学位論文要旨



No 117967
著者(漢字) 稲垣,伸吉
著者(英字)
著者(カナ) イナガキ,シンキチ
標題(和) 自律分散型多脚歩行ロボットの歩行パターン生成に関する研究
標題(洋)
報告番号 117967
報告番号 甲17967
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5425号
研究科 工学系研究科
専攻 精密機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新井,民夫
 東京大学 教授 木村,英紀
 東京大学 教授 保坂,寛
 東京大学 助教授 國吉,康夫
 東京大学 講師 山本,晃生
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は,生物の歩行パターン生成機構を摸倣した自律分散型多脚歩行ロボットシステムにおいて,脚数の変更や脚の故障に対しても,脚数に応じた歩行パターンを生成できる歩行パターン生成機構の構築方法について論じたものである.

 歩行動物が共通して持つ歩行パターン生成機構は中枢パターン生成器(Central PatternGenerator:CPG)として知られており,脚の筋肉や関節のリズム運動を司る神経振動子のネットワークにより構成されている.Fig.1(a)のように,CPGは脊髄レベルの下位処理系に属しており,脳や中脳などの上位処理系からの歩行誘発と実現したい移動速度の入力に対し振動パターンを生成する.そして,各脚が振動子のリズムにあわせて運動することで歩行パターンが生成される.このようなCPGは非線形振動子系でモデル化することができる.

 自律分散型多脚歩行ロボットシステムは,各脚に搭載されたマイクロコンピュータに非線形振動子を割り当て,隣り合う脚のマイクロコンピュータ間でネットワークを作ることで,CPGモデルをそのネットワーク上に構成するというロボットアーキテクチャである(Fig.1(b)).生物の歩行パターン生成機能を模倣するために,生物のような多様で柔軟な歩行機能だけでなく,並列分散的なロボットアーキテクチャとしての拡張性や交換の容易さ,耐故障性が期待される.しかし,従来研究では未だそのような機能を実現するに至っていない.これは,自律分散型多脚歩行ロボットの要となるCPGモデルにおいて,脚数の変更に対応できるCPGモデルが提案されていないことによる.

 そこで本論文は,自律分散型多脚歩行ロボットの構造に適したCPGモデル「波動CPGモデル」の構築から始め,自律分散型多脚歩行ロボットのハードウエアの開発を行い,エネルギー効率を評価指標として,次の目標を実現する歩行パターン生成機構を構築した.

目標1:歩行パターン間のエネルギー効率曲線の交差 移動速度に対して単位移動距離あたりのエネルギー消費量(エネルギー効率)をプロットした曲線が歩行パターン間で交差する.

目標2:エネルギー効率を最適化する移動速度の存在 各歩行パターンにおいて,エネルギー効率を最適化する移動速度が存在する.

目標3:エネルギー効率を最適化する移動速度の選択 エネルギー効率最適化と目標移動速度への追従のつりあいのもとで,適切な歩行パターンの生成と移動速度の選択を行う.

 本論文の具体的な内容は以下の通りである.

 第1章では,上述のような,本研究の背景と目的について述べた.

 第2章については,CPGモデルを構築する準備として,生物の歩行パターンにおける3つの特徴「特徴1:遊脚の波動様伝播」,「特徴2:左右逆位相」,「特徴3:遊脚時間一定」を挙げた.そしてこれらの特徴を実現するCPGモデルが,脚数の変更を伴う自律分散型多脚歩行ロボットでは適することを述べた.

 第3章では,振動子のダイナミクスを設計し,「波動CPGモデル」を構築した.このダイナミクスの構築では,振動子をグラフで表現し,波動方程式(ハミルトン系)と勾配系の合成するという方法を用いた.波動方程式は,その振動現象に仮想的な振動エネルギー(ハミルトニアン)が定義でき,振動子系の結合に固有な振動パターン(固有モード)と固有なハミルトニアンの値を持つ.そして,勾配系は系の状態をポテンシャル関数の極小となる状態に収束させる働きを持つ.本論文では,ポテンシャル関数の設計において,第2章で挙げた「特徴1:遊脚の波動様伝播」,「特徴2:左右逆位相」を実現するように設計した.その結果,特定の固有モードを振動子系に現れる波動として取り出すことができ,ハミルトニアンの目標値の連続的な変化に対して固有モード間の分岐を起こすことができることを示した.さらに,固有モードを歩行パターンと対応付けることで,脚数に応じた歩行パターンを自己組織的に生成することができ,かつ目標ハミルトニアンを移動速度といった制御パラメータ対応付けることで歩行パターンの生成と遷移の機構を構築できることを示した.各振動子のダイナミクスは隣接する振動子の情報のみから決定でき,脚数に依存しない.したがって,波動CPGモデルは自律分散型多脚歩行ロボットに適しているといえる.

 第4章では,実験環境と自律分散型多脚歩行ロボットが実システムとして発展することの期待から,実機(NEXUS:Fig.1(b))の開発を行った.その設計では,サブシステムの自律性,同質性,局所的情報伝達能力に着目しながら開発を行い,波動CPGモデルを実機に搭載するうえで十分な機能を持つことを示した.

 第5章では,第3章で構築した波動CPGモデルを第4章で開発した実機に搭載して実際に歩行を行わせるために,脚駆動法を構築し実装した.脚駆動法は,各脚における振動子の情報を脚運動のタイミングと歩行周期および歩幅にフィードフォワードすることにより,歩容の生成と遷移,移動速度の制御を行うというものである.その脚先軌道の設計においては第2章で挙げた「遊脚時間問一定」を実現するように設計した.そして実機実験により,本機構が決定論的に生成する歩行パターンにおいて,「特徴1:歩行パターン間のエネルギー効率曲線の交差」と「特徴2:エネルギー効率を最適化する移動速度の存在」を持つことを確認した.

 第6章では,本研究で提案する歩行パターン生成機構および自律分散型多脚歩行ロボットにおいて,脚数の変更と脚の故障に対する対処法について述べている.その方法の特徴は,脚数の変更と故障の情報を全脚に通達する必要はなく,追加,切除,故障した脚に隣接する脚に対して,通信を有効にするか無効にするだけで良いという点である.実際に実機実験において,脚数の変更と脚の故障の場合についてそれぞれ例を挙げ,対処法を施した際のロボットの挙動について定性的評価を行った.また,脚の故障について対処可能な故障を実機実験の結果に基づいて分類した.

 第7章では,「特徴3:エネルギー効率を最適化する移動速度の選択」を実現すべく,自律分散的な移動速度の調速法を構築し,実装した.その方法は,各脚の局所的な目標ハミルトニアンに対して,エネルギー効率最適化のためのフィードバックと,上位処理系からの目標移動速度を実現するフィードバックを行い,さらに脚間での局所的な目標ハミルトニアンの拡散により,ロボット全体の移動速度を決定するというものである.実機実験により,各歩行パターンでエネルギー効率を最適化する移動速度への収束が確認され,また,目標移動速度への追従は歩行パターンの遷移によって行われることを確認した.

 最後に第8章では,本論文の結論を述べている.本論文では,自律分散型多脚歩行ロボットシステムを構築する上で必要となる歩行パターン生成機構を,脚数の変更と故障への対応に注意しながら構築した.本機構は脚数と振動子の結合方法に対して決定論的に歩行パターンを生成する.「特徴1」と「特徴2」は決定論的に生成される歩行パターンに現れる特徴であり,脚数の変更と故障に対する対処も決定論的な歩行パターン生成の枠組みで行われている(6章まで).そして,第7章で決定論的な歩行パターン生成機構に付加的に環境からのフィードバックが導入され,「特徴3」が実現されている.以上により,本論文により自律分散型多脚歩行ロボットの歩行パターン生成における基礎的構造が確立されたといえる.本機構は直進歩行のみを対象としているが,進行方向の制御やさらなる環境への適応を行うために,上位処理系との連携やさらなるフィードバックの導入を行うといった発展が期待される.

Fig.1 CPGの構造と自律分散型多脚歩行ロボット

(a)CPGの構造

(b)自律分散型多脚歩行ロボットNEXUS

審査要旨 要旨を表示する

 稲垣伸吉(いながきしんきち)提出の本論文は「自律分散型多脚歩行ロボットの歩行パターン生成に関する研究」と題し,全8章よりなり,生物の歩行パターン生成機構を摸倣した自律分散型多脚歩行ロボットシステムにおいて,脚数の変更や脚の故障に対しても,脚数に応じた歩行パターンを生成できる歩行パターン生成機構の構築方法について論じたものである.

 第1章では,歩行動物の歩行パターン生成機構である中枢パターン生成器(Central PatternGenerator:CPG)と自律分散型多脚歩行ロボットシステムの関係を研究背景として述べ,従来研究と研究目的を述べた.CPGは脚の筋肉や関節のリズム運動を司る神経振動子のネットワークであり,自律分散型多脚歩行ロボットシステムは各脚に搭載されたマイクロコンピュータ(マイコン)に振動子を割り当て,マイコン間でネットワークを作ることでCPGの機能を実現する.自律分散型多脚歩行ロボットシステムには,生物のような多様で柔軟な歩行機能だけでなく,並列分散的なロボットアーキテクチャとしての拡張性や交換の容易さ,耐故障性が期待される.しかし,従来研究では未だそのような機能を実現するに至っていないことを指摘した.その原因は,自律分散型多脚歩行ロボットの要となるCPGのモデルにおいて,脚数の変更と故障に対応できるCPGモデルが提案されていないことによるとした.そして,研究目的として,自律分散型多脚歩行ロボットに適したCPGモデルの構築を主とし,歩行パターン生成機構の構築を行うこととした.また,歩行パターン生成機構の構築を行う上で実現すべき特徴として,移動速度,歩行パターンそしてエネルギー効率の関係における

「特徴1:歩行パターン間のエネルギー効率曲線の交差」 移動速度に対して単位移動距離あたりのエネルギー消費量(エネルギー効率)をプロットした曲線が歩行パターン間で交差する.

「特徴2:エネルギー効率を最適化する移動速度の存在」 各歩行パターンにおいて,エネルギー効率を最適化する移動速度が存在する.

「特徴3:エネルギー効率を最適化する移動速度の選択」 エネルギー効率最適化と目標移動速度への追従のつりあいのもとで,適切な歩行パターンの生成と移動速度の選択を行う.

 を挙げた.

 第2章については,まず,CPGモデルを構築する準備として,多脚歩行動物における歩行パターンの一般的な特徴「遊脚の波動様伝播」,「左右逆位相」,「遊脚時間一定」を挙げた.そして,これらの特徴を多脚歩行ロボットで実現することの有益性を歩行の安定性の観点から述べた.また,CPGモデルに関する従来研究から,自律分散型多脚歩行ロボットに適したCPGモデルを実現するための振動子の個数や結合方法について考察を行った.

 第3章では,第2章の考察をもとに具体的に振動子のダイナミクスと振動子間の結合方法を設計し,「波動CPGモデル」を構築した.このダイナミクスの構築では,振動子をグラフで表現し,波動方程式と勾配系の合成系をそのグラフ上に構成するという方法を用いた.本モデルでは,振動子系が持つ波動の固有モードが歩行パターンに対応し,波動の仮想的な振動エネルギー(ハミルトニアン)を上位処理系が示す目標ハミルトニアンに追従させることで歩行パターンの生成と遷移を実現する.各振動子のダイナミクスは隣接する振動子の情報のみから決定でき,脚数に依存しない.したがって,波動CPGモデルは自律分散型多脚歩行ロボットに適しているといえる.実際に,本章では,6,8,10脚の場合に対してコンピュータシミュレーションを行い,各場合において歩行パターンの生成と遷移を実現できることを示した.

 第4章では,実システムとして開発した自律分散型多脚歩行ロボット(名称:NEXUS)について述べた.各脚はマイコンを1つ持ち,振動子の計算と脚運動の計算を行う.また,隣接脚のマイコン間で振動子の情報を通信し合うことで,波動CPGモデルの機能を発現する.その設計では,サブシステムの自律性,同質性,局所的情報伝達能力に着目しながら開発を行い,実機に搭載するうえで十分な機能を持つことを示した.

 第5章では,第3章で構築した波動CPGモデルを第4章で開発した実機に搭載して実際に歩行を行わせるために,脚駆動法を構築し実装した.脚駆動法は,各脚における振動子の情報を脚運動のタイミングと歩行周期および歩幅にフィードフォワードすることにより,歩容の生成と遷移,移動速度の制御を行うというものである.その脚光軌道の設計においては第2章で挙げた「遊脚時間一定」を実現するように設計した.そして実機実験により,本機構が決定論的に生成する歩行パターンにおいて,「特徴1:歩行パターン間のエネルギー効率曲線の交差」と「特徴2:エネルギー効率を最適化する移動速度の存在」を持つことを確認した.

 第6章では,本研究で提案する歩行パターン生成機構および自律分散型多脚歩行ロボットにおいて,脚数の変更と脚の故障に対する対処法について述べている.その方法の特徴は,脚数の変更と故障の情報を全脚に通達する必要はなく,追加,切除,故障した脚に隣接する脚に対して,通信を有効にするか無効にするだけで良いという点である.実際に実機実験において,脚数の変更と脚の故障の場合についてそれぞれ例を挙げ,対処法を施した際のロボットの挙動について定性的評価を行った.また,脚の故障について対処可能な故障を実機実験の結果に基づいて分類した.

 第7章では,「特徴3:エネルギー効率を最適化する移動速度の選択」を実現すべく,自律分散的な移動速度の調速法を構築し,実装した.その方法は,各脚の局所的な目標ハミルトニアンに対して,エネルギー効率最適化のためのフィードバックと,上位処理系からの目標移動速度を実現するフィードバックを行い,さらに脚間での局所的な目標ハミルトニアンの拡散により,ロボット全体の移動速度を決定するというものである.実機実験により,各歩行パターンでエネルギー効率を最適化する移動速度への収束が確認され,また,目標移動速度への追従は歩行パターンの遷移によって行われることを確認した.

 最後に第8章では,本論文の結論を述べている.本論文では,自律分散型多脚歩行ロボットシステムを構築する上で必要となる歩行パターン生成機構を,脚数の変更と故障への対応に注意しながら構築した.本機構は脚数と振動子の結合方法に対して決定論的に歩行パターンを生成する.「特徴1」と「特徴2」は決定論的に生成される歩行パターンに現れる特徴であり,脚数の変更と故障に対する対処も決定論的な歩行パターン生成の枠組みで行われている(6章まで).そして,第7章で決定論的な歩行パターン生成機構に付加的に環境からのフィードバックが導入され,「特徴3」が実現されている.以上により,本論文により自律分散型多脚歩行ロボットの歩行パターン生成における基礎的構造が確立されたといえる.本機構は直進歩行のみを対象としているが,進行方向の制御やさらなる環境への適応を行うために,上位処理系との連携やさらなるフィードバックの導入を行うといった発展が期待される.

 以上を要するに,本論文は脚数の変更のしやすさや耐故障性の特徴を持つ自律分散型多脚歩行ロボットを実現するために,その歩行パターン生成機構を振動子系の数理モデルとそれに基づく脚の駆動方法で確立し,実機実験によってそれらの手法を,歩行におけるエネルギー効率の観点から評価したものである.この研究は,歩行ロボットにおける新しいアーキテクチャとして更なる発展の道を開くものであり,ロボット工学,精密機械工学のみならず工学全体の発展に寄与するところが大であると考えられる.

 よって本論文は博士(工学)学位請求論文として合格と認められる.

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