学位論文要旨



No 118050
著者(漢字) 宅間,絵理子
著者(英字)
著者(カナ) タクマ,エリコ
標題(和) SiC結晶粒界の原子構造・電子構造解析
標題(洋)
報告番号 118050
報告番号 甲18050
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5508号
研究科 工学系研究科
専攻 材料学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 市野瀬,英喜
 東京大学 教授 木村,薫
 東京大学 教授 佐久間,健人
 東京大学 助教授 近藤,高志
 東京大学 助教授 渡邉,聡
内容要旨 要旨を表示する

 現在,ナノ材料の開発,研究が多く行われている.それらの中に,材料そのものの大きさを小さくするのではなく,材料を構成する原子構造,電子構造そのものを変えることにより,新たな機能性材料を創成しようとする試みがある.これは材料を構成する原子構造,電子構造,物性に,本来的に相関があるためとみられる.材料のこのような試みを実効あるものにするためには,その第一段階として,着目する材料を構成する最小の基本単位である原子構造,電子構造を調べることが有効なはずである.このための研究対象モデルに本研究では,結晶粒界・界面を選択した.結晶粒界,界面は,結晶内部や非晶質とは異なる粒界特有の原子構造,電子構造を持ちうるためである.結晶と結晶に挟まれて二次元の周期を持ち,その物性も粒界面内と面垂直方向では異なる可能性が高い.結晶性材料としてはありふれたものであり,単結晶としての原子構造・電子構造,物性は既知であっても,結晶粒界の原子構造,電子構造が未知であれば,これを起点に結晶とは全く異なる未知の物性が存在する可能性がある.界面起源の新機能性材料開発を行うために,まず,新物性を生み出すべき原子構造,電子構造を,詳細な原子配置,電子構造まで知る必要がある.しかし,結晶粒界の原子構造・電子構造を,物性との対応を念頭において解析した例は未だ多くはない.

 原子尺度の結晶粒界研究は,実験的には高分解能電子顕微鏡を用いて1981年にH. Ichinoseらにより金の対応傾角粒界の原子構造が解明されて始まった.その後,幾何学モデルのみでは記述できない結晶粒界構造の存在が確認され,共有結合物質に於ける粒界構造では,結合角の歪み等も重要なパラメータとなることが示されてきた.また,H. Ichinoseらによるダイヤモンド結晶粒界の高分解能観察と電子エネルギー損失分光法(Electron Energy Loss Spectroscopy; EELS)により,同じダイヤモンド構造物質の結晶粒界であっても,構成原子が異なれば,粒界原子構造,電子構造が異なることが示された.これらの現在までの結晶粒界研究から,結晶粒界構造は幾何学のみの解析ではなく,構成原子とそれらの結合状態にまで遡って解析することが必要であることがわかっている.特にその構成原子の種類が増え,二元素物質となった場合には,そこに同種・異種原子結合という新しいパラメータが加わることになる.しかし,二元素物質においては,結晶粒界の安定性と粒界構造の関係を記述するガイドラインが未だ存在しない.早急にそれらの解明が求められている.

 そこで,本研究においては二元素共有結合物質である炭化ケイ素(SiC)の結晶粒界構造を中心に,その原子構造,電子構造解析を行い,物性の予測を行った.結晶方位関係や粒界面方位等の従来用いられてきた幾何学パラメータの上に,元素の組み合わせという新たなパラメータを取り入れるモデルケースとして都合がよいことも,SiCを対象として選択した理由の一つである.この研究により,原子構造,電子構造と物性を対応付け,機能性材料としての可能性を持つ原子,電子構造予測を行うことを目標とする.研究は,まず,超高分解能電子顕微鏡による原子種の識別が可能であることを確認することから始めた.その後,この方法により,超高分解能電子顕微鏡によるSiC結晶粒界原子構造解析や第一原理分子動力学計算による電子状態,物性の予測を行うことにより,二元素共有結合物質粒界において,その安定性の指標を探り,結晶粒界を原子構造,電子状態,物性の相関において理解する,ことを目指した.

 超高分解能電子顕微鏡観察において,原子構造を原子種まで捉えることを試み,従来の研究でシミュレーションや計算による間接的予測を余儀なくされていた原子構造特定を直接,実験的に行うことの可能性を探った.その結果,SiCにおいて,分解能0.1nmの透過型電子顕微鏡を用いることにより,原子種の識別が試料厚さ4nm以下であれば,試料を弱位相物体として扱うことができ,原子配列の周期情報のみではなく,原子位置の特定が可能であることを示した.この条件においては,原子ポテンシャルの形状,即ち原子種の識別が可能であることを示した.また同時にGaNにおいても,超薄片試料(厚さ3nm以下)において,弱位相物体近似を適用でき,原子種を原子番号に依存したコントラストで捉えることに成功した.

 この方法を用いて超高分解能電子顕微鏡により,SiC結晶粒界構造の特徴を原子種まで詳細に解析した.SiCは,先に述べたとおり,代表的二元素共有結合物質であり,その結晶粒界構造には,同種原子結合,配位数欠陥,結合角の歪み,結合長さの伸縮などの様々なパラメータが存在する.それらの中で,低エネルギー結晶粒界構造を決定する主な要因を解析した.その結果,二元素共有結合物質の粒界構造において,結合角の歪み(特にC原子)の小さい構造が低エネルギーであることが,その構造解析から解明された.

 低エネルギー粒界の特徴として,同種原子結合は,Si-Si対であることがわかった.その結合距離は,SiC結晶ではなく,Si結晶の原子間距離近くとなることが実験的に解明できた.また,計算により,Si-Si対の価電子密度分布は結晶Siの結合の電荷密度分布となっており,この結合は,バンドギャップ中の価電子バンド上端付近に局在する準位を作ることが予測された.SiC中にありながら,単独で存在するSi-Si対が結晶Siの性質を示すことが示唆された.

 超高分解能観察により,三配位原子の原子種は炭素原子であることがわかった.この三配位C原子は,sp2構造を取りやすいC原子が粒界に位置することにより,エネルギー上昇を抑える役割を果たしている,と予測された.この結果は、ダイヤモンド粒界の三配位原子が,ダングリングボンドの再構成によってエネルギーを下げ安定化することと符合している.三配位C原子はsp2的な結合様式を取り,結合に寄与しないspz軌道を作る価電子が電気伝導に寄与する可能性が,第一原理計算により示唆された.この三配位C原子に局在する準位はフェルミレベルを横切る準位にあり,傾角軸に平行な方向では原子尺度の導電通路が期待できる.

 このように,結晶粒界構造の安定性の指標を得ると共に,結晶粒界には,結晶中には存在しない特有な原子構造が存在することを実験的に示すことができた.

 これらのSiC結晶粒界について解明された特徴とGaN結晶粒界の構造の特徴を比較することにより,二元素共有結合物質全体について,安定性の指標を得ることを試みた.GaN結晶粒界は,同種原子結合の存在しない構造が典型的粒界構造として観察された.その構造は同じに元素物質でありながら,SiCには存在しない,4員環を持つ構造であった.また,結合角の歪みはSiC結晶粒界において観察されたよりも大きくなっていた.これらのことから,イオン性の高い結晶粒界構造においては,同種原子結合は少ない方が低エネルギーであることを示唆しており、合理的である.また同時に,共有結合性の高い結晶粒界構造はイオン結合性の高い結晶粒界よりも,結合角の歪みがエネルギーを上げる要因となることが示唆された.このように,結晶粒界の安定性の指標を二元素物質粒界において捉えることができた.

 以上のように、本研究では今まで明確にはなっていなかった,二元素共有結合物質における,粒界構造安定化の条件のいくつかを,SiC粒界とGaN粒界の構造を超高分解能電子顕微鏡と第一原理計算を用いて検証することにより,示すことができた.それぞれの元素特有の電子構造が粒界の安定構造と深く関わることを示すことができた点は,特に強調したい.また,粒界構造と原子間の結合角や元素のイオン性の関連なども予測することができた.

 目標の一つとして掲げた,技術的応用に向けた可能性については,SiC中のSi-Si対に見られるように,少数原子が固有のポテンシャルの性格を失うことなく,粒界中で存在していることや,三配位原子が特有な電子構造を作り出すことを,示すことができた.まだ端緒にすぎないが、いずれも少数原子の組み合わせによって,例えば原子サイズの導電通路など,局所的で特異な電子構造設計の可能性を示唆している.

審査要旨 要旨を表示する

 結晶粒界・界面は結晶内部や非晶質とは異なる特有の原子構造を持つとされ、第三の構造とすら呼ばれて、Gleiter(独)が創始したナノ結晶粒材料のように、粒界誘起の新規物性を目指す具体的な技術的展開も、拡がりを見せつつある。しかし、ナノ結晶材料の成功が、やや限られたものであったことが示すように、今いきなり「界面技術」をプロセス化して具体化するには、まだ基盤的知識の集積が十分とはいえない。少なくとも界面の構造を電子構造との相関で把握しておくことは必要である。こうした認識の上に立ち、本論文では共有結合性の強い、広バンドギャップ物質のSiCおよびややイオン性のあるGaNについて、粒界原子構造を超高分解能電子顕微鏡により極めて精確に調査し、第一原理計算を援用して、物性に直接反映されるべき電子構造との相関を考察している。論文は6章で構成されている。

 第1章は緒言である。界面研究の中での本研究の位置づけを示した後、将来界面技術を具体化するために今解決すべき課題を抽出し、本論文の目的について述べている。

 第2章は、本研究を行う上で用いた実験方法についてその理論、装置の性能等について述べている。界面研究に必要不可欠である電子顕微鏡、とりわけ超高分解能電子顕微鏡の高分解能位相コントラスト結像理論、および並行して行った、電子計算機による第一原理計算の概要を述べた後、実験装置の概要をまとめている。

 第3章では、本研究で最も重要となる超高分解能電子顕微鏡観察像により原子構造を原子種まで決定するための電子光学的条件および試料に要求される条件、観察時に発生する可能性のある問題点についても述べている。従来は格子像のシミュレーションや構造計算による、間接的予測を余儀なくされていた原子構造特定を、超高分解能電子顕微鏡によって直接実験的に行うことの可能性を追求し、その結果SiCにおいて、分解能0.1nmの透過型電子顕微鏡を用いることにより、試料厚さ4nm以下であれば試料を弱位相物体として扱うことが出来、原子配列のみではなく、原子種の識別・原子位置の特定が観察像から可能であることを示している。また同時にGaNにおいても、超薄片試料(厚さ3nm以下)において、弱位相物体近似を適用でき、原子種を原子番号に依存したコントラストで捉えることが出来ることを示し実際に撮影して、上記の条件において、観察像から直接原子ポテンシャルの形状、即ち原子種の識別と原子配列の特定が可能であることを示している。

 第4章では、3章で述べた超高分解能電子顕微鏡像より直接原子構造決定を行う方法を用いて、SiC結晶粒界、GaN結晶粒界の原子構造を原子種まで決定し、SiC結晶粒界の特徴、及び二元素共有結合物質粒界の原子構造の特徴を抽出している。数種類の低エネルギー結晶粒界を比較することにより、SiC結晶粒界においては、種々のパラメータのうち、Si-Si結合対、三配位C原子を持ち、結合角の歪みの小さい構造が低エネルギーであることを示している。これを、共有結合性の高い二元素物質粒界の特徴とし、この特徴とGaN結晶粒界の特徴を比較している。GaN結晶粒界においては、SiC結晶粒界に見られるような奇数員環は存在せず、偶数員環のみからなる構造が典型的粒界構造であることを示している。これらのことから、二元素共有結合物質粒界においては、イオン性が高いほど同種原子結合の存在はエネルギーを上げると結論している。

 第5章では、第4章で解明したSiC粒界原子構造が持つ電子構造の特徴を第一原理計算により解析した結果について述べている。SiC粒界原子構造解析より最も低エネルギーであると示した粒界原子構造について電子状態計算を行っている。第一原理計算によりSi-Si同種原子結合対は、原子間距離だけではなく、価電子密度からも結晶Siに近い状態をとることを示している。SiC中にありながら、単独で存在するSi-Si対が結晶Siの性質を示すことが示唆されている。また、三配位C原子は、この原子に局在する準位をフェルミレベル付近に作ることを示している。これらのことから、少数原子の組み合わせにより原子サイズの導電通路などの原子尺度の電子構造設計の可能性があると提唱している。

 第6章は総括である。

 以上要するに、本論文は、SiCおよびGaNの結晶粒界原子構造・電子構造解析を超高分解能電子顕微鏡と第一原理計算を用いて行い、それら粒界の特徴を抽出することにより、界面原子構造と電子構造の物性との相関を原子尺度で明らかにすることに成功した。これは、これまでの結晶の幾何学に依存した結晶界面学に、物理的内容を付与するものであり、ひいては、界面誘起新材料の可能性をも示唆するものである。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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