学位論文要旨



No 117945
著者(漢字) 阿部,尚史
著者(英字)
著者(カナ) アベ,タカシ
標題(和) 現場実測による建物の熱損失係数の同定法に関する研究
標題(洋)
報告番号 117945
報告番号 甲17945
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5403号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 坂本,雄三
 東京大学 教授 鎌田,元康
 東京大学 教授 加藤,信介
 東京大学 助教授 平手,小太郎
 東京大学 助教授 佐久間,哲哉
内容要旨 要旨を表示する

 地球温暖化防止・京都会議において合意に達したCO2削減目標を実現するために、政府は様々な施策を展開中である。住宅分野においても、こういった施策は、省エネルギー基準の強化(1999年3月に通称「次世代省エネルギー基準」が告示された)という形で実施されている。また、建築基準法の抜本的改正や、住宅の品質確保の促進等に関する法律の制定などからも分かるように、住宅業界は規制緩和、情報の開示、消費者保護などを取り込んだ新たな業態へ移行することが迫られている。そのような状況の中で、住宅の熱性能は省エネルギーと快適性に影響するという理由から、耐震性能などと並ぶ重要な性能因子として、社会的にも認識が高まっている。

 住宅の熱性能指標としては、省エネルギー基準において採用されている熱損失係数及び日射取得係数が代表的なものであり、関心の高い数値指標になっている。住宅や建築を工業製品として捉えるならば、これらの指標は建築後の実測によってその数値が測定・評価され、それが消費者に伝えられることが、正しい性能表示であると言える。しかしながら、現状においては、上記の品確法に基づく性能表示制度で設計段階における計算値(以下、この値を設計値と呼ぶことにする)のみが表示されているにすぎない。

 これまで、現場実測により、熱損失係数を含めた建物の熱性能を同定する方法について研究が、全く行われていなかったわけではない。昭和50年代にはJIS化を目標としてこの種の研究が行われたことがあった。しかし、・提案されている実測手法が煩雑なものである。・必要な実験期間こ関する考察が不十分である。・得られた同定結果が設計値と大差がないので、実測の必要性が強く感じられ

 ない。といった理由からJIS化には至らなかった。その結果、現場実測による性能表示は現在ほとんど普及していないのが現状である。

 しかし、先に述べたように、近年現場実測によって建物の熱損失係数を同定することの社会的必要性が増している。たとえば、設計値と同定結果の比較についていえば、両者に大差はないという結果は、当時の断熱・気密性が良いとはいえない建物における話であり、現在普及している高断熱・高気密住宅では、これとは違う結果が出る可能性がある。なぜならば、これらの建物では設計図書からは推定しにくい熱橋や施工精度の影響が従前より相対的に大きくなると、予想されるからである。

 また、近年採用する住宅が増加している、通気層が同定結果に与える影響について興味を持った。設計段階での計算では、通気層の熱的性質が明らかではないために、安全側を見て通気層温度を外気温度とみなして計算しているが、外装材の日射遮蔽効果や、通気層温度が外装材や室内側部材の温度の影響を受けることを考えると、それらが熱的抵抗としては作用するはずであり、正確な値を求めようとするならば、それらの影響も加味すべきであると考えられるからである。

 上記の背景と現状を踏まえ、本研究では過去に提案された室温予測式を用いて・断熱性能の違いが同定結果に与える影響・発熱パターンが同定結果に与える影響・必要な実験期間・同定された値を定量的に表す指標の考案・通気層が同定結果に与える影響について、熱損失係数を算出するために必要な未定係数の同定精度を重視するという考え方のもとに考察と検討を行うこととした。

 本論文の構成は以下の通りである。

 第1章は序論であり、上述した本研究の背景ならびに既往の研究との比較を説明した。

 第2章では同定法の概要を説明した。先に述べたように本研究では、室温予測式については既往の研究で提案されたものを使用したが、未定係数を同定する際に新たな手法を提案しており、その説明を行っている。また、後述するように本研究で用いた実験棟は、小規模で且つ隙間換気が無視しうるほど気密性が高く、研究のし易さを目的としてかなり特殊な仕様になっている。そのため、この実験棟だけで良い結果が得られたとしても、その結果は必ずしも住宅全体に当てはまることを保証はしておらず、今後も様々な条件の建物で実験・解析を行う必要があると考えられる。その際に、熱損失係数の同定結果の確度を定量的に表す指標が存在すれば、異なる条件の実験で得られた指標を比較することにより、さらなる問題点が抽出され、今後の研究の発展に寄与することが期待される。このような考えに従い、本研究では上記の指標を提案し、本実験棟での値を算出している。本章では、その指標の理論的背景と計算方法について説明した。

 第3章は実験概要を述べたものである。本研究で使用した実験棟は、室数が3つで2階建てである。外部風は絶えず変動しているが、その影響を受けて換気量も絶えず変動する。したがって、定義に厳密に従うとすると、実際の外部環境では、換気量が変動する分、熱損失係数も変動するということになり、それが同定結果の精度や再現性に影響を与えてしまう。このような問題をできるだけ回避するために、本実験棟では、換気口は設けず、建物もできるだけ気密になるように建設した。また、建物内部(3室あるが、それら全部)、及び、床下、小屋裏が、それぞれできるだけ均一な温度になるように建設した。これは、確かに非現実的な設定であるが、同定精度を高めるためには必要な工夫と思われる。

 また、本研究では発熱パターンの違いが同定結果に与える影響を検証することも課題の一つとしたので、設定した発熱パターン(ステップ発熱とM系列発熱)の特徴についても説明を行った。その他、計測システムの概要ならびに実験スケジュールの説明を行い、同定に必要となるデータを中心に、実測データをグラフで示した。

 第4章では同定結果を表にして示し、第5章で考察を行い、第6章で総括を行った。以下に、結果と考察を示す。(通気層が同定結果に与える影響)

 本研究では、通気層温度を用いて熱損失係数を同定した結果と外装材の表面温度を反映するSAT温度を用いて同定した結果を比較することで、通気層の影響を検証した。

 断熱性能に関わらず、通気層温度を用いた熱損失係数の同定結果よりもSAT温度を用いた同定結果の方が小さな値となり、外装材及び通気層が外界条件に対して熱的抵抗となることが同定結果に反映されることが判明した。また、断熱性能が良くない時に、通気層温度を使用した場合には同定結果の再現性が悪い事が確認され、このことから本実験棟ではSAT温度を用いた方が同定結果の信頼性は高いという結論を得た。(発熱パターンが同定結果に与える影響)

 断熱性能が悪いときのSAT温度使用時の同定結果により、M系列発熱時にはステップ発熱時の同定結果よりも小さな値となることが確認された。理論的には、オンオフを繰り返すM系列発熱時に数多く含まれる発熱直後の立ち上がり、発熱停止直後の立下り時のデータを用いて同定すると、同定結果に何らかの影響を与えることは明らかであるが、その影響の度合いは不明であり、本研究で採用した同定法に表れる熱損失係数以外の未定係数の同定結果を比較することにより、この影響が同定結果の差に現れていることが判った。熱損失係数が小さくなるということは実用上危険側の値であることを意味し、これらの考察などにより、本研究で検討した手法を用いて熱損失係数の同定を行う場合にはステップ発熱で行うべきであるとの結論を得た。(断熱性能の違いが同定結果に与える影響)

 通気層の影響の項で述べたように、無断熱時の通気層温度使用時に、同定結果の再現性が悪いことに加えて、本研究で提案した同定結果の精度を表す指標を検証することにより、断熱性能が良い方が、同定結果の信頼度が高いことが明らかとなった。(必要な実験期間について)

 ステップ発熱を行った実験について、必要な実験期間に関する検討を行ったところ、研究者の間で一般的な小数点第1位までの精度を要求すると、長いものでは必要な実験期間が2日以上であるとの結果を得、本実験棟が研究用であることを考慮に入れると実用的であるとは言い難いと考えられた。ただ、全実験について実験期間と熱損失係数同定結果の関係を表すグラフを検証すると、妥当性を保ちつつ同定結果の精度の条件を緩和できれば、実用的な期間で同定可能となるとの感触を得た。(同定された値を定量的に表す指標の考案)

 本研究で指標として提案した△Q値については、定義より同定結果の確度を表すと共に、本実験により得られた結果から、熱損失係数同定の際に入力となる発熱量の平均値と、雑音となる日射量の平均値との比に関連があると推察され、それらのことから、指標として有用なものになりうると考えられた。

 以上が本論文の要旨である。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、建物の熱性能を現場で測定し、評価するための方法論について、工学上及び実用上の観点から検討・検証したものである。住宅の熱性能指標としては、省エネルギー基準において採用されている熱損失係数及び日射取得係数が代表的なものであり、関心の高い数値指標になっている。住宅や建築を工業製品として捉えるならば、これらの指標は建築後の実測によってその数値が測定・評価され、それが消費者に伝えられることが、理想的な姿と考えられる。しかしながら、現状では、これらの指標は設計図書や材料の熱伝導率等から簡単な計算によって求められる数値(設計値)で表示される程度であり、理想との間に大きな乖離が存在している。設諦直は、多くの仮定や近似の下で算出される数値であり、現実の性能を確実に示すという保証はどこにもない。特に、熱橋における熱貫流のような、1次元伝熱モデルでは精度よく計算できない現象や、袋入り断熱材を挿入した壁体の熱貫流のような、施工の丁寧さが影響を与える現象に対しては、設計値における精確な評価が困難と考えられている。

 上記のような理由から、現場実測による建物熱性能の同定・評価は、以前から工学的にも重要なテーマと考えられており、熱損失係数などの同定についてはかなりの研究が行われてきた。特に昭和50年代には熱損失係数の測定方法のJIS化を目標として、斉藤・松尾らが精力的にこの種の研究を行った。しかし、(1)提案された実測手法が煩雑なものであった、(2)必要な実験期間に関する考察が不十分であった、(3)断熱の効果に対する社会的認識がまだ不十分で現場実測の必要性が強く感じられなかった、などの理由からJIS化には至らなかったその結果、現場実測による熱損失係数の表示は現在でも全く行われていない。

 本論文では、上記のような背景と経緯を踏まえ、現場実測による建物の熱損失係数の同定理諭について精査すると共に、これを実用化するために必要な検討・検証を行ったものである。本論文の構成は以下の通りである。

 第1章は、序論であり、研究の背景ならびに既往の研究について言及したものである。

 第2章は、熱損失係数の同定に関する理論的背景と同定を行うための計算方法について、解説したものである。

 第3章〜第6章では、本研究で行った実験に関する、方法、結果、考察、総括が述べられている。これらの章を通して、以下のことが結論づけられた。(1)近年は外壁の耐久性向上の観点から通気層を設ける工法が増加しているが、同定用の外界条件としては、通気層内の温度より、SAT計の温度の方が信頼性の高い同定結果が得られる。この理由は、断熱レベルが低い場合には、通気層の温度は室温の影響を受けやすく、独立した説明変数とはならないからである。(2)熱損失係数の同定の際に使用する発熱パターンとしては、ステップ発熱が適当である。発熱パターンとしては、ホワイトスペクトルに近い特性を有するM系列発熱が特定の周波数に偏らない問題の少ないパターンと考えられるが、熱損失係数の場合には、M系列発熱よりステップ発熱の方が適切であることが分かった。これは同定される熱損係数が定常成分(周波数成分ではない)に関係した係数であるからである。(3)同じ発熱パターンであれば、断熱性能の違いに係わらず、同定される熱損失係数はほぼ同一であり、同定の信頼性は高い。ただし、部材の熱伝導率の変化や熱伝達率の変化は同定結果に表れる。(4)必要な実験期間については、熱損失係数(単位はW/m2K)の小数点第1位までの精度ならば2日以上、±10%の精度ならば1日以内である。(5)同定結果の確度を示す指標△Qの提案を行った。なお、この指標は入力となる発熱量の平均直と、雑音となる日射量の平均値との比に関連があることが推察された。

 以上、本研究は、現場測定による熱損失係数の同定において課題であった事項に対して、実験を通して実証的な解答を提示し、この実用化に関して大きな寄与したと考えられる。この点において、本論文は建築環境工学の発展にも寄与するものである。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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