学位論文要旨



No 117970
著者(漢字) 杉,正夫
著者(英字)
著者(カナ) スギ,マサオ
標題(和) グラフ上の反応拡散方程式による交通信号網の自律分散型制御
標題(洋)
報告番号 117970
報告番号 甲17970
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5428号
研究科 工学系研究科
専攻 精密機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 太田,順
 東京大学 教授 上田,完次
 東京大学 教授 高増,潔
 東京大学 教授 鈴木,宏正
 東京大学 助教授 新,誠一
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は,多数の交通信号からなる信号網を自律分散的に制御する手法を提案する.

 道路の交通状況は時間とともに変化し,例えば日中と夜間では,道路上の主要交通流の方向が反転する現象などが見られる.従って信号制御手法は,こ札らの変化に柔軟に対応できるものでなければならない.柔軟性と同時に,信号制御手法には高い効率性も求められる.従来の交通工学における信号制御の取り組みは,オフライン最適化と集中管理によるものであり,動的変化への対応に問題がある.一方,自律分散的に信号網を扱った既存研究例では,3つのパラメータ(サイクル長,スプリット,オフセット)のうち制御できるものが一部に限定されており,効率性が低い.このように,動的対応と効率性を兼ね備えた手法はいまだ確立されていない.

 本研究は自律分散的な手法を採用し,3つのパラメータすべての制御を行うことによって動的対応と効率性の両者の実現を目指す.自律分散的手法にも様々なアプローチがあるが,本研究では力学系のアプローチを採用し,各信号を振動子とみなして交通網を非線型結合振動子系によってモデル化する.そして振動子間相互作用をグラフ上の反応拡散方程式によって与え,各信号が局所的な情報から自己の挙動を決定し,それにより大域的に秩序立った信号動作パターンを形成することを目指す.

 まず本研究では3つのパラメータ(サイクル長,スプリット,オフセット)のうちサイクル長は固定とし,スプリットとオフセットを制御する手法を提案する.グラフ上の反応拡散方程式で扱えるのは1変数であるため,スプリットとオフセットそれぞれに対応する2つの反応拡散方程式を用意し,これによって2つのパラメータを個別に制御することを実現する.

 次に本研究ではサイクル長を制御する方法を提案する.網目状の道路環境ではオフセットの閉合条件という制約があり,ループ上の各リンクがすべて最適なオフセットを取ることができるとは限らない.ただしこのような場合,サイクル長を適切に変更することで,ループ上の全てのリンクに最適なオフセットを与えることが可能となる.

 閉合条件はループ上の条件であり,個々の信号を考えるだけではこの制約を扱うことはできない.またオフセットが閉合条件を満たすための最適なサイクル長はループごとに異なった値となるが,オフセットを制御するためには,交通網全体のサイクル長は均一な値を取らなければならない.サイクル長の制御を行う際にはこれらの問題を解決する必要がある.本研究では,道路網グラフの双対グラフを考え,その双対グラフ上に存在する"ループ管理エージェント"を新たに導入する.ループ管理エージェントはグラフの有限窓と1対1で対応する.各ループ管理エージェントは,自己の担当する有限窓の目標サイクル長を変数として持ち,双対グラフ上の反応拡散方程式に従う.一方,各信号はループの目標サイクル長に基づいて自分の周波数を決める.これにより,均一性を維持しつつ,多くの信号にとって好ましい値へとシステム全体のサイクル長を変化させる.

 実環境への適用を考える上で交通流の右折や左折の扱いは不可欠である.そこで上述した3つのパラメータの制御手法を右左折交通流を考慮した場合へと拡張する.その後,現実の交通量データを用いてシミュレーションを行い,提案手法の有効性の検証を行う.

審査要旨 要旨を表示する

 杉正夫(すぎまさお)提出の本論文は「グラフ上の反応拡散方程式による交通信号網の自律分散型制御」と題し,全7章よりなり,従来の集中管理型システムで制御することの困難な大規模交通信号網を自律分散的に制御する新手法を扱っている.

 第1章では,交通信号制御を概説し,従来用いられてきた集中管理的手法,および自律分散的手法による研究例を紹介した.集中管理型の手法では動的変化への対応に問題があり,一方自律分散型の制御手法では,3つの信号パラメータ(サイクル長:信号の周期,スプリット:各方向に割り当てる青時間の比率,オフセット:隣接信号間の青信号開始時刻の差)のうちサイクル長とオフセットの扱いが不十分であるため,効率性に問題がある.そこで,動的変化への柔軟な対応と高い交通効率とを共に実現する広域交通信号制御手法の確立を本論文の目的とした.具体的なアプローチとして,自律分散的手法を採用し,3つの信号パラメータすべてを独立に制御し,これにより上述の目的を達成することを目指すことを述べた.

 第2章では本論文の問題設定を行った.扱う道路網の形状や交通信号が入手できる交通情報を定めた.また信号の振動子モデルを説明し,信号の3つのパラメータ(サイクル長,スプリット,オフセット)を振動子の3つのパラメータ(周波数,スプリット,位相差)で表現できることを述べた.これら振動子からなる非線形結合振動子系によって信号網をモデル化し,振動子間相互作用をグラフ上の反応拡散方程式によって設計することを述べた.

 第3章では簡単のため右左折交通流は考慮せず,各信号は共通のサイクル長を持つという仮定を置き,信号のオフセットとスプリットを同時に制御する手法を提案した.グラフ上の反応拡散方程式は1変数しか扱えないが,本論文ではオフセットとスプリットそれぞれに対応する2つの反応拡散方程式を用意することにより,2つの変数を同時に制御することを目指した.オフセットとは現示を切替えるタイミングの時間差であるが,その切替えタイミングはスプリットによって決まる.そのためオフセットの反応拡散方程式にはスプリットの項が入ってしまい,2つの変数は厳密には独立に扱えない.本論文では,スプリットとオフセットの反応速度に差をつけ,オフセットの反応拡散方程式ではスプリットの変化を無視できるものとした.これにより両者を独立に制御することができる.検証のため簡単な交通状況を想定したシミュレーションを行い,オフセットとスプリットがそれぞれ安定に制御可能であることを確認した.また定常的な交通状況における安定性,効率性,交通状況が不連続に変化した場合の柔軟な対応,交通状況の滑らかに変化する場合の追従性を確認することができた.

 網目状の道路環境にはオフセットの閉合条件という制約があり,同一ループ上の各リンクがすべて最適なオフセットを取ることができるとは限らない.ただしサイクル長を適切に変更すれば,ループ上の全てのリンクに最適なオフセットを与えることができる.第4章ではこの問題を扱い,信号のサイクル長を制御してオフセットの閉合条件を緩和することを試みた.オフセットの閉合条件はループ上の条件であり,個々の信号が自己の近傍の情報を用いるだけでは扱えない.そもそも道路網のループは多数あり,全てのループでオフセットの閉合条件を満たすサイクル長は一般には存在しない.またオフセットの制御を行うためには,隣接する信号のサイクル長は同じでなければならず,サイクル長を変化させる場合にはシステム全体で均一性を保ったままこれを変化させなければならない.本論文では,グラフ上の全てのループを有限窓で代表させるものとし,有限窓に1対1で対応する"ループ管理エージェント"を導入した.各ループ管理エージェントは反応拡散方程式に従い,各有限窓にとって最適なサイクル長を要請する.同時に隣接するループ管理エージェントは,互いの要請するサイクル長を平滑化する.これにより,システム全体としてほぼ均一で,かつ全体にとって(最適ではないが)"好ましい"サイクル長が得られる.こうして得られたループ管理エージェントのサイクル長を参考にして,各信号が自己のサイクル長を変化させる.このサイクル長制御手法を,第3章で提案したスプリットとオフセットの制御手法と統合し,3つのパラメータすべての制御法を確立した.ただし第3章のオフセット制御法は,リンク上の交通量とサイクル長から目標位相差を決める関数に好ましくない性質(具体的には,交通量が決められた時に,目標位相差からサイクル長を求める逆関数が定義できない問題)があり,サイクル長を制御する上で障害となることが判明したため,この関数を新しいものへと変更した.上述した3つのパラメータの制御手法を検証するシミュレーションを行い,(1)信号網全体のサイクル長が,値の均一性を保ちながら状況に応じて変化すること,(2)それにより高い交通効率が実現されていることが確認できた.

 第5章では,実環境適用を考える上で不可欠な交通流の右左折を扱い,第4章の制御手法を右左折交通流を考慮した場合へと拡張した.右左折を考慮する場合,各リンク上での各種の自動車の"流れ"を分類することが重要であり,適切にそれらの流れを分類すれば,後は第4章と同じ方針で各信号の3つのパラメータを制御可能であることを示した.検証シミュレーションでは,各自動車が確率的に直進/左折/右折を行動選択するモデルを用いた.交通状況の変化として,ここではこの右左折確率をシミュレーションの途中で変更し,路上の主要交通流の流れる方向を変化させた.シミュレーション結果では,第4章と同様,状況変化に応じてサイクル長が変わり,システムが交通状況の変化に対応して高い交通効率を維持できていることが確認できた.その一方でシステムのサイクル長の安定性が第4章に比べて低下した.これは右左折する自動車台数の揺らぎに起因するものと考えられる.ただしサイクル長の変動は交通効率に大きな影響は与えておらず,現実的には問題とならない.

 第6章では,実際の交通流データを用いたシミュレーションを行い,第5章までで確立した制御手法を検証した.本論文は信号現示や車線数を制限しているため,実際の信号動作パターンとの比較はできず,実際のパターンを単純化したモデルと提案手法とを比較した.このため本手法の効率性について十分に定量的な検証ができたとは言い難いが,提案手法は実際の交通量変動に柔軟に対処することができた.第5章で述べたように,右左折を考慮する場合,サイクル長の安定性が低下することが判明したが,細かな変動を伴う現実の交通量データに対し,提案手法は破綻を来すことなくサイクル長を調節し,全時間において従来手法より高い交通効率を実現した.以上により,動的変化への対応と効率性に関して,提案手法の有効性が確認できたと考えられる.

 第7章では,論文全体に亘る結論として以下のことを述べた.

・本論文は,非線形結合振動子で交通信号網をモデル化し,信号の3つのパラメータ(サイクル長,スプリット,オフセット)の制御をグラフ上の反応拡散方程式によって実現した.各信号がパラメータの値を自己の近傍の情報を元に調節することにより,システム全体の状態が勾配系に従って変化し,大域的な秩序が形成される.適切な振動子モデルを導入して3つのパラメータを分離し,各パラメータそれぞれにおいて上記の勾配系のダイナミクスを導入することで,3つのパラメータすべてを独立に制御することを実現した.

・本手法にはシステム全体を集中管理するものが存在しない.従って,本手法は大規模なシステムに対しても適用可能である.人規模な信号網の各信号のサイクル長,スプリット,オフセットを連動させることにより,本手法は高い交通効率を実現できる.

・各信号の挙動を規定する勾配系のポテンシャルは,交通状況に応じて変化させる.これにより本手法は動的に変化する交通状況に柔軟に対応することができる.

・シミュレーションの結果,提案手法では高い交通効率が安定して実現された.勾配系のダイナミクスの利点である安定性を確認することができた.

・以上により,本論文の研究目的である動的制御と効率性とを共に実現することができた.

・本論文は,グラフ上の反応拡散方程式によるシステム設計手法の新たな分野への具体的適用例を示し,その有効性を確認した.このことは設計手法自体が高い汎用性を持つことを裏付けるものであり,この設計手法のさらなる新分野への適用が期待される.

 本論文は柔軟性と高い効率性とを兼ね備えた自律分散的信号制御手法を提案し,その有効性を示した.これは交通工学において,また自律分散システムの研究において価値ある成果だと言え,工学全般の発展に大きく寄与するところが大である.

 よって本論文は博士(工学)学位請求論文として合格と認められる.

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