学位論文要旨



No 118024
著者(漢字) 井上,康博
著者(英字)
著者(カナ) イノウエ,ヤスヒロ
標題(和) 実数型格子ガス法によるソフトコロイド系の流動特性解析
標題(洋)
報告番号 118024
報告番号 甲18024
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5482号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大橋,弘忠
 東京大学 教授 吉村,忍
 東京大学 助教授 石川,顕一
 東京大学 助教授 長崎,晋也
 東京大学 助教授 陳,�c
内容要旨 要旨を表示する

背景

 コロイドは、コロイド粒子と媒質からなり、非ニュートン流れ、粘弾性といった複雑流体の特性を示す。これらの特性は、コロイド中の内部構造によって支配されている。多くのことがコロイド粒子間の相互作用について知られているが、それらが系の中でどのような構造を取るか、流動特性はどのようになるのかといったごとはあまり知られていない。

 本研究では、数値解析手法の便宜から、コロイドを次の2つに分ける。1つは、変形の少ないコロイド粒子によるハードコロイドであり、他方は、変形を無視できないコロイド粒子によるソフトコロイドである。

 ハードコロイド粒子の例としては、研究用のラテックスや岩石の風化により生成される粘土鉱物、各種工業分野で使用されている金属製微粒子が挙げられる。これらのレオロジー特性や流動挙動は、A.Einstein[1]のBrown運動の理論(1905年)と球形粒子分散系の粘度式(1906年)に代表されるように、20世紀初頭から研究されている。現実の分散系がEinsteinの粘度式に従うことは稀であり、そのため多くの修正式が提案されてきた。また、無限ずり速度での粘度を予測する理論式もいくつか提案されている[2、3]。一方で、近年においてはコンピュータを用いた数値解析モデルが多数提案されており[4]、これらはコロイド物理学の発展に大きく貢献している。

 ソフトコロイド粒子の例としては、液滴、油滴、気泡、ベシクル、リポソーム、赤血球、バクテリア、牛乳のたんぱく質などが挙げられる。ベシクルは、薬剤を内包できるため、化粧品や医療分野へ応用されている。ソフトコロイドに関しても20世紀初頭から研究されている。特に、液滴、気泡に関しては様々な実験、数値解析モデルを見ることが出来る。しかし、ミセル、ベシクル系を始めとするその他のソフトコロイドに関しては、ハードコロイドに比べると流動あるいはレオロジーという観点からは系統的に調べられていない。これは次の理由による。まず、数値解析の観点からは、凝集するが合一しない多数の変形する界面の扱いが困難であることによる。この数値的な困難を打開することが本研究の目的の1つである。また、実験の観点からは、次節で述べる困難による。

ソフトコロイドと数値解析モデル

 学術的な興味から、また、工業的な必要性から、ソフトコロイドに関する系の構造と物性に関する研究が望まれている[5]。一方で、ソフトコロイドのレオロジー特性を調べる実験においては、試料調整条件や調整後の時間経過による測定値の変動が著しく、結果の解析が困難になる場合が多い。また、最新の市販装置を使用するにしても、一般の分析機器とは異なり、その作動原理によってはソフトコロイドのレオロジー特性に大きな影響を及ぼす。また、様々な分野で成功を収めている数値解析に目を向けると、ソフトコロイドにおける数値解析モデルはほとんど見られない。しかし、ソフトコロイドの数値解析モデルは、必ずこの分野に新しい知見をもたらすと期待することが出来る。今では良く知られた剛体球コロイド粒子の長時間テイルは、数値解析によって提起された問題であったことを思い起こして欲しい。

 本研究の目的

ソフトコロイド分野における数値解析モデルを開発することは、この分野の発展に大きく貢献することができる。本研究は、1)ソフトコロイドの数値解析モデルの提案、2)ソフトコロイドに関する基礎的なレオロジー調査、3)興味ある体系への応用、を行う。本研究の優れた新規性として次の2点を挙げる。

A)メゾスコピックの立場にある粒子法を用いた数値モデル。

B)ソフトコロイドのレオロジー調査。

 A)により、すべての現象はローカルな相互作用から発現する。物理の局所性に基づくため、相互作用は簡単なルールにより定義される。言い換えれば、いかなる方程式も必要としない。既存の数値手法は方程式を必要とするため、それらを導出する仮定を破ることが出来ない。つまり、連続体近似、平均場近似、孤立近似を破る領域を捉えることが出来ない。近似の崩壊は、対象とする領域の物理現象がマルチスケールであることと同義である。本手法において、マルチスケールの用語に代表される複雑現象は、時間-空間の局所的な素過程の集積により自発的に発現する。

 B)ソフトコロイドのレオロジーを分散安定性とコロイド粒子濃度を変えて調査し、ずり粘度のずり速度依存性をコロイド内部構造との関連から考察した。既存の数値手法は、コロイド粒子の変形、レオロジー調査に必要なコロイド粒子濃度、コロイド粒子間の流体相互作用を同時に扱うことは計算負荷の観点から全く不可能である。また、実験においても試料調整や測定に関する困難がともなうため、系統的なレオロジー調査を行った例を見出すことはできない。本研究は、ソフトコロイドのレオロジー調査を行った数少ない例となる。

本研究の概要

 ソフトコロイド粒子を一種の流体と見なし、ソフトコロイドを多成分流体と見なした。I)メゾスコピックの視点から、多成分流体モデルを開発した。II)多成分流体モデルのフレームワークでソフトコロイドを再現できることを確認した(以下、ソフトコロイドモデルと呼ぶ)。III)ソフトコロイドモデルを用いて、ソフトコロイドのレオロジー特性を調査し、コロイド内部構造との関連から考察した。IV)興味ある体系として、微小循環系の血液流れを想定したシミュレーションを行い、微小循環系に特徴的な現象を定性的に再現した。

I)多成分流体モデル

 実数型格子ガス法は、[6]をもとに、Ohashiらが工業的実用化に向けて開発してきたメゾスコピック流体モデルである[7、8、9]。本研究で提案する多成分モデルは、[7]の色モデルを拡張したモデルである。色モデルは、流体粒子の成分による違いを色で表現しており、色ルールに基づいた色分離(相分離)が実現される。しかし、[7]は成分数を三成分に制限している。本研究は成分数の制限のない新しい多成分モデルを提案する。新しい多成分モデルは色ポテンシャルエネルギー(以下、色ポテンシャル)を導入することで実現される。色ポテンシャルは、相分離現象の本質から定義される。図1は、多成分モデルによる相分離シミュレーション例である。図は、七成分の流体の一様混合状態から相分離したときの平衡状態を示している。

II)ソフトコロイドモデル

 I)の多成分モデルによりソフトコロイドの分散・凝集シミュレーションを行うことが出来る(図2は凝集過程を示す。)。

III)ソフトコロイドのレオロジー

 2次元の平行平板間にソフトコロイド粒子を分散し、クエット流れを再現して、ソフトコロイドのずり粘度を調べた。ずり粘度のずり速度依存性は、分散安定性、コロイド粒子濃度の違いにより異なることを確認した(図3)。特に、ハードコロイドには見られない現象として、ソフトコロイド粒子の変形によるshear-thinningを確認した。また、濃度が高いとき、shear-thinning領域において、コロイド内部構造がレイヤー上に秩序化する現象を確認した(図4)。この現象は、ハードコロイドの実験と定性的に一致する。Shear-thickening領域においては、コロイド粒子の非定常クラスター、コロイド内部の秩序構造の崩壊を確認した。

IV)興味ある体系への応用

 微小循環系の血液流れを想定し、赤血球の輸送シミュレーションを行った。微小循環系における血漿分離流(壁面近傍の赤血球濃度が低下する現象:図5)、赤血球の細い流路内での変形をともなう流れ(図6)を定性的に再現した。

まとめ

 多成分流体モデルを開発し、ソフトコロイドモデルとして応用した。ソフトコロイドのずり粘度とすり速度の関係をコロイド内部構造から考察した。その結果として、ソフトコロイドモデルは、コロイド粒子の分散安定性、コロイド粒子間の流体相互作用を正しく捉えることができ、コロイド内部構造および非ニュートン性を自発的に発現することを確認した。興味ある体系として、微小循環系を模擬した流動シミュレーションを行い、本研究の将来の可能性を示すことが出来た。

本研究の将来性

 本研究により提案するソフトコロイドモデルは、コロイド粒子の集団運動と孤立運動がクロスオーバーする領域を扱うことができ、かつ、コロイド粒子と大域的な流れ、局所的な流れの相互作用を正しく捉えている。したがって、本研究は既存のいかなる手法も到達できない領域に今まさに踏み出したところである。本研究の延長線上には、既に新しい知見が宿っているのである。

参考文献

[1] A. Einstein, Investigation on the theoly of the Brownian movement.(DOVER), 1956.

[2] Batchelor G.K., J Fluid Mech, 56:401

[3] Brady J.F., J Chem. Phys., 99:567 (1993).

[4] A.J.C. Ladd et al., J. Stat. Phys. 104:1191 (2001).ほか

[51日本レオロジー学会編,講座・レオロジー(高分子刊行会),1996.ほか

[6] Malevantets et al., J Chem. Phys, 12:7260 (2000).

[7] Y. Hashimoto et al., Comp. Phys. Comm., 129:56 (2000)

[8] T. Sakai et al., Comp. Phys. Comm. 129:75 (2000).

[9] Y. Inoue et al., J Stat. Phys., 107:85 (2002)

図1 多成分モデルによる七成分相分離

図2 ソフトコロイド粒子の凝集

図3 ずり粘度のずり速度依存性

図4 コロイド内部の秩序化

図5 L字管内のコロイド流動

図5 複雑体系内のコロイド流動

審査要旨 要旨を表示する

 コロイドを含む流体系は、生体をはじめとして食品、潤滑材など日常、産業のさまざまなところに見られる。このような系の流動特性は、生体機能の解明や高機能製品の開発といった実用上の観点と、また、多数の要素を含む非一様流体系の示す非平衡ダイナミックスといった学術上の観点から重要で、今後の流れ解析に課せられた主要な課題のひとつとなっている。

 コロイドのなかでこれまで多くの研究が行われてきたのは、ラテックス、金属微粒子など変形しないコロイド粒子を含む系についてである。一方、液体中の分散液滴、赤血球、ミセルなどは変形することができるソフトなコロイドで、血液流れ、生体中の化学物質輸送、界面活性剤による洗浄プロセスなどに広く見られる。ソフトコロイド系の流動特性に関連した研究はほとんど行われておらず、その重要性に鑑みて、今後、その流動機構、流動特性を明らかにしていくことが必要となってきている。

 本研究は、以上を背景とし、ソフトコロイド系の流動特性を解析できるモデルの研究を行い、数値解析モデルを開発すること、そして、それを用いてソフトコロイド系の基礎流動特性を評価することを目指したものである。メゾスコピックな実数型格子ガスモデルを用い、混じり合わない分散液滴としてコロイドをモデル化し、さまざまな解析をとおして解析手法の妥当性と有効性を確認し、ソフトコロイド系の流動機構の検討を行っている。本論文は、このような研究の成果を7つの章にまとめたものである。

 第1章は序論であり、研究の背景と位置付けをまとめたものである。ソフトコロイド系のモデルに関する考え方をまとめ、研究目的を述べている。

 第2章は実数型格子ガス法の特性を検討した章である。まず、実数型格子ガス法のアルゴリズムを説明し、その特質のひとつとして動的構造因子の統計解析を行っている。この結果から、実数型格子ガス法が自然な形で熱揺らぎを評価できる手法であり、コロイド系の解析に多大な利点を有していることを確認している。

 第3章では、コロイドモデルの基礎として実数型格子ガス法を多成分に拡張したモデルを開発し、その妥当性を検証した章である。表面張力、相分離時の代表長さの時間スケーリングについても議論している。

 第4章では第3章で開発したモデルを用いてソフトコロイド系を多成分流体としてモデル化する手法を説明し、非流動系の数値解析によってコロイドの分散状態や凝集状態が再現できることを示している。

 第5章はソフトコロイド系の流動特性を詳細に検討した章である。レオロジー特性として流体のずり速度と粘性の関係をコロイド濃度の関数として現象的に評価し、それがソフトコロイドの配位とどのような関係にあるかを機構的に検討している。そして、生起するShear-thinnin、Sher-thickeningの領域と流れ条件との関係を流れのレイヤー構造に結びつけて整理できることを明らかにしている。

 第6章では微小循環系を模擬した体系を流れるソフトコロイド系の解析と結果をまとめている。流路曲がり部での壁面せん断応力特性、流路内でのコロイドの流路中心への集中、複雑なネットワーク型流路での流動について、本研究で開発したモデルが有効に機能し、機構的に合理的な結果が得られることを明らかにしている。

 第7章は結論であり、本研究で得られた成果をまとめた章である。

 以上を要するに、本論文は、新しい流体解析手法として実数型格子ガス法を拡張してソフトコロイド系の流動解析モデルと解析アルゴリズムを確立し、それを基にして、基礎特性、物理的妥当性を評価し、ソフトコロイド系のレオロジー特性や流動機構を再現して、手法としての妥当性を確認し、合わせて工学問題への適用性を示したものであり、今後の複雑流れ流体解析の進展に寄与するところが少なくない。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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