学位論文要旨



No 118067
著者(漢字) 赤坂,哲郎
著者(英字)
著者(カナ) アカサカ,テツオ
標題(和) 分子スイッチング素子を指向した光誘起エネルギー移動系の設計と構築
標題(洋) Design and Construction of Photo-induced Energy Transfer Systems toward Molecular Switching Devices
報告番号 118067
報告番号 甲18067
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5525号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 荒木,孝二
 東京大学 教授 渡辺,正
 東京大学 教授 溝部,裕司
 東京大学 助教授 浅沼,浩之
 東京大学 講師 金原,数
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

 分子素子とは、1分子で演算素子としての機能を果たすもので、入力部・演算部・出力部を併せ持つ。その中でも、スイッチング機能をもつ素子は分子素子の重要な要素となる。本研究では、高感度で検出が容易であり、スイッチング刺激や入・出力波長に多様性をもたせることができる等の理由から入力・出力情報として光を用いた。光吸収としての光情報が入力されるドナーと光情報を出力するアクセプターの間にスイッチングユニットを導入し、スイッチングユニットに外部から刺激を与えることで入・出力部クロモフォア間の光誘起エネルギー移動過程を制御する。複数のクロモフォアをネットワーク状に組み合わせることで高度な機能を発現させることが可能であり、発展性に富む。

2.プロトン付加/脱プロトン化によるエネルギー移動のスイッチング

 光入力部となる光増感部に要求される性能は、1)大きな光吸収能を示すこと、2)エネルギー移動に適した励起状態特性をもつこと、3)エネルギー・アクセプター部位との結合形成が容易であること、などである。この要求を満たす光増感部として4,4'-dipheny1-2,2'-bipyridine (Ph2bpy)とdppz-NH2(7-amino-dipyrido[3,2-a:2',3'-c]phenazine)を有するRu錯体、および、この光増感部にアミド結合を介してアクセプター部位となるOs錯体を導入したRu/Os錯体を設計、合成し、光誘起エネルギー移動およびプロトン付加/脱プロトン化によるスイッチング挙動について調べた。

 Ph2bpyを持つRu/Os錯体Ru(Ph)-NHCO-Osおよびbpyを持つRu/Os錯体Ru-NHCO-Os(Fig.1)の吸収スペクトルよりPh2bpyを有する錯体はbpy配位子をもつ錯体と比較して、光増感部に要求される大きな光吸収能を示すということが明らかとなった。Ru/Os複核錯体において、Os錯体からの発光強度は、Ru(Ph)-NHCO-Osの方がRu-NHCO-Osに比べ2.4倍大きくなった。この発光増加は、励起波長440nmでの吸光度の増大(1.56倍)による寄与だけでは説明がつかず、増感部位であるRu錯体部からのエネルギー移動の増大が寄与していることを示している。

 また、Ru/Os複核錯体Ru(Ph)-NHCO-Osにおいてdppz配位子のフェナジン環窒素へのプロトン付加により、Os錯体からの発光が減少した。プロトン付加によりRu錯体部でのエネルギー消失過程が増加するので、このOs錯体からの発光減少はRu錯体部の光増感能のスイッチオフ状態であると考えられる。このプロトン付加/脱プロトン化による変化は可逆的で繰り返し可能である。

 これらの結果を併せると、Ph2bpyとdppz-NH2を有するRu/Os錯体Ru(Ph)-NHCO-Osは、大きな光吸収能を持ち、効率良くエネルギー移動を起こし、さらにプロトン付加/脱プロトン化による光誘起エネルギー移動のスイッチング機能を示すことを明らかにした。

3.酸化還元制御によるRu/Os二核テルピリジン錯体型分子スイッチ

 本研究室ではこれまでに、アゾ基を有する二核Ru/Osビピリジン錯体が、アゾ部への酸化還元刺激によってRu中心からOs中心へのエネルギー移動を制御することのできる分子フォトニクススイッチとして働くことを見出している。本研究では、入・出力部の空間配置をより明確にするために、テルピリジン(tpy)を用いた。アゾテルピリジン(azotpy)配位子を有するテルピリジン型Ruホモ二核(Ru-azotpy-Ru)、Osホモ二核(Os-azotpy-Os)、Ru/Osヘテロ二核(Ru-azotpy-Os)錯体を合成し(Fig.2)、その電気化学的、光物理的性質を調べた。

 これらの二核錯体中の架橋azotpy配位子の還元電位は、無置換tpy配位子よりも正側にシフトしており、tpy配位子に影響を与えることなく選択的にazotpy配位子のみを還元することができることが明らかとなった。Ru-azotpy-Osにおいて、架橋azotpy配位子を定電位電解によって還元する(-0.90V vs Fc/Fc+)と、これらの錯体の吸収スペクトルはazotpyへのMLCT吸収帯が減少、tpyへのMLCT吸収帯が増大し、還元体はOs中心からの発光を示した。Os-azotpy-Osの還元体とRu-azotpy-Osの還元体の励起スペクトルを比較することにより、Os錯体からの発光のうちRu錯体部からのエネルギー移動による寄与は約40%であることが判明した。再酸化によって吸収・発光スペクトルとも可逆的に元に戻り、このRu/Os二核テルピリジン錯体は、アゾ部への酸化還元刺激によってRu中心からOs中心へのエネルギー移動を制御することのできる分子フォトニクススイッチとして働くことが示された。

4.入力部にクマリンを用いた三元系における分子スイッチ

 上記セクションでは、光誘起エネルギー移動のスイッチングユニットとしてアゾ基を導入したRu/Os二核テルピリジン錯体の性質を調べたが、この二元系錯体ではRu錯体とOs錯体のMLCT吸収帯が重なるために、入射光によって出力部であるOs錯体も同時に励起されてしまうという問題点がある。そこで、光入力に対する応答性の向上を目的として、Ru/Os錯体において吸光度の少ない390mm付近に吸収帯をもち、Ru錯体のMLCT吸収帯に発光を有し、化学修飾しやすいアミノ基をもつ7-amino-4-trifluoromethylcoumarin(coumarin 151、C151)を入力部に導入し、クマリン-Ru-Os三元系への拡張をおこなった(Fig.3)。比較的長い励起寿命を持つクロモフォアを用いて三元系へ拡張することで、クロモフォアを介した長距離エネルギー移動を可能にし、エネルギー移動過程を制御するためにクロモフォア間に様々な機能性ユニットを導入することができる。

 吸収スペクトルおよびOs錯体の発光波長における励起スペクトルより、三元系錯体(C151)2-Ru-ph-Osでは390nmにおける吸収の66%がクマリンに由来するものであり、クマリン部の選択励起能が向上した。また、Os錯体からの発光におけるクマリンおよびRu錯体からのエネルギー移動の寄与は69%で、クマリンからOs錯体へのエネルギー移動効率は54%であった。

 スイッチング部としてアゾ基を導入した三元系錯体(C151)2-Ru-azo-Osは前セクションでのRu-azotpy-Osと同様に、選択的にazotpy配位子のみを還元することができることが明らかとなり、還元体の吸収スペクトルはazotpyへのMLCT吸収帯が減少、ttpyへのMLCT吸収帯が増大した。また、中性体、還元体ともに390nm付近にクマリン部位由来の吸収が存在し、還元体における390nmでのクマリン部位の吸光の割合は全吸収の約79%であった。この波長で励起すると、中性体ではほとんど発光が消光するのに対し、還元体では790nm付近にOs錯体由来の発光を示した。この三元系錯体還元体の励起スペクトルを二元系錯体Ru-azotpy-Os還元体のそれと比較したところ、Os錯体の発光のうちおよそ70%がクマリンおよびRu錯体部からのエネルギー移動によるものであることが明らかとなった。この寄与は二元系錯体の時の40%に比べ大きく改良され、三元クロモフォア系においては方向性のあるエネルギー移動のスイッチングが達成された。

5.まとめ

 本研究では、分子スイッチング素子を指向した光誘起エネルギー移動系の設計と構築をおこなった。先入力部となる増感部位、出力部、スイッチング部をブロックとして捉え、各ブロックを組み合わせていくという本研究の方法は、光誘起エネルギー移動を制御する系の構築を容易にし、入出力シグナルや外部刺激に多様性を持たせるだけでなく、ユニット間に複数のスイッチを導入する、あるいはエネルギー移動の方向を変えるといった拡張性の高いシステム構築に向けた基礎的知見として有用である。

Fig. 1 Structures of Ru(Ph)-NHCO-Os and Ru-NHCO-Os.

Fig. 2 Ru/Os azotpy complexes.

Fig. 3 Structures of (C151)2-Ru-ph-Os and (C151)2-Ru-azo-Os.

審査要旨 要旨を表示する

 分子素子は,集積度の高い次世代素子として注目をめており,分子レベルでの情報処理の形態,情報キャリアの選択など,多様な観点から様々な分子デザインが提案され,現在活発に研究が進められているが,実用化に向けた基礎的な研究がよりいっそう求められている.本論文は,光を入出力に用いた分子スイッチング素子の開発に向けた基礎研究として,効率の良い光誘起エネルギー移動系の構築とそのスイッチングを目指した研究成果を述べたものであり,全5章から成る.

 第1章は序論で,分子素子の研究に関する背景と現状,情報キャリアとして光を用いることの利点,光誘起エネルギー移動系の基礎的な事項などについて概説し,光誘起エネルギー移動スイッチの開発に向けた本研究の目的を述べている.そして,先入力部,スイッチング部位,および先出力部の三つの機能部位それぞれを最適化した後,各部位間を配位結合やアミド結合という比較的容易な結合手法を用いてエネルギー移動スイッチを組み立てる,という本研究で用いた手法の是非を論じている。

 第2章は,酸化還元刺激をスイッチとする二核錯体型分子スイッチについて述べたものである.ここでは,すでに報告されているアゾビピリジン型酸化還元スイッチの問題点を指摘し,改良型としてアゾテルピリジンRuOs二核錯体を用いた新規な酸化還元スイッチを提案し,合成している.得られたアゾテルピリジン型二核錯体について,その光物理および酸化還元特性を明らかにし,入力光によりアゾ基の選択的還元時には出力部であるOs錯体からの発光が観測できるが(オン),再酸化すると発光が消える(オフ)という酸化還元スイッチとして機能することを実証している.また,S/N比の向上など新規なアゾテルピリジン型スイッチの優れた性能や発展性を示すとともに,スイッチングを繰り返すことによる性能劣化という問題点も報告している.さらに,数多くの参照化合物を用いた検討などから,還元時におけるRu中心からのエネルギー移動効率は約70%であるが,Os発光に対する寄与は35%程度に止まることを明らかにし,入力光に対する入力部での選択吸収の向上が必要であることも指摘している.

 第3章では,前章の結果を受け,入力部での選択吸収の向上を図るため,入力光の捕集ユニットを新たに導入した三元系酸化還元スイッチとして,クマリン-アゾテルピリジンRuOs二核錯体を設計,合成している.この系では,二つのクマリンユニットが入力光の選択捕集部として機能し,Ru部位,スイッチ部位であるアゾテルピリジン部位を経て,出力部であるOS中心にエネルギー移動し,発光として出力される.合成された三元系錯体について,各種参照化合物との光物性の比較検討を行った結果,アゾ基の選択的還元時に観測されるオン状態でのOs中心からの発光のうち,74%がアゾテルピリジン部位を経由したエネルギー移動に基づくものであり,アゾ基の再酸化で可逆的に消光される(オフ)ことを確認している.このように光捕集部を導入した三元系酸化還元スイッチでは,入力部から出力部への方向性のあるエネルギー移動がアゾ基の酸化還元でスイッチされることになり,より発展性に富むスイッチ系の開発に成功している.

 第4章では,光捕集部位として長い励起寿命を持つジフェニルビピリジンRu錯体を用いたプロトンスイッチについて報告している.この系では,入力部位となるRu錯体のジピリトフェナジン配位子末端から,容易に形成可能なアミド結合を介して出力部位となるOsテルピリジン錯体を結合させており,ジピリトフェナジン配位子の環窒素へのプロトンの可逆的付加により,エネルギー移動のスイッチングを実現している.入力部位にジフェニルビピリジンRu錯体を用いると,ビピリジンRu錯体と比較してRu中心での無輻射失活の速度は低下するが,エネルギー移動速度は一定であるため,エネルギー移動効率が大きく向上することを明らかにするとともに,環窒素のプロトン化,脱プロトン化によるスイッチのオン・オフが繰り返し可能であることを実証し,優れたプロトンスイッチとなることを示している.

 第5章では以上の結果をまとめるとともに,分子スイッチに関する今後の展望を述べている。

 以上のように本研究は,分子スイッチング素子の開発に向けた光誘起エネルギー移動系のスイッチに関する新規で有用で知見を得ており,有機光化学だけでなくナノエレクトロニクス分野の発展にも寄与すること大と考えられる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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