No | 117916 | |
著者(漢字) | 桑原,明日香 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | クワバラ,アスカ | |
標題(和) | 異型葉植物から探る環境応答と形態形成の可塑性 | |
標題(洋) | Elucidation of developmental plasticity in leaves through the heterophyllous leaf formation of aquatic plants | |
報告番号 | 117916 | |
報告番号 | 甲17916 | |
学位授与日 | 2003.03.28 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第4387号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 生物科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 序論: 水辺の植物の中には水陸両生を示し、水中で展開する水中葉と、陸上や空気中で展開する気中葉との形態が著しく異なっているものがある。この現象は異型葉と呼ばれ、多くの科や属にわたる植物種で観察されてきた。異型葉性の植物は水没を感知し、植物に備わる広範な可塑性を利用して葉形を変化させるという方法で陸上と水中という全く異なる生育環境に適応しているものと考えられる。しかし、環境変化の感知から形態形成の変化に至るまでをつなぐ、異型葉の発現機構については、気中葉形成にアブシジン酸(ABA)が関与することが示されている以外はほとんど未知であった。そこで私は、環境変化の感知に関与する植物ホルモンの解析と葉原基における葉形の決定機構を解析することを通じて、環境応答の本質と植物に備わる広範な可塑性の実体を解明したいと考え、研究を行った。 修士課程では、アカバナ科チョウジタデ属のLudwigia arcuata Walt.を実験材料として選定し、実験室環境下でも再現性よく異型葉形成を観察できる実験系を確立した。気中葉と水中葉の形態学的な解析から、L.arcuataの葉形変化は葉の表皮細胞の形状変化ではなく、横軸方向に配列する表皮細胞の数の変化によることが明らかになった。更に、エチレン生合成の前駆体であるアミノシクロプロパンカルボン酸(ACC)を添加すると陸生条件下でも水中葉形成が誘導された(図1E)ことから、水中葉形成にはエチレンが関与することが示唆された。 博士課程ではこれらの知見を踏まえ、異型葉形成における植物ホルモンの役割を詳細に検討し、異型葉植物の水没応答の背景にはABAとエチレンの拮抗的な作用が存在することを明らかにした。 また、材料とした異型葉植物では、可塑的な葉の形態形成が誘導されることを見出したので、この現象を利用して環境変化実験を行い、成熟途上にある葉原基の環境変化への応答を解析することにより、葉形の方向付けとその決定機構を明らかに出来ると考え、その可能性を追求した。その結果、成熟途上の葉原基では、先端部分では分化運命が既に決定されているが基部ではまだ決定されていないことを明らかにすることが出来、植物の分化の可塑性について新知見をもたらし得ると確信するに至った。以上の知見は、葉の形質の決定機構を詳細に解明する上で、異型葉性を利用した実験系は重要な基盤となりうることを示すと考えられる。 結果と考察: 1.異型葉形成に関わる植物ホルモンの相互作用 エチレン生合成の前駆体であるACCを陸生条件下で処理すると、水中葉タイプの葉が誘導されるが頂芽の成長が停止し、多数の腋芽が生じる点で水没体とは異なる形態を示す(図1E)。陸生条件下でエチレンガスにさらすと水中葉タイプの葉が誘導され、頂芽の成長停止と多数の腋芽は見られず、シュート全体の形状も水没体と同様の形状を示した(図1C)。エチレン処理によって得られた水中葉タイプの葉は、形態学的にも水中葉と同じ性質を示す(表1)。また、エチレン受容阻害剤として知られている銀イオンを水没条件下で処理すると、水中葉形成が阻害された(図1D)。水没体の内生エチレン濃度は陸生体よりも10倍程度高濃度であった(図3)。以上の結果から、水没によって植物体内に蓄積したエチレンによって水中葉形成が誘導されることを示すことが出来た。 他の異型葉植物ではABA添加により気中葉形成が誘導されるという報告があったので、水没条件下でL.arcuataに対してABA処理を行い、気中葉形成が誘導されることを確認した(図1F)。ABAによって誘導された気中葉タイプの葉は形態学的にも気中葉と同様の形質を示す。また、陸生体の内生ABA濃度は水没体よりも高かった(図3B)。以上の結果から、L.arcuataの異型葉形成においてABAは気中葉形成を、エチレンは水中形成を誘導するという反対の作用を示すことが明らかになった。 そこで、この2つの植物ホルモンの相互作用を明らかにするために、一方が他方の感受性を変化させる可能性、あるいは、一方が他方の植物体内の濃度を変化させる可能性を検討した。陸生条件下でエチレンとABAを同時処理すると、添加したエチレン濃度に関係なく、添加したABA濃度に依存して気中葉形成することが観察された(図4)。つまり、ABA存在下ではエチレンの効果は打ち消されたと言うことが出来る。また、ABA添加によって水没させた植物体内のエチレン濃度は変化しなかったが、エチレン添加によって陸生体の内生ABA濃度は著しく低下したことから、異型葉形成においてはABAの方がエチレンよりも下流で機能していることが明らかになった。 以上の結果から、内生ABA濃度に依存して葉形が決定されるが、その内生ABA濃度を環境条件に応じて変化させるのがエチレンであると考えられる。つまり、「水没によって植物体内に高濃度のエチレンが蓄積し、そのエチレンが内生ABA濃度を低下させることによって水中葉形成する」と言うことができる。 2.葉の形態形成の可塑性 L.arcuataが生育環境を変化させると葉形変化することを利用し、成熟途上にある葉原基に対して環境変化実験を行うことにより、葉原基の発達段階においていつ葉形が決定されるのかを調べることが出来ることが明らかになった。陸生条件下から水没条件下へ移行させて葉形変化を観察すると、水没後新たに生じた新生葉は典型的な水中葉の形態を示すが、陸生条件下で既に展開し終わっていた気中葉の形態は変化しない(図5A)。一方、陸生条件下で展開途中の葉原基として存在していた葉は、水没条件下で成熟して気中葉と水中葉の中間的な葉形を示す(図5A)。この中間体の葉に対する形態学的な解析から、葉の基部では先端部よりも葉身の横幅が狭く、また気孔密度が低いことが明らかになった(図5D,5E)。このことは、葉の基部は葉の先端部よりもより水中葉的な性質であることを示している。 さらに、水没条件下から陸生条件下への移行実験を同様に行うと、葉の基部の方が先端部よりも葉身の横幅が広く(図5F)、気孔密度が高い(図5G)ことから、基部は先端部よりも気中葉的な性質であることが示された。以上の結果から展開途中の葉原基では、葉の基部のみが移行後の環境に応答して葉の形質を変化させうることが示された。この現象の原因としては、環境移行したその時点において、成熟途上の葉原基の分化運命は先端では既に移行前の環境に応じた形質となるべく決定されていたが、葉の基部はその運命がまだ決定されていない可塑的な状態であり、基部の分化運命は環境変化のシグナルを受容した後に決定されたと考えられる。成長の初期段階の葉原基では気中葉と水中葉は形態上の差がない(図6)ことと考えあわせると、薬の形態の決定は葉原基形成後、一度に決定されるのではなく、葉の先端から基部へ向かって順次、段階的に決定されていくということが明らかになった。また、水中葉の葉原基の方が気中葉よりも早い段階で葉形の決定が行われることが明らかになった(図7)。 3.葉形決定における植物ホルモンの役割 以上のような葉の形態形成の可塑性は、植物ホルモンの添加によって誘導される葉形変化においても同様の結果を示した。従ってL.arcuataでは環境変化を感知し、植物ホルモンを介して葉原基の先端部から順に葉形が決定されていくものと考えられる。 図1:植物体の形態に対する環境条件、植物ホルモン処理の効果 Ludwigia arcuataに対し、[A]陸生条件下で生育、[B]陸生から水没へ移行、[C]陸生条件下でのエチレン処理(100ΜL/L)、[D]水没条件下でエチレン受容阻害剤の銀イオン処理(10-6MのAgNO3)、[E]陸生条件下でのエチレン前駆体のACC処理(10-4M)、[F]水没条件下でのABA処理(10-6M)をした場合の植物体を示した。 図2:Leaf number(LN)の決定法とLNごとの葉形変化 [A]実験処理開始後に新たに生じた葉と、処理開始前から存在する葉を区別するためにLeaf number(LN)を決定した。[B]陸生から水没へ移した場合の葉形変化(△)を、LNごとに葉の縦横比(葉の縦の長さ/横の長さ)を計測してグラフにした。コントロールとして陸生で成育させた場合の葉形変化(○)を示す。LN6より古い葉は水没条件下へ移した後も葉形変化せず、気中葉の形態を示し、LN2より新しい葉は水中葉の形態を示した。一方、LN5、4、3の葉は気中葉と水中葉の中間的な形態を示す。 図3:植物体内のエチレン・ABA濃度 L.arcuataを陸生、水没、ABA添加した水没条件下、の各条件下で7日間生育させた際の植物体内のエチレン濃度(A)とABA濃度を測定した。水没条件下では陸生条件下よりも高濃度のエチレンが蓄積していたが、ABA添加による植物体内のエチレン濃度の変化は見られなかった。一方、陸生条件下では水没条件下よりもABA濃度が高く、またエチレン添加によって植物体内のABA濃度は低下した。 表1:葉の形態に対する環境条件、植物ホルモン処理の効果 陸生条件下、水没条件下、陸生条件下での100ΜL/Lのエチレン処理、水没条件下での10-6M ABA処理をした場合のLeaf number -1(LN-1)の葉の縦横比、横軸方海に配列する表皮細胞の数、気孔密度を示した。エチレン処理、ABA処理によって誘導された水中葉タイプ、気中薬タイプの葉は、葉の縦横比、横軸方向に配列する表皮細胞の数、気孔密度のいずれの指標においてもそれぞれコントロールの気中葉、水中葉と同じ性質を示した。それぞれの値は20個体の平均値と標準偏差を示す。 図4:工チレン、ABAの同時処理による葉形変化 [A]陸生条件下で様々な濃度のエチレンを処理した際の新生葉の葉形を、ABA(10-6M)が同時に存在する場合(●)としない場合(△)とで比較した。ABA存在下では添加したエチレン濃度に関係なく気中葉形成が見られた。[B]陸生条件下で様々な濃度のABAと100μL/Lのエチレンを同時処理した時の葉形変化を示す。添加したABAの濃度に依存した葉形変化が見られた。以上より、エチレンの効果はABAによって打ち消されると害える。 図5:環境変化させた際に現れる中間体の葉の解析 陸生から水没へ移した際に現れる中間体の葉をLNごとに示した。陸生から水没へ移した場合の、葉の横幅の長さの変化[D]と気孔密度の変化[E]、水没から陸生へ移した場合の葉の横幅の長さの変化[F]と気孔密度の変化[G]を示した。葉の長軸に沿って等間隔に4点とり、それぞれの位置[B]における葉の横幅の長さを測定してLNゴとのグラフとした。葉の縦横比が気中葉と水中葉の中間的な値を示すLN5、4、3の葉では横幅の長さの方は基部の方が先端部よりも長い。葉を3等分してそれぞれの部位[C]の気孔密度を算出し、LNごとのグラフにした。LN5、4の葉では基部の法が先端部よりも気孔密度が高かった。[D]、[E]から、陸生から水没へ移した際の中間体の葉では、葉の基部の方がより気中葉的な性質であると言える。[F]水没から陸生へ移すとLN5、4、3の葉では、基部の横幅の方が先端部より短かった。[G]LN5、4の葉では、基部の方が先端部より気孔密度が高い。[F]、[G]から、水没から陸生へ移した際の中間体の葉では、葉の基部の方がより水中葉的な性質であると言える。 図6:気中葉と水中葉の葉原基の成長 気中葉、水中葉の葉原基のサイズを測定し.縦軸に長さ、横軸に横幅の長さをとってグラフにした。横幅の長さが0.25mm前後になるまでは、気中葉、水中薬の葉原基の形状に差はない。 図7:葉の形態が決定される時期 最も若い葉原基をP1として、葉原基に番号をつけて示した。陸生から水没へ移すと、LN3、4、5、の葉で中間体の葉が形成される(図5A)ことから、気中葉の葉原基ではP3からP5の時期に先端から基部へ向けて葉形の決定が行われると考えられる。またLN4、5では基部の気孔密度が先端部より低い(図5B)ことから、P4、P5の時期に先端から基部へ向けて気孔密度の決定が行われると考えられる。同様に水中葉の葉原基では、P2、P3の時期に葉形が決定され、P4からP6の時期に気孔密度が決定されると考えられる。このように、気中葉と水中葉の葉原基では葉の形態の決定の時期にずれがあることが示された。 | |
審査要旨 | 論文提出者は、水没による葉形変化が観察される異型葉性の植物を用いて、植物生理学的及び形態学的な解析により、植物の環境応答と形態形成の可塑性について研究を行った。実験室環境下でも取り扱いが容易で、再現性の高い異型葉変化が観察出来る植物種としてアカバナ科チョウジタデ属のLudwigia arcuataを異型葉のモデル植物として選定し、解析の材料とした。 本論文は3章からなり、第1章では水没によって誘導される異型葉形成を制御する内生因子のうち、水中葉形成を誘導する植物ホルモンの発見について述べられている。提出者の研究以前の段階では、気中葉形成が植物ホルモンのアブシジン酸によって誘導されることは多くの異型葉植物で確認されていたが、その逆の水中葉形成に関与する内生因子についてはほとんど報告がなかった。論文提出者は植物ホルモンのエチレン生合成の前駆体であるアミノシクロプロパンカルボン酸を陸生条件下で添加することにより水中葉形成を誘導することを見出した。この結果から、水中葉形成にはエチレンが関与していることが示唆されたが、これを更に進めて水中葉形成を誘導する植物ホルモンとしてエチレンを特定したことで、水没による異形葉形成の制御について、その全体像をつかむための第1歩となった。また、L.arcuataにおける葉形変化が、これまでの他の異型葉植物を用いた観察結果とは異なり、表皮細胞の形状の差によるものではなく、横軸方向に配列する表皮細胞の数の差によるものであることも示した。 第2章では異型葉形成を制御する内生因子であるエチレンとアブシジン酸の相互作用の解析について記されている。先述の通り、他の異型葉性の水性植物を用いた実験からアブシジン酸が気中葉形成に関与することが多数報告されている。これを踏まえ、まず、L.arcuataでもABAによって気中葉形成が誘導されることが確認された。第1章で得られた知見と合わせ、水中葉形成を誘導するエチレンと気中葉形成を誘導するアブシジン酸の2つの植物ホルモンが拮抗的な作用を持っていることが明らかになったので、この2つの植物ホルモンの関係について解析を進めた。その結果、内生エチレン濃度が内生ABA濃度を制御するが、葉形は究極的にはABA濃度にのみ依存して変化することが明らかになった。すなわち、アブシジン酸の方がエチレンよりも下流で機能しており、水没による葉形変化はエチレンとアブシジン酸の相互作用によって制御されていることが明確に示された。アブシジン酸によって気中葉形成が誘導されることが報告されたのは1987年であるが、本論文により初めて異型葉形成に関与する植物ホルモンの機能の全貌が明らかにされるようになったといえる。 第3章では葉形変化を可能にしている可塑性に着目し、葉形の決定機構について観察、考察が行われた。葉形の決定機構を明らかにするには、遺伝的背景が同一で、かつ実験的に葉形変化を誘導出来る実験系が不可欠である。水没による異型葉はこの条件を満たす唯一の実験系を提供出来ると考えられ、この特質を生かした解析が行われた。すなわち、様々な発達過程にある葉原基に対し、環境条件を移行させることにより、どのような葉形を持った葉に成熟するかを観察し、形態学的な解析を行った。その結果、葉の形態形成における可塑性は、葉の先端から基部へ向かって求基的に順次失われて行くことが明らかにされた。また、葉原基の発達過程の比較から、気中葉と水中葉の葉形の差が現れた後も、葉が可塑性を維持しているならば葉形変化が可能であることも示された。以上の結果から、異型葉の葉の形態形成には、気中葉と水中葉の形態の差が生じ始める時期、葉形変化が可能な時期、形態形成の可塑性が失われ、葉形変化が最早不可能となる時期の3段階が存在することが示された。特に、L.arcuataの場合は葉形変化が表皮細胞数の差によってもたらされることを考えると、細胞分裂の制御によって葉形が決定されていることになる。従って、葉の形態形成が可塑性を保持している期間は、細胞の分裂活性や分裂面の制御も可塑的であることが示唆された。 以上の結果は、L.arcuataという異型葉性の水性植物をモデルとして解析を行って得られたものであるが、他の異型葉性の種と比較することや、分子レベルの解析へと繋げることで、一般的な知見へと視野を広げることが可能であると判断された。 なお、本論文第1章は、塚谷裕一・長田敏行両氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験、観察及び考察を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、博士(理学)の学位を授与出来ると認める。 | |
UTokyo Repositoryリンク |