レベルを調べたところ、whi2株同様に欠損があり(図3)、またヒートショックや塩に対する感受性もwhi2株と同様だった。さらに、これらの遺伝子発現レベルやストレス感受性はwhi2 psr1 psr2三重破壊株とも同程度であったので、これらの因子は同じ経路で働いていると考えられる。

 次に、Msn2の脱リン酸化やSTREを介した遺伝子発現の活性化には、Psr1、2の脱リン酸化活性が必要なのかを明らかにするために、以下のような実験を行った。psr1 psr2二重破壊株に野生型PSR1、フォスファターゼ活性部位に変異を導入したpsr1DE、活性部位を除いたpsr1ΔCをそれぞれ導入し、Msn2のリン酸化レベル、STREを介した遺伝子発現のレベルを調べたところ、フォスファターゼ活性のない変異型psr1では、どちらの表現型も回復することは出来なかった(図4)。したがって、Whi2とPsr1、Psr2は複合体を形成し、Msn2の脱リン酸化を通してSTREを介した遺伝子発現に関わっていると考えられる。

(2)whi2株におけるSTREを介した遺伝子発現の欠損の原因

 whf2破壊株ではMsn2が過剰にリン酸化されており、STREを介した遺伝子発現に欠損がある。この欠損の原因としていくつかの可能性が考えられる。whi2破壊株ではMsn2は核移行しにくい、核移行できてもSTREに結合できない、さらに、STREに結合しても転写を活性化できないなどの可能性である。

 野生株と、whi2株にMsn2-GFPプラスミドを導入し、非ストレス条件下と塩ストレス条件下でMsn2の局在を観察した。しかし、野生株、whi2株のいずれも非ストレス条件下ではMsn2は細胞全体に存在し、ストレス条件下では核に局在していた(図5)。また、Msn2は核膜に存在するエクスポーティンMsn5によって核外に放出される。実際にmsn5破壊株では、非ストレス条件下でもMsn2が核に局在する細胞が多く観察された。そこで、野生株、whi2株、msn5株、whi2 msn5株、psr1/2株、psr1/2 msn5株におけるSTREを介した遺伝子発現を比較したところ、whi2 msn5株や、psr1/2 msn5株では、msn5株より遺伝子発現の活性が若干低く、Msn2が核移行することのほかに、Whi2、Psr1/2を介したMsn2の活性化機構があることが示唆される(図6)。

 次に、STREに結合できても転写を活性化出来ない可能性を検証した。Rox3は転写のメディエーターコンプレックスの構成因子であり、rox3変異株は、様々なストレスに感受性を示す。このことから、私はRox3がMsn2と共に、STREを介した遺伝子発現に関わっているのではないかと考え、免疫沈降実験において、Msn2とRox3が共沈するかを調べたところ、ストレス条件下において結合することがわかった(図7)。今後は、この結合がwhi2破壊株では弱まっているかを調べる必要がある。

(3)whi2破壊株におけるMsn2の過剰なリン酸化に関わるキナーゼの探索

 現在までに、Msn2の活性制御に関わるキナーゼとして、PKA、Srb10などが報告されている。私は、whi2株で見られるMsn2の過剰なリン酸化にこれらの因子が関わっているかを確かめるために以下の実験を行った。

 まず、PKAの関与を調べるために、野生株とwhi2株でcAMPフォスフォジエステラーゼをコードするPDE2遺伝子を過剰発現した。このことにより、細胞内のcAMPの量を減少させ、PKAを不活性化させた。しかし、whi2破壊株中でのMsn2は過剰にリン酸化されており、PKAは関与していないことがわかった(図8)。

 次に、Msn2を核内でリン酸化するSrb10キナーゼについて検証した。whi2 srb10二重破壊株を作成し、whi2株とMsn2のバンドシフトについて比較したところ、変化は見られず、Srb10も、whi2株で見られるリン酸化には関与していなかった(図9)。

 以上の事から、Msn2のリン酸化を介して活性を制御している未知のキナーゼの存在が予想される。

(4)whi2株の表現型と、STREを介した遺伝子発現の関係

 野生株は栄養源が枯渇すると、細胞増殖を停止し、ストレス耐性を獲得する。しかし、whi2株は栄養源が枯渇しても増殖を続け、小さな細胞となり、ストレスに感受性を示す。これらの表現型とSTREを介した遺伝子発現の欠損に関係があるのではないかと考え、野生株と、whi2株を培養し経時的にサンプリングし、培養液の濁度とSTREを介した遺伝子発現のレベルを測定した。対数増殖期の間は、whi2株では野生株に比べてSTREを介した遺伝子発現が低かった。その後、野生株はdiauxic shiftの間、約3時間、STREを介した遺伝子発現と細胞増殖を停止するが、whi2株では遺伝子発現が野生株と同レベルに到達するのが遅れ、停止している期間も短かった(図10)。このことから、whi2株ではSTREを介した遺伝子発現に欠損があることが、栄養源が枯渇しても細胞増殖を停止せず、小さな細胞になることの一因になっていると考えられる。

まとめ

(1)細胞質に局在する出芽酵母Psr1/2は、Whi2と複合体を形成し、Msn2とSTREを介した遺伝子発現に関わっていた。この遺伝子発現の活性化には、Psr1のフォスファターゼとしての活性が重要であり、Msn2のリン酸化レベルが重要であることが明らかになった。

(2)今まで、Msn2の活性化はMsn2の核局在で説明されてきた。しかし、whi2株や、psr1/2株におけるSTREを介した遺伝子発現の欠損の原因は、Msn2の核移行の異常ではなかった。これは、核移行以外の制御が存在することが示された初めての例である。また、Msn2はメディエ一タコンプレックスの構成因子であるRox3と結合した。この結合の強弱が、whi2株でのSTREを介した遺伝子発現欠損の原因かもしれない。

(3)whi2破壊株中で見られるMsn2の過剰なリン酸化には、Msn2の活性化に関わる既知のキナーゼPKAやSrb10は関わっていなかった。

(4)栄養源が枯渇しても、whi2株が増殖を停止せず小さな細胞となる一因として、STREを介した遺伝子発現が遅れ、それにより適切に定常期に入れないことが考えられる。

図1:Msn2によるSTREを介した転写活性化機構

様々なストレス条件下でMsn2は核に移行し、STREに結合することで転写を活性化している。

図2:whi2、psr1/2株ではMsn2はリン酸化されている

野生株、whi2株、psr1/2株のゲノム中にMsn2-HAを導入した細胞の抽出液を用い、ウェスタンブロッティングを行った。抗HA抗体を用いMsn2-HAを検出した。

図3:whi2株、psr1/2株、whi2psr1/2株はSTREを介した遺伝子発現に欠損がある

野生株、whi2株、psr1/2株、whi2psr1/2株にSTRE-lacZを導入し、37℃で1時間培養した。これらの細胞の抽出液を用いて、β-galactosidase活性を測定した。

図4:変異型psr1は、psr1/2株の欠損を回復出来ない

STRE-lacZプラスミドを導入したpsr1/2株に、野生型PSR1(PSR1)、フォスファターゼ活性部位に変異を導入した変異型psr1(DE)、C末を削ったpsr1(ΔC)をそれぞれ導入し、β-galactosidase活性を測定した。

図5:whi2株でのMsn2の局在に異常はない

野生型とwhi2株にMSN2-GFPプラスミドを導入し、対数増殖期まで培養した後、半分にわけ、一方はそのまま、もう一方は最終濃度0.4MになるようにNaClを加え、Msn2-GFPの局在を蛍光顕微鏡を用いて観察した。

図6:msn5株では、STREを介した遺伝子発現が活性化する

野生株、whi2株、msn5株、whi2 msn5株、psr1/2株、psr1/2 msn5株にSTRE-lacZプラスミドを導入し、対数増殖期まで培養した。その後、サンプルを二等分し、一方は25℃で、もう一方は37℃で1時間培養し、抽出液のβ-galactosidase活性を測定した。

図7:Msn2とRox3-MYCは共沈する

ゲノム中にMSN2-HAとROX3-MYCを導入した株を作成し、対数増殖期まで培養し、10分間37℃で培養した。抗Myc抗体を用いその細胞抽出液から、とRox3-Mycを免疫沈降し、抗HA抗体で、Msn2-HAを検出した。

図8:whi2株でのMsn2リン酸化はPKAによるものではない

野生株とwhi2株にベクターとYEp-PDE2を導入し、対数増殖期まで生育させた。これらの株の抽出液を用いてウェスタンブロッティングを行い、Msn2-HAを検出した。

図9:srb10変異はwhi2変異によるMsn2のバンドシフトに影響しない

野生株、whi2株、whi2 srb10二重破壊株にMSN2-HAプラスミドを導入し、対数増殖期まで生育させた。これらの株の抽出液を用いてウェスタンブロッティングを行い、Msn2-HAを検出した。

図10:定常期におけるwhi2株でのSTREを介した遺伝子発現レベル

野生株とwhi2株にSTRE-lacZプラスミドを導入し、YPD培地で培養し経時的にサンプリングを行った。これらの培養液の濁度と、細胞抽出液のβ-galactosidase活性を測定した。

図11:Msn2の転写活性化機構のモデル

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は2章からなり、第1章は、出芽酵母Msn2転写因子活性に影響を及ぼすPsr1/2脱リン酸化酵素について、第2章は、whi2株におけるSTREを介した遺伝子発現の欠損の原因について述べられている。

 出芽酵母は高温、塩、栄養源枯渇などの様々なストレス条件下において、転写因子Msn2/4を介し、数多くのストレス遺伝子の発現を活性化する。この機構は、General stress responseと呼ばれている。Msn2はZin c-finger motifを持つ転写因子であり、ストレスがかかると細胞質から核に移行し、ストレス誘導性遺伝子のプロモータ領域にあるSTRE(stress response element)に結合することで、これらの遺伝子の転写を活性化する。whi2株では、Msn2が過剰にリン酸化され、Msn2による転写活性が低い。本論文では細胞膜に局在するPsr1/2脱リン酸化酵素がWhi2と複合体を形成し、Msn2の脱リン酸化に関与していることを明らかにした。General stress responseに脱リン酸化酵素が関与する初めての例である。また、定常期においてwhi2株の細胞が小さくなるのは、STREを介した遺伝子発現の活性化の遅れが一因であることを明らかにした。

第1章Psr1/2によるMsn2転写活性化能の制御

 Whi2と結合する因子としてPsr1が単離されており、また、Psr1とそのホモログPsr2は細胞膜に存在する脱リン酸化酵素であった。実際、免疫沈降実験により、Whi2とPsr1は共沈し、さらに、Whi2とMsn2も共沈した。Psr1 psr2二重破壊株では、whi2株同様、Msn2が過剰にリン酸化され、STRE遺伝子発現レベルに欠損があった。さらに、これらの遺伝子発現レベルやストレス感受性はwhi2 psr1 psr2三重破壊株でも同程度であったので、これらの因子は同じ経路で働いていると考えられた。psr1 psr2二重破壊株に野生型PSR1、脱リン酸化酵素活性部位に変異を導入したpsr1DE、活性部位を除いたpsr1ΔCをそれぞれ導入し、Msn2のリン酸化レベル、STREを介した遺伝子発現のレベルを調べたところ、脱リン酸化酵素活性のない変異型psr1では、どちらの表現型も回復することは出来なかったことから、Msn2の脱リン酸化を介してSTRE遺伝子発現に関わっていると考えられた。

 野生株は栄養源が枯渇すると、細胞増殖を停止し、ストレス耐性を獲得する。しかし、whi2株は栄養源が枯渇しても増殖を続け、小さな細胞となり、ストレスに感受性を示す。野生株はdiauxic shiftの間、約3時間、STRE遺伝子発現と細胞増殖を停止するが、whi2株では遺伝子発現が野生株と同レベルに到達するのが遅れ、停止している期間も短かった。このことから、whi2株ではSTRE遺伝子発現に欠損があることが、栄養源が枯渇しても細胞増殖を停止せず、小さな細胞になることの一因になっていると考えられる。

第2章whi2株におけるSTRE遺伝子発現の欠損の原因

 whi2株におけるMsn2の核移行について調べたところ、野生株と同様、Msn2は非ストレス条件下では細胞全体に存在し、ストレス条件下では核に局在していた。また、whi2株で見られるMsn2の過剰なリン酸化には、PKA、Srb10キナーゼは関与していなかった事から、未知のキナーゼの存在が予想された。

 次に、転写活性化能性を検証するために、メディエーターコンプレックスの構成因子Rox3との結合能を調べた。沈降実験において、野生株ではMsn2とRox3がストレス条件下において共沈し、whi2株では共沈しなかったことから、Msn2の転写活性化に欠損があることが明らかになった。

 なお、本論文第1章は、八代田英樹、東江昭夫、菊池淑子との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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