学位論文要旨



No 117927
著者(漢字) 遠藤,貴宏
著者(英字)
著者(カナ) エンドウ,タカヒロ
標題(和) ハイパースペクトル計測による植物の二酸化炭素吸収量推定手法に関する研究
標題(洋) A Study on Hyperspectral Measurement Method for the Estimation of Plant CO2 Uptake
報告番号 117927
報告番号 甲17927
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5385号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安岡,善文
 東京大学 教授 虫明,功臣
 東京大学 教授 小池,俊雄
 東京大学 教授 柴崎,亮介
 東京大学 教授 清水,英範
内容要旨 要旨を表示する

 地球温暖化問題に向けた各国の一致した対策として京都議定書が1997年12月に採択され,現在,日本も京都議定書の発効に向けて準備が進められている。京都議定書が発効された場合,先進各国は,二酸化炭素の排出削減目標を達成する義務が生じる。具体的な一例として,日本は1990年度の排出量を基準に6%削減しなければならない。二酸化炭素は,温室効果ガスの中で唯一光合成生物によって吸収され,大気中から除去されるという性質をもつ。そのため,各国とも削減目標の達成度を算出するためには,陸域生態系によって吸収される二酸化炭素量の推定が必要である。二酸化炭素の排出量は,経済活動と密接に関係することから,二酸化炭素排出量の世界全体に占める割合が36.1%と高いアメリカは,現在も京都議定書を批准していない。しかし,排出権取引市場という経済活動が世界規模ですでに動き出しており,京都議定書の発効とともに,陸域生態系における客観的な二酸化炭素吸収量推定の手法の開発が求められている。

 客観的に陸域生態系に吸収される二酸化炭素量を推定する手法として,地上での観測に基づく方法と併せて人工衛星や航空機を利用したリモートセンシグによる計測手法が期待されている。リモートセンシグ計測は,データの客観性,広域同時性,精度の均一性を有しており,さらに計測されるデータは電磁波など物理量であるなどの特長も有している。リモートセンシグによる陸域生態系,特に植物における二酸化炭素吸収量の推定には,生長に伴う地上部のバイオマス量の変化,地上部の光合成のポテンシャル,生化学物質の生産・分解過程の追跡などが必要である。

 現在,ハイパースペクトルセンサと呼ばれる,高波長分解能かつ連続的に数百のバンド数で連続分光可能なセンサが利用になりつつある。ハイパースペクトルセンサは,その波長分解能の高さ,バンド数の多さなどから,光合成能に関連する生化学量の定量が可能なセンサであると期待される。しかし,ハイパースペクトルセンサを利用した研究の多くが,生化学量の定量を試みる段階であり,光合成速度などの高次の生理学量推定までは達していないのが現状である。また,ハイパースペクトルセンサを利用した実験的手法の推定精度は,観測条件に依存するとの指摘もある。そのため,ハイパースペクトル計測による,より堅牢な生化学量の定量手法やさらに,より高次な二酸化炭素吸収量を推定する手法が必要とされている。

 以上を背景に,本研究では,ハイパースペクトル計測により植物によって吸収される二酸化炭素量を推定する手法を開発することを目的とした。本目的を達成するために,形状由来の影響を除去した高波長・高空間分解能スケールから低波長・低空間分解能スケールまで実験を実際に行い,二酸化炭素吸収量を推定する手法の開発を行った。立体形状が複雑なトウモロコシ圃場に対して,航空機搭載型ハイパースペクトルイメジャであるCASI(Compact Airborne Spectrographic Imager)による観測を行い,ハイパースペクトル計測によるクロロフィル等の定量,光合成能の評価,さらには二酸化炭素吸収量の推定が可能であることを示した。本研究の特色は,実験室レベルでの生化学量,生理学量の推定手法を航空機レベルまでスケールアップして,より広域において,植物の生化学,生理学的な機能を計測する方法を開発したことにある。

 以下に,本論文を構成する各章について,その内容を要約する。

 第1章では,本研究の背景と目的をまとめた。

 第2章では,温暖化問題に向けた過去から現在までの世界の取り組みをまとめた。二酸化炭素の吸収源のモニタリングには,客観的な性質を有するリモートセンシグが有効であることを述べ,リモートセンシグセンサの一つであるハイパースペクトルセンサならば,クロロフィルや光合成速度等の生化学,生理学的パラメタを計測することが可能であることを述べた。

 第3章では,ハイパースペクトルセンサとはどのようなセンサであるか特長を述べ,生化学量を推定する原理について説明した。また,既報の研究成果をまとめ,ハイパースペクトルセンサを利用することで,個葉や樹冠のクロロフィル,窒素,リグニン,セルロースなどの生化学量や生理学量を推定可能なことを説明した。

 第4章では,形状由来の影響を除去した高波長・高空間分解能スケールから低波長・低空間分解能スケールまでの実験を行い,二酸化炭素吸収量の推定手法を開発する枠組みを説明し,本研究で使用した計測機器の説明および実測する生化学量,生理学量,物理量の定量方法についてまとめた。

 第5章では,ハイパースペクトル計測に適した光合成速度曲線モデルの検討を行い,光合成速度曲線モデルのパラメタを推定可能な生化学量の検討も行った。ハイパースペクトル計測に適していた光合成速度曲線モデルは,非直交双曲線であるBlackman型と呼ばれる光合成速度曲線モデルが最適であることを実測値から示した。この光合成速度曲線モデルを規定するモデルパラメタは,単位面積当たりの窒素もしくはクロロフィルa量と相関が高いことを示した。ハイパースペクトルリモートセンシングでは窒素よりもクロロフィルa量の推定精度が高いことから,本研究では,単位面積当たりのクロロフィルa量をキーパラメタと結論した。

 第6章では,スペクトル形状から単位面積当たりのクロロフィルa量を定量する手法の開発を行った。高波長分解能センサであるハイパースペクトルメータを利用して,形状由来の影響が無い条件では,レッドエッジ領域の分光反射率の一次微分値からクロロフィルa量を推定可能なことを示した。ハイパースペクトルイメジャを利用し面として拡張する一方,波長分解能を粗くした条件では,種に関係なく安定して推定に利用できる波長領域は同様にレッドエッジ領域であった。形状由来の影響が存在する場合,分光反射率の一次微分値ではなく,レッドエッジ領域を含む2波長の分光反射率の比演算値を利用する手法が適していることを実測値から示した。そこで,低波長・低空間分解能な条件における推定手法を開発することを試みた。その結果,スペクトル形状から高精度にクロロフィルa量を推定するためには,ピクセル毎に計測対象の形状情報が必要であることが示され,計測対象場が均一な場合のみ,本推定手法はスケールアップ可能であると結論した。

 第7章では,低波長・低空間分解能な条件において,線形ミクセルモデルによる画素内面積率から,クロロフィルa量や光合成量を推定する手法の適用を提案した。株スケールにおける植生カテゴリの代表分光反射率の定義手法として,1株を1枚の葉として分光反射率と物質量とを取り扱うBig Leafモデルを提案した。さらに,群落スケールにおける代表分光反射率の定義手法として,Big Leafモデルに隣接する株間との影響を取り入れたEnhanced Big Leafモデルを提案した。本章では,Big LeafモデルとEnhanced Big Leafモデルの概念を述べた。

 第8章では,CASIセンサを用いてトウモロコシ圃場を実計測した結果に対して,本研究が提案する線形ミクセルモデルとEnhanced Big Leafモデルとの併用手法を適用し,1日に吸収される二酸化炭素量を推定した。線形ミクセルモデルによる画素内積率の推定精度は,正規化植生指標(NDVI)と比較した場合,重相関係数は0.94,現地調査の結果から算出した単位面積当たりの総クロロフィルa量と比較した場合,1.05倍の過大評価であった。さらに,トウモロコシの画素内面積率とBlackman型の光合成速度曲線モデルを用いて,航空機観測当日のトウモロコシ圃場の二酸化炭素吸収量を推定した結果,現地調査から生育が良いと判断した区画では,5.42(gCO2/m2/day)の二酸化炭素量を1日に吸収していたと推定した。推定精度の検証として,実測値に基づく乾燥重量から算出した1日当たりの炭素吸収量で評価した場合,本研究が提案する手法は,乾燥重量から推定した値よりも約1.2倍の過大評価であった。この結果は,二酸化炭素吸収速度の推定の際,光合成有効光量子密度に気象タワーのデータをそのまま用いた事,ストレスの影響を考慮していない事が過大評価の原因であると考察した。

 以上,本研究では,航空機レベルのハイパースペクトル計測によりトウモロコシの二酸化炭素吸収量を推定する手法を開発した。本手法は,半実験的推定手法であるため,客観性を有しており,他の植物群落にも適応可能な推定手法であると結論する。これにより,炭素吸収源のモニタリングや炭素蓄積量の算定手法の一つとして貢献が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 1997年12月に京都で開催された気候変動枠組み条約締約国会議(COP-3)において、地球温暖化問題に向けた各国の一致した対策として京都議定書が採択された。この議定書においては、先進国が削減すべき温暖化ガスの排出量が定められたが、加えて、その削減量に、植林等による植物量増加による二酸化炭素の吸収量増加を加えて良いことが認められた。

 二酸化炭素は、温室効果ガスの中で唯一、光合成生物(植物等)によって吸収され、大気中から除去される。植物が二酸化炭素の削減に寄与する率が大きいことから、削減目標達成のために、植林を行うことが各国で始められた。しかしながら、陸域生態系(植生、土壌)においてどれだけの二酸化炭素が吸収されまた放出されるか、その評価は定まってあらず、また、陸域生態系による二酸化炭素吸収量の計測手法も標準化されていないのが実情である。

 本研究は、航空機、人工衛星などからの電磁波計測により、植物の二酸化炭素吸収量を広域にわたって計測するリモートセンシング手法を開発することを目的としたものである。リモートセンシングは、人工衛星や航空機を利用することにより、対象に非接触で広域の地表面状況を計測する技術で、計測の広域同時性、精度の均一性などの特徴を有している。このために、広い範囲に及ぶ植林地などにおいて樹木の分布、組成などの計測が可能となると期待されている。特に、スペクトル分解能が高いハイパースペクトルリモートセンシングでは、葉中のクロロフィルやリグニンなど、従来の方法では計測できない生物化学的なパラメータも計測できるものと期待されている。

 以上を背景に、本研究では、ハイパースペクトル計測を利用して植物によって吸収される二酸化炭素量を推定する手法を開発することを目的とした。本目的を達成するために、実験室においてポット植え植物のスペクトル計測実験を行うとともに、実験農場(トウモロコシ圃場)において、航空機搭載型ハイパースペクトルイメジャ(CASI:Compact Airborne Spectrographic Imager)による観測を行い、ハイパースペクトル計測によるクロロフィル等の定量、光合成能の評価、さらには二酸化炭素吸収量の推定が可能であることを示した。

 本研究の特色は、実験室レベルでの生化学量、生理学量の推定手法を航空機レベルまでスケールアップして、より広域において、植物の生化学、生理学的な機能を計測する方法を開発したことにある。

 本論文は以下の6章から構成されている。

 第1章では、本研究の背景と目的をまとめた。

 第2章では、温暖化問題をサーベイするとともに、二酸化炭素の吸収源モニタリングヘのリモートセンシングの有効性について述べた。

 第3章では、ハイパースペクトルリモートセンシングについて、その特長、ならびに植物の生化学量を推定する原理について説明した。また、ハイパースペクトルセンサを利用することで、葉中のクロロフィル、窒素、リグニン、セルロースなどの生化学量や生理学量の推定が可能なことを示した。

 第4章では、植物の生化学量から、光合成能、二酸化炭素吸収量を推定するフローを説明し、本研究で使用した計測機器の説明および実測する生化学量、生理学量、物理量の定量方法についてまとめた。

 第5章では、ハイパースペクトル計測に適した植物の光合成速度曲線モデルの検討を行い、非直角双曲線であるBlackman型と呼ばれる光合成速度曲線モデルがリモートセンシングによる光合成能の推定に最適であることを実測値から示した。また、このモデルでは、葉の単位面積当たりのクロロフィルa量がキーパラメタであることを示した。

 第6章では、スペクトルから単位面積当たりのクロロフィルa量を定量する手法について述べた。葉の形状や計測の分解能等によりクロロフィル推定の方式は異なるものの、計測されたスペクトルにおける特定2波長の反射率を用いて、クロロフィル量を推定できることを実験により示した。

 第7章では、航空機から得られた低空間分解能画像において、線形ミクセルモデルによる画素内面積率から、クロロフィルa量や光合成量を推定する手法を検討し、植物1株(1群落)の分光反射率と物質量とを、1枚の葉として取り扱うBig Leafモデル(Enhanced Big Leafモデル)を提案した。

 第8章では、トウモロコシ圃場を撮影したCASI画像に対して、本研究が提案する線形ミクセルモデルとEnhanced Big Leafモデルとの併用手法を適用し、一日に吸収される二酸化炭素量を推定した。この結果、生育が良いと判断した区画では、一日の二酸化炭素吸収量を5.55(gCO2/m2/day)と推定した。推定精度の検証として,実測値に基づく乾燥重量から算出した1日当たりの炭素吸収量と比較した結果、本手法は、乾燥重量から推定した値よりも約1.4倍の過大評価であったが、この原因としては、二酸化炭素吸収速度推定の際に、光合成有効光量子密度に気象タワーのデータをそのまま用いた事、ストレスの影響を考慮していない事などが考えられる。

 以上、本研究は、

 ・リモートセンシングにより植物の光合成能、二酸化炭素吸収量を推定するモデルと計測手法を提案し、

 ・実際の航空機レベルのハイパースペクトル計測に適用して、トウモロコシの二酸化炭素吸収量を推定する手法を開発した

 ことに独創性を有する。本手法は、他の植物群落にも適応可能な推定手法であり、これにより、炭素吸収源のモニタリングや炭素蓄積量の算定手法の一つとして貢献が期待される。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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