学位論文要旨



No 117955
著者(漢字) 小熊,久美子
著者(英字) Oguma,Kumiko
著者(カナ) オグマ,クミコ
標題(和) 水中の健康関連微生物の紫外線不活化と回復
標題(洋) ULTRAVIOLET INACTIVATION AND REPAIR OF HEALTH-RELATED MICROORGANISMS IN WATER
報告番号 117955
報告番号 甲17955
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5413号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大垣,眞一郎
 東京大学 教授 矢木,修身
 東京大学 教授 味埜,俊
 東京大学 助教授 三谷,啓志
 東京大学 講師 片山,浩之
内容要旨 要旨を表示する

 水処理における消毒方法の一つとして、紫外線照射による消毒が実用化されている。紫外線消毒は、薬品添加を要しない、副生成物を生じない、運転管理や既存施設への導入が容易である等の長所を有し、特にアメリカやヨーロッパ諸国において実浄水場および実下水処理場での稼動例が多い。加えて、養殖漁業設備、水泳・水浴施設や噴水等の修景用水への適用例も増加してきている。紫外線消毒が普及した歴史的背景には、塩素消毒における消毒副生成物や残留塩素の毒性に対する社会的関心の高まりがあり、したがって紫外線は塩素の代替消毒手法のひとつという位置付けが主であった。しかし近年、塩素耐性の強いウイルスや寄生虫オーシストに対して紫外線処理が優れた消毒効果を示すとの知見が蓄積されており、さらに紫外線照射装置の性能向上による経済的メリットなどが得られるようになった。これに伴い、積極的に紫外線消毒を採用する動きが見られつつある。

 日本では、衛生上の措置として水道給水の遊離残留塩素濃度0.1(mg・τ1)以上が義務づけられているため、紫外線単独による水道給水の消毒はなされていない。しかしながら、浄水処理工程での前・中塩素処理を紫外線処理で代替することにより、処理工程において生成するトリハロメタンなどの消毒副生成物の量を低減する試みが検討されつつある。また、下水処理においては、処理水の残留塩素濃度下限値が規定されていないため、紫外線単独による消毒がなされている。現在、国内の20を超える下水処理場において紫外線消毒設備が稼動しており、その数は年々増加する傾向にある。特に、希少生物の生息区域や養殖漁業区域を放流先とする下水処理場において、塩素消毒を紫外線消毒に代替する例が多い。

 光の生体影響は、その波長によって作用機序の異なることが知られている。短波長の紫外線(UV-CおよびUV-B:200-320nm)は、生物の核酸塩基上にピリミジン二量体などの損傷を生成し、正常な代謝・自己複製能力を妨げることで生物を不活化する。一方、長波紫外線UV-A(320-400nm)では、細胞内物質の励起により活性種を生成して間接的に生体に影響する反応が主である。一部の生物は、短波長紫外線による核酸損傷を修復することが知られている。そのような修復機構のうち、光依存性の機構が光回復であり、その他の光に依存しない機構を一般に暗回復と称して区別している。光回復とは、ピリミジン二量体に特異的に結合する光回復酵素が、近紫外線から可視光線にかけての光のエネルギーを利用して二量体を開裂させ、もとの塩基配列に復帰させる現象である。一方暗回復は、ピリミジン二量体に限らずほとんどの遺伝子損傷を修復することが出来るが、その修復速度は光回復に比べて一般に遅い。回復により、生物は正常な代謝と自己複製能を取り戻す。すなわち、回復が進行すると紫外線照射後の生物が再び活性化し、消毒効果を低減してしまう危険性がある。特に下水処理に紫外線処理を適用する場合、不活化後の微生物が太陽光に曝されるため、処理後の光回復現象を考慮しないと十分な消毒効果を維持できない危険性がある。よって、回復の定量的評価は、紫外線消毒における重要な工学的課題である。

 従来、紫外線不活化および回復の評価には対象微生物の培養を基本とした測定方法が用いられてきた。微生物の水質基準がほぼすべて培養法の測定値で規定されていること、さらに、培養法が概ね病原性や生残性を反映することを考えると、培養法による消毒効果の評価は必須である。一方、紫外線による不活化および回復が主に遺伝子損傷の生成と修復に起因することを考えると、遺伝子損傷そのものの定量も紫外線処理の評価に重要であることが指摘できる。本研究では、培養法による生残性/感染性の測定に加え、Endonuclease Sensitive Site(ESS)法による遺伝子損傷の測定を行った。ESS法は、放射性同位体を用いることなくDNA上のピリミジン二量体を測定する方法として既に確立された手法であるが、生物の生残率とピリミジン二量体数の相関を検討した研究は乏しく、また、水の紫外線消毒の評価に用いられた例は皆無であった。本研究では、ESS法が水中微生物の紫外線消毒処理の評価に適用可能であるかどうか、その定量性を含めて議論し、その手法としての有効性を明らかにした。さらに、ESS測定結果と培養法測定値を定量的に比較することで、紫外線不活化および回復を二面的に評価・把握することに努めた。

 紫外線消毒の普及に伴い、紫外線処理装置の開発が進められてきた。低圧紫外線ランプは、「殺菌灯」と称されるとおり殺菌に最も有効な波長254nmの紫外線のみを放出するランプで、ランプヘの水銀の封入圧力が比較的低い(水銀蒸気圧0.67Pa)ことからその名が付けられている。一方中圧紫外線ランプ(水銀蒸気圧1.0-2.0Pa程度)は、200-600nmの広範な波長の紫外線を放出するランプである。従来、比較的安価で入手が容易な低圧ランプを備えた紫外線消毒装置が主流であったが、光源の容量制約などの問題から小規模処理施設での利用に限定されていた。一方、近年の技術開発に伴う中圧ランプの低廉化や高性能化により、光源容量の大きい中圧ランプによる紫外線消毒設備が普及しつつある。

 ここで、波長による生体影響の違いを考慮しつつ紫外線ランプの別について考えると、UV-Cのみを放出する低圧ランプによる不活化および光回復に比べ、UV-C,UV-B,UV-Aおよびさらに長波長の光を幅広く放出する中圧ランプの不活化・光回復特性は複雑であることが予想される。特に、中圧ランプ放出波長に含まれるUV-Aは、生物の不活性化を起こしうる一方で光回復に有効な波長であり、‘消毒'よりも‘回復'に寄与する可能性も指摘できる。そこで本研究では、中圧紫外線ランプの不活化および光回復の特徴について、低圧ランプとの比較から明らかにすることを試みた。特に波長の影響を詳細に調べるため、Pyrexガラス板および光学フィルタによる中圧ランプ放出光の波長分画を行い、不活化および光回復特性に影響を及ぼす不活化波長についての議論を展開した。

 紫外線の消毒効果に影響を及ぼす因子として、不活化波長のほかに対象微生物の別が挙げられる。異なる種の生物は紫外線感受性や回復能力の異なることが知られており、進化分類学的に近縁な生物でも類似性を示さない場合がある。よって、処理対象として重要な健康関連微生物、すなわち指標微生物や病原性微生物については、個別に議論することが望まれる。本研究では、消毒の指標細菌の一つであるEscherichia coliとの比較から、病原性徴生物Cryptosporidium parvumおよびLegionella pneumophilaの不活化・回復特性を明らかにした。

 C.parvumは、人や哺乳動物に感染して激しい下痢を引き起こす病原性原虫で、水系を介した集団感染事例が日本を含む世界各国において多数報告されている。近年、C.parvumの不活化に紫外線が有効であるとの知見が蓄積されつつある一方、その回復能力については既存の研究に乏しい現状にあった。本研究では、C.parvumの低圧紫外線消毒における不活化および回復について、ESS法およびマウス感染試験による定量を行い、C.parvumの感染性は比較的低照射量の紫外線によって不活化され、しかも回復しないことを示した。

 L.pneumophilaはレジオネラ症を引き起こす病原細菌で、給湯設備、冷却塔、プール/温泉水などからの検出事例が多数報告されている。紫外線によるLegionellaの消毒は利用設備ごとに個別に行われることが多く、特に給水蛇口やシャワーヘッド内部など使用位置直前に導入することが推奨されているが、この場合紫外線照射直後に室内光や太陽光に曝されて光回復を起こす可能性が懸念される。そこで本研究では、L.pneumophilaの低圧および中圧ランプによる紫外線不活化とその後の回復をE.coliとの比較から測定・議論することとした。その結果、L.pneumophilaの光回復能力はE.coliに比べて高く、特にE.coliの光回復を大幅に低減する中圧ランプで不活化した場合でもL.pneumophilaは短時間に大幅な光回復を示すことを明らかにした。

 さらに、紫外線による不活化および回復に影響を及ぼす潜在的因子として、処理対象水の水質を想定した。修士論文研究の発展として、酵母エキス由来物質によるE.coliの光回復抑制効果について定量的に議論し、ピリミジン二量体の修復には直接影響せずに生残性の回復を阻害する物質が酵母エキス成分中に含まれる可能性を指摘した。その際、デオキシコール酸感受性からE.coliの膜損傷を推定する議論も展開した。加えて、実河川水を用いたE.coliの不活化および回復実験を行い、実河川水中では緩衝液を用いた実験系で観察されるほどの光回復は生じないことを指摘した。

 本研究により、水中微生物の紫外線不活化および回復において、(1)ESS法が遺伝子損傷の消長を定量する手法として有効であること、(2)不活化光の波長が不活化および回復特性に影響を及ぼすこと、(3)異種の微生物は不活化および回復において異なる挙動を示すため注意を要すること、(4)実河川では実験室レベルで観察されるほどの光回復は生じない可能性が高いこと、が示された。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、ULTRAVAIOLET INACTIVATIONAND REPAIR OF HEALTH-RELATED MICR00RGANISMS IN WATER(水中の健康関連微生物の紫外線不活化と回復)と題し、水の紫外線消毒における微生物の不活化効果とその後の光回復に関する研究をまとめたものである。14章から構成されている。

 第1章「Research Objective and Strategy」では、紫外線を用いた水処理に関するこれまでの歴史と日米欧における現況、および、その長所について説明している。とりわけ、塩素耐性の強いウイルスや寄生虫オーシストに対して紫外線処理が優れた消毒効果を示すとの知見、および、紫外線照射装置の性能向上による経済的メリットから、積極的に紫外線消毒を採用する動きがあることを説明している。一方で、紫外線で不活化された微生物が光回復などにより生残性を取り戻す現象について説明し、紫外線消毒に関する研究の必要性を示している。

 第2章「Biological Background and Literature Review」では、光の生体影響とその作用機序について、先行研究をまとめている。短波長の紫外線(UV-CおよびUV-B:200-320nm)は生物の核酸塩基上にピリミジン二量体などの損傷を生成し、長波紫外線UV-A(320-400nm)は活性種を生成して生体に影響する。一部の生物は、短波長紫外線による核酸損傷を修復することが知られており、光依存性の光回復について説明している。

 第3章「Engineering Background and Literature Review」では、紫外線処理の水処理への適用について取りまとめている。低圧水銀ランプおよび中圧水銀ランプを用いた紫外線消毒装置について、欧米での上水道および下水道における適用例を中心に述べている。また、塩素消毒と紫外線消毒を様々な角度から比較して論じている。

 第4章「Terminology for Inactivation and Repair」では、本論文で用いられている用語について説明している。

 第5章「Methodology」では、研究で用いた実験方法を説明している。核酸塩基上のピリミジン二量体を定量する手法であるエンドヌクレアーゼセンシティブアッセイ(ESS)法、紫外線線量率の測定法およびその他の実験方法について説明している。第6章「UV Inactivation,Photoreactivation and Dark Repair of Escherichia coli and Cryptosporidium parvum」では、クリプトスポリジウムおよび大腸菌の紫外線による不活比とその光回復について、ESS法および培養法によって実験的に調べた結果をまとめている。クリプトスポリジウムはピリミジン二量体を修復するものの感染力を回復しないことを明らかにした。第7章「Photoreactivation of Escherichia coli Subsequent to Low- or Medium-pressureUV Lamp Disinfection」では、低圧水銀ランプと中圧水銀ランプを光源とした紫外線消毒における光回復について調べた結果をまとめている。大腸菌を用いた場合、中圧水銀ランプを用いて99.9%不活化した場合には光回復が見られず、低圧紫外線と異なることを示した。

 第8章「Spectral Sensitivity of Escherichia coli in UV Inactivation and Photoreactivation」では、紫外線の異なる波長とその不活化効果およびその後の光回復について調べている。紫外線を波長分画するフィルターを用い、中圧ランプを光源とした不活化およびその後の光回復について、ESS法および培養法の結果を定量的にまとめている。

 第9章「Photoreactivation and Dark Repair of Legionella pneumophila Subsequent to Low- or Medium-pressure UV Lamp Disinfection」では、低圧ランプおよび中圧ランプを用いたレジオネラの不活化およびその後の光回復について実験結果をまとめている。ESS法と培養法を用いて評価した結果、大腸菌とは異なり、レジオネラは中圧紫外線で不活化された後にも光回復能を有することを示した。

 第10章「Comparison of E.coli, L.pneumophila nad C.parvum in Respect of UV Inactivation, Photoreactivation and Dark Repair」では、大腸菌、レジオネラおよびクリプトスポリジウムの紫外線による不活化およびその後の回復について考察している。ESS法では暗回復が見られるのに対して培養法では暗回復が見られないことについて説明を与えている。

 第11章「Repressive Effects of Yeast Extract on Photoreactivation of Escherichia coli」では、酵母エキスによる光回復の抑制効果について記している。特に、分子量1000から3500の分画に含まれる物質が、ピリミジン二量体の修復は阻害しないものの光回復を抑制していることを示した。

 第12章「Potential Photoreactivation of Escherichia coli in River Water」では、河川水中における大腸菌の光回復のポテンシャルについて考察を加えている。実河川水を用いた大腸菌の不活化および回復実験を行い、実河川水中では緩衝液を用いた実験系で観察されるほどの光回復は生じないことを指摘した。

 第13章「Conclusions and Suggestions」では、本研究で得られた結論をまとめている。

 第14章「Considerations for Future Work」では、本研究の成果について留意すべき点と今後の課題について述べている。

 以上のように本論文は、水の紫外線消毒における微生物の不活化効果とその後の光回復を定量的に評価したものであり、都市環境工学の学術分野に大いに貢献する成果である。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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