学位論文要旨



No 117953
著者(漢字) 廉,成坤
著者(英字)
著者(カナ) ヤム,ソンゴン
標題(和) 遮音性能測定における暗騒音の影響の低減
標題(洋)
報告番号 117953
報告番号 甲17953
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5411号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橘,秀樹
 東京大学 教授 加藤,信介
 東京大学 教授 坂本,雄三
 東京大学 助教授 大岡,龍三
 東京大学 助教授 坂本,慎一
内容要旨 要旨を表示する

 建築音響の分野における音響伝搬測定としては,室内音響における種々の測定方法と並んで,遮音測定が挙げられる.遮音測定は,実験室実験として残響室-残響室法による音圧法を用いた音響透過損失の測定,残響室-無響室法による音響インテンシティ法を用いた音響透過損失の測定,現場測定として二室間あるいは特定場所間の遮音性能の測定などいろいろな種類がある.

 二室間の遮音性能の測定する際には,ほとんど音源側では問題がないが,受音側では多かれ少なかれ暗騒音(Background or Extraneous Noise)の影響を受ける.暗騒音としては,外部騒音(交通騒音,鉄道騒音など)がよく問題になるが,受音系の自己雑音が問題となることもある.特に,遮音性能が高い場合や暗騒音が高い場合の測定では暗騒音の影響によってしばしば測定に限界が生じる.これらの遮音測定における重要な問題の一つは,暗騒音の影響の低減すなわちS/N比の改善である.たとえば,二つのホールが近接して立てられる場合,それらのクロストークを押さえるために遮音性能の高い構造が設計されても,出来上がった実際の遮音性能を測定することが不可能になることがある.この場合その遮音構造の真の遮音性能を押さえることができず,場合によっては過剰設計をしている可能性もある.従って将来,測定技術の蓄積のためには,暗騒音の影響を低減し,劣悪なS/N比の条件でも精度よく測定できる測定法を開発しておく必要がある.

 遮音測定におけるこれらの問題を改善する方法としては,種々の信号処理手法を用いた音響測定法を遮音測定に応用することが考えられる.この方法により通常,測定が困難になる高遮音性能に対する遮音測定,あるいは暗騒音レベルが高い音場における遮音測定を行う際に,特に受音側で問題となる暗騒音の影響を低減させる可能性がある.

 本研究では,今まで多くの研究者らにより開発・提案されてきた種々の測定技術・信号処理技術を遮音測定に応用し,暗騒音の影響の低減効果を実験室実験により検討した.まず,模擬的な実験室実験として,暗騒音が定常騒音・変動騒音(道路騒音)の場合,様々なS/N比条件を変化させたときの測定精度について検討した.

 次に,各測定法による実験室実験結果の妥当性を検証するため,理想的な完全線形時不変性の仮定での数値実験を行った.数値実験は同期積分法,M系列変調相関法,TSP法を用い,暗騒音が定常騒音・変動騒音の場合に音場のS/N比・計測時間を変化させた時にその影響を検討し,実験室実験およびフィールド測定結果の妥当性を検証した.また,インパルス応答測定法については,暗騒音の影響を低減する方法として継続時間を長くすることによりエネルギーを増大させるLong-TSP Signalの適用性について検討した.

 最後に,通常,測定が不可能になる複合施設内に併設される大-小ホール間の遮音測定,高遮音性能を持つ高遮音壁の遮音測定および音響実験室における高遮音性能の測定に様々な測定法を適用し,高遮音性能のフィールド測定を行った.本論文の構成を以下に示す.

 第1章では,本論文の全ての章において用いる測定手法である,同期積分法,M系列変調相関法,TSP法,MLS法,TSP法およびTSP法の一種であるしLong-TSP法の理論的考察および既往の研究について概説を行った.また,音響透過損失測定によく用いられる,音響インテンシティ法の応用として,同期積分手法および音圧インパルス測定手法を用い,音響インテンシティ測定における暗騒音の低減についてまとめた.

 第2章では,本論文の主目的である1章に述べた各測定法による遮音測定における暗騒音の影響の低減効果を検討するため,模擬的な実験室実験を行った.模擬的な実験として,残響室(音源室)-半無響室(受音室)において,音源室内1点と受音室内1点の間の特定場所間音圧レベル差を求め,各測定法による測定結果をS/N比が十分な時の通常法の測定結果と比較した.暗騒音としては定常ランダムノイズ(Stationary Random Noise:SRN)および変動騒音として道路騒音(Road Traffic Noise:RTN)を対象とし,受音側のS/N比を5段階(S/N+5dB〜-15dB)に変化させたときに暗騒音の影響の低減効果およびその適用可能性を検討した.通常法による音圧測定において,測定不可能な条件,すなわち透過音レベルより暗騒音レベルが大きい条件においても各種測定法を適用することにより,精度よく測定できることが確かめられた.その効果は暗騒音が定常騒音であれば音場のS/N比が約-10dBにおいても暗騒音が十分な時の通常法の測定結果との差が±1dB以内となった.また,暗騒音が変動騒音の場合にはその誤差が大きくなる結果となりS/N比が約0dB(透過音と暗騒音が同パワー)の条件で±1dBの誤差で測定できた.信号処理技術を用いた各測定法を遮音測定に適用した結果,劣悪なS/N比の条件において暗騒音の影響を低減し,精度よく測定できることが示された.

 第3章では,本論文に用いた測定方法の妥当性・適用性を検証するため,完全線形時不変性の仮定での数値実験を行った.同期積分法の数値実験では音源信号としてランダムノイズ(White Noise)を用い,暗騒音として定常騒音(音源信号と完全無相関のWhite Noise)と変動騒音(変動特性が異なる3種類の録音された道路騒音)を検討対象とした.計算時間は1時間とした.同期積分法の数値実験は音場の音源信号の断続時間・計測時間を変化させS/N比0dB〜-30dBの条件で数値実験を行った.その結果,暗騒音が定常騒音であれば,数値実験ではS/N比約-20dB前後の条件下でも精度よく(±1dBの誤差)測定可能であることが確かめられた.変動特性が異なる3種類の道路騒音を対象とした数値実験では,音源信号の断続時間,平均化時間による測定精度について検討を行った.また,測定途中に突発的な騒音が発生した場合には大きな測定誤差の原因となり,数値実験のおける突発的な暗騒音を除去する方法について検討した.

 M系列変調相関法は,多くの研究者らにより検討されてきた測定方法であり,音場の時変性に強いという利点が挙げられてきた.既往の文献では,バイアスが生じることは記述されているものの,文献内の記述では,マイナスのバイアス値を持った三角形パルスの応答であり,またこの手法は外来ノイズの影響を完全に受けないとなっていた.本研究では,このノイズバイアスの影響について再考察を行い,音源信号および暗騒音の変動特性により得られるエネルギーインパルス応答の底辺に必ずノイズバイアスが生じ,測定結果に影響することを明らかにした.このエネルギーインパルス応答のノイズバイアスを除去することによりさらにS/N比を改善することができる.M系列変調相関法の数値実験は,暗騒音として定常騒音を対象とし,計測時間・音場のS/N比を変化させたときに得られるエネルギーインパルス応答のS/Nについて検討した.その結果,音源信号と暗騒音が同パワー(S/N比=0dB)の条件において計測時間400秒で約30dBのS/N(三角形のエネルギーインパルス応答のPeak値とノイズバイアスを除去した後,変動成分のRMS値との比,Peak/RMS)が得られ,劣悪な条件で精度よく測定できることが確認された.実際の測定では,測定時間の制約から時間有限であるため,S/N比が良好な条件においても音源信号の変動特性により,必ずノイズバイアスが生じ,その点に注意すべきである.

 TSP法の数値実験は実験室実験およびフィールド測定結果の妥当性を検証するため,本論文において定義した衝撃性信号と定常性信号のS/N比(全周波数帯域の音源信号の実効値一定)を0dB〜-30dBに変化させ,継続時間が異なる4種類のTSP信号を用いて検討した.その結果,継続時間を長くすることにより等価的なエネルギーを増大させることができ,暗騒音の影響を低減する効果が確認された.インパルス応答から得られる二乗波形でのS/N(インパルス応答のPeakと暗騒音による変動成分のRMS値の比,Peak/RMS)が約20dB程度求まれば,精度よく測定できることが確かめられた.また,非常に継続時間の長いLong-TSP信号(1kHz帯域,継続時間約3分)を用いることにより,さらにS/N比の改善効果が得られ,非常に劣悪な条件における測定できることが示された.

 第4章では,本論文で用いた遮音測定法を実際,測定が困難である高遮音性能の測定,S/N比が劣悪な条件における遮音測定を行った.現場での遮音性能を測定する場合にはスピーカの出力などの制約からある以上の音源パワーを得ることが困難であり,暗騒音レベルが高い場合には真の遮音性能を測定することが不可能となることがよくある.本論文で用いた同期積分法,M系列変調相関法,TSP法および継続時間の長いLong-TSP信号を適用することにより,通常,測定不可能な高遮音性能の測定が可能となった.音響実験室における遮音測定では,遮音性能が非常に高く,暗騒音レベルも高い条件でも非常に長いLong-TSP信号を用いることにより測定が可能となった.また,複合施設内に併設される大-小ホール間の遮音測定や音響実験室のような高遮音性能が要求される施設など,測定法を用いることにより高遮音性能の測定が可能であることが示された.

 第5章では,以上の成果を取りまとめた.

審査要旨 要旨を表示する

 「遮音性能測定における暗騒音の影響の低減」と題するこの論文では、建築音響の分野における重要な測定である遮音性能測定の精度を高めることを目的とし、種々の信号処理技術の適用によって測定時に問題となる暗騒音の影響を低減する手法について理論的、実験的に行った検討の結果をとりまとめている。

 まず第1章では,本研究で用いる信号処理手法として、これまでに音響測定法として提案されている同期積分法、M系列変調相関法、TSP(Time Stretched Pulse)法、MILS(Maximum Length Sequence)法について、理論的に整理している。特にM系列変調相関法については、新たにノイズバイアスの発生を理論的に示している。また,音響パワーレベル測定などに最近用いられるようになった音響インテンシティ法の遮音測定への適用に関して、同期積分手法および音圧インパルス測定手法と組み合わせることによって暗騒音の影響を低減する手法を新たに提案している。

 第2章では,第1章に述べた各測定法による遮音測定における暗騒音の影響の低減効果を基礎的に検討するために、実験室実験によって予備的な検討を行った結果について述べている。すなわち、残響室および半無響室をそれぞれ音源室、受音室に設定し、それぞれの室内に1点ずつ設定した測定点間の特定場所間音圧レベル差を測定対象として、人工的に付加した暗騒音(定常ランダムノイズおよび道路交通騒音の録音信号)のレベルを段階的に変化させながら、各信号処理手法を適用したときの測定精度について、暗騒音がない場合の測定結果との比較によって調べている。その結果、手法によって効果は異なるが、いずれの手法によっても通常の測定手法では測定不可能となる暗騒音の大きな条件でも、その影響を大幅に低減できることを示している。

 第3章では、遮音測定における暗騒音の低減について、数値実験によって各信号処理法の効果を調べた結果をとりまとめている。この検討では、第2章における検討と同様に、暗騒音として定常ランダムノイズと道路交通騒音の録音信号を用い、測定信号に対するそれらの相対レベルを段階的に変化させながら、同期積分法、M系列変調相関法、TSP法および継続時間を長くしたTSP信号を用いる方法による暗騒音の低減効果を調べている。その検討の結果、第2章の結果と同様に、信号処理手法の種類によって効果は異なるが、いずれの手法によっても暗騒音の影響による測定誤差を大幅に低減できることを示している。

 第4章では、本研究で対象としている信号処理技術の適用による暗騒音の影響の低減効果について、実音場における実験結果をとりまとめている。その内容としては、同一施設内に併設されている大ホールと小ホールの間の遮音性能、残響室-残響室法による建築材料・構造の音響透過損失測定および高遮音性能を有する音響実験室と周辺空間の間の遮音性能について、本研究で対象としている各種の信号処理技術を適用し、それらの効果を確記している。

 最後の第5章では、本研究の成果のとりまとめとして、遮音測定における同期積分法、M系列変調相関法、TSP法、MLS法の適用可能性およびそれぞれの手法の効果について述べている。

 遮音性能の測定は、建築音響・騒音分野においてきわめて重要であるが、実際の測定現場では環境騒音など各種の暗騒音の影響によって測定精度に限界が生じる。それを克服するための手法の開発は、この分野ではきわめて重要なテーマである。その意味で、本研究はきわめて効果的な手法を提示しており、工学的な意義は高い。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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