学位論文要旨



No 117921
著者(漢字) 森,稔幸
著者(英字)
著者(カナ) モリ,トシユキ
標題(和) 被子植物雄性配偶子細胞から単離された遺伝子の分子細胞学的解析
標題(洋) Molecular cytological studies of genes isolated from angiosperm male-gametic cells
報告番号 117921
報告番号 甲17921
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4392号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長田,敏行
 東京大学 教授 河野,重行
 東京大学 助教授 杉山,宗隆
 東京大学 助教授 野�ア,久義
 立教大学 教授 黒岩,常祥
内容要旨 要旨を表示する

 被子植物の花粉成熟は、減数分裂によって生じた花粉小胞子の不等細胞分裂(花粉第一分裂)を起点としている。これによって形成される大小二つの細胞(栄養細胞、雄原細胞)は、同一の細胞に由来するにもかかわらず、形態的・機能的に全く異なる運命を辿る。栄養細胞は大型の細胞であり、受粉後に伸長させた花粉管によって精細胞を雌性配偶体に輸送することをその機能としている。一方、雄性配偶子の前駆的細胞に相当する雄原細胞は小型で、栄養細胞質内で成熟する。雄原細胞はその後、花粉または花粉管内で二つに分裂し、これによって生じた精細胞は重複受精を行うことが知られている。

 雄原細胞核のクロマチンは高度に凝縮していることから、その遺伝子発現についてはこれまで否定的な見解がなされており、さらに細胞単離の困難さから、その生化学的な解析はほとんどなされていない。しかしながら、ユリ(Lilium longiflorum)花粉においては花粉プロトプラストを用いた雄原細胞の大量調製が唯一可能であり(Tanaka,1988)、近年、同法を用いた解析から雄原細胞の形態や機能への関与を推察できる遺伝子の発現がごくわずかに報告されている(Xu et al., 1999;Ueda et al., 2000)。そこで本研究では、雄原細胞におけるさらに多くの遺伝子の発現を予想し、クロマチン凝縮下におけるそれらの調節や機能を分子細胞学的に解析することを目的とした。

 近年、私はディファレンシャルディスプレイ(DD)法によって雄原細胞で大量に蓄積するftsZ遺伝子(LlftsZ)の転写産物を見いだすことに成功した。緑色植物におけるFtsZは色素体分裂への関与が示唆されているが(Strepp et al., 1998;Osteryoung et al., 1998)、細胞形態学的に実証した報告はまだなされていない。また、テッポウユリの色素体は母性遺伝型であり、成熟した雄原細胞での色素体の存在は確認されていない(Miyamura et al.,1987)。この二点から、色素体のない雄原細胞における色素体分裂タンパク質の機能が注目された。リコンビナントLlFtsZを基にして作製した抗体を用いて間接蛍光抗体染色法を行ったところ、LlFtsZのシグナルは花粉小胞子や葉の色素体を取り巻くリング状の構造(Zリング)であることが明らかとなった。二分裂中の色素体を観察すると、Zリングは色素体の収縮に伴って分裂面で収縮する様子が確認された。また、免疫電顕法による観察結果から、LlFtsZの局在は収縮部のストロマ側であることが分かった。これらの結果から、雄原細胞で見いだされたFtsZは色素体の分裂にはたらく分子であることが示された。一方、雄原細胞においてその発現を解析したところ、同細胞における発現は確認されなかった。

 この結果から、雄原細胞においてはLlFtsZの翻訳抑制が行われ、色素体分裂の阻害を基にした色素体ゲノムの母性遺伝機構に関与することが推察された。

 上記の結果から、LlftsZは雄原細胞形成前からその発現が見られ、転写活性が優位な雄原細胞ではその翻訳が抑制されるタイプの遺伝子であることが実証された。一方、これまでに単離されている雄原細胞発現遺伝子の報告によると、雄原細胞の構造変化や機能は特異的遺伝子によるものと考えられている。そこで、雄原細胞が形成されて初めて転写活性がみられ、その活性が雄原細胞特異的な遺伝子に的を絞り、DD法による新たな遺伝子の単離を次に試みた。花粉第一分裂の直前、直後、成熟直前の花粉、単離雄原細胞の四者で、PCR産物を比較したところ、単離雄原細胞で強い増幅を示すクローンを一つ見いだすことに成功した。さらに、半定量的RT-PCRの結果から雄原細胞特異性が示されたため、このクローンをGCS1(Generative Cell Specific 1)と名付け、詳細な解析を試みた。全長cDNAの配列から、GCS1のアミノ酸配列696残基が推定されたが、これまでに詳細な報告のあるホモログはないことが相同性検索から明らかとなった。また、一次構造の特徴から、GCS1は小胞輸送を経由する膜貫通型タンパク質と予想された。そこで、このタンパク質の発現局在を調べるために、特異的な抗体を作製した。成熟花粉の抽出タンパク質について、超遠心とウェスタン法を用いた細胞内局在を解析したところ、GCS1の強いシグナルは膜構造を多く含むミクロソーム画分で検出された。発生過程各ステージの花粉についてミクロソーム画分のGCS1量を調べると、その蓄積は花粉第一分裂後間もないステージから見いだされた。次に、GCS1の局在を視覚的に検証した。発生の各ステージで、花粉の間接蛍光抗体染色を試みたところ、その発現は花粉第一分裂直後から雄原核の周辺で特異的に検出された。この局在を免疫電顕法によって調べると、多量の金粒子シグナルが雄原細胞の表層部で検出され、抗体染色の結果を支持した。また、原形質分裂を誘導した雄原細胞を観察すると、シグナルは細胞壁ではなく、分離した原形質膜で検出された。さらに、花粉管中の精細胞が容易に観察できるナスタチウム(Tropaeolum majus)について、精細胞におけるGCS1の発現を観察した。その結果、抗ユリGCS1抗体は双子葉植物においても雄原細胞特異的に反応し、その発現は精細胞でも保持されることが判明した。次に、GCS1の雄性配偶子細胞における機能を決定するために、シードストックセンターからGCS1遺伝子を破壊したと思われる表現型未知のT-DNA導入株の分与を受けた。花粉四分子の不分離を示すqrtミュータントをバックグラウンドとしたgcslのヘテロ接合体(+/gcsl;qrt/qrt)の花粉を観察したところ、互いに接着した四つの花粉のうち、メンデル遺伝的に二つが萎縮する表現型を示す個体が多数同定された。さらにテクノビット樹脂胞埋切片のDAPI染色により、花粉の萎縮を観察した。その結果、花粉の萎縮はGCS1の発現開始の時期に、栄養細胞の萎縮を伴って生じることが明らかとなった。以上の結果から、GCS1は雄原細胞の表層に特異的な新規の膜タンパク質であり、その機能は栄養細胞との相互作用を伴う正常な花粉発生の進行に関与することが予想された。

 上記の結果から、GCS1は雄原細胞の成熟に伴って働く機能的タンパク質の可能性が示唆されたが、被子植物の配偶子形成に働くタンパク質は未だわかっていない。そこで、私は雄原細胞形成因子の探索を次に試みた。BLASTを用いた相同性検索の結果、ボルボックスの生殖細胞形成にはたらくシャペロン様タンパク質GlsAをコードする遺伝子のホモログがシロイヌナズナのゲノムで2コピー見いだされた。これら二つのGlsA(AtGlsA1,AtGlsA2)とボルボックスGlsA(VcGlsA)の3者における保存配列を基にプライマーを作製し、テッポウユリ花粉と単離雄原細胞からのユリglsA(LlglsA)のクローニングを試みた。その結果、目的サイズのPCR産物の増幅が確認された。得られたクローンを基に、cDNAの完全長配列を決定したところ、推定アミノ酸配列とその構造から、GlsAのホモログ(LlGlsA)であることが判明した。発生過程の花粉と単離雄原細胞について半定量的RT-PCRを試みると、LlglsAの花粉成熟に伴う弱い転写量増加がみられ、単離雄原細胞においては強い転写活性が検出された。また、体細胞組織と同様の方法で比較したところ、これらの組織においても発現がみられた。さらに、発現量変化のパターンと、ボルボックスGlsAについて得られている知見から(Miller and Kirk,1999)、LlGlsAは雄原細胞で発達する微小管の修飾に関与することが推察された。次に、LlGlsAタンパク質の雄原細胞発現を検証するために特異的抗体を作製した。ウェスタン解析によって成熟直前の花粉と単離雄原細胞で発現量を比較すると、雄原細胞で比較的強いシグナルが得られ、半定量的RT-PCRの結果を支持した。さらに発生過程の花粉について発現量を調べたところ、LlGlsAの強い発現は雄原細胞の細胞伸長が起こり始める時期にみられ、その発現量変化はαチューブリンのそれと同調していた。そこで、微小管構造とLlGlsAとの関連を視覚的に検証した。LlGlsAとαチューブリンに対する抗体で単離雄原細胞を二重染色し、共焦点レーザー走査型顕微鏡で観察したところ、大量のGlsAシグナルが細胞質全体にドット状に検出された。しかしながら、微小管と局在が一致するシグナルはわずかであったことから、LlGlsAは雄原細胞の形態変化に伴う微小管を含めたあらゆる構造変化に働く分子シャペロンであることが予想された。

 以上、本研究の成果から、雄原細胞で発現を見せる三つの遺伝子の特徴が新たに明らかとなり、雄原細胞ではクロマチンの凝縮にもかかわらず、様々な遺伝子が複雑な制御下で発現していることが示された。また、免疫細胞学的手法によってそれらの遺伝子産物は細胞機能や細胞形態変化に働くことが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、3章からなり、第1章、第2章ではディファレンシャルディスプレイ法によって被子植物の雄性配偶子細胞から単離された遺伝子の特性について述べ、第3章では雄性配偶子細胞の形態変化に関与する遺伝子の探索について述べられている。いずれの章でも被子植物の雄性配偶子で得られた新知見を分子生物学的、逆遺伝学的、細胞形態学的な手法を駆使して解析し、今後さらに多くの他の遺伝子解析にも同手法が広く適用できる可能性を示した。

 第1章の内容は、修士課程の成果として単離されたftsZ遺伝子の機能を細胞の蛍光抗体染色法を用いて視覚的に明らかにし、当該課題の初めての知見として投稿論文2報にまとめた。さらに、雄原細胞においてはFtsZタンパク質の発現が抑制的であることを示し、色素体母性遺伝機構を分子細胞学的に考察する手がかりとなっている。また、本章の実験で得られた抗FtsZ抗体やそれを用いた蛍光抗体染色法はあらゆる植物に応用可能であり、植物のオルガネラ分裂の基盤となる機構を解明する多くの論文発表につながる研究成果となっている。

 第2章の内容は、雄原細胞の単離が可能であるというテッポウユリ花粉の利点を活かして同細胞で特異的に発現する新規遺伝子GCS1の単離に成功し、遺伝子産物の発現局在、機能解析にまで行った。雄原細胞特異的遺伝子の同定は、雄原細胞の細胞機能や未知の構造を特徴づける因子の解明につながることが期待されるが、これまでに報告されている遺伝子は極めて少ない。本章で得られた遺伝子の産物であるGCS1タンパク質は、小胞輸送を経由する膜貫通型タンパク質と予想される新奇の構造をとっており、局在も雄原細胞の細胞膜であった。その機能的部位やパートナー分子などから被子植物の生殖機構の解明へと研究の発展につながることが期待される。また、モデル植物のミュータント解析がGCS1タンパク質の機能解明に有効である可能性を示しているため、今後は逆遺伝学的手法を中心としたアプローチがその詳細な機能解明になると予想できる。

 第3章の内容は、被子植物の雄性配偶子形成因子の探索という新しい試みについて述べている。緑藻ボルボックスの生殖細胞形成遺伝子の雄原細胞での強い発現を示されている遺伝子産物であるGlsAタンパク質は、雄原細胞で大量に蓄積するシャペロン様タンパク質であることが分かっているが、本研究ではテッポウユリ雄性配偶子細胞の形態変化に伴う様々な構造の修飾や保持にはたらくことを細胞の多重抗体染色による細胞形態学的手法によって示唆している。この成果は、植物の生殖細胞形成を分子レベルで考察する上で新たな知見を提供する結果となっており、配偶子形成因子探索の新たな方向性をもたらしている。

 雄原細胞の調製が困難なため、これまで被子植物の配偶子細胞を分子生物学的に解析する試みはこれまで世界レベルでもほとんど行われておらず、遺伝子発現解析の報告も未だ数報にとどまっている。本論文の提出者は、この課題の解決に果敢に取り組んでおり、それに解決の端緒を与えた。とりわけ、研究のストラテジーに関しては突然変異のスクリーニング等に限定せず、テッポウユリという植物の特徴を最大限に活かし、目的の細胞を直接的に単離し、解析することで目標達成に至った。さらに本論文では雄性配偶子細胞で発現する多くの遺伝子単離を示しただけではなく、それらが雄原細胞核の高度なクロマチン凝縮下で複雑な発現制御を受けているという新たな関心の的であることも示されている。また、花粉の抗体染色法に関しては、あらゆる条件を試行し、それぞれのタンパク質の性質にあった手法を採用したことは今後の展開への道筋を示したといえる。

 以上の所見から、本論文は新しい知見をもたらす内容に満ちており、あらゆる手法を駆使して発見につなげる論文提出者には研究者としての能力が十分に備わっていると判断できる。なお、本論文第1章のうち、一部は高原学・宮城島達也・黒岩晴子・黒岩常祥諸氏との共著であるが、論文提出者が主体となって実験、観察及び考察を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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