学位論文要旨



No 117952
著者(漢字) アロヨ アルバ ペドロ パブロ
著者(英字)
著者(カナ) アロヨ アルバ ペドロ パブロ
標題(和) 画像と建築表面の物質的側面に関する研究 : 画像技術の発展
標題(洋) A Materialistic Theory of Images and Architectural Surfaces : The Evolution of Image Technologies
報告番号 117952
報告番号 甲17952
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5410号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大野,秀敏
 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 助教授 曲淵,英邦
 東京大学 助教授 西出,和彦
 東京大学 助教授 千葉,学
内容要旨 要旨を表示する

研究のテーマ 問題の発見

 私の研究が扱う現象は、「画像表示の技術」と「建築表層」との間にある関係、つまり画像を伴った情報の交換の媒体として建築表層の使用についてである。

 歴史上、多くの建築家の作品や記述によって、この関係が嗜好されたり拒絶されたりする時期-そこで、建築表層上の画像の使用がメタファーとともに明確になる-が現れるということが通常受け入れられている。その動きは振り子のようであり、一方の極ではこの関係を陶酔状態で受け入れ、もう一方の極では道徳的に拒絶する、という具合に変化するよく知られているラディカルなものは以下のように位置づけられる。

 問題提起:私はこの解釈には疑問を感ずる。なぜなら広く受け入れられているこの説明は建築表層とそれが統合している画像のあだに強い階層関係を作ってしまうからである。そこでは建築形態は様式の消極的な受け手であり、画像を作り出す技術は無気力で時間的に静的なものと見なされている。

 言い換えれば、この考えは建設を画像の問題として理解している。神経学の知見からすれば、人間は非常に強い情報の新陳代謝を行っているが、これの大半は視覚的手段である。

 この論文で、私が答を得たいと思っている問題は、建築表層と画像技術の統合を説明する物質的な力の有無である。それは、過大に強調されてきた宣言や様式の問題とは別のものである。何故なら、画像は建築表層と画像技術の統合、そして物質と技術の発展に依存しているからである。つまり、画像は、組み立ての過程としてあるいは材料の配合の新しい質の問題として理解されるからである。

 問題提起に対する答:それは画像技術の発展の進化則を知るなかにあると思われる。この進化則とは画像の生態的システムの挙動を記述するための法則である。この進化論的視点によれば画像も建築も我々の視覚の生態的システムの中では同じレベルにある物的実体である。進化論的パターンが分かれば、両者の交換性とか可能性が判断できるようになる

 素材の異なった系、およびそれが表面に画像を表示するための光を制御するために実験した変形過程、この二つを「画像技術」と定義しよう。画像技術は異なった分野で発展した別々の技術の総合だから、画像技術の一般的進化に関する研究は、共発展、言い換えれば技術の主要要素が相互に働き合っておこる発展にこそ関心を向けるべきである。

 この「画像技術」の定義は、「情報表示」と普通称されるが、私は「画像」というところを強調したい。というのは、画像と関連する技術は、言語の技術とは大きく異なるからである。さらに、「技術」を強調するのは、は「画像処理」と「画像表示」というこの過程の二つの性格をはっきりさせるためである。結果の妥当性:それは我々が視覚環境のダイナミクスをうまく記述することができるかどうかに掛かっている。つまり、過去の状態を解釈できるか、そして新たな発展を受け入れるデザインができるか、更に、渋谷のQ-フロントの映像装置で明らかになった現状の融通のきかない法律に代わる柔軟な変数による景観規制を考え出せるかどうかである。それは我々に、新しい発展を受け入れ、共感することができるようなプロジェクトを可能にするであろう。

既往研究の再検討

 数え切れないほどの著述家が、とりわけ20世紀に多く存在し、コミュニケーション技術の進化一般、あるいは「情報表示」に焦点を当てて論じた。それらが扱うテーマに応じてそれらの理論を分類すると以下のようになる。

 これらの理論の欠陥

1-誤った二重性への現実の還元

2-科学的・技術的用語の叙情的適用における誤り

3-急成長と物理的限界の間にある矛盾

『ラスベガスから学ぶこと』(LEARNING FROM LAS VEGAS).批判的評価。方法。 1972年に出版された本の中で、ロバート・ヴェンチューリは、彫刻的な近代主義的建築モデルである「記号としての建物」に対して「装飾された小屋」という建築の側面を取り戻すことを訴えた。ヴェンチューリは自らの提案の必然性を強調するために、ネオンサインとラスヴェガスの幹線道路の広告と歴史上の事例とを関係づけ「環境のなかの広告」の比較分析を行った。

 彼の意味論的研究では、観察者の知覚の速度と設置された環境の中での広告の働きを調査した。このやり方は技術に対する洞察を欠いていた。技術の欠落を埋めようとして、ヴェンチューリは LLVの続編であると目される2冊目の著作"Iconography and Electronics upon A Generic Architecture"『原型的建築の図像学と電子工学』を執筆したのである。ヴェンチューリは1990年の日本で初めて見た「新しい」屋外ビデオスクリーン見てから、「装飾された小屋」の理論の装いを新たにしたのである。私のアプローチは、永久的な見直しの必要を避けるために"物質主義"になるだろう。そして画像に新しい意味を発生させる物質の組み合わせが、どのように機能するのかを発見しようと試みる。しかし、LLV.におけるヴェンチューリの比較研究の方法論は有益であり、それを私わ分析にも取り入れることになろう。

画像技術の比較分析

 比較分析は本論の問題提起に答をえる分析の道具である。この比較分析の手順は次の四段階である。すなわち、座標系の構築、それぞれの画像技術の代表的な事例の選択、座標系の変数(パラメータ)に基づいた事例の測定と測定結果のグラフの作成である。

1-座標系

 座標軸は空間と時間である。これは、いかなる画像技術へも適用可能である固有な特性と考えられる。「画像空間」は画像め表面として定義される。一方、「画像時間」は、同じ表面に同じ技術を使って表示される連続した画像を作るのに必要な周波数または割合と定義する。これらの変数(空間-領域、時間-頻度)は、いかなる技術にも適用可能である。私の分析にとって、私が批判した前出の理論と同じ道具立てを使用することは、それらの欠陥を明示するために極めて重要である。『ラスベガスから学ぶこと』の中でヴェンチューリは、「環境の中の看板」の歴史的事例と現代的事例を比較するために、スケールと速度という変数を使用している。原理的に言って、彼の変数と私の変数は同じに見えるが、彼の分析が「意味論」であるのに対して私のものは「物質的」である。

2-原型画像、視覚のモデル、視覚閾

 原型画像とは、ある具体的な物理的現実に依存しない画像である。これは理論的枠組みであるが、「視覚閾」で分けられた「視覚モデル」に対応する領域内で座標系がどのように構造化されているかを理解しやすくする。視覚モデルは人間の視覚が知覚の質的変化:固定画像、2次元画像、3次元画像を遂げる領域=頻度の数値の組み合わせである。ダイアグラム上の視覚闘の位置は「視覚の鋭さ」と「みかけの運動」の生理学的定数から導かれ、視覚モデルを幾何学的に記述するを公式によって与えられる。

3-画像事例の選択、測定、および表示。(ダイアグラム参照)

4-直接の発見:画像技術の進化の法則。

 現案の画像事例の測定値を配したグラフを見ると、事例が「アトラクター線」上に沿って集中していることが分かる。「アトラクター線」は顕著な"漸近的"傾向をもちながらも左右逆転できる等方的な場を形成している。この極めて独特な進化的傾向は、以下のように定式化できる。

間接的な解釈:画像技術の運動論的解釈。

1-画像事象の運動理論

 画像技術の画像領域と画像周波数という変数は視覚上の圧力と温度の指標だから、座標系としての空間=時間はまさに、画像を生成する「視覚的事象」の運動論的分析のことになる。この動的な性質は、異なる画像技術の「視覚特性」に新しい意味を与え、視覚事象の「位相ダイアグラム」ともいうべきダイアグラムを説明している。

2-画像エントロピー、画像の熱力学

 空間-時間ダイアグラムの運動論的解釈を拡張すれば、事例の配置表示をしたグラフから読みとれた「傾向」は、いまや「画像エントロピーの増大」プロセスとして再定義することができる。このプロセスは、自然のなかでの進化カの一つであり、画像技術の部分を形成する全てのサブ・システムの中でその加速に気づくことができる。ここまで、各画像技術を代表する事例についての議論が中心であった。今、各画像技術の射程距離を完全に理解するために熱力学の概念である「閉じた系」を導入する必要がある。この「隠れた」第三の軸によって、各画像技術による画像の量を測定することができ、それによって我々は位相ダイアグラムの重心の位置を知ることができる。この重心は動的である。なぜなら重心の位置は、画像エントロピーの増大によって刻々と変化するからである。

研究結果が示唆すること

1-過去の示唆

 モダニズムは建築に対して「画像の絶対零度」とでも呼べるような無装飾のモデルを宣言した。その提案はインターナショナル・スタイルの時代にはある一定の成功を収めたが、絶対零度などは存在しないと主張する「視覚の熱力学」の第三の法則と大きな矛盾に逢着する。私の分析を読めば、ロースの著作『装飾と罪悪』は、装飾に対しての非難としてではなく、より効率的で速度の速い画像技術を求めていたのだと再解釈することも可能になる。もう一つの私の分析の意味合いは、ヴェンチューリの方法を統合することである。彼のラスベガスについての調査及びその後の『原型的建築の図像学と電子工学』の中で行った技術論的な改訂は、我々が画像技術の位相ダイアグラムのなかで議論した視覚環境の全体から見ればその一部分である。

2-現在の示唆

 エレクトロニクスの妙技を賞賛する現代の陶酔的なメタファーに関して、私の分析は矛盾する回答を提示する。一方で"視覚の持続"の閥の背後で画像技術の進化はとどまっており、三次元ビデオの視覚閾または気体的振る舞いへと接近していることを認識するのである。現在のところ多くの応用例は存在しないが、獲得されつつある結果はとても見込みがある。例えば、MITによって開発されたビデオ・ホログラフィのプロトタイプの画像サイズは、1925年にBairdによって製作された最初の電気機械技術であるテレビの画像と同じサイズに至っている。

3-未来の示唆。気体的動向。

 もしある画像の動きを定義する残りのパラメータ、すなわち"重さ"、"エネルギー消費"、及び"照明能率"を考慮するならば、ダイアグラムに於ける空間や圧力の軸もまた動向の指標となる。これらのパラメータは、画像領域の直接的な機能であり、それら自身の中で相互依存的である。これらのパラメータの将来の発展についての予測は、視覚閾の幾何学との組み合わせで、画像テクノロジーの進化を"マイクロ画面"、GPS、"ワイヤーレス"などとは正反対の方向へと促進させる。最終的にいかなるテクノロジーの主要な目的も、可能な限り、より大きな数の人々の視覚の円錐と交差する。これは2つのオプションが存在する。

装飾とプライバシー。カスタマイズされた視覚の現実。

 実践的には、テクノロジー・システムが、散らばった源泉から集中的ではないある一人の視聴者へ、個人的な形式で、いつでもどこへでも高い信懸性を持った画像を表示することができるという状況は極めて早急に実現可能であろう。重要なことは、悪い呼称である"仮想的"現実と"現実的"現実のいずれかを選ぶ必要がなくなるだろうということである。我々は"共有された"現実の上に"カスタマイズされた"個人的な現実を連続的に重ねることが可能となるであろう。"増幅された"現実と命名されたものは、パラドックスに満ちた道程の始まりの部分でしかなく、行く先には多くの心理学的挑戦が待ち受けている。

 この潜在的に多様な視覚のエコ・システムの中で、建築の表層に於ける画像の関係を規制する権威主義の規則は何の意味も持たない。それらは、硬直したパラメータを画像の動的な進化に従って柔軟に変えなければならないだろう。建築では、古典的な"立面"の概念は、とうの昔に"リアルタイムの立面"という奇妙なエレクトロニクス的コンセプトに取って代わられた。テクノロジーの進化の発展は、この最新のコンセプトを"個人的立面"、つまり時間だけではなく空間の中で多目的な視覚の周辺環境であり、それぞれ個人によって異なる立面へと交代させるであろう。ここで、物理学の"不確定性理論"を応用することができる。"視覚のシステムの慣性を知ることは可能であるが、同時にその位置を知ることはできない"。我々の場合に於ける違いは、逆の状況はあり得ないということである。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、建築の表層を画像表示のための仕組みであると見なすという視点から、建築の発展を、画像表示技術の発展として統合的に再定義しようという試みである。ここで言う、画像表示は、現在の電子画像の表示は当然として、ゴシックのファサードを飾る石の彫像もキャンバスに描かれた油絵も、ネオンサインも含む広い概念である。建築の表層を両像表示の技術と見なす見方そのものは、ある意味では伝統的な表層の問題、あるいは装飾の問題を言い換えたに過ぎないように見えるが、申請者の視点の創意は、これまでの議論が専ら様式論のなかで価値的に議論されてきたのに対して、物質的な技術問題に還元したところにある。それを申請者は「この論文で、私が解決したい問題は、建築表層と両像技術の統合を説明する物質的カの存在である。それは、過大に強調されすぎてきた宣言や様式問題とは独立したものである。何故なら、画像は建築表層と両像技術の統合が物質と技術の発展に依存しているからである。つまり、画像を組み立ての過程として、材料の配合の質の問題として理解することである。」と表現している。

 そのような視点に立つとこれまでの画像技術に関連する議論は数々の欠陥を持つことになる。それは、人文系の論者に多い欠陥として、現実を正反対で対立し合う極に、例えば、「リアル/ヴァーチャル」、「固体/液体」などであり、これによって、我々の複雑な現実の一部となっている中間的状態がもつ豊かさが削ぎ落とされてしまうとする。また、科学的・技術的用語の叙情的適用における誤りも散見されるという。一方、科学技術系の論者には、技術の級数的発展の信奉者が多く、パラダイムシフトは進化の速度を加速し続けるという信念で永遠に進化が続くようなことを喧伝する。しかし、この理論は希望的思惑にすぎないとする。こうした理論に比べて、アメリカの建築理論家ロバート・ヴェンチューリの提示した現代都市の装飾に関する理論は示唆的であるとし、申請者は批判的に継承している。即ち、ヴェンチューリの理論が意味論であったのに対して、申請者の理論は物質的であり、ヴェンチューリの用いた、空間(画像の大きさ)と時間(観察者の移動する速度)を空間(画像の大きさ)と時間(画像が生成する速度)に置き換えて、この二つのパラメータで画像技術を統一的に記述しようとしていることである。具体的には、最初に、この二つを縦軸(単位:面積、m2)と横軸(単位=時間、秒)とするグラフを作る。このグラフを参照系と呼んでいるのは、あらゆる両像技術がこのグラフ上に理論上で特定の位置を占めることになるからである。では、あらゆる場所に布置されるのかというとそうではない。画像は知覚されるものなのである以上、人間の目の能力に左右される閾値が存在するはずである。そこで申請者は原型的画像表示(Generic Dispaly)の概念を導入し、固定画像、2次元両像、3次元画像の3つの視覚モデルに対応する閾を計算によって求められ、グラフに布置可能な範囲が明示される。こうして得られグラフ上に、詳細に検討された38種類の画像技術の具体的事例が、それぞれの空間と時間の固有の値を座標とする位置に記される。こうして得られたグラフは明快な傾向を表しており、有史以来人間が発明した各種の画像技術の進化論的傾向が読みとれる。

 このように、本論は、画像生成の問題を技術的、物質的な問題に還元することで、あらゆるタイプの画像技術を比較するという野心的な試みであるが、過去の技術について丹念に調査分析を進め、画像技術の総譜ともいうべき壮大な図を得ている。また、人間の知覚に対する深い理解をもとに、理論的な条件を設定しているが、これも実例によって有効性が確認されている。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる

UTokyo Repositoryリンク