学位論文要旨



No 117973
著者(漢字) 保井,秀彦
著者(英字)
著者(カナ) ヤスイ,ヒデヒコ
標題(和) 高真空・クリーン環境用静電浮上リニアモータの開発
標題(洋)
報告番号 117973
報告番号 甲17973
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5431号
研究科 工学系研究科
専攻 精密機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 樋口,俊郎
 東京大学 教授 中村,仁彦
 東京大学 助教授 佐々木,健
 東京大学 助教授 新野,俊樹
 東京大学 講師 山本,晃生
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

今日,メカトロニクス技術は様々な産業で利用されており,人間の生活と切り離せないと言っても過言ではなくなっている.また,メカトロニクス技術の重要性が高まり,発展するにつれ,その用途はますます多様化してきている.現在,多くのメカトロニクス機器には,これまで求められてきた仕様に十分な性能を有しており,かつその扱いやすい種々の特性を持っているという理由から電磁モータが用いられている.しかしながら,用途の多様化に伴い特殊な条件下では電磁モータだけでは対応しきれない場合も考えられるようになってきた.このような場合,それぞれの用途に適合する特性を持つアクチュエータの開発をしていくことが必要である.

 以上の観点から電磁モータ以外にもメカトロニクス機器に対応できる多くのアクチュエータが開発され,現在も積極的に研究が進められている.その一つの方法として電荷間に生じるクーロン力を利用する静電アクチュエータがある.その中でも電磁モータに劣らない出力性能を持つ静電アクチュエータとして,フイルム状の電極を用いた交流駆動両電極形静電モータと呼ばれる高出力静電モータが開発されている.従来の研究では,通常の大気環境のもとで絶縁液に浸した状態で駆動及び性能評価を行っており,最高出力密度230W/kg,閉ループ制御によるnmオーダーでの位置決めなどを実現している.

 交流駆動両電極形静電モータは図1に示すように,3相の電極が等ピッチで配置された移動子,固定子から構成されている.本研究では移動子・固定子はポリイミドフイルムをべースとしたフレキシブルプリント回路基板により作製した.推力リプル軽減のために,移動子電極は波形になっている.交流駆動両電極形静電モータは,移動子,固定子の各3相電極に互いに相順を反転して3相交流電圧を印加することで,図2に示すように電極に発生する進行電位分布間の静電気力により駆動される同期モータである.

2.本研究の目的

 本モータは高電圧駆動のため電磁モータに比べ微小電流で同じパワーを発揮できるため,電場発生は大きいものの磁場発生は小さいと考えられる.電場は磁場に比べて容易にシールドすることが可能であることを考慮すると,全体としての電磁界の漏洩を電磁モータに比べ大幅に低減できると期待できる.構造的な面に着目すると,交流駆動両電極形静電モータは減速器無しで高出力を発揮する直動リニアモータであり薄型・軽量である.したがって,真空チャンバ内のような限られた空間において導入器無しで利用することができる.そのため,SEMやEBステッパ用駆動機構のように真空環境,かつ低電磁場漏洩を必要とする用途において電磁モータの代替として利用することが期待できる.

 実用的なアクチュエータとして広く用いられている電磁モータの特徴を省みると,原理的に磁気作用を用いるために大きな磁場発生を伴うことが避けられない.したがって,磁場発生を嫌う用途には決定的な問題となり,直接の利用は出来ないと考えられる.産業界における非磁性モータ開発への要求は大きく,特に高スループットEBステッパを実現するためには不可欠であると考えられている.現在,半導体製造工程でのリソグラフィーにおいて,パターン形成にはレーザ光源を利用した縮小投影露光装置が用いられている.しかし,光を利用したステッパでは解像度に限界があると言われており,解像度70nm以下を目標にX線やEBを利用した次世代リソグラフィー装置の開発が急がれている.EBを利用する場合,ステージを駆動するモータが発生する磁場の影響を抑えることが必要であり,装置の構造上スループットが低くなる.ステージ駆動に真空環境,クリーン環境に対応した非磁性モータを用いることができればこの問題を解決することが可能であり,その開発が強く求められている.

 本研究では,以上のように静電モータが真空環境での利用に適していること,及び真空用非磁性モータヘのニーズに注目し,真空環境用静電モータ,及び静電浮上浮上モータの開発を目的とする.真空環境用静電モータは高流駆動両電極形静電モータを真空環境に導入したもので,クロスローラガイドで移動子を保持することにより実現するものである.また,静電浮上モータは交流駆動両電極形静電モータの固定子電極・移動子電極間に発生する吸引力を利用して移動子を浮上させることにより真空環境に導入される.

3.真空環境用静電モータ

 従来の大気環境下絶縁液中での駆動実験では,摩擦潤滑を兼ねて直径約20μmのガラスビーズを移動子,固定子間に散布することで、吸引力から生じる摩擦を低減している.しかし,真空チャンバ内では、飛散の恐れがあるガラスビーズは使用できないため,これに代わる潤滑方法が必要である.そこで本研究では,移動子,固定子の電極フイルムを金属製のベース台に接着剤で貼り付け,真空対応のクロスローラガイドで移動子をガイドし,ギャップを保持する構造道とした.このときギャップを狭く保つために,電極フイルムを装置に貼り付ける際に接着剤として粘性の高い接着剤を用い,電極表面の平面度を高くすることに留意した.

 製作した装置写真を図3に示す.図中左上に示したものが固定子,移動子の電極表面であり,図中右下が組立後である.電極ピッチ200μmのフイルムを用い,真空用にフッ素高分子コーティングを施したクロスローラガイドを取り付けた.駆動に寄与する有効電極面積は16cm2,移動子全体の重量は1.08kgである.なお,本論文における真空中での実験は真空度3x10-4Pa以下の高真空で行った.本モータは真空環境においても大気環境と同様なオープンループ特性を持つことが確認でき,単位面積あたりの発生推力で最大2.82kN/m2(印加電圧3.4kV)を実現できた。また,真空環境で問題となるモータの発熱について評価するためにモータを15時間にわたり連続駆動したところ,モータ表面の温度に変化は見られなかった.

4.駆動電極兼用位置センサを利用した制御

 メカトロニクス機器に交流駆動両電極形静電モータをサーボモータとして応用するためには,その制御のために移動子位置を検出するセンサが必須である.従来の研究では,交流駆動両電極形静電モータ用に,移動子・固定子のフイルム上に駆動電極に加えセンサ用電極を内蔵したセンサを利用して移動子位置の検出を行っている.ここで,この位置センサ電極形状に着目すると,駆動電極とまったく同じ形状をしており,駆動電極を用いて移動子位置を検出できる可能性が考えられる.この駆動電極を兼用した位置センサにより限られたスペースをより効率よく用いることが可能になると考えられる.

 本センサでは,図4に示すようにモータ電極に印加する駆動電圧に対して,トランスを介して低電圧の高周波数センサ信号を重畳することで,3相電極それぞれからの出力の位相ずれを利用してモータ駆動と同時に位置検出できる.移動子変位に伴い,センサ検出回路側のトランスで検出される3相の電圧位相はそれぞれに変化する.移動子位置が電極3ピッチ分変化するごとに移動子と固定子の位置関係は元にもどるため,検出信号の位相ずれも電極3ピッチごとに繰り返す.よって,この位相ずれから移動子位置を検出する.開発したセンサの出力をレーザ変位計と比較した結果を図5に示す.

 さらに,本センサを真空環境用モータに適用して真空環境において位置決め制御を行い,制御特性を調査するとともにセンサの利用可能性を示した.PID制御を行ったときのlOmmステップ応答を図6に示す.

5.静電浮上モータ

 本研究においては,交流駆動両電極形モータの駆動用電極を浮上吸引力発生にも兼用する静電浮上モータを取り扱う。固定子・移動子間ギャップを検出するセンサとしてはモータ電極面に平面状電極を形成した静電容量式センサを用いることとし,その開発も行った.

 静電浮上モータを実現するにあたっては,固定子・移動子間の浮上ギャップに対する推力と吸引力の関係を明らかにしなくてはならない.そこで,固定子・移動子間ギャップの変動も含めて取り扱うことのできる静電浮上モータのモデルを提案し,静電浮上モータに関する理論的検討を行った.また,駆動電極を用いた移動子の浮上制御には図7に示す概略図のように通常の駆動電圧にバイアス電圧を付加することを提案する.静電浮上用のモータ電極として図8に示すような駆動方向位置センサ及びギャップセンサ電極を持つ電極ピッチ500μm,有効電極面積24cm2の電極を製作した.この電極を用いて図9に示す支持機構付静電浮上モータを試作することにより実験的に原理の検証を行った.カウンタバランスの付加により端点における移動子の質量を30gとした.

 その結果,図10に示すブロック図のような制御系を用いて浮上と駆動を同時に行うことに成功した.移動子駆動方向位置に10mmのステップ入力を与えたときの応答と,そのときのギャップ変動,印加電圧を図11に示す.駆動電圧を1.4kVに制限した状態で速度約20mm/sで変位し,最大20μmのギャップ変動を生じた.

6.まとめ

 本研究では,静電モータが真空環境での利用に適していること,及び真空用非磁性モータヘのニーズに注目し,真空環境用静電モータ,及び静電浮上浮上モータの開発を行った.真空環境用静電モータは高流駆動両電極形静電モータを真空環境に導入したもので,クロスローラガイドで移動子を保持することにより実現した.また,静電浮上モータにバイアス電圧を導入することを提案し,交流駆動両電極形静電モータの固定子電極・移動子電極間に発生する吸引力を利用して移動子を浮上させる静電浮上モータを実現した.

Fig.1 Structure of high power electrostatic motor

Fig.2 Driving principle

Fig.3 Electrostatic motor for vacuum environment

Fig.4 Position sensor circuit using motor driving electrodes

Fig.5 Output of position sensor

Fig.6 Response to 10mm step input in vacuum environment

Fig.7 Schematic view of electrostatic levitated motor with additional bias voltage

Fig.8 Electrode films for electrostatic levitated motor

Fig.9 Electrostatic levitated motor with linear slide unit

Fig.10 Control system for electrostatic levitated motor

Fig.11 Response to 10mm step input of electrostatic levitated motor

(a) Displacement of slider in x direction

(b) Gap variation during levitation and driving

(c) Voltate variation during levitation and driving

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「高真空・クリーン環境用静電浮上リニアモータの開発」と題し,電子ビーム露光装置などで要求されている真空環境での高精度位置決め機構などへの応用を第一の目的として,静電浮上機構を一体で有する静電モータの開発に取り組んだ研究成果を纏めたものである.

 本論文は,2部全8章から構成されている.第I部「高真空・クリーン環境用静電モータ」(第2章〜第4章)では真空環境用にクロスローラガイドを用いて製作した高真空・クリーン環境用静電モータについてその駆動特性,制御特性について述べ,第II部「静電浮上モータ」(第5章〜第7章)では交流駆動両電極形静電モータと静電浮上技術を融合し,モータの発生する固定子・移動子間の吸引力を利用して移動子を鉛直方向に浮上させた状態で駆動を行う静電浮上モータについて論じている.

 第1章は序論であり,本研究の背景と目的,および本論文の構成について述べている.真空やクリーン環境での利用に適したモータと位置決め機構について論じ,そのなかでも,次世代の半導体製造における最も重要な機器のひとつである超高精度EB(電子ビーム)露光装置を実現するには,磁界の発生の極めて小さい超精密位置決め機構が不可欠であることを示し,静電モータと静電浮上技術によってこの要求を満たす位置決め機構を開発することを本博士論文研究の目的とすることを述べている.

 第2章「オープンループ駆動系での性能評価」では交流駆動両電極形静電モータの真空環境への対応法について検討し,試作した高真空・クリーン環境用静電モータについて述べ,諸性能の評価を行った.高真空・クリーン環境に対応したクロスローラガイドを用いてモータを製作し,大気環境とほぼ同様な特性を得ることができた.推力性能としては最大推力4.51N,単位面積あたりの推力密度にして2.82kN/m2(印加電圧振幅3.4kV)を得ることができた.また,真空環境において問題となると考えられるモータ発熱とガス放出の影響についての検討を行っている.

 第3章「駆動電極兼用位置センサ」では交流駆動両電極形静電モータの位置決め制御や推力制御等に使用するために必要な位置センサ開発を行っている.

 トランスを介してモータ駆動電圧に位置センサ信号を重畳することにより駆動用電極の位置を検出する方法を考案している.このセンサの原理を理論的に証明し,設計の指針を示した.試作した装置により,考案の有効性を確かめるとともに,センサ信号に基づく静電モータの推力の制御を行い,誤差が3%以内には抑えることに成功している.このセンサは特別なセンサ用の電極を必要としない特徴があり,静電モータの利用の拡大に貢献する画期的な技術であると言える.

 第4章「真空環境での位置決め制御」では実際に真空チャンバー内での静電モータの駆動実験を行い,基本的な性能の評価と制御法の有効性の確認を行っている.高真空環境においても大気環境と同等の特性が得られることを実証するとともに,第3章の研究で開発したセンサが真空環境においても問題なく動作することの確認も行っている.

 第5章「静電浮上モータに関する理論的検討」では静電浮上モータの理論的考察を行い,交流駆動両電極形静電モータで推力とともに発生する吸引力を浮上力として利用する新しい方式の静電浮上モータを考案している. 等価回路によるシミュレーションによる解析により,駆動電圧にバイアス電圧を付加し,このバイアス電圧を操作することより,浮上のための静電吸引力を推力とは独立に制御できることを見出している.

 第6章「静電浮上モータに関する実験的検討」では考案した静電浮上モータの有効性の検証を行うとともに,諸性能の測定を行っている.高真空・クリーン環境対応リニアスライドユニットを用いて駆動方向・浮上方向以外の自由度を拘束した支持機構付静電浮上モータを製作している.この実験装置を用い,大気中及び真空中において,所定のギャップを保ったまま,スラーダーの駆動と位置決めを行うことを実証している.

 第7章「今後の展望」では開発した静電モータが実際の真空メカトロニクス機器用サーボモータとして広く利用されるために解決すべき諸課題について考察している.また,完全な非接触浮上を実現するための具体的電極構成方法について論じ,その具体的な設計例を示している.

 第8章「結論」では本研究で得られた成果についての総括し,静電浮上技術の将来の展開を述べている.

 このように,本論文でなされた研究は,静電モータと静電浮上技術を融合した革新的な静電浮上モータを考案し,その有効性を試作した装置によって証明したものである. その成果は,非接触浮上技術に関する学術的な発展に貢献するとともに,EB露光装置などへの利用が期待できるものであり,産業界への貢献も大きい. 精密機械工業,及び精密機械工学の発展に大きく貢献するものと言える.

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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