学位論文要旨



No 117920
著者(漢字) 松浦,公美
著者(英字)
著者(カナ) マツウラ,クミ
標題(和) クラミドモナス鞭毛欠失変異株の単離と遺伝子解析 : 基部体を構成する新蛋白質の同定
標題(洋) Isolation and gene analysis of Chlamydomonas flagella-less mutants : identification of a novel component of the basal body
報告番号 117920
報告番号 甲17920
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4391号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神谷,律
 東京大学 教授 久保,健雄
 東京大学 助教授 藤原,晴彦
 東京大学 助教授 松田,良一
 東京大学 助教授 広野,雅文
内容要旨 要旨を表示する

 真核生物の鞭毛・繊毛は、9組のダブレット微小管が中心の2本のシングレット微小管を取り囲んだ、普遍的な9+2構造をもっている。この9回の対称性はその根元にある基底小体が鋳型となって作り出される。基底小体は動物細胞一般に存在する中心小体と構造的に相同なオルガネラで、9組のトリプレット微小管が円筒形に並んだ、直径200nm、長さ400-600nmの構造を持つ。繊毛の基底小体とは異なり、クラミドモナスの鞭毛の基底小体は機能的にも中心小体と相同なオルガネラである。すなわち、間期の細胞では微小管の形成中心として轍毛と細胞内の微小管構築にはたらき、分裂期には紡錘体の極として紡錘体の形成に機能する。中心小体はこのほかにも、MTOCとして中心体蛋白質を正しい位置に局在させるのに重要な役割を担っている。また、ほとんどの体細胞においては、中心小体が失われると分裂異常が生じることが知られている。

 基底小体(中心小体)は、微小管の主要な構成要素であるα・β・チューブリンと、その他の200種以上の蛋白質からなると考えられている。しかし、それらの蛋白質のほとんどはまだ同定されていない。さらに最も基本的な問題である、中心小体形成のメカニズムも謎である。中心小体の複製は高度に調節されており、DNA複製と同じく細胞周期に応じて正確に1度だけおこることがわかっている。その複製は半保存的で、新しい中心小体は古い中心小体を鋳型として、その垂直方向に形成される。しかし、これまで電子顕微鏡による詳細な形態学的な観察は行われていたが、形成に関わる因子を同定した研究はほとんどなかった。

 そこで、本研究では基底小体形成の機構に迫るため、クラミドモナスを材料にして鞭毛欠失変異株の大規模スクリーニングを行い、変異遺伝子を同定することによって基底小体構成蛋白質を探索することを試みた。第I部では、insertional mutagenesis法を用いた変異体の作成と、それらの予備的解析の結果を述べる。約10,000株の変異体を作成し、その中から鞭毛を完全に欠失した変異体を74株単離した。これらについて、遺伝子の解析が容易なものから解析をすすめ、6株について、変異の近傍領域を含む野生型ゲノムクローンを得た。6株のうち、変異株2F10とbld10では、このゲノムクローンを用いて変異の原因となっている遺伝子を同定することができた。それらの変異株については、第II部、III部で詳述する。

 第II部では、変異株2F10の解析結果を述べる。この株は、基底小体は正常であるが、鞭毛を全く形成できない変異株であった。変異遺伝子を同定した結果、すでに同定されていたキネシンIIのモーターサブユニットの1つ、FLA10を完全に欠失したnull mutantであることが判明した。キネシンIIは、鞭毛軸糸の構成要素を軸糸構築の場である鞭毛先端部へと運ぶ鞭毛内輸送(intraflagellar transport,IFT)を行うヘテロ三量体のモーター蛋白質である。FLA10は間期には基底小体と鞭毛全体、細胞分裂時には紡錘体とその極(中心小体)に局在することから、鞭毛軸糸形成の他に、分裂時の紡錘体微小管の形成にも関与しているのではないかと示唆されていた。しかし、以前に単離されていたFLA10の変異株は温度感受性の突然変異であったため、細胞分裂への影響を正確に調べることは難しかった。そこで、この点を明らかにするため、今回単離された2F10株を用いて増殖速度や分裂時の紡錘体の形態などを検討した。その結果、2F10株か野生株と同じように、分裂、増殖できることが分かった。したがって、キネシンIIは細胞分裂には必須ではなく、鞭毛形成に特異的に働くモーター蛋白質であると結論される。

 第III部では、変異株bld10の解析結果を述べる。この株は基底小体(中心小体)を欠失した新種の変異株であることが判明した。高等な真核生物では、中心小体の変異は致死になることが多いため、これまで中心小体を完全に欠失した変異体は得られていない。クラミドモナスにおいても、このように大きな変異を持つ株が単離されたのは本研究が初めてである。興味深いことに、bld10は野生株に比べて増殖が非常に遅いが、致死にはならない。

 間接蛍光法により細胞内の構造を調べたところ、bld10では基底小体から放射状に4本伸びる細胞質性微小管の本数や配向に異常が見られた。また分裂時の紡錘体の形態が異常な細胞が多く、微小管が紡錘体の極に収束していないような形のものがしばしば観察された。

 このことから、bld10では基底小体のMTOC(微小管形成中心)としての機能に異常があると考えられる。さらに、基底小体に関連した構造として、核と基底小体を結んでいるセントリンを含む繊維状構造についても観察を行った。その結果、野生株では核から突起状に伸びるセントリン繊維の像が観察されたが、bld10ではそのような突起は見られなかった。従って、bld10では、基底小体が正常に形成されないことにより、基底小体につながる構造にも異常がおきていると思われる。細胞分裂に関係した異常として、他に分裂後の娘細胞の大きさが不揃いなこととオルガネラが不均等に分配されることが観察された。これは、基底小体(中心小体)の欠失により紡錘体が正しい位置に形成されず、分裂面の位置決定が異常になるためだと考えられる。bld10の変異の原因遺伝子を同定したところ、分子量165kDaの、コイルド・コイル構造を多く含む新規蛋白質をコードすることが分かった。データベース検索によると、この蛋白質と全長にわたって高い相同性を示すものは見つからなかった。しかし、C末側の3分の2はmyosin tail domainのコンセンサス配列一定の相同性を持つことが分かった。このC末部分を認識する抗体を作成して、間接蛍光法により野生株細胞内での局在を調べると、間期には鞭毛の根元部分、すなわち基底小体の位置に点状の蛍光が見られた。点状の蛍光は多くの場合2つ近接して存在したが、3〜4個見られる場合もあった。このことは、この蛋白質が複製途中の基底小体前駆体(probasal body)にも含まれることを示している。また、分裂期の細胞では紡錘体の極である中心小体部分で蛍光が見られたので、この蛋白質は細胞周期を通して基底小体(中心小体)に局在するものと考えられる。さらに、免疫電子顕微鏡法観察の結果、この蛋白質は基底小体の最も細胞中心に近い側に局在することが明らかになった。この部位には基底小体や中心小体形成のごく初期に現れるcartwheelとよばれる9回対称性の繊維状構造が存在する。cartwheelは、ほ乳類の細胞においては中心小体の形成過程でのみ見られ、完成した中心小体では消失することが知られている。そのことから、中心小体形成時の足場としてはたらいているのではないかと示唆されている構造である。以上の結果から、Bld10pは、基底小体形成の初期過程に重要な役割を果たす蛋白質であると想像される。また、Bld10pはC末側にmyosin tail domainのコンセンサス配列をもつことから、myosinと同じようにコイルド・コイル部分で重合してフィラメントを作る可能性が考えられる。そこで、高塩濃度下で抽出したBld10pをゲルろ過カラムで解析したところ、分子量600〜800kDaの分画に含まれることが分かった。これは、Bld10pが何らかの複合体として機能している可能性を示している。

 以上のように、本研究では鞭毛欠失変異株の解析から基底小体を構成する新たな蛋白質の同定に成功した。これまで多細胞生物においては基底小体(中心小体)を欠失した突然変異体は致死になると考えられ、したがって基底小体(中心小体)形成機構の遺伝学的研究には限界があると考えられてきた。本研究はそのような考えを覆し、クラミドモナスにおいては基底小体(中心小体)を欠失した変異株が単離でき、その遺伝子を同定できることを示すものである。今後、この手法を用いて多くの鞭毛欠失変異体を単離すれば、基底小体や鞭毛の形成機構について、さらに重要な知見が得られるものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は真核生物の鞭毛と鞭毛基部体の形成機構を突然変異株の解析によって解明しようとする研究について述べたものである。真核生物の鞭毛・繊毛は9組のダブレット微小管が中心の2本のシングレット微小管を取り囲んだ、精巧な構造をもっている。特に、鞭毛繊毛の基部にある基部体(基底小体:basal body)は動物細胞一般に見られる中心小体と相同なオルガネラで、細胞周期に応じて同一の構造が複製されるというめざましい特徴がある。そのような構造がどのように生じるから細胞生物学の重要問題である。しかし、これまで電子顕微鏡による形態学的な観察以外には、形成機構の解明にむけた研究はほとんど行われていなかった。そこで申請者は本研究において、鞭毛と基部体形成の機構に迫るため、クラミドモナスから鞭毛欠失変異株を大規模に単離し、その変異遺伝子を同定することによって基底小体構成蛋白質を探索することを試みた。

 本論文は3部からなり、第I部では、insertional mutagenesis法を用いた変異体の作成と、それらの予備的解析の結果を述べる。約10,000株の変異体を作成し、その中から鞭毛を完全に欠失した変異体を74株単離した。これらについて、遺伝子の解析が容易なものから解析をすすめ、6株について、変異の近傍領域を含む野生型ゲノムクローンを得たことが述べられている。

 第II部では、変異株2F10の解析結果が述べられている。この株は、基底小体は正常であるが、鞭毛を全く形成できない変異株であった。変異遺伝子同定の結果、キネシンIIのモーターサブユニットの1つ、FLA10を完全に欠失したnull mutantであることが判明した。これまで、キネシンIIは鞭毛軸糸形成の他に、分裂時の紡錘体微小管の形成にも関与しているのではないかと示唆されていたが、この変異株の解析から、その可能性は否定され、キネシンIIは鞭毛形成に特異的に働くモーター蛋白質であると結論された。

 第III部では、基底小体(中心小体)をほぼ完全に欠失した新種の変異株かbld10の解析結果が述べられている。高等真核生物ではもちろん、クラミドモナスにおいても、このように中心小体を完全に欠失した変異株が単離されたのは本研究が初めてである。bld10では分裂時の紡錘体の形態が異常な細胞が多く、基底小体のMTOC(微小管形成中心)としての機能にも異常があると考えられる。bld10の変異の原因遺伝子を同定したところ、分子量165kDaのコイルド・コイル構造を多く含む新規蛋白質の遺伝子であることが分かった。間接蛍光法により、野生株細胞内の間期には基底小体の位置、分裂期では紡錘体の極である中心小体の位置に局在することが判明した。さらに、免疫電子顕微鏡法観察の結果、この蛋白質は基底小体の最も細胞中心に近い側にある、cartwheelとよばれる繊維状構造に局在することが明らかになった。この構造は中心子形成過程のごく初期に現れるものであることが知られている。これらの結果から、bld10は、基底小体形成の初期過程に重要な役割を果たす蛋白質であると考えられる。

 以上のように、本研究では鞭毛欠失変異株の解析から基底小体を構成する新たな蛋白質の同定に成功した。これまで多細胞生物においては基底小体(中心小体)を欠失した突然変異体は致死になると考えられ、したがって基底小体(中心小体)形成機構の遺伝学的研究には限界があると考えられてきた。本研究はそのような考えを覆し、クラミドモナスにおいては基底小体(中心小体)を欠失した変異株が単離でき、その遺伝子を同定できることを示すものである。この分野の発展のために、画期的なことであると言える。また本研究は本研究科の広野雅文、神谷律、およびミネソタ大学のLefebvre各博士との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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