学位論文要旨



No 118046
著者(漢字) 桑原,彰秀
著者(英字)
著者(カナ) クワバラ,アキヒデ
標題(和) ジルコニアセラミックスの材料特性と電子構造
標題(洋)
報告番号 118046
報告番号 甲18046
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5504号
研究科 工学系研究科
専攻 材料学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐久間,健人
 東京大学 教授 木村,薫
 東京大学 教授 幾原,雄一
 東京大学 助教授 渡邉,聡
 東京大学 助教授 山本,剛久
内容要旨 要旨を表示する

 ジルコニアセラミックスは高酸素イオン伝導特性、高強度・高靭性、超塑性特性という優れた電気的、機械的特性を有する材料である。これまで、ジルコニアセラミックスが有する機能特性の発現機構の解明が試みられてきたが、1世紀以上に渡るジルコニアの研究の歴史の中でも未だに不明な点も残されている。近年、コンピューターの処理速度の飛躍的な向上により、複雑な系に対する第一原理計算が可能となり、古典論的なアプローチでは明らかにされなかった材料物性の本質が電子論レベルで明らかにされつつある。本研究では、第一原理分子軌道計算を用いて、ジルコニアセラミックスの有する超塑性特性、イオン伝導特性という材料物性を電子構造及び化学結合状態の観点から解析する。これにより、量子構造から物性の起源を明らかにし、新たな材料設計の指針を得ることを目的としている。

 正方晶ジルコニア多結晶体(TZP)は、高温において大規模な塑性変形能を有する代表的な超塑性セラミックスの一つである。このTZPに対して様々な酸化物を添加することで、その変形挙動は大きく変化する。近年、GeO2及びTiO2を複合添加(co-dope)することでTZPの延性が飛躍的に向上することが報告されている。GeO2やTiO2添加による超塑性特性の改善は、物質移動の促進による変形応力の低下に起因すると推測されているが、その本質的な原因については明らかにされていない。そこで、本研究ではDV-Xα分子軌道計算法を用いてGeO2及びTiO2添加TZPの電子構造及び化学結合状態の解析を行うことで、GeやTiがTZPの超塑性特性に与える影響を化学結合状態の観点から解明することを目的としている。t-ZrO2の結晶格子中に置換固溶することで、Ge及びTiはTZP中のZr-O結合よりも共有給含性の高い結合を隣接する酸素イオンと形成する。また、Ge-O結合はTi-O結合よりも共有結合性が高い。これはGe-OやTi-O結合が価電子帯においてZr-O結合よりも高い結合性成分を有し、かつ反結合性成分が小さいことに起因する。こうした結合状態の変化により、Ge及びTiのTZPへの置換固溶は共有結合性の増大をもたらす。その一方で、各イオンのイオン性は低下し、イオン結合性は低下する。GeO2及びTiO2添加TZPでは変形応力が大きく低下するが、これはイオン結合性が低下することで陽イオン拡散律速の物質移動が促進されることに起因すると考えられる。

 第2相としてガラス相を有するSiO2添加TZPは1000%以上の破断伸びを有する。また、SiO2添加TZPの変形挙動は微量酸化物添加に対して鋭敏に反応し、様相を劇的に変化させる。SiO2添加TZPの超塑性特性は粒界におけるSi偏析に伴う化学結合状態の変化の影響を強く受けていると考えられている。DV-Xα分子軌道計算法を用いてSiO2添加TZP及び微量のTiO2もしくはMgOを含むSiO2添加TZPの電子構造及び化学結合状態の解析を行った。t-ZrO2の結晶格子中に、置換固溶したSiは周囲の酸素イオンZr-O結合よりも非常に強い共有結合を形成する。TiはSi-O結合の次に高い共有結合力を有する。Mg-O結合の共有結合性はZr-O結合と同定程度である。添加元素による共有結合力の変化はSiO2添加TZPの延性と相関関係があり、共有結合性の増大と共に破断伸びは上昇する。本研究の計算結果からSiは共有結合力を強化する添加元素であり、Siが偏析するSiO2添加TZPの粒界近傍では結合力が強化されていると考えられる。これにより変形中のへき開破壊が抑制され、SiO2添加TZPの優れた延性の発現に帰結すると考えられる。一方、MgOやTiO2をSiO2添加TZPにさらに添加した場合、これらの元素も粒界に共偏析する。Ti-O結合やMg-O結合はSi-O結合よりも共有結合力は低く、MgやTiが共偏析するとSi単独で偏析した場合よりも結合力の強化は抑制されることが予測される。こうした粒界結合力の脆弱化により、粒界破壊が容易になり延性が低下すると予測される。これまでのGeO2及びTiO2添加TZPとシリカ添加TZPに対する計算をまとめた結果、共有結合性と延性の関係はガラス相の存在の有無に関わらず同一の直線関係にあることが分かった。また、Kimモデルを用いて実験的に評価した粒界破壊エネルギーは共有結合性の上昇に伴い増大する傾向にある。この結果は、TZPの超塑性変形における延性が粒界近傍での共有結合力に支配されることを示唆している。

 多結晶セラミックスの機械的特性は粒界の性質の影響を強く受ける。TZPの機械的特性は金属酸化物添加の影響により大きく変化することが報告されている。そこで、サーマルグルーヴィング法に基づき、AFMによる粒界二面角の測定を種々の酸化物を添加したTZPに対して行い、酸化物添加による粒界エネルギー変化の評価を行った。GeO2やTiO2を添加した場合、3Y-TZPにおける粒界の表面に対する相対エネルギーは低下する。逆に、MgOやBaOを添加した場合、粒界はTZPよりも不安定化する。こうした酸化物添加による粒界エネルギーの変化の要因を解明するために、GULP codeを用いた格子静力学計算による構造緩和計算行い、得られた最適化格子モデルに対してDV-Xα分子軌道法による電子構造及び化学結合状態解析を行った。3Y-TZPではいずれの陽イオンも酸素イオンとの間に共有結合的な相互作用が存在する。GeやTiは酸素イオンとZr-O結合よりも強い共有結合を形成する。特に、Geの添加はその周囲のZr-O結合の共有結合性も増大させる。一方、Ba-O結合は反結合的な結合状態にあり、Ge添加の場合と反対に周囲の結合の共有結合性を低下させる。ドーパントの添加は、3Y-TZPの結晶格子中に新しい結合状態を形成すると共に、母相を構成するZr-O間の結合状態に対しても影響を与える。これによりクラスター全体の共有結合性も変化し、TiやGeの添加は共有結合性を上昇させ、Ba添加は共有結合性を低下させる。クラスター中の共有結合性は相対粒界エネルギーの添加元素依存性と相関関係を持つことが確認された。クラスターの共有結合性の増大と共に、相対粒界エネルギーは低下する。有効共有電子密度の増大は結合エネルギー的に安定な結合成分の増大を意味する。よって、GeのようにTZP中の共有結合性を増大させる元素が偏析することで安定な分子軌道に属する電子密度が増加し、相対粒界エネルギーが低下すると考えられる。

 安定化ジルコニア(FSZ)は優れた酸素イオン伝導特性を有しており、固体酸化物燃料電池の固体電解質に実用化されている。FSZのイオン伝導率は高温相の安定化剤として添加された元素の種類に大きく依存する。そこで、本研究では、種々の希土類酸元素を含むc-ZrO2固溶体に対して第一原理計算を行い、酸素イオンの拡散過程における電子構造及び化学結合状態の変化を解析した。この時、格子静力学計算を実行することで欠陥周囲の構造緩和を行い、基底状態での安定構造及び酸素イオンの拡散経路の決定を行った。格子静力学計算により得られた移動エンタルピーの理論値は実験結果よりも過小評価されていることが分かった。また、計算結果では添加元素のイオン半径増大に伴い移動エンタルピーは低下しており、過去の実験で報告されている移動エンタルピーのイオン半径依存性と相反する。これは、格子静力学計算に用いている二体間ポテンシャルの遷移状態の再現に対する精度に問題があるためと考えられる。GULPによって得られた基底及び遷移状態における緩和構造を用いてDV-Xα分子軌道計算を行うことで、希土類添加ジルコニアでの酸素イオン拡散の素過程における電子構造及び化学結合状態の変化を解析した。拡散の進行に伴い、移動酸素イオン周囲で形成される共有結合状態は大きく変化する。基底状態で形成される共有結合は移動の過程で減衰し、saddle pointではエネルギー的に最も不安定な反結合状態に変化する。基底状態と遷移状態での共有結合状態の変化が小さい系では移動エンタルピーが小さく、結合状態の変化が増大するのに従い移動エンタルピーは増大する。このことから、移動酸素イオンの周囲で形成される有効共有電子密度の減少が、ジルコニアの酸素イオン拡散に必要なエネルギーの起源であると考えられる。

 本研究から、ジルコニアセラミックスの材料物性は共有結合あるいはイオン結合という化学結合状態の変化と密接な関係があることが明らかとなった。特に、超塑性特性とイオン伝導特性という機械的特性と電気的特性が共有結合状態という共通のパラメーターで相補的に特性を変えるという結果はジルコニアセラミックスの材料設計に新たな知見をもたらすと言える。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「ジルコニアセラミックスの材料特性と電子構造」と題して、正方晶ジルコニア多結晶体(TZP)の超塑性特性及び安定化ジルコニア(FSZ)の酸素イオン伝導特性の発現機構を第一原理計算の一つであるDV-Xα分子軌道計算法を用いて化学結合状態の観点から解析し、ジルコニアセラミックスにおける新たな材料設計の指針を提案している。本論文は六章から構成されている。

 第一章では、まずセラミックスの高温変形と固体中のイオン拡散の基礎概論に関して解説している。続いてTZPの超塑性変形とFSZの酸素イオン伝導に関する過去の研究事例を列挙し、今日までの段階で未だ解明されていない問題点を提示している。これと対比する形で本研究の探求目標を述べており、これまで現象論に立脚して議論されてきたジルコニアセラミックスが有する機械的特性、電気的特性の支配的要因を第一原理計算に基づく電子構造解析を通じて理論的に解明することを本研究の目的としている。

 第二章では、GeO2及びTiO2添加が3mol%イットリア添加TZP(3Y-TZP)の超塑性特性に与える影響を化学結合状態の観点から評価している。DV-Xα分子軌道計算法による化学結合状態の計算結果から、3Y-TZPにおけるZr-O結合の結合状態は完全なイオン結合ではなく、共有結合性を有することが明らかにされている。また、GeO2やTiO2添加に伴う3Y-TZPの化学結合状態の変化について詳細にまとめられており、GeやTiイオンが周囲の酸素イオンとの間にZr-O結合よりも高い共有結合性の結合を形成することで、結晶場内でイオンが持つ有効電荷が大きく低下すると報告している。これにより結晶中のイオン結合性が低下することに注目し、Ge及びTiイオンの置換固溶によりもたらされるイオン結合力の低下が3Y-TZPにおける陽イオン拡散律速の物質移動を促進し、結果として変形応力を低下させると考察している。このように、セラミックスの超塑性特性と電子構造の関係を理論計算から指摘した研究は、本論文が初めてである。

 第三章ではシリカ添加TZPの延性の支配要因を化学結合状態に着目して解析している。DV-Xα分子軌道法による計算から、TZPの結晶格子中に置換導入されたSiは最隣接に配位する酸素イオンとの間に、Si3s-O2p及びSi3p-O2pの分子軌道による非常に強い共有結合を形成すると述べている。シリカ添加TZPにおける飛躍的な延性向上は、このような共有結合性の高い結合を形成するSiの粒界偏析による粒界結合力の強化と、それに伴う変形中の粒界破壊の抑制がその要因であると結論している。また、第二章と第三章の結果をまとめることで、TZPの超塑性変形における延性は第2相の有無に関わらず結晶中の共有結合性を用いて整理することが可能であることを見出しており、高温変形試験から求めた粒界破壊エネルギーと結晶中の共有結合性の関係を指摘している。これは、超塑性セラミックスの延性を記述する上で非常に画期的なモデルであると言える。

 第四章では、原子間力顕微鏡(AFM)を用いてサーマルグルービング法に基づき粒界グル一ヴィング角を測定することで、種々の酸化物を添加したTZPにおける粒界エネルギーを測定している。また、格子静力学計算法の一つであるGULP codeとDV-Xα分子軌道計算を組み合わせることで、点欠陥周囲の構造緩和を考慮した精度の高い電子構造解析を行っている。実験及び理論計算の結果から、有効共有電子密度を増大させる添加元素が粒界に偏析することで、相対粒界エネルギーが低下することが明らかにされている。

 第五章では、希土類酸化物添加FSZにおける、酸素イオン拡散に伴う動的な電子構造変化を格子静力学計算と第一原理分子軌道計算を用いて解析している。本章では遷移状態のような非平衡状態を記述するにはイオンの剛体球近似モデルは限界があることを明示し、隣接イオン間における原子軌道間の相互作用を第一原理計算から評価することの必要性を提唱している。また、酸素イオンの移動エンタルピーは、基底状態と遷移状態でのZr-O間の有効共有電子密度の差に対応すると述べている。この結果を踏まえて、化学結合状態に視野を置いた高イオン伝導材料の設計指針を提案している。

 第六章は総括であり、本論文全体の成果がまとめられている。

 以上を要約すると、本論文はジルコニアセラミックスの有する超塑性特性及び酸素イオン伝導特性を量子論的観点から解析し、その特性を支配する要因は原子軌道間相互作用に起因する化学結合状態であることを解明している。これらの知見はジルコニアセラミックスに限らず全ての7無機材料の持つ機械的あるいは電気的特性に適用可能な概念であり、本論文の成果は今後の材料設計に大きく貢献するものと考えられる。本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認められる。

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