学位論文要旨



No 118028
著者(漢字) 瀧澤,伸一郎
著者(英字)
著者(カナ) タキザワ,シンイチロウ
標題(和) リアル・オプション・アプローチによる原子力発電所建設投資評価
標題(洋)
報告番号 118028
報告番号 甲18028
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5486号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,篤之
 東京大学 教授 岩田,修一
 東京大学 教授 吉村,忍
 東京大学 助教授 長谷川,秀一
 東京大学 助教授 岡本,孝司
内容要旨 要旨を表示する

 本研究では、Pindyckらのリアル。オプション・アプローチのモデルに基づき、原子力発電所建設投資を正当化するような投資タイミングを評価した。特に、近年進められている規制緩和、電力自由化を考慮したときに従来の投資評価とは異なる結果が得られることに着目する。さらにリアル・オプション・アプローチの枠組みの中で、価格規制の影響を考慮した投資モデルを作成した。

 近年、公益事業においても経済性を考慮することが重視されてきている。原子力発電所などにおいてもこうした流れが生まれつつある。この結果、公益事業を投資の観点から評価することも必要となってきている。

 従来、新規生産設備あるいは研究開発(R&D)への投資を評価する手法としてNPV(Net Present Value)法が広く用いられてきた。この手法においては、まず対象とする投資において生じる各年の収入と支出の現在価値換算後の総和NPVを計算する。もしもNPVが正ならば投資は正当化され、負ならば正当化されない。ここでNPV法には幾つかの問題点が指摘されている。第一にNPV法は投資の不可逆性を考慮していないという点が挙げられる。従来の投資評価手法では市場の状態が予想よりも悪化した場合、いったん投資した設備等を転売等により回収可能と考えている。ところが多くの場合投資に支払った額を回収することは不可能である。第二にNPV法は、投資を遅らせることができるという、投資の権利および判断における柔軟性の価値を考慮していない。第三に、NPV法は将来の収益の不確実性を考慮していないという点である。これらの理由から、従来の投資評価手法であるNPV法は投資評価をするには不十分であると考えられてきている。このことは、不確実性の多い市場において設備投資を決定する前になるべく財務上のリスクを回避したいと考える電力会社等についても言える。

 さらに、現実の経営者の投資意思決定はNPV法により予想される投資評価と乖離していることがSummersの研究により明らかにされた。NPV法においては、将来の収益を現在の価値に換算する際に割引率により割り引くことによりその値を求める。したがって、この値が大きいと将来の収益は少なく見積もられ、その結果、投資決断の分岐となる点も上昇し、投資はし難くなる。この割引率の選択はNPV法において重要な位置を占める。一般には資本資産価格モデル、Capital Asset Pricing Model(CAPM)などを用いることにより決定される。CAPMは収益の不確実性と収益率の関係を求めるモデルである。不確実性が高いとき将来の収益が高くなければ投資しないであろうという考えに基づき、市場のポートフォリオ(例えばTopixなど)に対して線形に近似したものである。この値よりも収益率が高ければ、その投資は正当化され、それ以下ならば正当化されない。上述のSummersの研究では、割引率に8%から30%の広がりがあり、その平均値は17%であった。またこの時期の金利が4%であることを考えると、この割引率はCAPMなどの理論では説明できないくらい高い値だとしている。企業経営者はNPVの理論から推定されるよりも、投資により慎重になっていることが伺える。

 NPVとは逆に、投資の不確実性に重点を置き、金融との類似点に着目した手法も投資の評価に用いられている。これらはBlack-Sholesの理論を基礎とするものであり、同様の評価手法をとる。Black-Sholesの理論は、債権、株などの資産を将来売買するときに、その売買する権利を現在一体いくらに設定するとよいか(オプション価格)を理論的に導出するモデルである。不確実性が高いほどその期待値も大きくなるために、オプション価格も増大する。Black-Sholesの理論を基礎とするモデルでは、生産設備における生産を義務ではなく権利と考え、金融工学のオプションにおける将来行使する権利との類似性に着目し、生産設備のオプション価値を評価している。

 NPV法とBlack-Sholes型評価手法の将来収益リスクに対する投資価値の考え方はこのように全く対照的である。NPV法では、リスクの増大とともに、投資の価値は減少していく。将来の収益が不確実なために、損失を出す可能性があると考えるからである。これに対し、金融工学的アプローチでは、不確実性の増大は投資価値の増大を意味する。これは、将来収益が不確実な結果、収益が将来増大する可能牲があると考えているからである。 この両者の結果は投資の価値に対し全く逆の評価を下している。

 これらの結果に対し、実際の投資意思決定を矛盾無く説明するモデルをPindyckらが開発した。Pindyckらのモデルでは、不確実性の増大は投資の価値を増大させるものの、投資自体は十分収益が確保されることが分かるまで待つべきだという結果を導き出すことに成功した。つまり、投資のオプション価値と投資意思決定のタイミングは別次元であると考えている。将来に関する不確実性は、将来損失が増大する可能性があるとともに将来利益を生む可能性もある。ここでさらに、損失を生むときには中断、撤退するというオプションを考えれば、収益の分布はプラスの側に偏ったものとなる。したがって、投資の魅力は減少しない。損失を生むときには撤退することを考えれば、そのオプションは損失と利益に対し可能性が均等に分布しているわけではなく、利益に大きく偏在している。この結果、不確実性が存在するとき投資するオプションの価値は増大する。ただし、利益を生むことがはっきりするまでは投資に慎重にならざるを得ない。その結果、投資の決断は先延ばしされる、という結論が得られる。これらの企業経営者、あるいは、投資家の行動をオプション理論により説明することに成功している。

 そこで本研究では、まず、Cortazarらの開発したリアル・オプション・アプローチのモデルを原子力発電所建設投資タイミング決定問題に適用した。本モデルは、生産における製品価格と材料価格の将来の不確実性を考慮して投資タイミングを決定するモデルである。本モデルにより原子力発電所建設投資タイミングを評価すると、従来NPV法で評価してきた結果よりも不確実性の影響を受ける結果、投資にはより慎重になるほうがよいという結論が得られた。この結果は、リアル・オプション・アプローチにより評価するとき得られる一般的な結論とも一致しており、モデルの適用が妥当であることが示された。また、金利の影響を受け難いというリアル・オプション・アプローチの特徴を確認することができた。従来のNPV法においては、投資の分析において、割引率やそれに関係する金利の影響を大きく受けることが問題とされてきた。NPVでは割引率を任意の好ましい値に選択することにより、結果をいくらでも変えることができる。その結果、分析には客観性が欠けたものとなることがしばしばであった。この問題点もリアル・オプション・アプローチは克服することに成功している。

 次に、規制状態下での企業の投資行動をリアル・オプション・アプローチにより評価することを試みた。従来リアル・オプション・アプローチでは、自由市場化での投資行動に焦点を当てた分析がほとんどであり、規制下での投資行動も同様の結果、つまり、投資は待つべきである、という結論が得られている。ところがこの結論は、古典的な投資理論とは矛盾している。古典理論では、規制があるときには投資は過剰になされるものであると結論付けられている。これに対し本研究では、規制状態を、製品価格が一定で生産コストのみが不確実に変動するという仮定をおくことにより表現した。この結果、規制下では投資が有利になるという結論を導き出すことに成功した。これは、従来のリアル・オプション・アプローチのモデルでは確認できなかったことである。解析にあたっては、日本の原子力発電および電力の1981年から2000年までをデータに用いた。これらのデータは、財務諸表便覧により公表が義務付けられている資料を元にしたものであり、客観性が高いと思われる。実際、他の研究においてもこの資料をもとにデータの算出が行われている。

 さらに、リアル・オプション・アプローチによる投資意思決定問題へとモデルの一般化を行った。公共事業が最近抱える問題として、経済性の重視という問題が挙げられる。国際的な取引を行う銀行も、BIS規制(バーゼル条約)により守るべき自己資本比率を義務付けられている。ところが、従来のリアル・オプション・アプローチでは投資オプションの価値はプロジェクト固有のものであり、どのような企業が行っても、投資意思決定のタイミングは変わらないとされてきた。しかし実際には、企業への種々の調査から個々の企業間でも投資意思決定に差があることが分かってきている。そこで本研究では、個々の企業の内部状態、特に借入金の存在を考慮した投資意思決定モデルを開発した。本モデルにより、個々の企業における借入といったその経営状態や、各企業の専門性などの経営方針を考慮した投資意思決定を評価することが可能となった。

 現在計算機性能の限界から、より複雑なモデルの構築や実際のデータによる実証研究が困難であるが、今後の応用としてこれらを可能とするモデルやプログラムの開発を行うことが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 近年、公益事業においても経済性を考慮することが重視されてきている。これは電力分野における原子力発電所建設にも当て嵌まる。従来経済性評価のための手法には正味現在価値法が用いられてきたが、投資の観点からの評価には不十分であった。本論文は、このような要請に応えるため、新しい投資評価手法であるリアル・オプション・アプローチを原子力発電所建設投資評価に適用し、また、当手法を発展させ、規制による影響、企業の内部状態の影響を評価したものである。

 本論文は、第1章で従来の投資評価手法の限界を示すことにより、新しい投資評価手法による研究の必要性を議論している。

 第2章では、代表的なモデルを用いることにより、リアル・オプション・アプローチの原子力発電所建設投資評価への適用可能性を示している。特に従来の評価手法である正味現在価値法の結果と比較することにより、その特徴および評価結果の異なる要因について議論している。また、それにより得られた結果の妥当性を評価している。

 第3章では、政府による電力価格規制の影響に言及している。政府の規制が存在する産業では、企業による投資は過剰になされるということが古典的手法により示されており、これは現実にも確認されている。ところが、政府の規制をプライス・シーリングという形でモデル化した場合、異なる結果が得られている。これに対し本論文では、可変コストを変数として扱うことにより、投資の過剰性という現実的状況の再現化に成功している。評価には実際の日本におけるデータを用いており、実証研究となっている。その際、計量経済学の手法である一般化モーメント法がパラメータの評価手法として用いられている。

 第4章では、より一般的な問題への応用を試み、企業の内部状態が投資にどのような影響を与えるかを評価できるモデルの作成を行っている。従来のリアル・オプション・アプローチのモデルでは、投資意思決定はプロジェクトに固有であり、それに携わる企業の特性は考慮されなかった。そこで本論文では、企業の投資意思決定を阻む要因として挙げられている、財務状態、特に借入金の存在を考慮することにより、個別の企業の投資意思決定が異なることをモデル化している。これにより、従来のモデルでは確認できなかった投資のねじれ現象、すなわち、大企業でも借入が大きく財務状態の良くない企業、また、財務状態が良くとも特定の分野に特化しているためにその業種の景気変動の影響を受け易い企業においては、財務状態が健全で効果的に多角経営の行われている企業に比べて投資が困難である、という現象の存在を明らかにしている。

 第5章は結言であり、本研究の結果をまとめるとともに、今後の原子力発電所投資評価問題へのリアル・オプション・アプローチの可能性について提言している。

 以上のように、本論文はリアル・オプション・アプローチの原子力発電所建設投資評価への適用可能性を示し、さらに規制環境下におけるより適切なモデルの開発および評価により、企業の投資行動を実証研究として評価している。さらに本論文は、より一般的な問題への拡張として、企業の内部状態を考慮したモデルを提案しその特徴を分析した研究であり、原子力発電の経済的分析の進展に寄与するところが少なくない。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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