学位論文要旨



No 118027
著者(漢字) 高屋,茂
著者(英字)
著者(カナ) タカヤ,シゲル
標題(和) 磁気的手法を用いた応力腐食割れの初期劣化評価
標題(洋) Evaluation of Initial Degradation in Stress Corrosion Cracking by using Magnetic Methods
報告番号 118027
報告番号 甲18027
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5485号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上坂,充
 東京大学 教授 関村,直人
 東京大学 教授 班目,春樹
 東京大学 助教授 工藤,久明
 東京大学 助教授 出町,和之
内容要旨 要旨を表示する

背景と目的

 日本の商業用原子力発電は1970年代に開始し、現在、全国各地で52基の原子炉が運転されている。内3基が運転開始から30年以上経過しており、20年以上経過しているものも21基存在している。運転許可年数が40年から最大60年に延長された米国に倣い、日本においても原子炉の長期運用が検討されており、高経年劣化対策が重要な課題となっている。

 また、破壊力学的見地からき裂の存在を容認する新しい維持基準の導入が検討されており、同時に定期検査計画の見直しも行われている。このような状況下では、合理的な検査計画の作成のために、材料劣化評価手法のさらなる高度化が必要とされる。

 炉内構造物に関しては、高経年劣化事象として、疲労、熱鋭敏化による応力腐食割れ(SCC)、照射誘起応力腐食割れなどが挙げられるが、この内SCCが、最近連続して報告され大きな問題となっている。ただし熱鋭敏化とは、溶接時の熱処理によって耐腐食性の担い手であるクロムが結晶粒界に炭化物となって析出し、粒界近傍で欠乏した結果、材料がSCC感受性を示すようになることである。

 SCCき裂の発生・進展をより確実に予測あるいは防止するためには、鋭敏化を簡便に高精度で推定する手法の開発と、初期SCCき裂の検出手法の開発が重要となる。ここで、鋭敏化評価および初期SCCき裂検出のパラメータとして磁気特性に着目する。なぜなら磁気特性は劣化現象に敏感な物理量のひとつであり、さらに非破壊評価手法に適しているからである、本論文では、代表的な炉内構造材料であるインコネル600とSUS304ステンレス鋼に関して、磁気力顕微鏡(MFM)を用いた鋭敏化評価手法を提案し、その有効性を検討する。また初期SCCき裂検出に関連して、磁束密度測定およびMFM観察を行い、SCCと磁気特性の相関関係を明らかにする。さらに、劣化領域を推定するために、磁束密度測定結果から磁化分布を逆解析する手法の開発を行う。

磁気力顕微鏡を用いた鋭敏化評価

 溶体化処理後、620℃で0、6、9、18および43時間の熱処理を施したインコネル600およびSUS304鋼のMFM観察を室温、大気中で行った。試料表面と探針間の距離は約100nmであり、使用したMFMは、磁気力をピエゾ素子とカンチレバーの位相差により検出する。また試験片は鏡面研磨後、観察する直前に観察面に垂直方向に永久磁石(〜0.4T)で着磁された。

(インコネル600)

 鋭敏化材に関して、図1に示すような結晶粒界に沿った磁化を確認することが出来た。一方、溶体化材については、特に磁化は確認されなかった。インコネル600はキュリー温度が室温以下であるが、クロム量が減少するにしたがって急激にキュリー温度が上昇し、約10wt%を下回ると室温でも強磁性を示すようになる。また、強磁性金属を含む合金の原子飽和磁気モーメントを示すスレーター-ポーリング曲線から、Ni-Cr合金ではクロム量が減少すると原子飽和磁化モーメントが急激に上昇することがわかる。このことからMFMによって得られた磁化はクロム欠乏領域に対応していると考えられる。

 熱処理時間の異なる試験片のMFM観察結果を比較したところ、磁化分布はエッチ試験により推定されたクロム欠乏領域同様、熱処理時間とともにより連続的になることが確認された。次に、結晶粒界を横切る位相差の平均プロファイルから、位相差の結晶粒界上における平均値、および半値幅を求めた。半値幅は熱処理時間が長くなるにつれて単調に増加しているのに対して、結晶粒界上における位相差の平均値は約25時間まで増加した後、減少することがわかった。クロム量は、結晶粒界近傍において初期の段階では熱処理時間とともに減少するが、熱処理時間が約25時間を越えた付近から再拡散により増加すること知られている。このことから、MFMによりクロム欠乏を推定可能であることがわかる。

(SUS304綱)

 インコネル600同様に、鋭敏化材に関して結晶粒界近傍における磁化を明瞭に確認することが出来た。ただし、SUS304綱では磁区構造を見ることが出来る(図2)。また、溶体化材については磁化分布を確認できなかった。このことから、SUS304綱についても観察された磁化が熱処理に寄るものであることがわかる。

 熱処理時間の異なる試験片のMFM観察結果を比較したところ、熱処理時間が長くなるにしたがって磁化が連続的になっていることがわかる。結晶粒界近傍における位相差の振幅を求めたところ、約25時間あたりまで増加した後、飽和あるいはわずかに減少していることがわかった。SUS304鋼に関し、結晶粒界近傍においてクロム欠乏量が数十時間まで増加し、その後クロムの再拡散により徐々に減少することが報告されており、位相差の振幅の時間変化はこのクロム欠乏量の時間変化と一致している。このことより、位相差の振幅からクロム欠乏量を推定可能であることが示された。

 さらに、EBSP法により相分布観察を行った。溶体化材に関しては全領域でオーステナイト相であることが示されたが、鋭敏化材の場合、一部結晶粒界近傍においてマルテンサイト相が確認された。またその形態はMFM像中の磁化分布とよく似ており、最大幅の平均値もほぼ等しい。このことから、鋭敏化による磁化はマルテンサイト変態によるものであることがわかった、

 SCCき裂の発生と進展に関して、各結晶粒界におけるクロム量と、クロム量が閾値を下回った結晶粒界の分布が重要であることが知られているが、MFMを用いれば、その両者を簡便に評価可能であることがわかる。

SCCと磁気特性の相関関係

(インコネル600)

 フラックスゲートセンサを用いて、加速試験によりSCCき裂が導入されたインコネル600管の磁束密度分布測定を行った。ただし測定前に永久磁石(〜0.4T)を用い、測定面に垂直方向に着磁を行った。インコネル600は常磁性材料であるが、SCCき裂導入に際して鋭敏化処理されており、残留磁束密度を測定することが出来た。さらにSCCき裂近傍で磁束密度が変化することも確認された。

 次に、SCCき裂近傍のMFM観察を行った。SCCき裂から200μm程離れた領域においては、MFMによる鋭敏化評価の検討を行った際、観測されたような結晶粒界での磁化分布が確認できた。しかし、その磁化はSCCき裂に近づくにつれ小さくなり、き裂から50μm程の領域では確認するのが困難になった。このことから、磁束密度分布の変化がSCCき裂近傍における磁化量の減少であることが明らかになった。光学顕微鏡観察によりき裂周辺において多くのすべり線が示され、塑性変形が局所的に起こっていることがわかる。強磁性材料に関して、塑性変形により磁区が細分化し、残留磁化が減少することが知られており、SCCき裂近傍での磁化の減少に関しても同様のことが考えられる。

(SUS304鋼)

 SCC加速試験(0.5%ポリチオン酸溶液中での3点曲げ試験)を行い、フラックスゲートセンサを用いて磁束密度変化のその場測定を行った。鋭敏化条件は620℃で18時間、梁理論より推定された最大曲げ応力は約100MPaである。なお試験片は測定前に永久磁石(〜0.4T)を用い、測定面に垂直方向に着磁が行われている。試験開始直後より磁束密度変化が始まり、4時間の試験時間中変化し続けることが示された(図3)。試験終了時における3試験片の平均磁束密度変化は0.011Gaussであった。SCCき裂近傍のMFM観察を行ったところ、き裂縁において応力誘起マルテンサイト変態によるレンズ状の磁化が確認された。このことから、SUS304鋼のSCCき裂導入による磁束密度変化は、マルテンサイト変態によるものであることが示された。

磁化分布逆解析手法の開発

 ニューラルネットワークに基づき、磁束密度分布から磁化分布を逆解析するための手法を開発した。これにより、劣化領域の特定が可能になる。ここでは、疲労により導入された磁化(加工誘起マルテンサイト変態)を対象にしているが、上で示されたような鋭敏化やSCCき裂導入による磁化にも簡単に適用可能であると思われる。開発された手法を用いて、疲労き裂試験片内部の磁化分布逆解析を行ったところ、き裂端部の応力集中部において磁化が大きくなっていることが示された。

 さらに、マルテンサイト変態率と初透磁率の間に相関があることから、より定量的な劣化診断を行うため、磁束密度分布から透磁率分布を逆解析する手法を開発した。シミュレーションデータに関して真の分布と逆解析結果の比較が行われ、手法の妥当性が示された。

結論

 SCCの初期劣化に関連して、MFMを用い広範囲における各結晶粒界のクロム量を推定可能であること、また加速試験に関してではあるが、SCCと磁気特性の相関関係が示され、初期SCCき裂の検出が可能であることが明らかになった。さらに開発された磁化分布逆解析手法を用いて、磁束密度分布から劣化領域を特定することが可能であることが示された。

図1 鋭敏化インコネル600(620℃/43時間)のMFM画像

図2 鋭敏化SUS304鋼(620℃/43時間)のMFM画像

図3 SCC加速試験中その場磁束密度測定結果(図中番号は試験片番号を示す)。

審査要旨 要旨を表示する

 近年、商業発電用原子力炉の高経年劣化対策が重要な課題となっている。特に炉内構造物に関しては、応力腐食割れ(以下、SCC)の発生がシュラウド溶接部近傍や再循環系配管溶接継手部などにおいて多数報告されており、その発生・進展をより確実に予測および防止できるようになることが望まれる。本論文では、特にSCCの初期劣化現象に注目して、材料劣化による磁気特性変化により、SCCの主発生原因のひとつである鋭敏化を簡便に高精度で推定する手法と初期SCCき裂の検出手法を新しく提案している。具体的には、(1)磁気力顕微鏡(以下MFM)による鋭敏化評価手法、(2)磁束密度測定による初期劣化検出手法、(3)ニューラルネットワークや遺伝的アルゴリズムに基づく磁化領域逆解析手法の開発が行われている。

 第1章では、まず最近の原子炉内におけるSCC発生事例を紹介している。次にSCCの主原因のひとつである鋭敏化に関して行われたいくつかの研究を紹介している。ここで、SCCの発生予測に関して、結晶粒界におけるクロム濃度と、鋭敏化した結晶粒界の分布(割合)を知ることが重要であることが示される。さらに、鋭敏化とマクロな磁気特性の相関関係を示すいくつかの研究を紹介している。常磁性体であるオーステナイト系ステンレス鋼やインコネル600合金に関して、クロム濃度が減少するに従って磁化率や残留磁化などが上昇することが示される。最後に、強磁性体、常磁性体の劣化診断手法を概説している。

 第2章では、今回ミクロな磁化観察に用いたMFMに関して、その原理など基礎的な物理を概観している。さらにニューラルネットワークや遺伝的アルゴリズムなどの逆解析手法や、主成分分析などの信号処理手法の概説を行っている。

 第3章では、MFMによる鋭敏化評価について述べられている。まずMFMの探針-試料表面間距離(リフトオフ)の最適化のために、ハードディスクや鋭敏化インコネル600合金のMFM観察を行い、その結果リフトオフを100nmに決定している。次に鋭敏化条件の異なるそれぞれ5片のインコネル600合金およびSUS304ステンレス鋼のMFM観察を行っている。溶体化材に関しては特に、注意すべき磁化を認めることは出来なかったが、鋭敏化材に関してはクロム濃度が減少していると思われる結晶粒界近傍において磁化している様子が示された。このことから、クロム濃度変化によるマクロな磁気特性変化は結晶粒界近傍における磁化が原因であることがMFM程度の精度で初めて示された。また鋭敏化時間によるMFM観察結果の変化が、結晶粒界近傍におけるクロム挙動から予想されるものと一致していることが明らかにされている。これより、MFMを用いてSCC発生予測に関して、最も重要な結晶粒界におけるクロム濃度と、鋭敏化した結晶粒界の分布を同時かつ簡便に、また精度良く測定可能であることが示された。MFMは大気中、液中での動作も可能で、原理的には実機への適用も可能であることが述べられている。さらにSUS304ステンレス鋼に関しては、鋭敏化による磁化の原因を明らかにするため、EBSP法による相分布観察を行っている。その結果、磁化が局所的な組成成分の変化によるマルテンサイト変態によるものであることが示された。

 第4章では、磁束密度測定による初期SCCき裂の検出に関する記述に当てられている。まず、SCCき裂が導入されたインコネル600合金の磁束密度を、着磁後測定することにより、SCCき裂近傍で磁束密度が変化していることが示されている。MFMによるSCCき裂近傍の磁化分布観察の結果、この磁束密度の変化がき裂近傍での磁化の減少によることが明らかにされる。強磁性体に関して、塑性変形により残留磁化が減少することが報告されている。この場合も、き裂導入時に磁区の細分化が起こり、残留磁化が減少した結果であろうと推測している。さらに遺伝的アルゴリズムに基づき磁束密度測定結果から磁化分布を逆解析する手法を開発し、本測定結果に適用している。逆解析された磁化はSCCき裂を中心に減少しており、本逆解析手法により初期SCCき裂の検出が可能であることが示された。次にSUS304ステンレス鋼に関して、腐食液中3点曲げ試験および腐食液なしでの3点曲げ試験を行い、試験中その場磁束密度観測を行っている。その結果、腐食液中試験時のみ、磁束密度が試験開始直後から増加し始めることが示されている。一方、SCCき裂は約2.5時間後に検出されていることから、SUS304ステンレス鋼に関しても、磁束密度測定により初期SCCき裂の検出が可能であることが示された。さらにSCCき裂縁のMFM観察を行い、SCCき裂導入中の磁場変化は、応力誘起マルテンサイト変態によるものであることが示された。

 第5章では、測定された磁束密度分布から、劣化領域に対応する磁化領域を求めるためにニューラルネットワークに基づき開発された逆解析手法に関して述べられている。ここでの対象は疲労試験片である。ただし、SCCき裂に関しても磁化変化が起こることが第4章で示されており、本逆解析手法をSCCに適用することも可能である。まず、疲労試験片の磁化領域逆解析を行い、疲労き裂近傍の磁化領域の推定を行っている。さらに、より定量的な劣化診断を行うために、磁化率分布の逆解析を提案し、シミュレーションデータに関して、精度良く逆解析可能であることを示している。

 以上のように、本論文における研究成果は、高い独創性を有しており、応力腐食割れの初期劣化評価手法の研究分野では非常に有用なものである。また、システム量子工学の発展に寄与するところが大きいと判断される。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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