学位論文要旨



No 118002
著者(漢字) 竹中,充
著者(英字)
著者(カナ) タケナカ,ミツル
標題(和) 非線形カプラを有する双安定半導体レーザを用いた全光フリップ・フロップに関する研究
標題(洋) Study on All-Optical Flip-Flop using Bistable Laser Diodes with Nonlinear Couplers
報告番号 118002
報告番号 甲18002
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5460号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中野,義昭
 東京大学 教授 西村,吉雄
 東京大学 教授 菊池,和朗
 東京大学 助教授 土屋,昌弘
 東京大学 助教授 高橋,琢二
 東京大学 助教授 山下,真司
内容要旨 要旨を表示する

 (本文)近年の通信容量の増大に伴い、波長変換や光スイッチ、合波・分波器などの全光デバイスが盛んに研究されている。しかし、現在の全光デバイスには出力を維持する機能がなく、入力があるときにしか出力が得られないという問題がある。このような全光デバイスに出力をラッチすることができる全光フリップ・フロップを付け加えることにより、光パケット・メモリなどを実現することが出来る。全光フリップ・フロップを実現するデバイスとしては、双安定半導体レーザ(Bistable Laser Diode,BLD)が長い間研究されてきた。最も代表的なものとして、可飽和吸収による双安定性レーザが知られている。この双安定性レーザは、光によるオン動作ができることはよく知られているが、通常の方法だと光によるオフ動作が難しいという問題があった。このために、現在のところ実用的な光フリップ・フロップは実用化されていない。そこで本論文では、非線形効果をもつ結合器(カプラ)と双安定半導体レーザを組み合わせることで、光りセットを可能にし、全光フリップ・フロップを実現する方法に関する研究を行った。半導体導波路デバイスにおいては、様々な種類の結合器が利用されている。その代表的なものとしては、方向性結合器(Directional Coupler,DC)、多モード干渉結合器(Much-Mode Interferometer,MMI)、マッハ・ツェンダー干渉結合器(Mach-Zehnder Interferometer,MZI)などが挙げられる。これらの代表的な結合器を利用することで、全光フリップ・フロップを実現することが出来る。

 まず、本論文で提案する新しい全光フリップ・フロップを設計し、その動作を解析するためのシミュレータの開発を行った。半導体光増幅器(Semiconductor Optical Amphfier,SOA)やLDなどの能動素子を含む全光デバイスの計算方法は現在まで様々な形で研究されてきた。この中から、計算の効率と柔軟性という観点から、伝達行列法(Transfer Matrix Method,TMM)と有限差分ビーム伝搬法(Finite Difference Beam Propagation Method,FD-BPM)を用いることにした。伝達行列法は主にDFBレーザの解析に用いるために開発されており、単純なストライプ導波路を計算する方法としては高効率な計算手法として知られている。方向性結合器型の全光フリップ・フロップ(DC-BLD)に適用するために、モード結合理論と組み合わせることで、伝達行列法の拡張を行い、DC-BLDの特性解析を行えるようにした。また、一方でビーム伝搬法を用いたシミュレータの開発も行った。ビーム伝搬法は、伝達行列法とは異なりモードの解析をする必要がなく、より柔軟に様々な導波路の解析を行うことができ、主に受動素子の設計に用いられてきた。これにレート方程式を組み合わせることで、半導体レーザの特性を解析できるように拡張した。これにより、多モード干渉結合器およびマッハ・ツェンダー干渉結合器型の全光フリップ・フロップ(MMI-BLDおよびMZI・BLD)の解析が行えるようになった。

 双安定性を得るために使用される可飽和吸収領域の基本的な特性を得るために、実際に、一般的な双安定性レーザを作製して評価を行った。明瞭なヒステリシス特性を得るためには、可飽和吸収領域と利得領域の分離抵抗が重要になる。プロセスの改善によりヒステリシスを得るのに充分な大きさの分離抵抗が得られるようになった。また、3mA程度のヒステリシス幅が得られる最適な可飽和吸収領域の長さを、各共振器長に対して調べた結果、共振器長の約10%程度の長さにすればよいことが分かった。また、可飽和吸収領域を分割することで、より効率よくヒステリシスが得られる構造の検討も行った。さらに、作製した双安定性レーザに光を入射する実験を行い、光によるセット動作の基本特性の評価を行った。さらに、高速動作に際に必要となる、可飽和吸収領域に逆バイアスを印加したときのヒステリシス特性の評価も行った。これらの実験より、本論文で提案する全光フリップ・フリップ実現に必要な、可飽和吸収領域の基本的な特性の評価を得ることができた。

 本論文において開発したシミュレータを用いて、DC-BLDの解析を行った。その結果、方向性結合器の2つの導波路に注入する電流を調整することで、全光フリップ・フロップとして動作することが分かった。シミュレーションによって得られた設計に基づき、実際にデバイスの作製を行った。活性層としてバンドギャップが約1550nmにある0.8%圧縮歪み多重量子井戸(InGaAsP組成)を含む半導体層構造を、有機金属気相堆積法を用いてInP基板上に作製した。この成長基板を用いて、通常の半導体レーザ作製プロセスでDC-BLDを作製した。全光フリップ・フロップとして動作させるためには、方向性結合器の2つの導波路の電極を分離する必要がある。一般に困難なこの電極分離を、斜め電子ビーム蒸着を用いたプロセス方法を開発することで、自己形成的に実現した。このように作製したDC-BLDの特性を実験的に評価することで、実際に光フリップ・フロップとして動作することを実証した。また、DC-BLDのスイッチング速度の上限の見積もりも行った。DC-BLDにおいては、動作速度は通常の半導体レーザの直接変調と同様に緩和振動周波数によって制限されるものと考えられる。シミュレーションによって得られた値から、DC-BLDの緩和振動周波数を計算したところ、1〜2GHzであることが分かった。この結果、DC-BLDの動作速度も約2GHz程度であることが見積もられた。

 また、MMI-BLDに関しての特性をFD-BPM法により解析した。MMI-BLDにおいては、能動素子によって構成されたMMIカプラ内における、2つの発振モード間の重なりが双安定性に影響を与える。シミュレーションの結果、2入力2出力のMMIカプラを、互いに対角に位置するポートにすべて光が結合するように設計し、なおかつ、出力ポートに可飽吸収領域を設けることで、光によるオフ動作を可能にして、全光フリップ・フロップが実現可能であることが分かった。MMI-BLDはMMIカプラ内で2つの発振モードが重なりを持つために、オン状態とオフ状態の間で、キャリアの変動が抑制される。このため、スイッチング速度は緩和振動周波数よりも速くなると考えられる。最大の動作速度は可飽和吸収領域のキャリア寿命によって決まるため、MMI-BLDの動作速度は約10〜40GHzであることが見積もられた。

 より高速で動作するデバイスとして、MZI-BLDを用いた全光フリップ・フロップの提案も行った。MMI-BLDと同様に、MZI-BLDの特性もFD-BPM法により解析を行った。MZI-BLDにおいては、マッハ・ツェンダーの両アームのみが能動素子によって構成されている。このとき、MMI-BLDと同じように、互いに対角に位置するポート間で発振する2つのモードが存在する。この2つの発振モードが両アームで重なりを持つために、双安定性が得られる。MZI-BLDの場合、2つのモードが両アームで完全に重なるために、可飽和吸収領域を用いずに、分岐型の双安定性が得られることがシミュレーションにより分かった。この双安定性を用いることで、MZI-BLDが全光フリップ・フロップとして動作することを数値計算により確かめた。DC-BLDやMZI-BLDと同様に、動作速度の見積もりを行った。MZI-BLDにおいては、能動素子部分において2つの発振モードが完全に重なりを持っために、オン状態とオフ状態でキャリアの変動が全くなくなる。この為に、緩和振動周波数により動作速度は制限を受けなくなる。また可飽和吸収領域もないことから、動作速度は共振器の光子寿命により決定され、デバイスを小型化したときの最大値は100GHz程度であることが見積もられた。

 以上のように、本論文では方向性結合器、多モード干渉結合器、マッハ・ツェンダー干渉結合器の3種類のカプラを用いた新しい全光フリップ・フリップの提案を行った。提案したデバイスの特性評価を行うために、シミュレータの開発を行い、それぞれのデバイスの動作を解析した。シミュレーション結果に基づき、デバイスの作製を行い、方向性結合器型の全光フリップ・フロップの実証を行った。また、より高速に動作すると期待される多モード干渉結合器型およびマッハ・ツェンダー干渉結合器型の半導体レーザが全光フリプ・フロップとして動作することを数値解析によって確かめた。我々は、これらのデバイスが将来の光通信における光ルータなどの全光デバイスにおいて重要な役割を担うものと期待している。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、将来の光ネットワークでデジタル全光処理を担う光フリップフロップを如何に実現するかについて研究した成果を英文でまとめたもので、7章より構成されている。

 第1章は序論であって、研究の背景、動機、目的と、論文の構成が述べられている。現在の全光デバイスには出力を維持する機能(ラッチ機能)が欠如している。ラッチ機能を有する全光フリップ・フロップが実現されれば、従来の全光デバイスと併せて高度なデジタル全光処理が可能となる。全光フリップ・フロップの出発点となり得るデバイスとして、双安定半導体レーザ(bistable laser diode,BLD)がある。この双安定レーザでは、制御光によるオン動作が可能なことは知られていたが、光によるオフ動作が困難という問題があった。本論文の目的は、非線形結合器と双安定半導体レーザを組み合わせて光リセットを可能にし、全光フリップ・フロップを実現することにある。

 第2章は「Simulation method」と題し、本論文で提案する新しい全光フリップ・フロップの動作を解析するシミュレータについて述べている。現在までに研究されてきた能動素子を含む全光デバイスのシミュレーション技法の中から、計算の効率と柔軟性という観点で、伝達行列法と有限差分ビーム伝搬法を用いることとしている。まず方向性結合器型の双安定レーザ(DC-BLD)に適用するため、モード結合理論を組み入れた伝達行列法の拡張を行い、DC-BLDの特性解析を可能とした。一方ビーム伝搬法は、伝達行列法とは異なりモード解析を予め行う必要がなく、より柔軟に様々な導波路の解析を行うことができ、これまで主に受動素子の設計に用いられてきたが、ここではそれをレート方程式と組み合わせることで、半導体レーザの特性解析に適用できるよう拡張した。その結果、多モード干渉結合器(MMI)型およびマッハ・ツェンダー結合器(MZI)型の全光フリップ・フロップ解析が可能となっている。

 第3章は「Absorptive bistable laser diode」と題し、双安定性を得るために使用される可飽和吸収領域の基本的な特性を知るため、実際に双安定半導体レーザを作製し評価を行った結果について述べている。BLDにおいて明瞭なヒステリシス特性を得るためには、可飽和吸収領域と利得領域の分離抵抗が重要になるが、プロセスの改善によりヒステリシスを得るのに充分な大きさの分離抵抗を得ている。また、可飽和吸収領域長を共振器長の約10%程度にすればよいことを実験的に明らかにした。さらに可飽和吸収領域を分割することで、より効率よく大きなヒステリシスの得られることがわかった。作製した双安定レーザに光を入射し、全光セット動作が可能であることを検証した後、高速動作に必要な可飽和吸収領域に逆バイアスを印加する実験も行っている。これらより、本論文で提案する全光フリップ・フリップに必要な、可飽和吸収領域の基本特性が明らかになった。

 第4章は「DC bistable laser diode」と題し、まず2章で開発したシミュレータを用いて、DC-BLDの解析を行っている。その結果、方向性結合器の2つの導波路に注入する電流を調整することで、全光フリップ・フロップとして動作することが分かった。シミュレーションによる設計に基づき、実際にデバイスの作製を行った。活性層としてバンドギャップ波長が約1550nmの0.8%圧縮歪lnGaAsP多重量子井戸を含む半導体多層構造を、有機金属気相エピタキシャル成長法を用いてInP基板上に作製した。この基板上に半導体レーザ作製プロセスを適用してDC-BLDを試作した。全光フリップ・フロップとして動作させるために重要なことは、方向性結合器の並行2導波路の電極分離である。本論文では、斜め電子ビーム蒸着により、自己整合的に電極分離を実現している。このように作製したDC-BLDにおいて、セット光、リセット光を入射し、実際に全光フリップ・フロップとして動作することを確認した。また、DC-BLDのスイッチング速度を議論し、本研究の構造では約2GHz程度であることを見積もっている。

 第5章は「MMI bistable laser diode」と題し、多モード干渉結合器型全光フリップ・フロップの特性をFD-BPM法で解析した結果について述べている。MMI-BLDにおいては、2つの発振モード間の重なりが双安定性に影響を与える。シミュレーションの結果、2入力2出力のMMIカプラを対角結合するように設計し、出力ポートに可飽和吸収領域を設けることで、光によるオフ動作が可能となり、全光フリップ・フロップが実現されることが明らかになった。MML-BLDはオン状態とオフ状態の間でキャリアの変動が小さいため、スイッチング速度は緩和振動周波数よりも速くなり、約10〜40GHzとなることが予測されている。

 第6章は「MZI bistable laser diode」と題し、より高速で動作する全光フリップ・フロップとして、マッハツェンダー干渉計型双安定レーザ(MZL-BLD)の提案を行っている。MZL-LDの特性解析をFD-BPM法により行った。MZI-BLDにおいてはMMI-BLDと同様、対角ポート間で発振する2つのモードが存在する。MZI-BLDの場合、2つのモードが干渉計アームで完全に重なるために、可飽和吸収領域を用いずにピッチフォーク型光双安定の得られることがシミュレーションにより分かった。この双安定性により、MZL-BLDが全光フリップ・フロップとして動作することが数値計算により確かめられた。MZI-BLDにおいては、オン状態とオフ状態でキャリアの変動が全くないため、動作速度は共振器の光子寿命にのみ依存し、デバイスを小型化したときの最大値は100GHz程度であることが予測されている。

 第7章は結論であって、本研究で得られた成果を総括している。

 以上のように本論文は、双安定半導体レーザと非線形結合器に基づく新しい3種類の全光フリップ・フリップの提案を行い、その特性解析を可能とするシミュレータの作成、試作プロセス技術の開発、1.55μm帯方向性結合器型デバイスの試作と動作実証を行うとともに、多モード干渉結合器型およびマッハ・ツェンダー干渉計型デバイスについて数値解析を行って、より高速な全光フリップ・フロップ動作が可能であることを明らかにしたもので、全光処理情報通信ネットワークに向けて貢献するところ多大である。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/1905