学位論文要旨



No 117929
著者(漢字) 瀬戸,心太
著者(英字)
著者(カナ) セト,シンタ
標題(和) マイクロ波リモートセンシングによるグローバルな土壌水分量推定に関する研究
標題(洋) Soil moisture estimation by microwave remote sensing on global scale
報告番号 117929
報告番号 甲17929
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5387号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 沖,大幹
 東京大学 教授 虫明,功臣
 東京大学 教授 安岡,善文
 東京大学 教授 小池,俊雄
 東京大学 助教授 楊,大文
内容要旨 要旨を表示する

 世界的な水問題への対策には多様なアプローチと学問分野を越えた連携が必要であるが,その基礎には定量的な水循環の把握がなくてはならない.時間的空間的に広い範囲の水循環観測の必要性が高まる中,急速に発展している人工衛星を利用したリモートセンシング技術(衛星観測)を利用することが注目されている.衛星観測は,従来の地上での直接観測と精度や解像度などの面で必ずしも同等ではないが,広範囲を定期的・継続的に観測できる特徴を持っている。本研究では,空間的な分布特性などからリモートセンシングの応用が強く期待されているが,これまで衛星観測の適用が場所的・時間的に限られてきた土壌水分のリモートセンシングについて,グローバルスケールで適用する研究を行った.土壌水分とは,地表面より下で地下水面より上の部分に存在する水を指し,陸面において降水量が流出量(水資源として利用できる水)と蒸発散量(利用できない水)に分配される過程に,中心的な役割を果している。また,土壌水分は農作物や森林の成長に直接利用される水という意味で水資源そのものである.さらに,土壌水分は気候システムにフィードバックを与えることが数値実験から示されており,このため,日本の気象庁において導入が進められている力学的数値予報を用いた中長期予報の成否にも,土壌水分など地表面過程の初期化が重要であると指摘されているなど,広域の土壌水分情報の必要性は高い.土壌水分のリモートセンシングに応用できるのは受動型マイクロ波センサのマイクロ波放射計,能動型マイクロ波センサのマイクロ波散乱計および合成開口レーダ,さらに可視・赤外の放射計である。このうち本研究では,電磁気学的な意味で直接に,土壌水分を観測できるマイクロ波センサを利用した土壌水分推定を行う.本研究の特徴として,次のようにまとめられる.

 ・グローバルな水循環の解明に貢献できるように,また表層土壌水分の降雨に対する反応をとらえられるように空間解像度は低いが時間解像度(観測頻度)の高いセンサを利用した.

 ・多様な植生面に適用できるように,電磁波観測に植生の与える影響を考慮した。

 ・継続的に利用でき実現性のある手法とするために熱帯降雨観測衛星(TRMM)で利用されるマイクロ波センサを使用した.TRMMはこれまで5年以上観測を続けており,さらに全球降水観測計画(GPM)のもと後継機が計画中である。

 ・TRMMの太陽非同期軌道による観測という特性を生かして,土壌水分推定値の日周期について検討した.

 能動型マイクロ波リモートセンシングによる土壌水分推定手法として,TRMMに搭載された降雨レーダ(PR)を利用した土壌水分推定手法を開発した.PRは,世界で初めて実現された衛星搭載型の降雨レーダである.降雨観測用レーダとしては波長の比較的短いKuバンドの周波数を利用しているため,降雨による減衰を評価する必要性から,地表面の後方散乱係数σ0を観測・記録している.このσ0を土壌水分推定に利用する.PRの入射角は0°から18°であり,合成開口レーダ(SAR)の20°以上や,PRと同種の時空間解像度をもつERS(=European Remote sensing Satellite)搭載の能動型マイクロ波センサWSC(海上風速観測用マイクロ波散乱計)の17°から57°と比べて小さい.PRとERSのσ0を解析した結果,次のことが分かった.土地被覆分類や植生指標NDVI(=Normalized Differential Vegetation Index)を利用した解析から,σ0の空間分布には植生量が大きく影響していることが分かった.おおむね入射角が12°より小さい場合に,NDVIの増加はσ0を減少させ,入射角が12°より大きい場合に,NDVIの増加はσ0を増加させる.言い換えると,植生が多いと入射角依存性が弱く,植生が少ないと入射角依存性が強い.次に,σ0の季節変動を入射角ごとに調べると,基本的には入射角による季節変動のずれはないが,サヘル地域でPRの入射角3°-18°の間での季節変動にずれが見られた.主成分分析を利用した手法で解析したところ,このずれは,熱帯域ではサヘルにのみで見られる現象であることが分かった.入射角による季節変動のずれは,すなわち入射角依存性の季節変化であり,この地域において,植生の季節変動がσ0に影響している可能性が示唆される.また,WSGの入射角20°-55°の間でのσ0の季節変動について統計的な解析をしたところ,20°の場合サヘルをはじめアフリカ南部などではNDVIの季節変動との相関が強く,55°の場合インドなどのアジアモンスーン地域もふくめてNDVIの季節変動との相関が見られる.反対に,土壌水分の季節変動との相関は入射角が大きいほど弱くなる傾向にある.

 この結果をふまえて,σ0に植生がどう影響を与えているのかを考察した.レイヤーモデルとモザイクモデルでは,どちらも形式的な表現は同じになるが,とくにPRの場合,使用するマイクロ波周波数が地表面観測には高いことやサヘルなど一部地域でしかσ0の季節変動に植生の影響がみられないことから,植生被覆率fをパラメータとしたモザイクモデルで考えるのが適当である.このモデルを利用して,植生被覆率fと土壌面からの散乱強度σ0sのどちらがσ0に強く影響するかをみると,入射角が小さい方がσ0sの影響が大きい.また,入射角12°の場合に植生被覆率fの影響が最小となる.そこで,まず植生被覆率の影響の大きい入射角3°のσ0を利用してfを決定し,次に毎回の入射角12°でのσ0からσ0sをもとめ,Fung(1992)による土壌面の散乱モデルIEM(=Integral Equation Model)により土壌水分に変換するアルゴリズムを作成した.月単位での推定結果は,季節変動について,熱帯雨林以外の場合で良好であり,植生被覆率の季節変化により厳密には推定手法の適用ができないと思われるサヘル域でも,季節変動の推定結果は良好であった.しかし,当初の目的のとおり日単位の推定に適用するには,同一入射角でのσ0のサンプリング頻度が低いことが問題である.このため,月単位のσ0時系列から入射角間の回帰直線・相関係数を求め,これを利用して12°以外の入射角でのσ0を12°のσ0に変換して推定に利用した.これにより,中緯度帯での日単位推定が可能になった.しかし,熱帯域に適用するには依然観測頻度が不十分であることも分かった.最後に,土壌水分推定値の日周期をみたが,森林域を除いてほとんど日内変動は見られなかった.

 次に,同じくTRMMに搭載された受動型のマイクロ波放射計TMIによる土壌水分推定アルゴリズムを開発した.既往の研究よりも,とくに植生層の影響を物理的な手法に基づき評価することを目的とし,土壌・植生・大気を結合した放射伝達モデルを作成し利用した.この放射伝達モデルは,土壌面については土壌水分,誘電率を計算する際に必要な土壌特性(β・土壌の乾燥密度・土壌の粒子密度),粗度の5つのパラメータからなる。植生層については,Choudhury(1990)のモデルを採用しており,葉・幹・枝による吸収・散乱・射出を考慮している.葉については葉面積指数LAI(=Leaf Area Index)・乾燥時の厚さ・傾き分布に関する指標の3つ,幹については幹面積指数SAI(=Stem Area Index),枝についてはB/S(=Branch Stem Ratio)をパラメータとし,さらに植生の含水率を加えて6つのパラメータをもつ.土壌層のパラメータから土壌層のアルベドを計算し,これと植生パラメータから土壌・植生を1つの層とみなした場合のアルベドが求まる.これに,土壌・植生層の物理温度(地表面温度)を加えると,植生層上端からの輝度温度が計算でき,さらにLiu(1999)による大気層の放射伝達モデルにより,大気層上端の輝度温度を計算することも可能である、まず,この放射伝達モデルを利用して感度分析を行った.単一のチャンネルでは,ほぼ物理温度変化がそのまま反映されるが,同一周波数での垂直・水平偏波間輝度温度差PD(=Polarization Difference)または同一偏波での周波数間輝度温度差FD(=Frequency Difference)をとることで影響が10分の1以下になるので,PDまたはFDを指標として利用する.PDに影響の大きいパラメータは,土壌水分,粗度,LAI,SAI,B/S,葉の厚さ,植生含水率であり,このうちLAIの影響が最も大きい.FDについても同様であるが,SAIに対する感度がやや強い.土壌水分に対する感度は,PDで周波数が小さい方が,FDで水平偏波の方が強い.また,大気層の影響は,周波数が低い場合にはほとんど無視できるが,降雨については影響が大きく,周波数10GHzでも降雨による吸収・射出の影響が無視できない.雲水量や大気の季節変化の影響は37GHzのPDに対しては,ほとんど無視できるが,FDの水平偏波はやや大気の影響を受けやすい.

 大きく8種類の推定手法を用いて,それぞれに土壌水分を月単位で推定し,その季節変動を比較した.最初に比較的感度の大きいパラメータについても標準値を利用した.PDを利用する推定手法の場合,LAIの季節変動を考慮することで,サヘルやアジアモンスーン地域においてPRと同様な季節変動が再現できた.しかし,アメリカ南東部の場合には,LAIの季節変動を考慮しない方がよい結果を与える.これは,SAIなどのほかの植生パラメータにより,PDのLAIに対する感度が異なるためであり,たとえばSAIをこの地域にあうように大きくすれば,LAIに対する感度が小さくなるので,土壌水分推定値の季節変動が改善される.パラメータを標準値に設定したままでは,多くの場合にルックアップテーブルの土壌水分の下限(0%)と上限(50%)の間に解を見つけられない.このため,主要な5つのパラメータ(SAI,B/S,葉の厚さ,植生含水率,粗度)を変化させることで,観測値をルックアップテーブルのレンジに合わせるように,パラメータを最適化した、これは,必ずしも各パラメータを現実に近い値とすることを目的としたものではない.問題は,パラメータを変化させることで,PDのLAIに対する感度が変わり,土壌水分推定値の季節変動が変化することである.最適化されたパラメータと,土壌水分推定値の季節変動がもっともよくなる(PRからの推定値との相関係数で判断)パラメータを比較したところ,大きな違いはなく,結果としてこの最適化手法により土壌水分推定が可能な割合を大きく増やすことができた.PDで使用する周波数が高いほど,季節変動の再現性は悪くなる.これは,PDの土壌水分に対する感度が低下することが原因と考えられる.また,大気層を含めた場合に土壌水分の絶対値はやや向上するが,大きな違いとはならない.また,PDの代わりにFDを利用した場合には,良好な結果が得られなかった.TMIでは観測頻度が高いために,熱帯域でも日単位時系列が作成できる.土壌水分推定値の日周期は,物理温度の影響が表われ,昼に高くなる.このみかけの日内変動幅は,PDの代りにPDRを利用することで減少できる.

 PR,TMIを利用したどちらの手法もサヘルやアジアモンスーン域など熱帯域の主要な地域で季節変動の再現,中緯度帯での降雨イベントに対応した日単位変化の再現などに成功している.日内変動などをみると,TMIの場合には完全には地表面温度の影響が消えていないことから,この影響のほとんどないPRの方が優れている.また,PRの方がアルゴリズムが簡潔で,外部データ(NDVIなど)を一切使用しないで済むという点で優れている。しかし,近い将来の衛星観測計画を考えると,観測頻度やセンサの継続性の面からTMIなどマイクロ波放射計による土壌水分推定は必要である.このため,TMIの季節変動をPRの季節変動にあうように放射伝達モデルのパラメータを決定し,TMIから日単位あるいは数時間単位で推定を行うといった複合アルゴリズムの開発が今後の課題としてあげられる.

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、陸面の水循環やエネルギー収支をコントロールすることによって水循環を含む気候システムの変動に大きな影響を及ぼしている表層土壌水分について、最新の衛星搭載マイクロ波センサからの情報に基づいてグローバルに推定する手法の開発に取り組んだものである。本研究では、熱帯降雨観測衛星(TRMM)に搭載された能動型のマイクロ波センサである降雨レーダ(PR)と受動型であるマイクロ波放射計(TMI)からのデータが利用された。

 PRは本来降雨粒子からの反射を測定するためのセンサであったが、減衰補正のために地表面からの反射強度も定量的に測定されている点が本研究では着目され、表層土壌水分推定手法の開発に取り組まれたことは極めてオリジナルな研究である。

 まず、地表面からの散乱特性について土地被覆分類や葉面積指数(LAI)との関連について、TRMM以外の能動型センサのデータも利用しつつその入射角依存性が丹念に検討された。観測事実を説明する物理モデルとしてセンサの視野角内に一定厚さの植生が広がっていて、土壌層で反射されたマイクロ波が植生層を通過すると考えるレイヤーモデルと、視野角内の一部が、マイクロ波を全反射する植生によって覆われていると考えるモザイクモデルとが提案され、裸地面からの反射と植生層からの反射の線形合成という視点からは両者が数学的に同じ形式であることが示された後、地表面からの散乱信号の季節変化観測結果の考察からPRに対してはモザイクモデルで考えることが適切であると結論付けられた。Kuバンドという比較的短い周波数帯のマイクロ波がPRでは用いられていることからも、これは極めて妥当な結論である。

 さらに、モザイクモデルに基づき、入射角が小さく直下視に近い方が植生からの反射に比べて地表面からの反射の影響が大きく、表層土壌水分量の推定には適していることが示された。

 これらの成果に基づき、入射角依存性を利用して植生の影響を考慮した上で土壌面の散乱モデルを用いて表層土壌水分量を推定するアルゴリズムが構築された。推定結果はいくつかの地上観測データや他のグローバル水循環データと比較され、植生密度が高く表層土壌からの信号がほとんど得られない熱帯雨林以外の領域に関しては良好に対応していることが示された。

 さらに、観測頻度の低さを補うため、異なる入射角に対する地表面散乱強度間の高い相関関係を用いて、代表的な入射角(12度)における散乱係数に換算して中緯度に対しては日単位で0.25度グリッドの空間解像度で表層土壌量を推定するアルゴリズムが構築され、1998年〜2002年の5年分の熱帯全球(南北約36度まで)の表層土壌水分量データが作成された。

 一方で、TMIによる土壌水分量推定に関しては、植生層が観測輝度温度に及ぼす影響について物理的に評価する目的で、土壌・植生・大気を結合した放射伝達モデルが作成され、利用された。

 植生層の葉や幹や枝に関わる6つのパラメータに関する感度分析が行われ、同一周波数での垂直・水平偏波間輝度温度差(PDR)や同一偏波での周波数間輝度温度差(FD)への影響が評価された。その結果を踏まえた上で、8つのアルゴリズムが構築され、月単位の土壌水分が推定され、PRによる推定結果を参照してその妥当性が検討された。結果としては、PDを用いて、可視・近赤外センサから別途推定されるLAIの季節変化を考え、幹面積指数、枝幹比、葉の厚さ、植生含水率、粗度の5つの主要パラメータの地域性を考慮することにより表層土壌水分の季節変化が良く再現されることが明らかとなった。主要パラメータの設定は、感度分析の結果から定めたルックアップテーブルのレンジに可能な限り収まるように定められた。TMIの高頻度観測により、やはり日単位のグローバルな土壌水分量分布が空間解像度0.25度で3年分作成された。

 これらの成果は、衛星リモートセンシングによる表層土壌水分推定に対して、その理論的理解とアルゴリズム開発という面で大きく貢献するのみならず、特にPRを用いた手法は前人未踏の極めて独創的な成果であり、さらに、得られた日単位の熱帯全球陸面土壌水分量データは、水循環モニタリング情報として世界の水資源問題に資することが期待されると共に、気象予測、気候予測研究の陸面初期状態量、あるいは境界条件として用いられ、数値予測精度の向上を通じて長期的にはより適切な水資源マネジメントの実現に繋がる社会的にも極めて意義深い優れた研究であると評価される。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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