学位論文要旨



No 118018
著者(漢字) 鏡,慎吾
著者(英字)
著者(カナ) カガミ,シンゴ
標題(和) 適応機構を有する実時間センサ情報処理システムの研究
標題(洋)
報告番号 118018
報告番号 甲18018
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5476号
研究科 工学系研究科
専攻 計数工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石川,正俊
 東京大学 教授 相澤,清晴
 東京大学 教授 舘,�ワ
 東京大学 教授 南谷,崇
 東京大学 助教授 橋本,浩一
内容要旨 要旨を表示する

 人間の知的活動が高度化し、情報処理技術が進展するとともに、実世界から情報を取得するためのセンサ情報処理技術に対する要求も高度化・多様化している。一般にセンシングとは、実世界から利用者にとって有用な情報を選択・抽出する行為を意味するが、ますます多様化し続ける利用者の要求に応えるためには、センシング目的や環境に対してこれらの過程を適応させるための技術の確立が重要となる。

 さまざまなセンサ情報の中でも、視覚情報は特に重要なもののうちの一つである。視覚センサとしては、従来からCCD型のイメージセンサが広く用いられているが、視覚情報の利用目的が広範になり、要求が高度化するのにつれて、そのフレームレートや、ダイナミックレンジ、感度特性などの性能が、必ずしも満足のいくものではないことが認識されつつある。一方で、これらの各性能はしばしば互いにトレードオフの関係にあり、あらゆる性能指標について常に最大の性能を得ることは困難である。

 本論文は、ソフトウェアによって制御される適応機構を画素レベルの構造に導入した実時間視覚センシングシステムを実現することを目的とし、その実現のために必要となるアーキテクチャおよびセンサ制御手法を提案するとともに、これらの技術の応用に向けたセンサ情報処理アルゴリズムを提案するものである。具体的には、センシング特性をソフトウェアで制御でき、かつ十分な処理性能を有する実時間視覚処理システムを設計・実装し、その特性の制御を実現するアルゴリズムを提案した。また、このように特性制御の可能なセンシングシステムの利用に際して、さまざまなトレードオフを定量的に扱って、適切なセンシング戦略を構成するための手法を提案した。

 まず、センサを高い時間分解能で実時間制御することを可能とするためのマイクロコントローラのアーキテクチャを提案した。ここではセンシング特性を制御する際に必要となる実時間制御の時間分解能について考察し、特にセンシング対象が持つ周波数特性や、デバイスの物理的制約に応じて、高い時間分解能が要求されることを指摘した。この要求に基づき、SIMDアレイ型のセンサの制御を行うためのマイクロコントローラアーキテクチャを提案した。このアーキテクチャは32ビットのRISC型プロセッサに、制御コードの生成・送出やデータ入出力といったSIMDアレイの制御を行う専用パイプラインが統合された形になっており、命令サイクルの時間分解能での実時間動作を保証できる点を特徴としている。

 次いでこのアーキテクチャに基づき、ビジョンチップを用いた実時間視覚処理システムの設計と実装を行った。ビジョンチップは、イメージセンサの各画素ごとに処理回路が集積されたSIMDアレイであると見なすことができる。ここでは、制御手順も開発に付随する要求も異なる2種類のビジョンチップを制御対象として取り上げ、同アーキテクチャのもとで、要求に応じてさまざまな設計を行うことが可能であることを示した。またこれらの設計に基づいて実装された実時間視覚処理システムについて述べ、実際にビジョンチップを搭載して高速に視覚処理を行うことが可能であることを示した。

 この視覚処理システムにおいて、その視覚センサとしての特性をソフトウェアで制御するための具体的な手法を提案した。高い時間分解能での実時間制御が可能なことを利用して、ノイズの影響を最小化する条件のもとで、任意の量子化間隔で入力光のA-D変換を行うことができることを示した。提案手法では、ある時間だけ光電流を蓄積した際の信号レベルが、ある参照電位に達しているかどうかを判定することで、量子化の各境界値との比較を行う。それぞれの境界値に対して、この「時間」と「参照電位」という2つの自由度を適切に制御することで、ダイナミックレンジやノイズ耐性、フレームレートといったさまざまな特性を必要に応じて所望のものに設定することを可能としている。この手法を、実現された実時間視覚処理システムに実装し、その有効性を示すとともに、提案した制御アーキテクチャが、センサ特性の制御という目的に対して有効に機能することを示した。

 以上により、ソフトウェアによって特性を制御できる視覚センサの実現という目的に対する一つの解を与えた。一方で、このように特性制御の可能なセンサを用いる際に、どのような特性を設定するべきであるかは、さらに別の問題である。そこで、本論文では以上の内容に続いて、センシング目的に応じて、最適な特性を動的に選択するための手法を論じた。ここでは視覚センサのフレームレートと画質がトレードオフの関係にあることに着目し、このトレードオフを定量的に扱って、最適なフレームレートを選択することを目的とした。この問題を解決するために、異なるフレームレートでの視覚センシングをカルマンフィルタを用いて表現し、良いセンシング戦略とは推定誤差の共分散行列を最小化するものであると定めることにより、両者を共通の基準で評価できる枠組のもとに置いた。具体的なタスクとして、運動する対象を視覚センサで観測してその軌道を推定する問題を取り上げ、これを上記の枠組に当てはめることで、適切なフレームレートが選択できることを数値実験により示した。

 以上では、単一のセンサにおける適応機構を扱って来たが、最後に、複数のセンサがネットワークにより結合された場合のセンサ情報処理の適応機構を論じた。ここでは、センシング目的に応じて、対象の情報を効率よく得ることができるようなセンサをネットワーク内から選択するための手法について、特にネットワークを介して情報を受け取る際の通信遅延の存在を明示的に取り扱った形で議論した。まず、複数のセンサがそれぞれ異なる通信遅延を持ち、またその遅延が変動して、結果としてセンサ情報が実際の時刻とは順不同で到着する場合でも、それらの情報を正しく統合できるように拡張されたカルマンフィルタを提案した。これは、遅延を伴って到着するセンサ情報をそのタイムスタンプに基づいて順次統合できるアルゴリズムとなっている。次いで、この拡張されたカルマンフィルタによる状態推定を行う際に、適切なセンサを選択するための手法を提案した。この手法は、センサを選択する基準として従来から用いられている相互情報量を利用しているが、現在時刻の推定値にもたらされる情報量が通信遅延によって減少する点を、定量的に表現できている点を特徴とする。このカルマンフィルタのアルゴリズムおよびセンサ選択のアルゴリズムを数値実験で検証し、その有効性を示した。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、「適応機構を有する実時間センサ情報処理システムの研究」と題し、7章より構成されている。実世界から有用な情報を選択・抽出するためのセンサ情報処理への要求は、ますます多様化し続けており、その要求に効率的に応えるためには、センシング目的や環境に対してこれらの過程を適応させるための技術の確立が重要となる。本論文は、ソフトウェアによって制御される適応機構を画素レベルの構造に導入した実時間視覚処理システムを構築し、視覚センシングの特性の柔軟な制御を実現するとともに、このセンシングシステムの利用に際して、さまざまな性能の間のトレードオフを定量的に扱って、目的に合致した適切なセンシング戦略を構成するための手法を提案し、その有効性を示したものである。

 第1章は序論であり、ソフトウェア制御による適応性をセンサ情報処理に導入することの必要性を指摘した上で、今後のセンサ情報処理の在り方におけるその重要性を論じ、本論文の目的と構成を述べている。

 第2章は「実時間センサ制御アーキテクチャ」と題し、センシング特性の制御には高い時間分解能での実時間性が要求されるとの考察に基づいて、SIMDアレイ型のセンサの制御を行うためのマイクロコントローラアーキテクチャを提案している。このアーキテクチャは32ビットのRISC型プロセッサに、制御コードの生成・送出やデータ入出力といったSIMDアレイの制御を行う専用パイプラインが統合された形になっており、命令サイクルの時間分解能での実時間動作を保証できる点を特徴としている。

 第3章は「ビジョンチップを用いた実時間視覚処理システム」と題し、前章のアーキテクチャに基づいて構築された視覚処理システムについて述べている。センサとして、画素ごとにディジタル処理回路を集積したイメージセンサであるビジョンチップを採用し、要求に基づいた設計と実装を行うことで、十分な演算性能を実現するとともに、高い時間分解能での実時間制御が可能なことを実証している。

 第4章は「ソフトウェアによる画素レベルA-D変換の制御」と題し、前章までで構築したシステムにおいて、センサの各画素における入力光のA-Dの変換を制御して、任意の特性を得るためのアルゴリズムを提案している。同アルゴリズムは、光検出器への参照電位入力と動作タイミングとの2者を同時に制御する点を特徴としており、実時間制約を考慮した最適なスケジューリングを行うことで、ノイズの影響を少なくすることを可能としている。前章までで実現されたシステムにこの手法を実装することで、同手法の有効性を実証するとともに、提案した制御アーキテクチャが、センサ特性の制御という目的に対して有効に機能することを示している。

 第5章は「センサ特性の最適選択」と題し、任意の特性を与えられる視覚センサの利用に際して、センシング目的や環境に応じて、最適な特性を選択するための手法を論じている。ここでは、視覚センサのフレームレートと画質がトレードオフの関係にあることに着目し、カルマンフィルタを用いて両者を共通の基準で評価できる枠組のもとに置くことで、トレードオフを定量化して適切な選択を実現している。提案手法は対象追跡タスクを例とした数値実験により検証され、対象の運動状態や観測ノイズの大小、センサと対象の位置関係などに応じた、適切なセンシングが実現できることが示されている。

 第6章は「通信遅延を考慮したセンサ選択」と題し、複数のセンサがネットワークで結合されたシステムにおいて、通信遅延の存在を明示的に示した上で、対象の時報をより効率よく得ることができるようなセンサを選択するための手法を提案している。ここでは、まず複数のセンサから遅延を伴って順不同で到着するセンサ情報に対して、計算量・記憶量に負担をかけずに統合できるように拡張されたカルマンフィルタを導入している。次にこの枠組に基づいて、各センサによる観測がもたらす情報量に対して、通信遅延による影響を含んだ形で定量的に評価するための手法を提案している。この手法は視覚センサを用いた対象追跡タスクの数値実験により検証され、観測精度と通信遅延の両者を状況に応じて適切に考慮したセンサ選択が実現できることが示されている。

 第7章は結論であり、本研究の成果がまとめられている。

 以上要するに、本論文は、実時間視覚センシングにおける適応機構に関して、画素レベルの構造として実現するために必要となるアーキテクチャ並びにアルゴリズムを提案し、これをシステムとして実装することによってその有効性を実証するとともに、種々のトレードオフを考慮しながら、目的や環境に適応可能なセンシング戦略を構成するための手法を提案したものである。知能化センシングの研究に対して、特に実時間性を強く意識した新しい手法を提供するものであり、関連分野の研究の発展に貢献するとともに、計測工学の進歩に対して寄与することが大であると認められる。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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