学位論文要旨



No 118013
著者(漢字) 戸部,克弘
著者(英字)
著者(カナ) トベ,カツヒロ
標題(和) マンガン酸化物の軌道秩序と異方的電子構造
標題(洋)
報告番号 118013
報告番号 甲18013
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5471号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 教授 藤原,毅夫
 東京大学 教授 永長,直人
 東京大学 教授 宮野,健次郎
 東京大学 教授 吉澤,英樹
内容要旨 要旨を表示する

 本研究は、ぺロブスカイト型マンガン酸化物に関し、光学伝導度スペクトルの異方性測定という手法を用いて行ったものである。論文の構成は以下の通りである。

第一章 序章

第二章 実験・解析方法

第三章 母物質LaMnO3の異方的光学スペクトル

第四章 CE型電荷・軌道・スピン整列系の電子構造

第五章 低次元二重交換系の異方的電子構造とその温度変化

第六章 相競合領域における強磁性金属相での軌道相関

第七章 結論

第一章 序章

 現在"強相関電子系"あるいは"キャリアードープされたMott絶縁体をキーワードに、ぺロブスカイト構造を有する各種3d遷移金属酸化物の示す多彩な物性に関する研究が盛んである。中でも、ペロブスカイト型マンガン酸化物は、磁場・電場・圧力・光といった外部からのわずかな刺激によって、電気的・磁気的・光学的物性が劇的な変化を示すことから、基礎科学的観点のみならず応用工学分野からも大きな注目を集めている物質である。近年の精力的な研究により、マンガン酸化物の示す複雑な磁気構造や電子相転移において、3d eg伝導電子が有する軌道自由度が重要な役割を担っていると認識されるようになってきている。特に、中性子散乱や共鳴X線散乱といった実験技術の飛躍的な進歩もあって、超巨大磁気抵抗(colossal magneto resistance:CMR)効果といった特異な現象の多くについても、軌道の自由度との関連を示唆する実験結果が数多く報告されている。

 本研究は、光学伝導度スペクトル測定という手法を用いることによって、電子構造の観点からこの系の物理を明らかにすることを目的とした。異方的な軌道・スピン秩序状態においてはフェルミ準位付近のバンド構造が異方的となり、光学伝導度スペクトルに偏光依存性が生じることが期待される。言い換えると、電子構造に関する議論のためには、異方性まで含めた詳細な情報を得ることが不可欠だと言える。しかし、その結晶構造が擬立方晶であることから、十分な大きさを持つ良質な非双晶結晶の作成は実験的に困難であり、現在までに光学伝導度スペクトルの偏光依存性が測定されたことはぼとんど皆無であったといえる。そこで、電子相図におけるほぼ全ての相にわたって良質な非双晶単結晶を作成し、光学伝導度スペクトルの異方性とその温度変化を測定することによって、系統的で詳細な情報を得ることを目指した。

第二章 実験・解析方法

 実験手法について簡単に示す。用いた試料はフローティングゾーン法で作成した良質の単結晶試料であり、光学研磨後にアニール処理を行うことによって大きな非双晶領域を得ることに成功した。光学測定に関しては、フーリエ型分光器(〓ω=0.01-0.8eV)及び回折格子型分光器(〓ω=0.6-36eV)を使用し、最大で10K-800Kという広い温度範囲における反射率スペクトル測定を行った。また、ドメインが小さい一部の試料に関しては、顕微鏡を用いた分光システムを使用した。得られた反射率スペクトルのデータをKramers-Kronig変換することによって、光学伝導度スペクトルを求めた。

第三章 母物質LaMnO3の異方的光学スペクトル

 マンガン酸化物の母物質LaMnO3は軌道整列を示す典型的な物質であるが、その電子構造に関しては現在までに統一的な見解が得られていない。そこで、非双晶試料を作成し、光学伝導度スペクトルの異方性とその温度変化を詳細に測定した。図1に示したように、10K(軌道・スピン秩序状態)における光学伝導度スペクトルには2eV付近にピーク構造が存在し、その強度に偏光依存性が見られる。スペクトルの異方性は、温度を上昇させると徐々に減少していくものの、TNよりはるかに高温の700Kにおいても残存している。Too以上の800Kでは、異方性は完全に消失してピークやギャップの構造が不明瞭となる。図2には、スペクトルの定量的な温度変化を示している。図2(b)は光学伝導度スペクトルの低エネルギー部分を積分することによって有効電荷数N、音であり、図2(c)はその両偏光のスペクトルに対する値の比である。また、図2(d)はピーク構造の立ち上がり部分を直線で外挿することで見積もった光学ギャップの大きさである。異方性及びギャップの大きさといったスペクトルの温度依存性は、中性子回折実験によって観測されているA型反強磁性秩序の秩序変数でなく、共鳴X線回折実験によって観測されている軌道秩序の秩序変数に相関しているように見える。現在までのいくつかの理論的な研究では、異方的な光学伝導度スペクトルがTNで大きく変化することが予言されていた。これらの計算においては、電荷ギャップ遷移が"隣接するMn3+サイトの3d eg軌道間の遷移"とアサインされており、強いHund結合によってその強度がMnサイト間のスピン相関に依存するためである。ところが、実験結果は光学伝導度スペクトルがTNにおいてほとんど変化しないことを示している。これは、LaMnO3の電荷ギャップが、Mn egバンド間に開いたギャップではなくO 2Pバンド間に開いたギャップではなくO 2P バンドとMn eg上部Hubbardバンド間の電荷移動(CT)型ギャップの性質を強く持つことを示唆している。

第四章 CE型電荷・軌道・スピン整列系の電子構造

 バンド幅の狭い系のホールドープ量x=1/2近傍では、CE型と呼ばれる特徴的な電荷・スピン・軌道整列系が表れる。そこで、この秩序状態を示すNd1/2Ca1/2MnO3の非双晶単結晶試料に関して測定を行った。図3にNd1/2Ca1/2MnO3の光学スペクトルの温度変化を示す。300Kでは両偏光方向にピーク構造が見られ、偏光依存性はほとんど見られない。ab面のスペクトルでは、Tco,oo以下で温度低下と共に強度を増しながら高温側へとシフトするのに対し、c軸のスペクトルではTco,oo以下で急激に強度が抑制される。また、この温度変化の大部分はTN<TくTco,ooの温度領域で起こっている。最低温10Kにおけるスペクトルの異方性は層状ペロブスカイト構造をもつ214系のスペクトルに匹敵する非常に大きいものとなっている。また、2.0eVというエネルギースケールでab面方向とc軸方向との間でスペクトル強度はほぼ一定であり、このエネルギースケールでab面方向とc軸方向との間でスペクトル強度の異方性とギャップの大きさは同じような温度変化を示しており、電荷整列によるギャップ形成と軌道整列よる異方的な電子構造力が密接に関連していることを示している。

第五章 低次元二重交換系の異方的電子構造とその温度変化

 Nd1-xSrxMnO3のx=0.55及び0.7は、ferro的な軌道秩序によって2次元的なA型反強磁性及び1次元的なC型反強磁性の磁気秩序状態を示す系である。図4に、基底状態とみなせる10KとTNより高温側で常磁性相の293Kにおけるスペクトルを示した。内挿図はそれぞれの温度における軌道・スピン秩序状態を表している。光学伝導度スペクトルは、σIIスペクトルがσ⊥スペクトルに比べて非常に大きな強度を持つ。また、10Kにおいても、x=0.55のσIIスペクトルは0.5eV付近にピークを持つ疑ギャップ的な構造をしており、一方でx=0.7のσIIスペクトルは0.1eV程度の明瞭なギャップ構造をもつ。すなわち、これら両組成のスペクトルは単純な二重交換模型から導かれるDrude的なスペクトルと大きく異なっており、低次元の二重交換系における極めてインコヒーレントな電荷ダイナミクスを反映している。スペクトルの異方性は温度上昇につれて小さくなるが、TNよりはるかに高温の500K近傍まで残っている。このことは、長距離磁気秩序が存在しない高温においても、軌道の方向秩序が存在していることを示唆している。

第六章 相競合領域における強磁性金属相での軌道相関

 ドープ量x=1/2近傍では多数の相がエネルギー的に接近しており、R1/2Sr1/2MnO3系の基底状態はR=La,Pr,Ndとバンド幅を変化させるに伴って強磁性金属相・A型反強磁性相・CE型反強磁性電荷整列相と変化する。光学スペクトルもそれに伴い、比較的コヒーレントなスペクトルからギャップ的なスペクトルヘと変化することがわかった。すなわち、わずかなバンド幅変化が電子構造を大きく変化させているといえる。また、Pr1/2Sr1/2MnO3,Nd1/2Sr1/2MnO3は温度変化に伴って、低温反強磁性相→強磁性金属相→高温常磁性相という相転移を示すが、図5に示したとおり、相変化に伴って光学伝導度スペクトルは大きく変化する。ここで注目すべきなのは、中間温度の強磁性金属相においても異方性が観測されているということであり、これは、強磁性金属領域においても異方的な軌道相関が存在することを示唆している。

第七章 結論

 スピン・軌道秩序状態を示すペロブスカイト型Mn酸化物の非双晶試料を用いて、光学伝導度スペクトルの偏光依存性とその温度変化を測定した。低温におけるスペクトルは強い偏光依存性を示し、異方的なスピン・軌道秩序状態を反映している。また、この伝導が異方的になった系においてはギャップ構造や擬ギャップ的構造が観測され、低次元系における極めてインコヒーレントな電荷ダイナミクスを示している。スペクトルの異方性はTN以上の常磁性相や強磁性相においても観測され、室温以上の非常に高い温度まで軌道とスピンの異方的な相関が発達していることを示している。

審査要旨 要旨を表示する

 現在、ペロブスカイト構造を有するマンガン酸化物の示す多彩な物性が、基礎科学的観点のみならず応用分野からも大きな注目を集め、盛んに研究がなされている。近年の精力的な研究によって、3d eg伝導電子が有する軌道自由度が、マンガン酸化物の示す複雑な磁気構造や電子相転移において重要な役割を担っていると認識されるようになってきた。軌道の方向秩序及びそれによって誘起される異方的な磁気秩序が、系の電子構造に著しく異方性を与えることは容易に想像できる。しかし良質な非双晶試料の育成は困難であり、現在までに電子構造の異方性が研究されることはほとんど無かった。本研究は、電子相図におけるほぼ全ての相にわたって良質の非双晶単結晶を作製し、光学伝導度スペクトルの異方性とその温度変化を測定することによって、複雑な軌道・スピン秩序が電子構造へ与える影響を明らかにしたものである。

 本論文は全7章からなる。

 第1章では、研究の背景となるペロブスカイト型マンガン酸化物の結晶構造、電子構造の特徴について概説した後、本研究の目的と本論文の構成について述べている。

 第2章では、実験に用いた単結晶試料の作製及び非双晶化の詳細と、光学測定の詳細、得られた光学スペクトルの解析方法について述べている。

 第3章から第6章までが具体的な実験結果とそれに関する議論を述べた部分である。

 第3章では、母物質LaMnO3とLaサイトを置換したRMnO3(R=La,Pr,Nd,Sm,Gd,Tb)系に関する実験結果を示している。LaMnO3の光学伝導度スペクトルには電荷ギャップ遷移に対応するピーク強度に軌道秩序の型を反映した明瞭な異方性が観測され、スペクトルの異方性やギャップ構造の温度依存性は、電子構造を決定する上で軌道整列が重要な役割を果たしていることを示している。また、実験結果をO 2p軌道とMn eg軌道を考えたSlater-Kosterの方法による遷移強度計算と比較して議論し、電子構造を議論する上でO 2p軌道とMn eg軌道の混成が重要な役割を果たしていることを明らかにしている。

 第4章ではx=1/2付近で見られるCE型電荷・軌道整列反強磁性相の典型例としてNd1-xCaxMnO3系を取り扱っている。光学伝導度スペクトルの温度依存性からは、電荷・軌道整列によって2eV以下のスペクトル強度が再分配され、ギャップ構造が形成されるという電子構造の変化が明らかにされた。

 第5章はフィリング制御系Nd1-xSrxMnO3に関する実験結果であり、特に高ドープ濃度領域で見られる低次元的な軌道・スピン秩序状態に焦点を当てている。A型及びC型秩序状態で、スペクトルは軌道・スピン秩序を反映して顕著な偏光依存性を示し、この異方性は常磁性相においても観測され、磁気転移点よりはるかに高温まで3z2-r2型軌道整列が存在することを示唆している。また、3次元的強磁性金属を示す系に対する測定結果と比較することによって、二重交換系の電荷ダイナミクスと伝導の次元性の関係について議論している。

 第6章では電荷・軌道整列相や強磁性金属相が競合している領域で見られる複雑な相変化を対象としてPr1/2Sr1/2MnO3及びNd1/2Sr1/2MnO3を扱っている。両組成のスペクトルは磁気相転移を通して大きな温度変化を示す。特に、従来は等方的であると考えられていた強磁性金属相の電子構造にも異方性が存在することが明らかにされた。これは、強磁性金属相においても軌道の方向秩序が存在することを強く示唆している。

 第7章では、本研究で得られた成果をまとめて、本研究の意義を述べている。

 以上を要するに、本論文では、磁気電子材料として高いポテンシャルを有するペロブスカイト型マンガン酸化物の電子構造について、非双晶試料を用いた光学スペクトルの偏光・温度依存性の測定によって詳細な知見を得た。マンガン酸化物の複雑な相図におけるほとんど全ての軌道・スピン秩序相にわたって系統的で詳細な実験データが得られており、その結果、O 2p-Mn eg軌道混成の重要性、軌道秩序による電子構造の再構成、二重交換系の電荷ダイナミクスと次元性との関連、常磁性相や強磁性金属相においても存在する軌道相関と異方的な電子構造といった多くの新たな、重要な知見が得られた。これらの点で、本研究は物性物理学、物理工学の進展に寄与するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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