学位論文要旨



No 118026
著者(漢字) 高橋,昭如
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,アキユキ
標題(和) 材料強度のマルチスケールシミュレーション
標題(洋)
報告番号 118026
報告番号 甲18026
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5484号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 矢川,元基
 東京大学 教授 関村,直人
 東京大学 教授 岩田,修一
 東京大学 教授 吉村,忍
 東京大学 助教授 奥田,洋司
内容要旨 要旨を表示する

 金属材料内部に多数存在する転位は、金属材料の塑性変形において重要な役割を果たし、転位の挙動を精度良く理解することは金属材料の変形および強度を知る上で重要である。これまでに弾性論を基とする転位論が研究され、多くの転位に関する基礎的な知見を与えている。しかし、転位論は非常に単純な転位の形状や挙動および相互作用のみを記述することは可能であるが、実際の金属材料内部にあるような複数の非常に複雑な転位の挙動および相互作用を記述することは不可能である。近年の金属材料使用環境の過酷化および高度化にともない、金属材料に対して強化機構を施し、高強度化された金属を使用することが重要となってきている。主な金属材料の強化機構としては第2元素を金属材料中に析出される析出強化などの方法がある。したがって、金属材料に強化機構を施した場合に金属材料がどのように強化されるかを把握することが、金属材料の設計や経済性の向上において重要である。例えば、析出強化を施した金属材料では、析出物が転位の移動に対する障害物としての役割を果たし、転位の移動を阻害し、金属材料を硬化させるというメカニズムが存在する。また中性子照射による材料脆化の問題も同様に、材料中に形成される点欠陥や銅原子のクラスターによる転位の挙動への影響が主要な要因として考えられている。すなわち、金属材料の強度を評価する上で、転位と障害物の相互作用および障害物が多数存在する金属材料中を移動する転位の挙動を十分に理解することが重要である。

 そこで本論文では、分子動力学法と転位動力学法を用いた金属材料強度のマルチスケールシミュレーション手法を提案する。本論文は6章で構成され、第1章では研究の背景、目的を述べ、第2章ではマルチスケールシミュレーションの現状を述べる。

 第3章では、提案する分子動力学法と転位動力学法によるマルチスケールシミュレーション手法の概要を述べる。分子動力学法は原子間ポテンシャルと仮定することによって原子の挙動をシミュレートする方法であり、転位の挙動に関する仮定を用いずに、転位の挙動を原子論的に調べることができる方法である。しかし分子動力学法では、多数の転位を計算するためには非常に多数の原子を取り扱う必要があるため、現在の最速の計算機を用いたとしても分子動力学法のみで実際の金属材料内部の転位挙動をシミュレートすることは不可能である。一方転位動力学法は、転位線を複数の単純な形状の線分に分割し、各線分に作用する力を転位論を基に計算し、転位の動的な挙動を計算する方法である。転位動力学法は、転位線分を取り扱う方法であるため、分子動力学法に比べて少ない計算量で多数の転位を計算することが可能であるが、転位諭を基に計算を行うため、転位論に記述されていない転位の挙動を取り扱う場合には工夫を要する。本マルチスケールシミュレーション手法は、これらの手法の長所を生かし、分子動力学法で転位論では記述されていない転位と転位の障害物であるクラスターの相互作用を計算し、その結果のモデル化を通じて、転位動力学法で用いることが可能な形の相互作用のローカルルールを作成し、そのローカルルールを取り入れた転位動力学法によって、多数のクラスターを含む金属材料内部の転位の挙動の計算を可能とする方法である。転位とクラスターの相互作用のローカルルールは、分子動力学法計算によって得られたクラスターのピン止め作用による転位の張り出し角を用いて、クラスターの転位の移動に対する障害物の強度としてモデル化する。したがって張り出し角をそのまま用いるモデル化と異なり、線張力近似を転位動力学法における計算に持ち込まないため、様々な応力場における転位とクラスターの相互作用を、転位動力学法において正確に取り扱うことが可能である。

 第4章では、本マルチスケールシミュレーション手法の適用例として行った原子炉圧力容器鋼の中性子照射による材料劣化現象のシミュレーションについて述べる。原子炉圧力容器鋼は、供用中における高エネルギー中性子の照射によって、材料中に点欠陥が生成され、その点欠陥の拡散によって自らクラスターを生成すると共に、材料中の不純物である銅原子などのクラスターを生成することが知られている。材料劣化の主な要因として銅濃縮クラスターの生成および銅濃縮クラスターの与える転位へのピン止め作用などが考えられている。そこで本適用例では、まず分子動力学法により点欠陥および銅原子の拡散のメカニズム、点欠陥-銅原子クラスターの静的・動的特性を調べ、得られた結果を入力情報とするキネティック・モンテカルロ法によって点欠陥-銅原子クラスターの形成の様子を調べた。本シミュレーションにより多数の新たなメカニズムを発見することができた。さらに本手法を用いて転位と銅濃縮クラスターの相互作用の様子や、銅濃縮クラスターのあたえる転位組織形成への影響および巨視的な単結晶の機械的特性への影響を調べた。分子動力学法による転位と動濃縮クラスターの相互作用のモデル化およびローカルルール化においては、作成したローカルルールを転位動力学法に取り入れ検証を行った結果、作成したローカルルールを用いることにより、転位動力学法において分子動力学法の結果を良好に再現することを確認することができた。さらに鉄単結晶モデルおよび鉄-銅モデル合金内の転位の挙動の転位動力学計算を行い、銅濃縮クラスターの与える転位組織形成への影響や、単結晶の応力-ひずみ関係への影響、すなわち材料を硬化させる現象を見ることができた。

 第5章では、本手法の別の金属材料への適用例として行ったニッケル基超合金の強度評価について述べる。ニッケル基超合金は、ニッケル固溶体のγ相内に強化相として金属間化合物のγ'相を析出させた材料で、優れた高温強度を示すことからガスタービン動翼の材料などに用いられている。したがって材料の変形特性を知る上で、転位とγ'相の相互作用を知ることが重要である。そこで、本適用例においても、まず分子動力学法を用いて転位と球状のγ'相の相互作用の様子を調べ、その結果をモデル化し、そのモデルから得られるローカルルールを転位動力学法に取り入れた。ローカルルールの検証においては、ローカルルールを用いた転位動力学法によって、転位と球状γ'相の相互作用の分子動力学計算の結果を良好に再現することを確認した。転位と大きな立方体状γ'相の相互作用のモデル化は、逆位相境界の形成を基に行い、このモデルから得られるローカルルールを用いた転位動力学法によって、立方体状γ'相の周りに転位ループが形成するという実験結果と定性的に一致する結果を得た。さらに球状および立方体状γ'相の数密度を変化させた3種類のモデルを用いて、ローカルルールを取り入れた転位動力学計算により、球状γ'相が転位組織や材料の強度の変化、すなわち材料の硬化に与える影響を見ることができた。また立方体状γ'相が転位の挙動を完全に阻害し、材料の塑性変形に対して大きな抵抗となることを確認し、形成した転位組織の様子は、実験によって観察された様子と定性的に一致した。

 第6章では、本研究によって得られた結論を述べる。本研究では分子動力学法と転位動力学法によるマルチスケールシミュレーション手法を提案した。2つの適用例を通じて、本手法を用いることで様々な内部組織を持つ金属材料の転位組織形成の様子や、巨視的な機械的特性の評価を行うことが可能となることを示した。すなわち本手法が、原子レベルの転位とクラスターの相互作用の情報から、転位組織の形成というメゾスケールの情報および単結晶の機械的特性という巨視的な情報を導き出す方法であることを示した。原子炉圧力容器鋼への適用例の結果は、本手法自体の検証を行うと共に、従来から用いられている分子動力学法とキネティック・モンテカルロ法によるマルチスケールシミュレーションと本手法を組み合わせて用いることで、原子レベルの点欠陥-銅原子クラスター形成のメカニズムの解明から、転位とクラスターの相互作用およびクラスターの与えるメゾスケールの転位組織形成への影響や巨視的な機械的特性への影響の評価が可能となることを示している。さらにニッケル基超合金の適用例により、本手法が様々な金属材料の強度評価に用いることが可能であることを示すことができた。しかし本手法は、単結晶金属内での転位の挙動のシミュレーション手法であり、実際の金属材料のような多結晶中の転位の挙動は取り扱うことができないため、多結晶性金属材料の強度評価や様々な金属材料を用いた構造物の信頼性などの評価を本手法のみで直接的に行うことは不可能である。しかし、本手法の与える結果は、単結晶内での転位組織の様子や、応力-ひずみ関係であるため、この結果をさらに上のスケールのシミュレーションの入力情報として用いることによって、多結晶性を考慮したシミュレーションが可能となる。例えば、本手法によって得られる結果である転位密度の変化や転位組織形成の様子をモデル化し、そのモデルを転位密度の発展式に取り入れた結晶塑性理論の有限要素法解析を行うことによって、転位とクラスターの相互作用を考慮した多結晶金属のシミュレーションが可能となることが考えられる。したがって本手法の提案および本手法の結果のさらなるモデル化を行うことは、これまでに行われてきた有限要素法による巨視的な構造解析および多結晶解析と分子動力学法やキネティック・モンテカルロ法などで行われてきた、ミクロな金属材料の内部組織の形成のシミュレーションをつなげる役割を果たすと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 金属材料内部に多数存在する転位は、金属材料の塑性変形において重要な役割を果たし、転位の挙動を精度良く理解することは金属材料の変形および強度を知る上で重要である。強化機構を施した金属の材料強度の変化を詳細に把握することや、中性子照射による材料脆化に代表される材料強度の経年変化の本質的なメカニズムを理解する上で、転位と障害物の相互作用および障害物が多数存在する金属材料中を移動する転位の挙動を十分に理解することが重要である。

 そこで本論文では、分子動力学法と転位動力学法を用いた金属材料強度のマルチスケールシミュレーション手法を提案する。本手法は分子動力学法と転位動力学法の長所を生かし、分子動力学法で転位論では記述されていない転位と転位の障害物であるクラスターの相互作用を計算し、その結果のモデル化を通じて、転位動力学法で用いることが可能な形の相互作用のローカルルールを作成し、そのローカルルールを取り入れた転位動力学法によって、多数のクラスターを含む金属材料内部の転位挙動の計算を可能とする方法である。すなわちシミュレーションベースによる転位挙動のマルチスケールシミュレーションを可能とする方法である。本手法の具体的な適用例を通じて転位組織や材料強度の評価を行い、妥当な結果を本手法から導き出している。特に金属のミクロ組織形成のシミュレーション手法である分子動力学法とキネティック・モンテカルロ法と、本手法を組み合わせて用いることにより、原子レベルの情報から転位組織の情報や巨視的な材料強度の情報を導き出すことが可能となることを示している。さらに本手法は様々なミクロ組織を持つ金属に適用することが可能である。本論文は6章で構成されている。

 第1章では、本研究の背景として金属材料の研究における課題の指摘とシミュレーションに対する期待を述べ、さらに本研究の目的を述べている。

 第2章では、特に金属材料に関するマルチスケールシミュレーションに関してのこれまでの研究を紹介し、提案する手法の位置付けおよび優位性について議論している。

 第3章では、分子動力学法と転位動力学法の基礎について述べると共に、分子動力学法と転位動力学法のマルチスケールシミュレーション手法を提案している。

 第4章では、提案する手法の適用例として行った原子炉圧力容器鋼の材料強度の経年変化の解析について述べている。本適用例では、点欠陥生成から材料強度変化までのマルチスケールシミュレーションを行い、点欠陥の基礎的な特性のモデル化においては、様々な新しいメカニズムの発見および提案を行っている。また新たなメカニズムを実装したキネティック・モンテカルロ法により様々な照射環境下における点欠陥・銅原子クラスター形成の様子の違いについて述べている。本手法を用いた銅濃縮クラスターと転位の相互作用のシミュレーションにおいては、本手法が原子レベルの相互作用の情報から転位組織や巨視的な材料強度の変化を導き出せることを示すと共に、従来の分子動力学法とキネティック・モンテカルロ法と組み合わせて用いることにより、さらに大きなスケールヘのスケールアップが可能であることを示している。

 第5章では、ニッケル基超合金に対して提案する手法を適用し、材料中のγ'相の影響を評価し、材料中の転位組織の様子や材料強度の情報を導き出している。すなわち本適用例は、提案する手法が様々な他の金属へも適用可能であることを示している。

 第6章では結言をまとめると共に、本研究の今後の発展性について述べている。

 以上を要約すれば、本研究の成果は従来から行われていた点欠陥生成からクラスター形成までのマルチスケールシミュレーションのスケールを転位密度や材料強度の評価へつなげるさらなるスケールアップを可能としている。さらに構造信頼性評価への接続までの展望も付け加えられており、点欠陥生成という原子レベルの現象から構造信頼性評価という工学的に重要な評価を、マルチスケールシミュレーションという考え方を基に実現する方法の確立に貢献するものである。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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