学位論文要旨



No 118038
著者(漢字) 岡田,純平
著者(英字)
著者(カナ) オカダ,ジュンペイ
標題(和) 準結晶の電子構造に関する研究
標題(洋)
報告番号 118038
報告番号 甲18038
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5496号
研究科 工学系研究科
専攻 金属工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 七尾,進
 東京大学 教授 山本,良一
 東京大学 教授 木村,薫
 東京大学 助教授 市野瀬,英喜
 東京大学 助教授 枝川,圭一
内容要旨 要旨を表示する

 準結晶は5回対称、10回対称など結晶に許されない回転対称性をもった秩序構造物質である。1984年に準結晶が発見されて以来、数々の手法を用いて準結晶の研究が行われてきた。その大きな研究目標は「準結晶の本質とは何か」を明らかにすることである、準結晶はアモルファスでも結晶でもない準周期性で特徴付けられる原子構造を持つ。では準結晶の電子構造の特徴は何か、すなわち準周期性は電子構造にどのように反映されるのか、という問題は極めて重要な問題でありながら、未だに本質的な答えは得られていない。本研究の目的は、この問題に対して実験的に手がかりを得ることである。

 本研究では、Break Junction Spectroscopy(BJS)測定および高分解能コンプトン散乱測定を用いて準結晶の電子構造を研究した。これらの測定手法は、物性研究の有力な研究手段であるが、準結晶研究に用いられたことは殆どない。本研究ではチョクラルスキー法により作製した極めて良質な単準結晶を用いた。このような極めて良質な単準結晶を用いた測定は本研究が初めてである。そこでこれらの新しい測定法と良質な試料を組み合わせて、まだ発見されていない新しい準結晶の電子構造を観測することを試みた。

 まず準結晶のBJS測定結果についてまとめる、

(1)i-AlPdMn(単準結晶)

・幅25meVの擬ギャップ端を明瞭に観測した。

・EF(フェルミエネルギー)に微細なdip構造を観測した。

・他の手法(STM、Point Contact)のトンネル分光測定で報告されている〓依存性を示すスペクトルを観測した。

(2)α-AlMnSi(単準結晶)

・幅25meVの擬ギャップを直接観測し。

・〓依存性を示すスペクトルを観測した。近似結晶で〓依存性を示すスペクトルが観測されたのは初めてである。

(3)i-AlCuFe(単準結晶)

・EFに幅3.3〜6.5meVの微細な擬ギャップを非常に明瞭に観測した(図1)。

・EFに幅140〜145meVの擬ギャップを観測した(図2)。

(4)d-AlCuCo(単準結晶)

・EFにまたがって存在する幅6〜12meVの微細な擬ギャップを非常に明瞭に観測した。

 次に準結晶の高分解能コンプトン散乱測定結果をまとめる。

(5)d-AlNiCo(単準結晶)

・2次元準結晶の電子運動量密度分布の異方性を観測した。この異方性はフェルミ面と擬ブリルアンゾーンの相互作用が方位によって異なることを反映している。

・コンプトンプロファイルからd-AlNiCoの自由電子的な電子数を定量的に求められることを明確にした。

・自由電子近似に基づいてフェルミ面と擬ブリルアンゾーンの位置関係を明らかにし、d-AlNiCoではHume-Rothery機構が有効に働いていないことを実験的に確認した。

(6)i-CdYb

・i-CdYbのコンプトンプロファイルが、Al系準結晶と同様に放物線状の部分を持つことを明らかにした。

・i-CdYbの自由電子的な電子が寄与しているコンプトンプロファイルに放物線状とは全く異なるプロファイルを観測した。これはYb(5d)-sp混成を反映している可能性がある。

・i-CdYbむの電子状態密度の擬ギャップ形成にsp-d混成とHume-Rothery機構が共に有効に働いている可能性を指摘した。

 本研究の成果とその意義を述べる。本研究の第一の成果は、BJS測定によってi-AlCuFe準結晶の電子状態密度のEFに幅3.3〜6.5meVの微細な擬ギャップが存在することを明確にしたことである(図1)。

 本研究の第二の成果は、i-AlCuFe準結晶の電子状態密度のEFに幅140〜145meVの擬ギャップを観測したことである(図2)。幅数百meVの擬ギャップの存在は理論的に確立しており、また光電子分光測定から擬ギャップの存在が強く示唆されている。しかし、EF近傍の電子構造の直接観測を最も得意とするトンネル分光測定で観測されていないことが問題となっていた。本研究の結果はこの問題点を解決するものである。

 本研究の第三の成果は、電子について定量的な情報を得ることができるというコンプトン散乱の特徴を活かし、準結晶の自由電子的な電子数を初めて定量的に求めたことである。これに基づいて準結晶の安定性とHume-Rothery機構のかかわりについて定量的な議論を行うことができた。

 本研究の第四の成果は、i-CdYbのコンプトン散乱測定でsp-d混成を反映する可能性のあるコンプトンプロファイルを観測したことである。もし混成を捉えているのであれば、このプロファイルから混成状態にある電子数を定量的に決定することができる。

 今後の課題・展望を述べる、まずBJS測定について述べる、本研究で明らかになったBJS測定の課題は、準結晶のような複雑な電子構造を持つ物質がどのようなスペクトル形状を示すのか理論的に明らかにする必要性である。これまでに行われたトンネル分光測定は大多数がSTMを用いたものであるため、スペクトルの理論研究もSTMを対象にしたものが大多数である、BJS測定で得られるスペクトルは両電極の電子構造の畳み込みを反映したものであるため、直感的に理解することが難しい、したがって、例えばスペクトルの形状から物性情報を読み取ることが困難である。BJS測定は、清浄で新鮮なトンネル接合が作製可能であり、安定なトンネル接合が得やすいことからエネルギー分解能を0.01meV以上に向上させられる。またトンネル接合間距離を非常に小さく保つことが可能なので、様々な情報を含んだ微細なトンネル電流の検知が可能である。このように潜在能力が豊かな測定法であるので、今後BJS測定はトンネル分光の有力な手段として広がるであろう、そのためには、BJS測定で得られるスペクトルの理論的研究が必要である。次にBJS測定の今後の展望について述べる。本研究では、準結晶のEF近傍の微細な電子構造をBJS測定により観測できることを示した。本研究の結果のみでは断言できないが、すべての準結晶がEFに微細な擬ギャップを持つと予想される。その場合当然、合金系によって擬ギャップ幅・深さが異なるであろう。例えばEFの擬ギャップは熱電材料の性能と密接に関係する。したがって、BJS測定による擬ギャップ観測とこれまでの熱電材料研究の比較、またこれらの情報に基づく新たな熱電材料開発が今後の展開として期待できる。

 次にコンプトン散乱測定について述べる。本研究では、準結晶合金の自由電子的な電子数をコンプトン散乱測定により定量的に求められることを明らかにした。電子数について定量的な情報を得ることは非常に重要であるが、これが可能なのは現段階でコンプトン散乱測定のみである。ところで、本研究では準結晶合金を対象にしたが、そもそも自由電子的な電子数が問題になったのは1930年代のHume-Rotheryにまでさかのぼる。しかしながら自由電子的な電子数を実験的に決定しようとする研究はこれまで行われてこなかった。その意味で典型的なHume-Rothery型電子化合物など古典的な合金系のコンプトン散乱測定が必要である。このような合金系はこれまでの物性測定の蓄積があるので、コンプトン散乱測定結果を多面的に考察することが可能である。例えば、sp-d混成がコンプトンプロファイルの形状にどのように反映されるのかを明確にできるであろう。今後のコンプトン散乱測定の展開として期待できる。

図1 i-AlCuFeのトンネル分光スペクトル

図2 i-AlCuFeのトンネル分光スペクトル

審査要旨 要旨を表示する

 1984年に準結晶が発見されて以来、多くの研究手法を用いて準結晶の研究が行われてきた。その大きな研究目標は「準結晶の特質は何か」を明らかにすることである。しかしながら、準周期性で特徴付けられる準結晶の電子構造の特質は何か、すなわち準周期性は電子構造にどのように反映されるのかという問題は極めて重要であるにもかかわらず、未だに本質的な答えは得られていない。本研究の目的は、この問題の解決に対して有効な実験結果を得てそれを解析することである。本論文は、Break Junction Spectroscopy(BJS)測定、高分解能コンプトン散乱測定を用いて準結晶の電子構造を解析し、重要な知見を得ることに成功した本研究の経緯と結果を纏めたものである。

 論文は4章からなる。第1章は緒言であり、これまでの準結晶研究の成果と問題点、準結晶の原子構造、電子構造の特徴について説明し、本研究の目的について述べている。

 第2章では、トンネル分光測定手法の一つであるBJSを用いた準結晶の電子構造研究について述べている。これまでにBJSを準結晶研究に用いた例が無いため、本研究では初めに数多くの予備測定を行い準結晶のスペクトルの特徴を把握した。次に、非常に良質な単準結晶を用いた精密な測定を行った。その結果以下に述べる2つの主な成果が得られた。第1の成果は、BJS測定によってi-AlCuFe準結晶のフェルミ準位(EF)付近における電子状態密度に幅3.3〜6.5meVの微細なスパイク状のディップが存在することを明確に観測したことである。この微細な電子構造は、準周期性を反映して現れると理論的に予想されている電子構造に対応しており、学術的に意義深い。なお、この微細な電子構造はd-AlCuCo準結晶、i-AlPdMn準結晶の測定においても観測されており、微細な電子構造が準結晶に共通する電子構造である可能性が高いことを明らかにした。第2の成果は、EF近傍に幅140〜145meVの擬ギャップを明瞭に観測したことである。この擬ギャップはフェルミ面と擬ブリルアンゾーンの相互作用あるいはd状態と伝導電子状態の混成により形成されると考えられており、すでに光電子分光測定や比熱測定によって間接的にその存在が確認されていたが、直接に観測されたのは本研究が初めてである。

 第3章では、放射光(SPring-8)を用いた高分解能コンプトン散乱測定による準結晶の電子構造研究について述べている。第3章で得られた主な成果は次の2点である。第1は電子の運動量分布について定量的な情報を得ることができるというコンプトン散乱の特徴を活かし、準結晶の自由電子的な電子数を初めて定量的に求めたことである。これに基づいて準結晶の安定性とHume-Rothery機構の関係についての解析を試みた。このような視点での実験研究は全く新しいものであり、準結晶以外の合金研究へも適用が可能である。第2の成果は、i-CdYb準結晶のコンプトン散乱測定でsp-d混成を反映する可能性の高いコンプトンプロファイルを観測したことである。もしこれが混成を捉えているのであれば、このプロファイルから混成状態にある電子数を定量的に決定することができる。混成状態は固体内の電子状態として広く存在するので、混成状態を定量的に解析できることは学術的に意義深い。

 第4章は総括である。第2章、第3章で得られた実験結果、知見を総括し、本論文の学術的意義を明らかにしている。また、本研究の今後の展開の可能性について述べている。

 以上のように、本論文は準結晶合金の電子構造について新しい実験手法による測定と解析を行い、学術的に意義深い結果を得たことを内容としており、これらの新しい測定手法が準結晶の電子状態の研究に極めて有用であることを示すことに成功している。本研究で用いた手法は準結晶以外の金属物性研究への適用が可能であり、本研究の成果は金属物性工学への寄与が大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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