学位論文要旨



No 118066
著者(漢字) タナッチャサイ,サイピン
著者(英字) THANACHASAI,Saipin
著者(カナ) タナッチャサイ,サイピン
標題(和) 導電性ポリマー薄膜を用いたバイオセンサーに関する研究
標題(洋) Biosensors Based on Enzyme-Carrying Conductive Polymer Films
報告番号 118066
報告番号 甲18066
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5524号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡辺,正
 東京大学 教授 西郷,和彦
 東京大学 教授 荒木,孝二
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 助教授 工藤,一秋
内容要旨 要旨を表示する

 近年、生体物質の持つ分子認識機能を利用したバイオセンサーは、測定が迅速、簡便であることから、医療、食品工業、環境など様々な分野に応用されている。現在、高性能で安定性の高いバイオセンサーが求められており、生体材料とトランスデューサとの結合力の改善とセンサー応答を支配するファックターの解明が今後ますます重要となる。

 本研究は、導電性ポリマー薄膜を用いて酸化還元酵素を電極上に固定化したバイオセンサーに関し、センサー応答を支配する因子の一つである固定化酵素の定量法を確立し、固定化酵素量と応答特性との関係を解明することを目的とする。さらに膜と酵素との相互作用を高めることにより性能および安定性に優れたセンサーの開発を目指した。

 本論文は、(1)マイナス固定電荷をもつ導電性ポリマー薄膜を用いたバイオセンサーの開発、(2)導電性ポリマー膜を用いた電極表面固定化酵素の新しい定量法の確立、(3)導電性ポリマー薄膜を用いた電極の作製条件と固定化酵素量および応答特性との関係解明に関して検討したものであり、5章からなる。

 第1章の序論では、バイオセンサーの構成と機能、およびバイオセンサーに関する研究の歴史的背景と現状について概説し、本研究の目的を述べた。

 第2章では、マイナス固定電荷をもつ導電性ポリピロール薄膜を酵素固定化マトリックスとしてはじめて使用して作製した過酸化水素センサーについて述べた。包括固定化法では、調製時の酵素失活は最小限度に抑えられるが、酵素と電極との結合力が化学結合法や架橋法ほど強くないため、酵素の脱離によるセンサー応答の低下が欠点となっており、膜と酵素との強い相互作用による改善が期待されていた。本研究では、センサー性能および安定性を向上させるため、膜と酵素との相互作用を高めて酵素取り込み量を増加させ、また固定化された酵素の脱離を抑えることを目的に、3-位にスルホン酸基を導入したピロール(PS)とピロール(Py)との共重合膜内に酵素西洋わさびペルオキシダーゼ(HRP)を電解重合法によりSnO2電極表面上に包括固定化し、HRP/Py-PS電極を作製した。またポリピロール膜を用いた過酸化水素センサー(HRP/PPy電極)も作製し、HRP/Py-PS電極と比較した。同じ条件で作製したHRP/Py-PS電極は再現性に優れたセンサーであることが示された。HRP/Py-PS電極の感度はHRP/PPy電極とほぼ同じであるが、応答のダイナミックレンジが広くなり、しかもHRP/PPy電極より高い安定性を維持していることがわかった。Py-PS共重合膜に導入した負電荷と酵素の正電荷との静電相互作用により固定化酵素量が増加し、かつ固定化酵素の脱離が抑えられたことを示す知見が得られ、固定電荷をもつ導電性ポリマー薄膜を用いたことにより性能および安定性に優れた過酸化水素センサーとなった。

 第3章では、導電性ポリマー薄膜を用いた電極の表面に固定化された酵素の新しい定量法について検討した。電極表面の固定化酵素量はセンサーの性能に大きな影響を及ぼすため、固定化酵素量の評価が極めて重要である。従来の定量法としては、放射性元素による標識法、QCM、SPRを用いた方法、FADストリッピングによる方法などが挙げられる。しかし、電解重合ポリマー膜に適用できる定量法は、放射性元素による標識法とFADストリッピングによる方法だけである。前者については、特殊な装置と取り扱いが必要であり、後者については、FADを持つ酵素しか定量できない。そこで、固定化酵素量を迅速かつ簡便に測定できる新しい定量法が必要となる。本研究では、電極作製前後の電解重合溶液中酵素量の差から固定化量を求めるものであり、薄層電解セルの使用と迅速かつ高感度のタンパク質定量法であるCBB色素結合法の採用により、電極表面に固定化された酵素を定量することができた。電極の有効面積が2cm2に対し電解溶液層の厚みが2mmで溶液量が400μLの薄層セルを用いることによって、電解重合前後の酵素濃度の有意差を測定できるようにした。薄層セルとCBB色素結合法を組み合わせた固定化酵素の定量法は、特殊な装置が必要である従来法に比べて、簡便性、迅速性、効率などの点ではるかに有利であり、広範囲の酵素にも適用できる。このように、研究例が極めて少ない固定化酵素の定量に関して、多くの特徴を持つ新しい手法を確立した。さらに本法をHRP/Py-PS電極およびHRP/PPy電極へ適用した結果、HRP/Py-PS電極はHRP/PPy電極より酵素密度が高く、多くの酵素が固定化されていることが判明し、膜マトリックスに負電荷を導入したことが有効であることを検証した。

 第4章では、固定化酵素量と応答特性との関係を明らかにすることを目的に、前節の固定化酵素定量法を用いてHRP/Py-PS電極の固定化酵素量を測定し、作製条件および応答特性との相関を検討した。導電性ポリマーを用いる酵素電極を実用化するためには、作製条件の最適化が必要である。そこで、電解重合時の電気量、電流密度、および電解重合溶液のpHが固定化酵素量と応答電流にどのように影響するかを調べた。まず電気量の影響を検討した結果、固定化酵素量は300mCcm-2までほぼ直線的に増加し、膜厚に比例することがわかり、均一な膜が合成され、同時に膜内の固定化酵素も均一に固定化されることが示唆された。応答電流は電気量とともに上昇するが、50mCcm-2で感度が頭打ちになった。導電性ポリマーを用いた酵素電極の応答を支配するのは、酵素反応あるいは基質拡散である。薄い膜では、センサーの応答は固定化酵素量に依存し、固定化酵素量の増加とともに応答も増加する。さらに電気量を大きくして膜が厚くなると応答電流が頭打ちになったが、固定化酵素量が増えても実際にはノイズが大きくなり、基質の拡散を妨げるためと考えられる。次に電流密度の影響を検討した結果、固定化酵素量は電流密度が小さい、つまり電解重合速度が遅いほど多くの酵素が固定化された。しかし、約0.05mAcm-2以下では、逆に固定化酵素量が減少する。作製時の電流密度が小さいほどより均質な膜が合成され、同時に包括された酵素量も増えると考えられるが、重合速度が遅過ぎると水溶性のPSが重合して不溶化する前に溶液バルクへ溶けてしまい、重合の電流効率が悪くなると考えられる。そのため負電荷をもつPSの比率が低いポリマーとなり、酵素が取り込まれにくくなると推測される。電流密度による応答の変化は、固定化酵素量の変化とよく対応しており、酵素固定化量がセンサー感度の重要な因子であることが示された。また、電解重合溶液pHが小さいほど酵素固定化量が大きくなる傾向がある。HRPの等電点は7.2であり、pHが等電点より小さいほど正に帯電した酵素が多くなり、Py-PS共重合膜に導入した負電荷との静電引力により取り込まれやすくなるためと考えられる。一方、電解溶液のpHによる応答の変化においても、pHが小さくなると応答電流が大きくなる傾向があり、応答上昇の要因の一つは酵素固定化量の増加であると考える。

 以上の知見により、酵素と膜との静電相互作用が酵素の取り込みと応答に寄与していることが明らかとなった。導電性ポリマー薄膜を用いた酵素電極に関して、電極作製条件と固定化酵素量および応答特性との関係を明らかにし、最適なセンサー作製条件を検討することができた。センサー応答は固定化酵素量とよく対応しており、酵素固定化量がセンサー応答の重要な因子であることが示された。特に本研究では、様々な作製条件下で固定化酵素量を詳しく定量したことと、固定化酵素量と応答特性との関係を明らかにしたことが新しい点であり、センサー作製条件の最適化に関する指針が得られたと考える。

 第5章では以上の結果を総括し、導電性ポリマー薄膜を用いたバイオセンサーに関する研究の今後の展望について述べた。

審査要旨 要旨を表示する

 生体物質の高度な分子認識機能を利用し,測定が迅速・簡便であるバイオセンサーは,医療,食品工業,環境など様々な分野に応用できる。現在,高性能で安定性の高いセンサーの設計,生体材料とトランスデューサとの結合力改善,センサー応答を支配する因子の解明が求められている。本研究は,導電性ポリマー薄膜にレドックス酵素を包括したバイオセンサーの最適化を主眼に,応答を支配する重要因子となる固定化酵素の定量法を確立し,固定化酵素量と応答特性との相関解明を目的にしたもので,全五章から成る。

 第1章は序論で,バイオセンサーの構成と機能,研究の歴史的背景と現状について概説し,本研究の目的を述べている。

 第2章は,固定負電荷をもつ共重合ポリピロール薄膜を酵素包括マトリックスとした過酸化水素センサーに関する。一般に包括固定化法は,調製時の酵素失活は少ないものの,酵素-電極間の結合力が化学結合法や架橋法より弱いため,酵素の脱離による応答低下が欠点だった。電解重合法で,3-位にスルホン酸基を導入したピロール(PS)とピロール(Py)の共重合膜に酵素西洋わさびペルオキシダーゼ(HRP)をSnO2電極表面に包括固定化したHRP/Py-PS電極を作製し,ポリピロール膜センサー(HRP/PPy電極)と比較している。HRP/Py-PS電極は,再現性にすぐれ,感度はHRP/PPy電極と同程度ながら,応答のダイナミックレンジが拡大し,安定性が格段に向上した。Py-PS共重合膜に導入した負電荷と酵素の正電荷との静電相互作用により固定化酵素量が増え,かつ固定化酵素の脱離が抑えられたと解釈し,過酸化水素センサー作製の最適条件を提案している。

 第3章では,電極表面に固定化された酵素の定量法を検討している。ごく微量の酵素を定量する従来法には,放射性元素標識法,QCM,SPRを用いた方法,FADストリッピング法などがあるが,汎用性・簡便性に問題が多い。固定化酵素量を迅速かつ簡便に測定できる新しい定量法として,薄層電解セル内で電解重合を行ったのち,高感度なタンパク質定量法の一つであるCBB色素結合法を用いる分光吸収計測を行う手法を開発した。電極の有効面積2cm2,電解溶液層の厚み2mm,溶液量400μLの薄層セルを用いた場合,電解重合前後の酵素濃度変化を再現性よく計測できることを見出している。本法をHRP/Py-PS電極およびHRP/PPy電極に適用した結果,HRP/Py-PS電極はHRP/PPy電極より酵素の固定化密度が高いと判明し,膜マトリックスヘの負電荷導入の有効性を確認している。

 第4章では,前章で開発した固定化酵素定量法に基づき,HRP/Py-PS電極の固定化酵素量と,作製条件および応答特性との相関を詳細に検討している。具体的には,電解重合時の電気量,電流密度,および電解重合溶液のpHが固定化酵素量と応答電流にどう影響するかを調べた。

 (1)重合電気量の影響については,300mCcm-2まで直線的に固定化酵素量が(膜厚に比例して)増加し,酵素分子が膜内にほぼ均一に固定化されることを示唆する結果を得た。応答電流は50mCcm-2で頭打ちとなり,酵素反応速度律速(薄い膜)から基質の拡散律速(厚い膜)への遷移だと解釈している。

 (2)電流密度の影響については,電流密度が小さい(電解重合速度が遅い)ほど酵素固定化量が大きいこと,約0.05mAcm-2以下では逆に固定化量が減少することを見出した。電流密度が小さいほど膜の均質性は上がり,包括酵素量も増えるが,重合速度が遅すぎると水溶性のPSが重合・不溶化の前に溶液バルクヘ溶け出し,重合の電流効率が下がるためと解釈している。電流密度によるセンサー応答の変化は,固定化酵素量の変化とよく対応し,酵素固定化量がセンサー感度の重要な因子であると結論している。

 (3)電解重合液のpHの影響については,pHが低いほど酵素固定化量が大きくなる傾向を見出し,HRPの等電点(7.2)をもとに議論している。センサー応答も同様なpH依存性を示すことより,上記と同様,応答を支配する重要な要因の一つが酵素固定化量であると解釈した。

 こうした知見を総合し,酵素とポリマー膜との静電相互作用,および作成条件により制御可能な固定化酵素量が,導電性ポリマー薄膜を用いたバイオセンサーの応答特性に重要な影響を及ぼすことを明らかにし,センサー作製条件の最適化に資する指針を得ている。

 第5章では以上の結果をまとめ,導電性ポリマー薄膜を用いたバイオセンサーに関する研究の今後の展望を述べている。

 以上要するに本研究は,酵素を用いる電気化学バイオセンサーの実用化にとって有用な新規知見を得たものであり,生体機能化学,工業物理化学の発展に資するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク