学位論文要旨



No 117930
著者(漢字) 大楽,浩司
著者(英字)
著者(カナ) ダイラク,コウジ
標題(和) 東南アジア熱帯山岳地域における降水過程に関する研究
標題(洋) Observation and numerical experiments of precipitation in a tropical mountainous region in Southeast Asia
報告番号 117930
報告番号 甲17930
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5388号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 沖,大幹
 東京大学 教授 虫明,功臣
 東京大学 教授 住,明正
 東京大学 教授 鈴木,雅一
 東京大学 教授 小池,俊雄
 東京大学 助教授 石原,孟
内容要旨 要旨を表示する

 気候モデルは地球環境変動メカニズムの理解、その変動予測を行うために不可欠なツールの1つである。気候モデルの検証に用いられる全球降水データセットのような統計的に内外挿した、あるいは同化した解析結果の最終品質は入力データの質によって大きく影響されるため、用いる入力データそれぞれの改善が非常に重要である。そしてまた、グローバルな気候研究の結果を地域スケールの気候に適用するには、元になるデータの誤差構造と気候特性へのさらなる深い理解が必要である。

 基本的な気候要素の1つである降水量は、雨量計、レーダー、衛星などで観測、推定されている。雨量計による降水観測は1地点における観測としては比較的正確であると考えられるが、広域の降水量分布については、1)観測値の空間代表性が大きくないため、標本誤差(sampling error)の影響を強く受け、2)海域や、人が居住していない地域には観測点がほとんどない、という問題点がある。

 本研究は、GAME-Tropics研究の一環として、タイ北西山岳地域、Mae Chaem流域で空間的に密な地上降水観測を行った。標高の高い地点ほど降雨量が多く観測され、明瞭な降雨の標高依存性があることがわかった。また、雨季は午前中よりも午後に降水が発生しやすいという、明瞭な降水の日周変動がみられた。

 1998年、1999年の総観スケールの降水分布は、ITCZや太平洋・インドネシア近海の海面水温の変動との関連が見られた。Mae Chaem流域で観測された1999年の降水量は、1998年に比べ標高が高い地点ほど観測された降水量が顕著に多く、総観スケールの降水分布と対応している。

 Mae Chaem流域における地上降水観測データを解析した結果、標高の高いところでは、降雨強度の比較的弱い降雨イベントが生起しやすく、降雨継続時間の長いイベントが比較的多く観測される傾向があった。一方、降雨強度の比較的強い降水イベントに関しては標高の高低とは明瞭な関係がないことが示された。すなわち、Mae Chaem流域における降雨の標高依存性をもたらす主な要因は、降雨強度ではなく、降雨継続時間と頻度である、ということが明らかになった。また、1998年と1999年の降水量の大きな違いは、主に頻度と降雨時間によってもたらされていることが明らかになった。

 降雨の標高依存性に関係する要因(降雨強度や降雨継続時間)は、定義時間や用いられるデータの時間分解能によって大きく影響を受けることがわかった。現在の地域スケールの水循環過程を明らかにし、気候変動による水循環予測を行い、効果的な水資源管理・流域管理に役立てるためには、数値気候モデルを現象に対する適切な時間・空間スケールで用いることが不可欠であると同時に、本研究で得られたような時間分解能の高い、空間的にも密な観測データを用いた降水特性の理解・検証が必要である。

 降水メカニズムを明らかにすることは、水資源管理や防災の観点からも重要であり、転倒マス雨量計による降水モニタリングだけではなく、レーダー雨量計、衛星観測、ゾンデによる高層気象観測、航空機観測、再解析データ、領域大気モデルなどを用いることによって解析を深める必要がある。しかし、熱帯山岳地域では、用いることができる情報・手段は非常に限られている。現段階で、高解像度で人間の生産活動、撹乱行為によってもたらされる地球環境変動による地域的な水循環の変化の理解・予測を行うために、もっとも有効だと考えられる実験手段は領域大気モデルである。そして数値シミュレーションを行うには、信頼できる初期・境界条件が必要である。

 GAME再解析データを用いて、Mae Chaem付近における1998年雨季の気候特性について検討した。アジアモンスーンの西風によってベンガル湾上を通過する空気塊に多量の水蒸気が供給され、潜熱エネルギーを含む湿潤空気が作り出され、Mae Chaem流域上に多大な水蒸気が運ばれ、降水活動に大きな影響を及ぼしている。大気上層では、優勢なチベット高気圧から吹き出した北風がコリオリカによって熱帯東風ジェットをもたらし、下層西風、上層東風という風のシアを形成している。1998年は、この状態が5月下旬から9月上旬まで比較的安定して継続していた。

 Mae Chaem地域におけるアジアモンスーンの特徴をよく表しているGAME再解析データを初期条件とし、領域大気モデルを用いて東南アジア熱帯山岳流域における降水メカニズムを検討した。

 領域大気モデルは、2次元非静水圧・圧縮モデル(RAMS4.3.0)を用いた。雲降水過程は、バルク雲微物理過程、放射過程は、雲微物理過程と対応した2ストリーム放射過程、陸面過程はLEAF-2、地形はGTOPO30、土地利用情報は衛星データ(NOAA-AVHRR)に基づきUSGSによって作成されたもの、海面水温は月毎の気候値を用いた。

 計算断面は、Mae Chaem流域を中心とするGrid-2(水平解像度800m、401.6km)をGrid-1(水平解像度4km、1680km)にネスティングし、相互に計算結果を反映させ計算を行った。鉛直座標系は地形に沿うσz座標であり、Grid-1、Grid-2の両方とも、格子数は60、高度約22.3kmで、鉛直グリッドは最下層30mから最大500mまでストレッチさせた。

 シミュレーションの初期条件には、GAME再解析データVersion1.1(0.5度グリッド、鉛直17層、6時間毎)の1998年6、7、8月の雨季のデータを、Mae Chaem流域の周囲、1.5°×1°(北緯17.75°-19.25°、東経97.75°-98.75°)で気温、相対湿度、風速を領域平均・時間平均したものを用い、5日間のシミュレーションを行った。

 モデルで計算された大気プロファイルについて検討した結果、Mae Chaem流域周辺のJJA平均値を初期値として与えたにもかかわらず、各領域におけるGAME再解析データのJJA平均の大気安定度と、数値モデルの大気安定度は比較的一致していた。解析値と比較して、領域によっては大気中層の相対湿度の増加や可降水量の増加、大気下層の湿潤化などが見られるけれども、シミュレーション中で非現実的な加熱や寒冷化は起こっておらず、系全体として5日間の数値実験の期間、準平衡状態を保っていた。

 数値計算の結果、Mae Chaem流域付近の計算領域では以下のような雲・降水メカニズムが見られた。

 1)下層の湿潤な空気塊がモンスーンの西風と山岳による力学的効果によって持ち上げられ、小さな対流雲が山岳の風上側で頻繁に励起する。この雲の雲底高度が2km前後のため、標高2,000m前後の山岳は雲が懸かる状態が頻繁に起こり、かつ比較的長時間継続する。

 2)上空に雲がない場合に、日射による地表面加熱によって日中から夕方に大気が不安定化する。不安定化した大気は夕方に山岳の風上側で積雲を励起し、それが西風によって運ばれ、山岳の風下側で跳水現象と熱的局地循環(谷風)による収束によって積乱雲に組織化して強い降水をもたらす。

 3)上空5、6kmのところで、雲頂における赤外放射による放射冷却により発達した層状雲と、1)のメカニズムで生起する大気下層2、3kmの積雲により、雲の2層構造ができる。短波・長波放射による放射加熱・放射冷却によって不安定化した層状雲から対流活動が生起し、放射-対流平衡が確立される。大気中層の層状雲から生起した対流は大気下層に降水粒子を落とし、その降水粒子は下層の雲を通過する際、水蒸気、雲粒子を集め、強化されて地表に到達する。すなわちSeeder-Feederメカニズムである。

 中層雲で起こる対流は、地域スケールではランダムに生起している。地表降水強度は主に大気中層の対流活動によって決まり、標高の高低による差はあまり顕著ではない。山岳風上側では降水強度の弱い小さな積雲が頻繁に励起する。また、対流が起こる中層雲の融解層の下では、融解と蒸発が空気を冷やし、下層の雲を不安定化させる。不安定化した下層の雲は対流活動が強化されやすい。従って、標高の高いところは降水が励起・持続されやすく、積算値として降雨時間が長くなる。

 これらの雲・降水メカニズムのアンサンブルの結果、標高の高い山岳域で弱い降雨強度の雨が、長い時間持続する傾向が見られた。

 以上の数値計算結果は、5日間の計算結果であるため、Mae Chaem流域という限られた領域に設置された地上雨量計による観測データの1998年、1999年それぞれ5ヶ月間の統計的解析結果とは定量的には直接比較することはできない。しかし、数値計算結果は、観測の解析結果と定性的に非常によく一致している。

 条件を変えた感度実験を行うことによって、標準実験で見られた降水メカニズムには、大気下層の風と山岳による力学的効果、土壌からの蒸発も含む大気下層の非常に湿潤な水蒸気が重要な要素であること、また、大気下層の風速や大気中層の湿度など多少変えても、モデル中で現れる現象は大きく変わらないことが分かった。

 本研究によって、アジアモンスーンの影響下にある東南アジア熱帯山岳地域において、降水頻度と降雨時間が雨季の降水の明瞭な標高依存性をもたらしていることが観測から明らかになり、領域大気モデルを用いた数値計算においても降雨強度ではなく、降雨継続時間が降水の標高依存性をもたらしていること、またその現象を形成する降水メカニズムがどのようなものであるかを明らかにでき、東南アジア熱帯山岳地域における大気-陸面水循環過程の一端を明らかにすることができた。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、これまで詳細な観測がほとんどなかった熱帯山岳域の降水分布特性に関して、綿密な現地調査と数値モデルとによりその実証的な現象の解明を行ったものである。

 まず、全球エネルギー水循環観測計画(GEWEX)におけるアジアモンスーン観測研究計画(GAME)の熱帯モンスーン域観測研究計画(GAME-T)研究の一環として実施された、タイ北西山岳地域、Mae Chaem流域における空間的に密な降水観測に積極的に関わり、1998年以降2002年までのデータが収集され、本論文では1998年と1999年のデータが詳細に解析された。

 こうした熱帯山岳域における日単位よりも時間分解能が細かく、3,853km2のMae Chaem流域に10数箇所という空間的にも相対的に密な降水観測データが得られることは極めて貴重であり、雨季には夕方から夜半にかけてこの地域では降水量が多くなるといった降水日周期の季節変化も見出された。

 中高緯度の山岳域などでは多くの報告事例がすでにある、降水量の標高依存性も確認されたが、本研究ではより詳細な解析が適用された。その結果、この標高依存性をもたらしているのは降水強度の標高依存性ではなく、標高の高いところほど降水継続時間が長く、また、そうした降水イベントの生起回数が標高の高いところほど多いためである、ということが明らかにされた。

 また、こうした関係については平均化時間によって見かけ上異なった結果が得られることも紹介され、本研究に用いられた様な秒単位の転倒時刻が記録される高時間分解能データを用いる有用性の一端が示された。

 こうした降水量の標高依存性がどのようにして形成されているのか、さらに、なぜ平均的な降水強度には標高依存性がなく、降水継続時間や降水頻度に標高依存性があるのか、といった現象のメカニズムを探るため、領域大気数値モデルによる数値解析が行われた。

 数値モデルとしてはRAMSと呼ばれるシステムを利用し、鉛直2次元非静水圧・圧縮モデルとして、バルク雲物理過程が組み込まれた状態で使用された。計算領域はネスティングにより外側は水平解像度4kmで1,680kmの領域をカバーし、その中にMae Chaem流域を中心とする水平解像度0.8km、全体で401.6kmの領域が置かれて計算された。鉛直層数は60層であった。

 1998年6〜8月に関するGAME再解析データの平均値を初期値として5日分のシミュレーションが実行された結果、次のような主に3つの現象が当該領域の降水分布を特徴づけていることが示唆された。

 1.山岳の力学的効果により山体風上側に雲低高度2km程度の小さな対流雲が頻繁に励起され、ちょうどこの雲低高度程度の標高を持つ当該地域の標高の高い部分で雲に覆われ降水が観測されやすくなる。

 2.日周期に伴う山谷風と大規模循環(ここでは夏の南西モンスーン)との相互作用により、風上側で励起された積雲が風下側で発達し、力学的な跳水現象と下層収束とによって強い降水がもたらされる。

 3.大気中層5〜6km付近の層状雲からの降水粒子が、下層雲通過の際に強化されて地表に達し易くなる。

 これらのうち、1.は直接降水頻度の標高依存性に直結し、また、下層雲分布は地形に強く規定されていて、下層雲がない場合には上層雲から落下する降水粒子が途中で蒸発してしまって地表に到達しない状況が見られるなど、3.も降水頻度、継続時間の標高依存性に寄与している。

 本研究での数値実験は5日間の計算結果であるため、雨季平均の観測結果との対応付けは必ずしも適切ではないが、平均降水強度、頻度、継続時間に関してその地形との対応は数値計算結果と現地観測結果とで良い対応をみせ、数値シミュレーション中で示されたメカニズムの現実性が支持されている。

 この様に本研究は、困難な調査を成し遂げて熱帯山岳域における高時間高空間分解能データを取得し、丁寧な解析により降水強度ではなく降水頻度と継続時間とに標高依存性があることを見出し、さらに数値モデルによってそれを再現してそのメカニズムを明らかにするなど、これまで研究が遅れていた熱帯山岳域の降水現象の理解に大きく貢献するとともに、河川流域内の面的降水分布算定手法の改善に資することも期待され、また、長期的には熱帯山岳域の降水パラメタリゼーションの改善を通じて気象予測、気候予測精度の向上にもつながる社会的にも極めて意義深い優れた研究であると評価される。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク