学位論文要旨



No 117960
著者(漢字) 井上,修平
著者(英字)
著者(カナ) イノウエ,シュウヘイ
標題(和) FT-ICRによる金属・炭素クラスターの生成と反応
標題(洋)
報告番号 117960
報告番号 甲17960
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5418号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 丸山,茂夫
 東京大学 教授 庄司,正弘
 東京大学 教授 松本,洋一郎
 東京大学 助教授 手崎,衆
 東京大学 助教授 高木,周
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

 1991年に発見されたカーボンナノチューブは炭素原子の6員環と5員環で編まれたネットワーク構造をもち,単層のナノチューブ(SWNT:single-walled carbonnanotube)と,複数のチューブが入れ子状になった多層ナノチューブ(MWNT:mu1ti-walled carbonnanotube)の2種類に分類される.直径は単層ナノチューブで0.7〜2nm程度,多層ナノチューブの場合4〜100nm程度で,長さは数mmに及ぶ.カーボンナノチューブはその幾何学的構造に基づく,様々な物理・化学的性質から新しい材料としての応用が期待されており,ナノテクノロジーの代表的な新素材である.

 一方,フラーレンの発見と同時に予想されていた金属内包フラーレン(金属原子をフラーレンケージ内に内包したものも,その後量的な生成と単離が可能となり,理論面からの研究と例えばMRIの造影剤としての応用などの期待が高まってきているが,その生成収率は1%以下と極めて低く,応用上はより大量な合成が必須である.

 SWNTや金属内包フラーレンを生成する方法としてよく知られたアーク放電法やレーザーオーブン法においては,黒鉛材料に添加する金属の種類以外はほとんど同じ実験条件で,SWNTと金属内包フラーレンを作り分けることができる.

 本研究ではクラスター生成段階でこれらの金属がどの様な影響を及ぼすかに着目し,SWNTや金属内包フラーレンを生成する際に用いられる金属添加炭素試料を用いてレーザー蒸発クラスタービーム源にてクラスターを生成した.これらのクラスターがSWNTや金属内包フラーレンの前駆体となっていると考えられることから,幾何構造や反応性などの基本的な性質を知ることが重要となってくる.これら生成された金属炭素混合クラスター(MCn)および炭素クラスター(Cn)の質量分析および化学反応実験をFT-ICR質量分析装置にておこない,金属の種類による生成効率の違いや,その幾何構造等を検討している.

 また最近ではCVDによる生成が大量生産への可能性を多く秘めていると考えられており盛んに研究されている.本研究室においても昨年度にアルコールを炭素供給源としたCVD法の開発に成功している.しかしながらその生成機構についてはまるで分からず,大量生産へのネックとなっている.そこで本研究では,アルコールと金属触媒の初期反応を見ることによりSWNTs生成への新たな知見を得ることに成功している.

2.実験装置及び方法

 Fig.1にFT-ICR質量分析装置を示す.FT-ICR質量分析は強磁場中でのイオンサイクロトロン共鳴に着目した質量分析である.一様な磁束密度Bの磁場中に置かれた電荷q,質量mのクラスターイオンは,ローレンツ力を求心力としたイオンサイクロトロン運動を行なうことが知られており,イオンの速度をv,円運動の半径をrとするとmv2/r=qvBの関係よりイオンサイクロトロン運動の周波数fはとなり,クラスターの質量mに反比例する.質量スペクトルを得るためには,クラスターイオン群に適当な変動電場を加え円運動の半径を十分大きくしたうえで,検出電極間に誘導される微少電流を計測し,得られた波形をフーリエ変換する.この質量分析装置は従来から良く用いられている二段加速やリフレクトロンを用いた飛行時間型質量分析装置よりはるかに高い分解能であるのに加え,クラスターイオンを数分のオーダーでトラップ出来ることが大きな特徴となっている.この状態でレーザーによる解離や化学反応などの実験が可能となっている.クラスターイオンは,金属添加黒鉛ディスクを試料としたレーザー蒸発超音速膨張クラスター源によって生成した.蒸発用パルスレーザー(Nd:YAG=2倍波532nm)を固体試料上に約1mmに集光し,このレーザーと同期した高速パルスバルブからヘリウムガスを噴射する.ヘリウムガスと共にノズルに運ばれた試料蒸気はヘリウム原子と衝突することで冷却されクラスター化し,その後ノズルからヘリウムガスと共に超音速膨張することによってヘリウムに冷却されながら噴射される.こうして生成されたクラスターイオンはスキマー(直径2mm)によって軸方向直直進成分のみが約6Tの超伝導磁石方向に送られ,超伝導磁石内のICRセルに直接導入される.

3.金属内包・SWNTs前駆体クラスター

 生成されたLaCn-の幾何構造をプローブするためにNOとの化学反応実験を行なった.Fig.2に各反応段階における質量スペクトルを示す.C47-が高い反応性を示しC47NO-を生成しており,C44-も若干反応しC44NO-を生成していることがわかる.一方,今回の実験条件ではLaC44-とNOの反応は観測されなかった.金属原子がフラーレンケージの外側に付着しているMCnは高い反応性を示すことが知られていることから,このLaC44-はLa原子を内包したフラーレン構造をしているものと考えられる.今回の一連の測定で,LaCn-(n=偶数,n≧36)の反応は観測されなかったことから,これらのクラスターも金属を内包しているものと考えられる.また質量スペクトルにおいてLaC36-から炭素原子数が偶数個のクラスターが優位的に生成されていることを併せて考えると,今回我々の生成条件では,LaC36-が最小の金属内包炭素クラスターである可能性が高い.今回の実験より他の金属でもScやYは内包し,Niはケージ構造の外に付くことが分かった.

 Fig.3はSWNTsを生成すると言われている試料より生成した負イオンスペクトルである.クラスター生成時の条件を調節しできうる限り最大サイズのクラスターを生成したところ,試料により生成できるサイズに違いがあることが分かった.触媒の種類によりSWNTsの直径は異なるが,Table1に示すようにSWNTsの直径と本研究でのクラスターの直径とを比較したところ良く一致することが分かった.このことからSWNTsの成長に前駆体クラスターの影響があることが予想される.

4.金属クラスター

 鉄,コバルト,ニッケルは同じ3d族の遷移金属に属し,周期律表で並んでいることからも推測されるが,非常に類似した性質を持つ.そのため様々な反応の分野で触媒として活躍している.しかしながら本研究の動機ともなっているSWNTsの生成に関しては興味深いことが確認されている.

 確かに三つともSWNTsの生成に使用されているが,それぞれに得意分野とも言うべき生成法があり,触媒金属と生成法にある種の相性のようなものが存在している.レーザーアブレーションによる生成では,ニッケルが主役でありコバルトはその補佐的な役割を果たすにすぎないと考えられており,ニッケルだけを触媒として用いて場合SWNTsは生成されるが,コバルトだけを触媒として用いたときSWNTsは生成されないことが分かっている.またACCVD法においてはニッケルよりも鉄,コバルトを用いたほうが有利であるという結果も得られつつある.これらの決定的な原因が何であるかは未だ分かっておらず,それ故に遷移金属の難しさ,興味深さがうかがえる.Fig.4に示す図はそれぞれのクラスターとエタノールとの相対反応性を表したものであり,図を見ると明らかに反応性のピーク位置が原子番号の順番で右側に1,2個シフトしているのが分かる.序論でも述べたようにアルカリ金属ではsuper shell理論に基づくマジック性があり,それと対応する反応性を示すと予想されるが,遷移金属には一般にマジック性は見られない.しかしながら,反応性のピークが原子番号と共にシフトしていく様子から,価電子の個数が影響しているのではないかと考えられる.

 また,今回の一連の実験からエタノールとの反応が鉄の場合エタノールが単純に吸着するだけであり,ニッケルでは水素分子が二つ抜ける脱水素反応が確認されている.そしてその中間に位置するコバルトでは,脱水素の領域と単純吸着の領域が存在しており,反応機構までも原子番号の順にシフトしていることが分かる.

 そのほかコバルトクラスターに対してFig.5に示すエタノールの同位体(ethanol-d,ethanol-d3,ethanol-d6)との反応実験を行い外れる水素原子を特定することに成功し,一連の反応実験の経過を観察することにより,反応のメカニズムを提案することができた.Fig.6に示すようエタノールは水素原子をそれぞれの炭素原子から二つずつ外すが,順番に一つずつ外していき最終的には炭素同士は結合を切るものと推測される.

Fig.1 FT-ICR mass spectrometer directly connected with laser-vaporization cluster beam source.

Table1 Comparison of cluster size and SWNTs diameter.

Fig.2 Reaction of C44,C47,and LaC44 with NO.

Fig.3 Mass spectra of SWNTs precursor clusters.

Fig.4 Comparison of relative rate constant.

Fig.5 Isotope experiment ofcobalt clusters.

Fig.6 Reaction mechanism ofcobalt cluster with ethanol.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「FT-ICRによる金属・炭素クラスターの生成と反応」と題し,金属内包フラーレンや単層カーボンナノチューブ(SWNT)の生成機構を解明すべく,これらが生成する反応の初期段階に生成される金属・炭素混合クラスターの構造や金属触媒クラスターの素反応に注目し,FT-ICR質量分析装置を用いて研究したものであり,論文は全6章よりなっている.

 第1章は,「序論」であり,本研究と関連して,フラーレンとナノチューブの発見,これらの新素材に期待されている工学的応用例などを述べるともに,従来の生成メカニズムに関する研究をレビューし,本論文の研究目的について述べている.

 第2章は,「実験装置・原理」であり,本研究で用いたレーザー蒸発・クラスター生成装置とFT-ICR質量分析装置の概要や計測システム全体についての説明,及び信号検出の原理について詳細に述べている.

 第3章は,「金属内包フラーレン」であり,フラーレンの内部に金属原子を含む金属内包フラーレンの生成前駆体である金属・炭素クラスターをレーザー蒸発クラスター生成装置で生成し,その質量分析及び一酸化窒素との化学反応を観察することに成功している.特に負イオンクラスターの実験では従来では困難であった高質量領域でのクラスターの反応についての知見を得ており,負イオン炭素クラスターがその生成初期段階からケージ構造を取ることを初めて実験的に示している.また,従来では単離することが困難なため,金属が内包しているか否かについて議論が別れていた比較的小さなサイズの金属・炭素混合クラスターについて,金属が内包していることを実験的に明らかとしている.

 第4章は,「SWNTs前駆体クラスター」であり,アーク放電法やレーザーオーブン法と呼ばれる単層カーボンナノチューブ(SWNT)生成方法で用いられる金属含有炭素材料をレーザー蒸発させたときに生成するクラスターを観察し,SWNT生成メカニズムに迫っている.この結果,SWNT生成時の触媒金属は炭素のケージ構造に内包されず,ケージの外に存在することにより触媒作用を持つということが明らかとしている.また,触媒金属の種類により生成されるクラスターの大きさが異なることを示し,クラスター直径がその触媒金属を用いた時にできるSWNTの直径におおよそ等しいということを述べている.以上より,SWNTに成長する前段階の前駆体クラスターを議論し,SWNT成長モデルの一つである"フラーレンキャップモデル"を支持する実験的な知見を得ている.

 第5章は「金属クラスター」であり,アルコールを炭素原料ガスとする触媒CVD法によるSWNT生成の初期触媒反応に注目し,一般に触媒として広く利用されている鉄,コバルト,ニッケルなどの遷移金属クラスターとエタノールとの反応実験を行っている.コバルトクラスターについては,エタノールの吸着と水素原子の脱離などの詳細な反応プロセスを明らかとするとともに,反応速度や水素原子解離傾向のクラスターサイズ依存性について明らかとしている.さらに,鉄クラスターに対する反応は単純な吸着であり,ニッケルクラスターとの反応では水素原子が4つ脱離し,コバルトクラスターでは,単純吸着領域と脱水素領域がクラスターサイズに依存して混在することを明らかとしている.第6章は「結論」であり,上記の研究結果をまとめたものである.

 以上要するに,本論文はFT-ICR質量分析装置を用いたクラスターの研究によって,ナノテク新素材と期待されている金属内包フラーレンや単層カーボンナノチューブの生成機構に対して重要な知見を与えており,分子熱工学の発展に寄与するものと考えられる.よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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