学位論文要旨



No 118022
著者(漢字) 雨宮,邦招
著者(英字)
著者(カナ) アメミヤ,クニアキ
標題(和) CR-39とAFMを用いたマイクロドシメトリ手法とその医学・生物学的応用に関する研究
標題(洋) Study on Microdosimetric Detection Method using CR-39 with AFM Readout and its Application to Medicine and Biology
報告番号 118022
報告番号 甲18022
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5480号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中沢,正治
 東京大学 教授 勝村,庸介
 東京大学 助教授 高橋,浩之
 京都大学 助教授 古林,徹
 国立療養所香川小児病院 医師 中川,義信
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

 硼素中性子捕捉療法(Boron Neutron Capture Therapy:BNCT)1は、腫瘍集積性硼素化合物と外部から照射する熱中性子との10B(n、α)7Li反応で生ずる短飛程(10μm:細胞一個分)の荷電粒子を利用して腫瘍細胞を選択的に死に至らしめるという治療法で、浸潤の激しい腫瘍、特に脳腫瘍や悪性黒色腫の治療として期待されている。ここで重要なのは硼素薬剤の分布特性であることは言うまでもなく、実験的には免疫染色蛍光顕微鏡観察と並んでαオートラジオグラフィによる組織内・細胞内硼素分布測定が行われてきた2。しかし従来法では光学顕微鏡による観察のため分解能は悪く(1μm)、細胞内構造レベルでの硼素分布測定は難しかった。近年では原子間力顕微鏡(AFM)を用いることで数10nmという微小な荷電粒子の飛跡をも測定可能になった3ため、この技術を応用して細胞内硼素薬剤分布測定・マイクロドシメトリのための高分解能αオートラジオグラフィ法の開発を行った。粒子飛跡の検出に用いているCR-39プラスチック飛跡検出器は密着型X線顕微鏡4用のX線感光材料としても利用でき、同一のCR-39上で粒子飛跡と細胞のX線透過像とを同時に高分解能に観察することができる。図1に本手法の模式図を示す。

2.手法の基礎特性

2.1.撮像の分解能

 AFMを用いて粒子飛跡像及び細胞X線透過像観察を行う際の分解能を調べる実験を行った。CR-39小片に静電加速器からの1MeVのHeイオンを照射した。照射後のCR-39は70℃の7N NaOH水溶液中で2分間エッチングし、Heイオンによる微小なエッチピットをAFMで観察したところ、開口部の直径およそ80nmであったが、粒子入射位置は開口の中心もしくは円錐形状のエッチピットの先端であるから、入射位置測定はCR-39の表面粗さ〜数nm程度の精度まで行えるものと考えられる。

 次にCR-39を用いたX線顕微鏡の分解能測定のため、CH9小片に17μmグリッド、厚さ3.7μmの銀メッシュ越しに軟X線を10mJ/cm2程度照射した。軟X線はYAGレーザの2倍高調波パルス(幅3ns)をイットリウムターゲット上で50μm程度に集光させて生じるレーザプラズマから得られる。照射後のCR-39は上述の条件でエッチングし、CR-39上に生じた段差をAFMにて観察した。分解能の指標となる、エッジの広がりはおよそ100nmであった。もしX線吸収分布が階段関数的で、エッチングが損傷量に応じて等方的に進むのであればエッジの広がりは50nm程度と考えられるが、実際にはX線源たるレーザスポットの大きさと、観察対象たる銀メッシュの厚さに起因する半影ボケが100nm程度になることがエッジの広がりを大きくしている原因と考えられる。BNCTでの細胞内硼素分布測定に際しては実験に使う試料の厚さが1μm程度であるため、細胞のX線透過像の分解能は100nm以下になるものと考えられる。

2.2.硼素濃度較正線

 BNCTにおけるαオートラジオグラフィを行うにあたってはαトラック密度が硼素の絶対濃度と十分な線形性を保っている必要がある。そこでαトラック密度と硼素濃度との較正線を得るため、標準濃度の硼素を含有したゲル(ゼラチン:窒素濃度を生体と同等(2%)に調整)をクリオスタット中で3μm切片にしてCR-39上に用意し、一定量の中性子照射(4x1013/�p2)によるαトラック密度と硼素濃度との関係を得(図2)、高い線形性を有していることが確認された。較正線の切片はバックグラウンドプロトン数に対応する。

2.3.プロトンバックグラウンドの除去

 BNCTにおいては生体中の窒素原子との14N(n、p)14C反応によるプロトンや、照射中性子に含まれる高速中性子による標的中の反跳プロトンがバックグラウンドとして存在する。BNCTの治療効果や線量分布を評価する上ではこれらのプロトンの測定も必要であるが、こと硼素分布の測定を行う場合はプロトンの飛跡をカウントから除去する必要がある。後の細胞内硼素分布測定実験と同じ中性子照射量(4×1013/�p2)においてバックグラウンドピット数を測定した結果が表1にまとめてある。二酸化炭素雰囲気で照射することにより、空気からのバックグラウンドは大幅に低減できるが、試料からのバックグラウンドはなお存在するため、αトラックとの弁別・除去が必要となる。CR-39上に生成するエッチピットは、入射粒子のLETの増大に応じてサイズも大きくなるため、BNCTの治療条件ではLET値の大きく異なるプロトンとαとをピットサイズによって弁別できる。確認実験として、CR-39小片の全面にあらかじめ200keVのプロトンを3×108/�p2程度照射しておき、続けて1MeVのHeを5x108/�p2程度照射したのち、先述と同様の条件でエッチングした。ピットサイズの分布をとったものが図3である。プロトンのみを照射したサンプルのピットサイズ分布から、ピット面積9ピクセル(1ピクセル=40nm)近辺で弁別することによりプロトンとHeとを分離できると考えられる。実際、9ピクセルより大きい/小さいピット数密度はそれぞれHe/プロトンの照射量に相当していることが確認された。

2.4.粒子入射角度の測定

 エッチピットの形状からは、荷電粒子の入射角度も測定可能である。ことにαオートラジオグラフィを行う際は粒子の飛来方向を与え、試料の厚み分の位置ずれがどの程度かを知ることができるので粒子飛跡位置決定の実質の分解能向上に役立つ。入射角度測定の精度を確認するため、CR-39小片に放医研のHIMACからの500MeV/nFeイオンを90°、75°、60°、45°、30°の角度をつけて107/�p2程度照射し、70℃ 7N NaOH水溶液で10分間エッチングした後、AFMでエッチピット形状を観察した。

 従来法では、エッチピット開口部の楕円形状(長径D、短径d)及びバルクエッチング量(エッチングによる溶出厚)Bから、式によって入射角度を求めているが、上式を用いた計算法では90°入射に近いほど誤差が大きくなる傾向がある。AFM測定ではエッチピットの3次元形状が測定可能であり、エッチピットの頂角δおよび緩やかな方の勾配の傾斜角φからθ=δ+φとして算出できる。

 一方500MeV/nのFeイオンはCR-39(1mm厚)を貫通するので表裏両面にできたエッチピットの位置ずれを光学顕微鏡で測定すれば、その値とCR-39の厚さから入射角度を算出できる。この方法では入射角度を0.1°の精度で求められ、上記ピット形状から算出した結果と比較した。

 図4にFeイオンの入射角度測定の結果を示す。横軸に上述の位置ずれから求めた入射角度を取り、縦軸にAFM測定により得られた入射角度をとっている。エッチピットの3次元形状を利用すると90°照射近辺においても数度の精度で入射角度が得られていることがわかる。本研究でαオートラジオグラフィを行う際の細胞切片試料は1μm程度の厚みであるため、角度誤差による位置決めの誤差は100nm程度に抑えられる。

3.BNCTにおける細胞内硼素分布測定

 これまでに述べた手法を応用して、BNCTにおける高分解能αオートラジオグラフィにより、細胞内硼素分布測定を行なった。あらかじめラットの脳にC6 glioma cellを移植しておき、1週間後にラットに硼素薬剤を投与した。2時間後にラットを安楽死させて脳組織を取り出しエポキシ樹脂に包埋した後、ミクロトームにより1μm厚に薄切してCR-39小片に載せた。試料はまず熱中性子を4×1013/cm2程度照射した。その後先述のレーザプラズマ軟X線を照射し細胞のX線像をCR-39に写し込んだ。試料は70℃ 7N NaOH水溶液で2分間エッチングし、AFMにて観察した。図5は現在BNCTの臨床で用いられている代表的な硼素薬剤、BSH、BPAについて得られた結果の例である(エッチピットを緑色の点として表示)。

 図6に細胞内構造ごとの硼素薬剤(αトラック)の分布を示した。細胞内取り込み機構の違いからBPAはBSHに比べ数倍多く取り込まれること、BSHは核膜や細胞膜近辺に、BPAは細胞内全体に分布することが報告されており、それを支持するデータを得た。

4.まとめ

 BNCTにおける細胞内硼素分布測定のための高分解能αオートラジオグラフィ手法を開発し、分解能100nm程度を得ることができた。本手法は定量的に、かつBNCTにおいて直接治療に関わる粒子を検出できる点が、他の硼素分布測定手法にはない最大の特長である。今後検討を要する具体的な課題としては、大量データ処理のための画像処理法や、図7に挙げられるような紫外線による簡便な細胞イメージング法を用いた細胞内物質分布測定法の確立などが挙げられる。

文献

1)H.Hatanaka,Y.Nakagawa,Int.J.Radiat.0ncol.Biol.Phys.,28(1994)1061.

2)G.R.Solares,R.G.Zamemhof,Radiat.Res.,144(1995)50.

3)RV.Coleman,et al.,Surf.Sci.,297(1993)359.

4)T.Tomie,et al.,Science,252(1991)691.

図1:高分解能αオートラジオグラフィ手法の模式図。

図2:αトラック密度と硼素濃度の較正線。

表1バックグラウンドプロトンのピット数。

図3:エッチピットサイズの分布。

図4:粒子入射角度測定の結果。

図5(a):硼素薬剤BSHの細胞内分布。

図5(b):硼素薬剤BPAの細胞内分布。

スケールバーは10μm。

図6(a):等投与量での各硼素薬剤の細胞内分布。

IN:細胞核内、PN:細胞核周、CY:細胞質内、PC:細胞膜周辺、EX:細胞外領域。

図6(b):各硼素薬剤の細胞内分布割合。

IN:細胞核内、PN:細胞核周、CY:細胞質内、PC:細胞膜周辺、EX:細胞外領域。

図7(a):細胞の紫外線透過イメージングによって得られたCR-39上のレリーフ。

矢印で示すようにαトラックとの同時観察も確認された。

図7(b):上記レリーフの光学顕微鏡画像。

矢印はαトラックの例。スケールバーは10μm。

審査要旨 要旨を表示する

 硼素の同位元素であるB-10は、中性子と原子核反応をして、10B(η、α)7Liのように、荷電粒子としてのアルファ線とリシウムイオンを発生する。このことを用いると、10Bを含む化合物をガン細胞に吸収させておくと、外部から人体あるいは脳内に熱中性子が入って、ガン細胞のところで荷電粒子を発生するので、この飛程10μm程度の荷電粒子が近くのガン細胞に衝突してこれに損傷を与え、ガンを選択的に死に至らしめるという治療法が可能となり、これは硼素中性子捕捉療法(Boron Neutron Capture Therapy、BNCT)と呼ばれている。これは1951年にBNLでFarrらによって始められたが、10Bを含む薬剤がガン細胞にきちんと行っているのかが分からないまま治療が進められたこともあり、明確な形で治療効果があるのかどうか分からないまま、ある場合には治癒率が高かったり、あるときには不充分と言われてきたりしている。

 本研究は、この薬剤から出るα線の飛跡分布が、細胞のどのあたりにあるのかを調べることにより、この方法を微視的に特徴づけようとする大変に挑戦的な仕事にトライされた結果である。論文は英文で書かれており6章で構成されている。

 第1章は緒言であり、一般的な放射線療法の歴史や、特に放射線計測的側面についてレビューしており、そのような文脈のなかでBNCTの問題点についても解説している。その結果として当面の研究課題を導出しており、BNCTから出てくるα線について高分解能で位置分布を求め、それを通して10B自身の位置分布を求めること、同時に細胞イメージングを実施し、そのα線分布が細胞のどの位置にあるかを求めることを目的に据えている。

 第2章は上記の目的を達成するために用いた方法の紹介とともに、各種の実験装置についてその概要を説明している。今回、α線測定には商品名でCR-39と呼ばれる固体飛跡検出器(SSTR)を用いており、またSSTR上の飛跡読みとりには、従来のエッチングと光学顕微鏡ではなくより高分解能が可能な原子間力顕微鏡(ATM)を用いて、α線ラジオグラフィーの空間分解能を数nmにすることを目的にしている。今回実測値は80nmであった。又、α線オートラジオグラフィー図中に細胞イメージングを同時に行ない、細胞のどの位置にα線飛跡があるのかをみてみることについては、X線顕微鏡を用いる方法ではX線源のボケを含めて100nm程度の半影としている。又、同時にCR-39の基礎特性データを入手するために用いた荷電粒子用加速器として、原子力研究総合センターのバンデグラフ加速器(RAPID)、千葉の放射線医学研究所の重イオン医学用加速器(HIMAC)、BNCTに用いられている京都大学原子炉実験所の原子炉(KUR)について説明している。

 第3章は高分解能イメージングの基礎特性について、ラットの脳にガン細胞を移植した後、硼素薬剤を投与して細胞資料中のα線イメージングデータを取得して検討している。特に、細胞イメージングデータ上にα線飛跡分布をプロットしたデータを見ると、細胞イメージングをX線顕微鏡で行なうと、マスク厚さ3.7μmのとき半影ボケ100μmのエッチングであった。α線のバックグランドとしてのプロトン飛跡を除去し、α線やリシウムイオンと区別するとか、飛跡が斜め入射した際の補正法についても検討している。

 第4章は、ラットの脳イメージング結果をまとめて示している。硼素薬剤として一般的なBSHと新しい薬剤BPA(フェニルアラニンのアナログズ細胞のイオンチャンネルを介して能動輸送される薬剤)についてα-線オートラジオグラフィデータを解析し、BPAが細胞内に一様に分布するのに対し、BSHは燐質と結合しており、細胞膜や細胞核膜周辺に多く分布しているというデータを出し、医療用の判定を可視的に分り易くしている。

 第5章は、細胞イメージングをX線による測定ではなく、260-280nm紫外線を用いて行なう方式について提案実施し、空間分解能がおよそ130nm程のα線イメージングが可能となる簡便な方法を考案している。これは、極めて容易に実施でき、α線イメージングとは別に、一般的な細胞イメージングのみの方法としても利用できるとしている。

 第6章はまとめてあり、α粒子のAFM飛跡と、細胞のX線又は紫外線イメージングを重ね合わせて、高分解能α線オートラジオグラフィが可能となったとしており、BNCT用硼素薬剤ごとの薬剤分布データを取得することが可能となったと結論づけている。今後の課題としては、硼素薬剤分布の時間的変化を測定するとか、マイクロドシメトリーデータや様々な薬剤についてのデータ取得が必要としている。

 本研究は、BNCT用のα線オートファジオグラフィの開発を通して、医療工学としてのBNCT手法に革命的かつ技術的な発展を促しており、今後の展開が期待される。このことを通じてシステム量子工学に多くの寄与をしていると考えられる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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