学位論文要旨



No 117928
著者(漢字) 佐伯,昌之
著者(英字)
著者(カナ) サエキ,マサユキ
標題(和) 精密に制御された調和波動を用いた高分解能地震波トモグラフィ手法の開発
標題(洋) Development of high-resolution seismic tomography method by means of accurately controlled harmonic waves
報告番号 117928
報告番号 甲17928
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5386号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 東原,紘道
 東京大学 教授 小長井,一男
 東京大学 教授 堀,宗朗
 東京大学 教授 山下,輝夫
 東京大学 教授 岩崎,貴哉
内容要旨 要旨を表示する

 周波数精度が極めて高い調和波動を用いた地震波トモグラフィ手法であるACROSS法が考案され,実用化へ向けて基礎的な研究がなされている.この手法では,精密制御震源を用いて,高い精度でコヒーレントな弾性波を,長期間にわたり連続的に照射できることから,地殻内の物性変動に伴う観測波形の変動の情報を高精度に捉えると期待される.一方で,近年の地震学では,地震予知に関連して,例えば震源核をいかに同定するかという問題が重要になっている.震源核は,局所化した不均質構造と考えられており,これは地震波トモグラフィから見ると非線形な散乱体である.そこで,ACROSS法を局在する散乱体の位置同定あるいは同定された領域の物性同定問題に適用できれば,その効果は大きいと考えられる.しかしながら,このコンセプトはハード・ソフト面共に多くの未踏技術を含み,実用化へ向けて成すべき仕事はまだ多い.

 以上のことを踏まえて,本研究では,テストフィールドとして優れた特性をもつ葛野川サイトに精密制御震源の実証モデルを立ち上げ,その震源の基本的な性能試験を行った.それと並行して,将来のACROSS法に必要不可欠な散乱体の同定の基礎理論を開発する第一歩として,線形近似の枠内での散乱体同定問題を定式化した.ACROSS法のインバージョンは主に非線形になると予想されているが,その場合にも,線形モデルは摂動近似などの基礎になるものである.

 本研究では,まず,地下に局在する散乱体からの散乱波をシミュレートすることと,インバージョン手法の開発に必要なGreen関数を計算することを目的に,半無限水平成層媒体に点散乱体が分布する場合の波動場計算プログラムを作成した.散乱体のモデルには,すでに研究が進んでいる摂動法とBorn近似モデルを用いた.この半無限水平成層モデルは,解が準解析的に得られるものの内で最も複雑な速度構造を表現できるモデルであるので,今後の理論的研究の基礎となるものである.

 次に,従来の散乱トモグラフィ手法を整理し,トモグラフィに使用される入力情報と,得られる推定力の関係を解析した.ACROSS法では周波数伝達関数を精度良く決定できる.したがってフーリエ変換によりインパルス伝達関数を推定でき,その結果,従来の速度トモグラフィや散乱体位置決めに利用することができる.しかし,本研究では,これらの方法とは異なる,ACROSSの特性を活かした手法の開発を試みた.この手法の特徴は,i)精密制御震源をフェイズドアレイ展開することで,波動場に指向性をもたせ,観測波形における散乱波の比率を向上させる,ii)連続観測とフィルタリングにより,散乱波の変動を精度よく捉える,ことである.

 ACROSS法による散乱トモグラフィ手法では,実際にどの程度の散乱波の振幅が期待できるかがまず問題となる.そこで,水平成層波動場計算プログラムを用い,精密制御震源アレイにより,どの程度の散乱波が励起されるかを評価した.すなわちACROSS震源の生成する複雑な波動場を理解するために,段階的にi)半無限均質媒体,ii)地表に軟弱層がある場合,iii)地下10kmに10%の反射面がある場合,iv)地下10kmに10%の散乱体がある場合を仮定し,波動場を計算した.結果として,次の事が分かった.i)地表面の反射波は無視できない程に強い.ii)地表に軟弱層がある場合,直達波の水平方向伝播には強い周波数依存性がある.iii)地上に10tf級の精密制御震源(現状と同程度)10台のリニアアレイを組めば,振幅で10-6gal程度の散乱波を励起できる.この振幅は,ボアホールで観測される常時微動と等しいレベルであり,スタッキング操作を施すことで十分に観測することが可能である.iv)単一震源の場合では,散乱波と直達波の振幅比がおおよそ1:100程度であるのに対し,フェイズドアレイを用いることにより,その比が1:10程度に改善できる.また,v)この場合,散乱体の物性を10%からさらに1%変化させると,観測波形全体で振幅が1%変化することが分かった.

 次に,散乱体分布を同定する手法の基本アルゴリズムの開発を行った.本研究では,非線形の散乱体の同定問題の基礎となる,Born近似で表される散乱体を同定する問題を扱った.散乱体を同定するには,まず散乱波を観測波形から抽出する必要がある.観測波は,散乱波と散乱体が存在しない場合の波の和で表されるが,地殻の不均質性を考えると,散乱体が存在しない場合の波の精度が悪いことが多いので,この問題を克服するために,種々の工夫が必要になると考えられる.本研究では,観測波形の変動から散乱波の変動を簡便に抽出するために,観測波形の変動を考えることにし,インバージョンの可能性を検討した.この場合は,散乱体が存在しない場合の波を評価する必要がないので,散乱波の変動成分を精度よく評価できる.また,得られた変動成分を用いて,波形インバージョンにより散乱体の変動の推定を試みた.疎に分布する点散乱体モデルで,ある大きさを持つ散乱体を同定できれば効果的であるが,波形インバージョンの場合,散乱波の放射パターンが重要であるため,さらに何らかの情報を付加しない限り,散乱体を同定することができないことが分かった.これは今後の課題である.

 本研究では,多くのハードウェアの開発を行った.まず,実験に有用な情報を得るため,先行して観測実験を行っている名古屋大学のACROSS研究をレビューし,その成果と問題点を明確にし,彼らの実験サイトの地表付近は相当に風化している可能性が高いこと,さらに,それが原因で様々な変動が観測波形に現れている可能性が高いことを示した.

 この知見や波動場のシミュレーションの結果,精密制御震源を地下の良好な岩盤に埋設すべきであることが分かったので,山梨県大月市北方にある葛野川発電所の巨大地下空洞に,精密制御震源を設置するとともに,観測システムを地下空洞に構築して,精密制御震源の性能試験を行った.突然の地下水の発生など,深部地下計測環境に特有の多くのトラブルを克服して,正常な運転を持続できるようになった.計測はこれから本格化するが,これまでにi)24時間連続観測を行い精密制御震源の安定性を評価して,震源の励起する波動場は,振幅のゆらぎは0.1%程度であって極めて安定であることを示した.(名大ACROSSのゆらぎは10%程度)ii)震源躯体の振動を計測し,震源が理想的な調和波動に近い波を励起していることを確認した.躯体の振動には基本波(震源の運転周波数)の振幅の1%程度の高調波が生じるが,これは震源と岩盤をカップリングする定着装置の弾性変形による正常な現象であることを確認した.以上の実験結果から,精密制御震源(1号機)は,精密な波動解析に使える十分な性能を有していることが示された.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は,近年,地震研究所などで開発されている先端的な地震トモグラフィ手法であるACROSS法の実用化へ向けての基礎的な研究の成果をとりまとめたものである。

 この手法は,地殻内の物性変動に伴う観測波形の変動の情報を高精度に捉えると期待される。一方,最近の地震予知研究では,例えば震源核をいかに同定するかという問題が重要になっているが,震源核は局所化した不均質構造と考えられるので,ACROSS法を局在する散乱体の位置同定あるいは物性同定問題に適用できれば,その効果は大きい。しかしながら,このコンセプトはハード・ソフト面共に多くの未踏技術を含み,実用化までになすべき仕事は多い。

 本研究は,大深度地下トンネルに精密制御震源の実証モデルを立ち上げ,その基本的な性能試験を行うとともに,ACROSS法に必要な散乱体の同定理論を開発する第一歩として,線形近似の枠内での散乱体同定問題を定式化している。なおACROSS法は非線形インバージョンを必要とすると予想されるが,その場合にも,線形モデルは摂動近似の基礎になるので,価値を失うことはない。

 ACROSS法では周波数伝達関数を精度良く決定できる。したがってフーリエ変換によりインパルス伝達関数を推定でき,その結果,従来の速度トモグラフィや散乱体位置決めに利用することができる.しかし,本研究では,これらの方法とは異なる,ACROSSの特性を活かした新しい手法の開発を試みている。すなわち,精密制御震源のフェイズドアレイ展開による空間分解能の向上と,連続観測とフィルタリングによる変動の高感度検出である.

 ACROSS法では,どの程度の散乱波の振幅を励起できるかがまず問題となる.そこで本研究は,水平成層波動場計算プログラムを用い,精密制御震源アレイにより,どの程度の散乱波が励起されるかを評価している。次に本研究は,散乱体分布を同定する基本アルゴリズムの開発を行っている。将来的には非線形散乱の同定が必要となるが,ここでは,その第1歩としてBorn散乱体を扱っている。散乱体を同定するには,散乱波を観測波形から抽出する必要があるが,地殻の不均質性を考えると,散乱体以外によるノイズが多いので,種々の工夫が必要になる。本研究では,観測波形の変動から散乱波の変動を抽出するために摂動を考え,波形インバージョンにより散乱体の変動の推定の可能性を検討している。その結果,局在散乱体モデルでは散乱波の放射パターンの影響が大きいため,さらに何らかの情報を付加しない限り,散乱体を同定することができないことを明らかにしている。このデータ処理手法の開発は今後の重要な課題であると考えられる。

 本研究では,精力的に多くのハードウェアの開発を行っている。まず,予備検討として,先行して観測実験を行っている名古屋大学の研究をレビューし,その問題点を明確にし,彼らの実験サイトの地表付近は相当に風化していること,さらに,それが原因で大きなノイズが現れていることを示している。

 この検討結果および,波動シミュレーションの結果から,精密制御震源を地下の良好な岩盤に埋設すべきであることを明らかにし,それに基づいて山梨県大月市北方にある葛野川発電所の巨大トンネルに精密制御震源を設置するとともに,観測システムを構築して,精密制御震源の性能試験を行っている。そして前例の少ない深部地下計測環境に特有の諸問題を克服して,正常な運転を持続できるまでに至っている。本格的な計測はこれからであるが,これまでに24時間程度の連続観測によって精密制御震源の安定性を評価して,震源の励起する波動場は,振幅のゆらぎは0.1%程度で,極めて安定であることを示している(名大の震源のゆらぎは10%程度)。また,震源躯体の振動を計測し,震源が理想的な調和波動に近い波を励起していること,躯体の振動には高調波が生じるが,これは震源と岩盤をカップリングする定着装置の弾性変形による正常な現象であることを確認している。以上の結果から,精密な波動解析に使える十分な性能を有している精密制御震源(1号機)が概ね完成したと認められる。

 以上のように,本研究は,先端的な地震トモグラフィ手法であるACROSS法について,解析法を定式化してシミュレーションによる検討を行うとともに,高い性能の実証装置を実現したもので,大きな意義があると判断される。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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