学位論文要旨



No 118009
著者(漢字) 小笠原,章
著者(英字)
著者(カナ) オガサハラ,アキラ
標題(和) 強く相互作用するスピン系における電子スピン共鳴の磁場・温度依存性
標題(洋) Field-and Temperature-Dependence of Electron Spin Resonance in Strongly Interacting Spin Systems
報告番号 118009
報告番号 甲18009
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5467号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮下,精二
 東京大学 教授 永長,直人
 東京大学 教授 内野倉,國光
 東京大学 助教授 初貝,安弘
 東京大学 助教授 張,紹良
内容要旨 要旨を表示する

1序

 物質の特性を調べる上で、外場に対する応答の観測は我々に多くの情報をもたらす。電子スピン共鳴(ESR)はそのような観測に際して利用される現象である。ESR測定では、振動磁場下における動的帯磁率を静磁場強度の関数として観測し、その振る舞いからエネルギー構造を求め、物質を構成する詳細なパラメータの評価を行うことが可能である。エネルギー構造によるパラメータの評価に加えて、吸収曲線の微小な振る舞いを観測することによって物質内におけるスピン秩序状態を知ることも可能である。系を構成するスピンが独立に振る舞ったり、或いは空間対称性を保存する相互作用によって結合している場合、観測される信号は振動磁場の周波数に対応する磁場(常磁性共鳴磁場HPMR)において発生する単一ピークとして得られる。他方、スピンが空間対称性を破る相互作用によって結合している場合、吸収曲線はそれら相互作用と外部磁場がそれぞれもたらす秩序状態の競合を反映して温度などの外部パラメータに依存して変化を示す。

 理論、数値的研究に対しては、多様な相互作用によって構築されている系を対象とした測定結果の微視的機構を、エネルギー構造や微視的状態間の遷移、即ち固有値、固有状態を調べることによって説明することが求められる。そこで筆者らは、空間対称性を破る相互作用として、(i)系の空間構造を反映し比較的一意に決定される双極子相互作用、(ii)反強磁性体における磁区の形成に寄与し、常磁性共鳴磁場とは異なる磁場において発生する反強磁性共鳴吸収をもたらすパラメータとして、スピン交換相互作用におけるIsing異方性、及び(iii)全スピンの保存を破り非磁気的な基底状態からの遷移を発生させるDzyaloshinsky-Moriya相互作用、を考慮の対象とした数値計算を行い、測定結果との比較を行うことで採用したモデルやパラメータの妥当性を評価する研究を行ってきた。

 採用する理論的枠組としては、微小な外場に対する系の応答を表式化したKubo公式を、微小な強度の振動磁場Hxの下における磁化の応答△Mxを測定するESRに適用し、系の対角化を行うことでを直接的に評価する数値計算手法を開発した。この手法は、系の空間構造や相互作用の非一様性などが有意な効果を示す相互作用系に対する適応性を有しており、独立スピン系やスピンが強固に結合した古典系以外にも様々な系を対象とした観測結果を解析する上で有益な情報をもたらすことが期待される。

 以下に、上記の異方的な相互作用の効果について数値計算結果を元に述べる。

2双極子相互作用

 スピン間の双極子相互作用

(rij:スピンi,j間の相対ベクトル)はD/r3ijに比例する空間非対称な成分としてスピン交換相互作用に組み込まれ、実効的な交換積分における微小な異方性を生成する。そのため、系に作用する磁場(静磁場)の配位によって系のエネルギー構造は変化し、微視的状態間の遷移が発生する磁場の値も静磁場配位に依存して変化する。その結果、それら微視的状態間の遷移によるエネルギー吸収の総体である吸収曲線は磁場配位、及び温度に依存してその振る舞いを変える。高温においては、スピン間相互作用が弱まりスピンが独立に振る舞うことによって常磁性共鳴的な吸収が得られるのに対して、低温では相互作用の異方性が有意な磁場配位依存性を示し、共鳴磁場HRは磁場配位によって決定されるシフトδH≡HHR一HPMR(以下共鳴シフトと呼ぶ)を示す(図1左図)。共鳴シフトの温度依存性における上記の振る舞いは、一次元反強磁性体Cu(C6H5COO)23H20を対象とした測定においても確認されており†、双極子相互作用のような、空間偏向を示す相互作用の存在を示唆している。また、同測定において共鳴シフトの絶対値が振動磁場周波数に比例して増大することが観測されているが、この結果も数値的に再現された(図1右図)。双極子相互作用がエネルギー構造にもたらす効果の解析を通じて、共鳴シフトの温度・周波数依存性が双極子相互作用によって評価できることがわかった。

3異方的交換相互作用

異方的なスピン交換相互作用

(Jij>0,A>1)によってスピンが反強磁性的に結合している場合、異方性Aによって反強磁性秩序状態がより安定的な状態を実現することを反映して、エネルギー構造における複数の微視的状態の内、小さな磁化を示す状態のエネルギーが他の状態のそれに対して相対的に低下し、常磁性共鳴磁場以外の磁場において状態間遷移が発生する。容易軸を有する古典スピン系を対象として、反強磁性的に結合した副格子の磁化の運動方程式を解くことによって共鳴条件が求められており、二次元反強磁性体MnF2を対象とした観測結果の解析に用いられている†。スピンがIsing的な交換積分(A=2)によって結合したスピン系を対象とした筆者らの数値計算においても同様の結果が得られた(図2)。また、図2において、温度の上昇に従ってスピンが独立に振る舞うことを反映して、高温においては(H0,ω)=(0,0)から伸びる直線で表される常磁性共鳴磁場が顕著に観測され、反強磁性共鳴が発生する低温領域と常磁性共鳴が発生する高温領域との間の変遷を観測することができる。

†M.Hagiwara,K.Katsumata and J.Tuchendler:J.Phys.Condens.Matter6(1994)545.

4Dzyaloshinsky-Moriya相互作用

 異なる全スピンSを有する状態間の相関を与えるDzyaloshinsky-Moriya(DM)相互作用は異なるS空間に属する状態の混成をもたらす。特に、結合交替でその向きが変化する交替DM相互作用が系に存在する場合、基底状態である非磁気的なS=0状態と励起状態である磁気的なS=1状態との混成が起き、選択則によって禁じられている遷移が基底状態から発生する。その結果、S=0状態からS=1状態への遷移に相当する共鳴磁場が観測される(図3)。特に、S=0状態から(S,Sz)=(1,±1)状態への遷移に対応する共鳴磁場が、面に垂直に静磁場が作用している配位(図3左図)においては複数の分離した直線を形成しているのに対して、面に平行に静磁場が作用している配位(図3右図)においては互いに重なった単一の直線を形成している。同様の現象は二次元反強磁性体SrCu2(BO3)2を対象とした測定においても観測されており†、共鳴磁場の静磁場配位依存性に関して観測結果と数値計算を比較することによって、同物質においてその存在が考えられているDM相互作用の強度や配向を評価することが期待される。

†H.Nojiri,H.Kageyama,K.Onizuka,Y.Ueda and M,Motokawa:J.Phys.Soc.Jpn.68(1999)2906.

図1:一次元系における数値計算。

左:ω=47.7GHzにおける共鳴シフトの温度依存性。右:T=4.2Kにおける共鳴シフトの周波数依存性。両図において、上が系に対して垂直に静磁場が作用している配位におけるデータ、下が系に対して平行に静磁場が作用している配位におけるデータに対応する。

図2:容易軸(z軸)に平行に静磁場が作用している配位における共鳴磁場の磁場、周波数依存性。

図3:DM相互作用のある二次元系における共鳴磁場の磁場、周波数依存性(T=1.51K)。

左:面に垂直に静磁場が作用している配位。右:面に平行に静磁場が作用している配位。下図はそれぞれの静磁場配位におけるデータの内、logX"≧2を満たすデータをプロットしたもの。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文では以下に示すように電子スピン共鳴の新しく独創的な理論的解析法が開発され、多くの実験の解析に役立っ成果をあげていること、が述べられている。これらの点に関して、本人からの説明を踏まえ、いくつかの質疑応答が行われ、本人の問題に関する深い知見と、研究の独創性が明らかになり、博士論文としての要件を備えた優れた論文であるとの結論となり、全員一致で合格とした。また、これまで以下の文献リストに示すように本人が数編の筆頭著者のなる論文を発表している。

 物質の特性を調べる上で電子スピン共鳴(ESR)は重要な観察手段であるが、相互作用が強い系では、エネルギー構造が測定を行うための外磁場と物質の結晶の相対的な幾何学的な位置関係によって異なり、吸収曲線が結晶配置や磁場の強さ、温度などによって変わってくる。このような変化を系統的に理論的に解析する方法が提案されている。外場に対する系の応答を表式化したKubo公式を、微小な強度の振動磁場Hxの下における磁化の応答$¥Delta Mxを測定するESRに適用し、具体的に系のハミルトニアンを対角化を行うことでエネルギー構造や微視的状態間の遷移、即ち固有値、固有状態を調べている。この手法は、系の空間構造や相互作用の非一様性などが有意な効果を示す相互作用系に対する適応性を有しており、独立スピン系やスピンが強固に結合した古典系以外にも様々な系を対象とした観測結果を解析する上で有益な情報をもたらすことが期待される。

 空間対称性を破る相互作用として、(i)系の空間構造を反映し比較的一意に決定される双極子相互作用、(ii)反強磁性体における磁区の形成に寄与し、常磁性共鳴磁場とは異なる磁場において発生する反強磁性共鳴吸収をもたらすパラメータとして、スピン交換相互作用におけるIsing異方性、及び(iii)全スピンの保存を破り非磁気的な基底状態からの遷移を発生させるDzyaloshinsky-Moriya相互作用、を考慮の対象とした数値計算を行い、測定結果との比較を行うことで採用したモデルやパラメータの妥当性を評価する研究を行っている。スピン間の双極子相互作用はスピン交換相互作用に組み込まれ、実効的な交換積分における微小な異方性を生成する。そのため、系に作用する磁場(静磁場)の配位によって系のエネルギー構造は変化し、微視的状態間の遷移が発生する磁場の値も静磁場配位に依存して変化する。その結果、それら微視的状態間の遷移によるエネルギー吸収の総体である吸収曲線は磁場配位、及び温度に依存してその振る舞いを変える。高温においては、スピン間相互作用が弱まりスピンが独立に振る舞うことによって常磁性共鳴的な吸収が得られるのに対して、低温では相互作用の異方性が有意な磁場配位依存性を示し、共鳴磁場H_Rは磁場配位によって決定されるシフト(以下共鳴シフトと呼ぶ)を示す。共鳴シフトの温度依存性における上記の振る舞いは、一次元反強磁性体Cu(C_6HCOO)_23H_20を対象とした測定においても確認されており、双極子相互作用のような、空間偏向を示す相互作用の存在を示唆している。また、同測定において共鳴シフトの絶対値が振動磁場周波数に比例して増大することが観測されているが、この結果も数値的に再現された。双極子相互作用がエネルギー構造にもたらす効果の解析を通じて、共鳴シフトの温度・周波数依存性が双極子相互作用によって評価できることがわかった。

 異方的なスピン交換相互作用によってスピンが反強磁性的に結合している場合、異方性Aによって反強磁性秩序状態がより安定的な状態を実現することを反映して、エネルギー構造における複数の微視的状態の内、小さな磁化を示す状態のエネルギーが他の状態のそれに対して相対的に低下し、常磁性共鳴磁場以外の磁場において状態間遷移が発生する。容易軸を有する古典スピン系を対象として、反強磁性的に結合した副格子の磁化の運動方程式を解くことによって共鳴条件が求められており、反強磁性体MnF$_2$を対象とした観測結果の解析に用いられている.スピンがIsing的な交換積分($A=2$)によって結合したスピン系を対象とした筆者らの数値計算においても同様の結果が得られている。温度の上昇に従ってスピンが独立に振る舞うことを反映して、高温においては(H_0,omega)=(0,0)から伸びる直線で表される常磁性共鳴磁場が顕著に観測され、反強磁性共鳴が発生する低温領域と常磁性共鳴が発生する高温領域との間の変遷が示されている。

 異なる全スピンSを有する状態間の相関を与えるDzyaloshinsky-Moriya(DM)相互作用は異なるS空間に属する状態の混成をもたらす。特に、結合交替でその向きが変化する交替DM相互作用が系に存在する場合、基底状態である非磁気的なS=0状態と励起状態である磁気的なS=1状態との混成が起き、選択則によって禁じられている遷移が基底状態から発生する。その結果、S=0状態からS=1状態への遷移に相当する共鳴磁場が観測される。特に、S=0状態からS=1状態への遷移に対応する共鳴磁場が、面に垂直に静磁場が作用している配位においては複数の分離した直線を形成しているのに対して、面に平行に静磁場が作用している配位においては互いに重なった単一の直線を形成している。同様の現象は二次元反強磁性体SrCu2(BO3)2を対象とした測定においても観測されており、共鳴磁場の静磁場配位依存性に関して観測結果と数値計算を比較することによって、同物質においてその存在が考えられているDM相互作用の強度や配向を評価することができることが明らかにされている。

 よって、本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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