学位論文要旨



No 118053
著者(漢字) 呉,相文
著者(英字)
著者(カナ) オ,サンムン
標題(和) 表面拡散の直接観察による薄膜成長の初期過程に関する研究
標題(洋) STUDY ON THE INITIAL STAGE OF THIN-FILM GROWTH BASED ON DIRECT OBSERVATION OF SURFACE DIFFUSION
報告番号 118053
報告番号 甲18053
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5511号
研究科 工学系研究科
専攻 材料学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,良一
 東京大学 教授 木村,薫
 東京大学 教授 鳥海,明
 東京大学 助教授 小田,克郎
 東京大学 講師 弓野,健太郎
内容要旨 要旨を表示する

 原子オーダーの分解能を有しており、金属表面における個々の原子の挙動を観察するのに適している電界イオン顕微鏡(Field Ion Microscope: FIM)を使い、BCC構造の最密面であるタングステン(110)表面におけるパラジウムやタングステン原子の表面拡散について研究し、博士論文をまとめることができた。論文は全7章から成っている。

 第1章は、導入部として、表面で起きている様々な現象について説明した。例えば、蒸着された原子が基板上に付き表面拡散による位置の変化、ステップエッジバリアを越えて次のテラスヘの移動、原子同士が集まり核を生成するなど、このように様々な現象が表面上で起きていることを示した上で、薄膜の結晶成長のメカニズムを理解するためには、原子が基板表面上でどのような挙動をしているのかを原子オーダーの分解能で調べる必要があることを説明している。そして今までの表面物理の分野においてFIMを使った研究の歴史の流れを述べるとともに表面上で色々な原子の拡散の活性化エネルギーや、その拡散の活性化エネルギーが面の種類によってどのように変わるのか、そして拡散のパラメータをアレニウスプロットにより求める方法をのべた。

 第2章はFIMの基本原理や化学エッチングによる試料の作り方、顕微鏡の倍率や電界蒸発、電界電子放出、電界イオン化の原理を述べた。そして、表面物理の研究において以下の前提条件を満たさなければならない。それは原子レベルの表面構造の制御、超高真空度(10-11Torr)の確保、拡散現象を電場の影響なしで観測する方法、そして試料の精密な温度測定である。特に、表面拡散の実験において、温度を上げる時に原子が動く可能性が生じ、特に高温ではその問題が深刻になっている。この問題点をどのように解決したのかについて説明する。

 第3章は拡散のモデルについて述べている。古典的な拡散モデルによると原子は下地の最密方向に沿って最近接サイト間を移動すると考えられており、この理論は低温ではよく実験を説明できる。しかし高温になるにつれ、長距離移動(Non-nearest-neighbor jump)していることが発見された。ここで長距離移動の概念を導入した新しい拡散のモデルを提案するとともに拡散レートをコンピュータシミュレーションで求めた。そしてX軸方向とY軸方向の平均二乗変位(Mean-square-displacement)を求めたところ、その差は統計学上のエラーより大きく、その差について解釈を行った。

 第4章からは具体的な実験結果である。ここではまず、タングステン(110)面上のパラジウム原子の振る舞いの結果である。アレニウスプロットにより拡散の活性化エネルギーは0.509eV、Prefactorは4.25×10-4cm2/sであることが分かった。この値は文献の値とほぼ一致しており、物理的な観点からも理解できる値であることからデータの信頼性を確保した。ここで非常に面白い結果が得られた。低温では今までの古典的な拡散モデル通りX軸とY軸の平均二乗変位は誤差の範囲以内で同じであり、これは原子の移動は最近接移動であることをよく説明している。しかし、温度を増加しながらX軸とY軸の平均二乗変位を求めた結果、軸による差は統計学上のエラーより大きいことが分かった。そしてY軸の平均二乗変位はX軸のそれより大きいこと、そしてその差は高温になるにつれ大きくなり、軸による拡散の異方性が存在していることが分かった。この現象は温度と密接な関係がある。そして高温での拡散の異方性が結晶成長にどのような影響を与えるのかを述べた。

 表面拡散において、原子の長距離移動レートをみると、210Kでは(第2近接サイト間の長距離移動レートβ)/(最近接移動レート)は約12%であること、(垂直長距離移動レートδy)/(最近接移動レート)は約11%である。ここで長距離移動が現れたED/kTの値は始めにタングステン(211)チャンネル構造の上でパラジウムの長距離移動が現れた時のED/kTの値とほぼ同じである。そして、最近接移動の場合の拡散の活性化エネルギーは長距離移動のそれよりも少ないことから、長距離移動するためには熱エネルギーを十分にもらう必要があることを確認した。

 第5章はタングステン原子のタングステン(110)面上の自己拡散の結果である。まず、基本になる拡散のパラメータを求めた。アレニウスプロットによる拡散の活性化エネルギーは0.95eVであり、Prefactorは5.4×10-3cm2/sであった。この値は文献の値とほぼ一致しており、物理的な観点からも理解できる値であることからデータの信頼性を確保した。タングステン原子の結果はパラジウム原子と似ている結果が得られた。すべての温度領域においてX軸とY軸の平均二乗変位を求めた結果、Y軸の平均二乗変位はX軸の平均二乗変位より大きいのが分かった。350Kにおいてジャンプレートを調べた結果、(第2番目長距離移動レートβ)/(最近接移動レート)は約2%であることからこの温度ですでに長距離移動による拡散が始まっているのが分かる。タングステンの自己拡散において最近接移動の温度領域は350K以下である。360Kでは長距離移動による拡散の割合は増加している。(第2近接サイト間の長距離移動レートβ)/(最近接移動レート)は13%、(垂直長距離移動レートδy)/(最近接移動レート)は約20%、(水平長距離移動レートδx)/(最近接移動レート)は約9%である。測定した一番高温である365Kでは長距離移動による拡散の割合はさらに増加している。(第2近接サイト間の長距離移動レートβ)/(最近接移動レート)は22%、(垂直長距離移動レートδy)/(最近接移動レート)は約43%、(水平長距離移動レートδx)/(最近接移動レート)は約36%である。このように温度の増加につれ、長距離移動レートの割合が大きくなるのはパラジウムの結果と似ているが、相違点としてはまず長距離移動の現象が出た温度領域である。タングステン(211)チャンネル構造の上でパラジウムの長距離移動が現れた時のED/kTの値に比べ、タングステンの場合では予想の温度より低温で長距離移動の現象が現れた。動いている原子の種類によって長距離移動の性質は変わるのが分かる。もう一つは水平長距離移動レートである。パラジウムの場合、高温でもこの水平長距離移動レートはほとんどなかったが、タングステンの場合、高いレートを示している。同じ表面でも(ここではタングステン(110)面)拡散する原子によりなぜ違う結果になるのかを理論的に調べる必要がある。

 第6章は表面上に存在する拡散のポテンシャルエネルギーと原子の下段のエッジに付着するまでの時間との関係である。まず、表面上に存在する色々な拡散ポテンシャルエネルギーの種類について説明した。50年代まで拡散のポテンシャルエネルギーは表面の場所によらずいつも同じ値であると考えられたが、60年代にEhrlichによりステップエッジバリアが存在しているのが実験により証明された。90年代には白金(Pt)とイリジウム(Ir)で発見されたエンプティーゾーン(Empty zone)を説明するためにインテリアバリアの概念を導入した。白金、イリジウム、そしてタングステンの原子が表面上でどのように分布していたのかを比較した。エンプティーゾーンは白金とイリジウムの場合には存在したがタングステンの場合には存在しなかった。ここで拡散のポテンシャルエネルギーがよく定義された白金モデルを基本とし、拡散のポテンシャルエネルギーの種類による原子の下段のエッジに付着するまでの時間をコンピュータシミュレーションにより求めた。下段のエッジに付着するまでの時間が長くなるにつれ他の原子同士と核生成ができ3-D成長モードになると考えられる。付着するまでの時間が長い順から書くと次のようである。インテリアバリアとステップエッジバリアが共存している場合、インテリアバリアが存在する場合、ステップエッジバリアが存在する場合、インテリアバリアとステップエッジバリアが存在しない場合の順である。またステップエッジバリア、インテリアバリアの核生成への影響について調べたところ、インテリアバリアの位置が核生成に大きく影響することがわかった。

 第7章は博士論文のまとめである。

審査要旨 要旨を表示する

 原子レベルでの薄膜成長制御技術は多くの分野で求められているが、そのためには結晶成長機構を原子レベルで解明することが必要である。走査型プローブ顕微鏡は原子レベルの分解能を有し結晶成長の研究に盛んに利用されているが、その多くは成長後の表面構造の観察から成長過程を類推したものである。これは走査型プローブ顕微鏡では原子の表面拡散に影響を与えずに観察することが難しいことによる。一方、電界イオン顕微鏡(FIM)では観察の影響なしに原子の拡散を観察することが可能であり、原子一つ一つの挙動を直接観察することによる成長機構の理解に対して有力な手法である。本論文では最も基本的な成長素過程である原子の表面拡散について詳細に調べている。従来、原子が最近接サイト間よりも長い距離をジャンプする長距離のジャンプ(ロングジャンプ)はW(211)表面のようなチャネル構造を有する面上での一次元拡散に特有のものであると考えられてきたが、本研究によりロングジャンプはW(110)表面での二次元的な拡散でも存在することが初めて明らかにされ、拡散プロセスの多様性が示された。また、膜表面の粗さ、平坦さを制御することは技術的に非常に重要な問題であるが、本論文では粗さの発現に直接関与する二次元核(アイランド)上の核生成について詳細に調べており、アイランド上での核生成がアイランド上のポテンシャルの形状に極めて敏感であることを初めて示した。論文は全7章から成っている。

 第1章は序論であり、薄膜成長中に表面で起きていると考えられる表面拡散等の素過程について解説し、FIMによる原子の表面拡散挙動の直接観察がこれまでに素過程の理解に対して果たしてきた役割を総括し、本論文の目的、構成を述べている。

 第2章は実験方法である。FIMの基本原理、測定手法、特に、FIMにおいて原子の拡散に影響を与えずに観察を行う手法について詳しく述べている。さらに、試料の作成法、拡散係数の精密な測定の基礎となる試料温度の測定、制御についても解説している。第3章はFIM観察の結果からロングジャンプの存在を確認するための解析手法についての説明である。拡散に含まれるロングジャンプの割合の導出は、ある一定の拡散時間あたりでの原子の変位ベクトルの統計分布を測定し、拡散のシミュレーションによりこの分布をフィッティングすることにより行われる。本章ではこの解析の理論的手法について説明している。

 第4章はW(110)表面上のPd原子の表面拡散に関する結果である。185K以上の温度で<111>、<110>方向のロングジャンプの存在が確認され、この現象がW(211)表面のようなチャネル構造での一次元拡散に特有のものではないことを発見した。ロングジャンプは最近接間のジャンプより高い温度で見られることを反映して、<110>方向のロングジャンプの活性化エネルギーは0.6eVとなり、最近接サイト間のジャンプの0.5eVに比べるとかなり大きい。これに対して<100>方向のロングジャンプは全く観測されず、その結果としてW(110)上でのPdの拡散は大きな異方性をもつことも初めて確認された。第5章はW(110)表面上でのW原子の自己拡散の結果である。拡散のための活性化エネルギーは0.95.VとなりPdに比べてかなり大きいが、これはW原子とW(110)表面の結合の強さを反映している。Pdと同様にロングジャンプが確認されたが、大きな違いは<100>方向のジャンプが存在することである。しかし、いずれの系においても<110>方向へのロングジャンプの割合の方が大きい。これは原子が最近接サイトを経由してロングジャンプを行うとすると<110>方向では運動中の方向変換(角度の変化)が小さくて済むためであると推測している。

 第6章ではアイランド表面におけるポテンシャルの形状が結晶成長に対してどのように影響するかを考察している。Pt(111)上のPt原子、Ir(111)上のIr原子の場合はエッジでのステップエッジバリア(アイランド上の原子がステップエッジを乗り越えて、一つ下の原子面へ拡散する際のエネルギー障壁)に加えて、エッジより3原子ほど内側に入ったところにもステップエッジに沿って第二の障壁が存在し、原子の層間移動を妨げていることが最近発見された。しかし、W(110)上のW原子の挙動を調べたところ、エッジにはステップエッジバリアが存在するものの、その内側のポテンシャルは均一であることが確認された。さらにモンテカルロシミュレーションにより第二の障壁の存在が核上の核生成に及ぼす影響を調べた結果、この障壁は核上における原子の寿命(層間移動するまでの時間)を著しく増加させ、核生成の頻度を増加させることが明らかとなった。アイランド上での核生成は成長の結果、最終的に形成される膜表面の粗さと密接に関係しており、この知見は技術的にも有意義である。第7章は総括である。

 以上、本研究はFIMにより原子ひとつひとつの挙動を直接観察することによりW(110)表面上の二次元的な拡散においてもロングジャンプが存在することを初めて確認し、最も基本的な素過程である表面拡散の多様なジャンプ機構を明らかにした。また、膜の表面粗さに影響することから技術的にも重要なアイランド上での核生成について理論的に調べ、核生成がアイランド上のポテンシャル形状に非常に敏感であることを明らかにしたことにより、本論文は薄膜成長制御の分野において材料科学、材料工学に対する寄与はきわめて大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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