学位論文要旨



No 118068
著者(漢字) 油谷,隆秀
著者(英字)
著者(カナ) アブラタニ,タカヒデ
標題(和) 抗体VH、VL間相互作用に関する基礎的研究ならびに免疫測定系への応用
標題(洋)
報告番号 118068
報告番号 甲18068
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5526号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 上田,卓也
 東京大学 助教授 上田,宏
 東京大学 助教授 後藤,由季子
 東京大学 講師 新海,政重
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

 Open Sandwich酵素免役測定法(以下OS-ELISA法)は、抗原存在下では重鎖可変領域(VH)-転鎖可変領域(VL)-抗原の三者が安定な複合体を形成し、抗原非存在下ではVHとVLの間にはほとんど相互作用が働かないような性質をもつ抗体可変領域(Fv)を利用して抗原濃度を測定する、非競争的免疫測定法である。OS-ELISA法は、他の免疫測定法に比べて操作が簡便であるという利点のほかに、同じ非競争的免疫測定法であるSandwichELISA法では原理的に測定できない単一エピトープしか持たない小分子(単価)抗原を測定できるという最大の利点がある。従来の酵素免役測定法(ELISA法)による単価抗原測定においては、原理的な制約により非競争法に比べて感度的に劣る競争法が用いられてきた。もし多くの単価抗原に対してOS-ELISA法が適用出来れば、環境ホルモンのような化学物質の濃度を高感度、簡便に測定する系が可能となり、その潜在的有用性は非常に高い。

 OS-ELISA法には、抗原濃度依存的にVH/VL間相互作用の強弱が変化する抗体Fvが必要であるが、これまでVH/VL間相互作用と抗体Fvアミノ酸配列の関係について系統的に研究した例はほとんどなく、例えばVH/VL間相互作用の強弱の変化を予測し、部位特異的に変異を加えることによりOS-ELISAに適した抗体を作成することは困難であった。

 そこで本研究では、まずVH/VL間相互作用の強弱の異なる4種類の抗BSA抗体をモデル系として、VH/VL間相互作用の強弱に関与する残基について解析を行った。

 次にOS-ELISA法に適した抗体を効率よく選択するために開発した新規Phage Display法を利用して、環境ホルモンBisphenol A(BPA)を認識する3種の抗体の中からOS-ELISAに最も適した抗体を選択し、OS-ELISA法によるBPA測定系の構築を行った。

2.VH、VL間相互作用に関与する残基の解析

 単一(V3-23/DP-47+JH4b,012/02/DPK9+Jk1)フレームワークヒト合成scFvライブラリーより得られた、同一エピトープを認識するがVH/VL間相互作用の強弱が異なる4種の抗BSA抗体Fvに着目し、VH/VL間相互作用の強弱を決定する残基についてPhage DisplayとELISAを利用して検討を行った。

 はじめに、各4種のVH、VLから生じる全16種の組合せについて、VH/VL間相互作用をELISA法により調べた結果、VH/VL間相互作用の強弱はVLではなく、VHによって決定されることを見出した。そこでその後はVH/VL間相互作用の強かった13CG2VHと相互作用の弱かった29IJ2VHの2クローンに着目した。この2種のVH間で異なる6残基について、29IJ2または13CG2どちらかの残基になるように作成したVHのファージライブラリーを用いて、相互作用の強弱に関与する残基を同定したところ、95番の残基(H95)に13CG2VHと同じGlyをもつクローンのみが強いVH/VL相互作用を示すことが分かった。

 次に、VH/VL間相互作用の弱い29IJ2VHを鋳型として、H95の残基にサチュレーション変裏をかけ、アミノ酸残基とVH/VL間相互作用の強弱の関係を、29IJ2VLをプレートに固定したELISAにより検証した。

 その結果、29IJ2VHのH95SerをGlyに置換した変異体が特にVLと強い相互作用を示し、13CG2VHのH95GlyをSerに置換した変異体は、VLとの相互作用が著しく弱くなったことから、H95GlyがVH/VL間相互作用の強弱に大きく関与することが示された。

 さらに、上の相互作用に対するファージ上へのVHの提示量ならびに安定性の影響をより定量的に調べるため、29IJ2VH(野生型(wt)ならびに95G/D/L)および13CG2VH(wtならびに95S)の6クローンについて、29IJ2VLまたはprotein Aを固定化してELISAを行い、結合のファージ濃度依存性を検討した。protein Aに対しては、全クローンがほぼ同等の結合を示し、変異によるファージ上へのVHの提示量ならびに安定性への影響は少ないことが示された。一方29IJ2VLに対しては、変異による結合の濃度依存性に顕著な差が見られた。この結果は表面プラズモン共鳴バイオセンサーと可溶性VHを用いた解離定数測定の結果と良く一致した。

 本研究で用いた95Glyを持つVHが他のVLに対しても強い親和性をもつかどうか検証するため、ポリクローナルなL鎖(K鎖)を固定化してELISAを行った。95GlyをもつVHは95SerをもつVHと比較して強い結合を示したことから、95GlyをもつVHは特定のVLのみならず他のVLとも強い相互作用をもつことが示唆された。

 H95は、CDR H3のループの根元にあたり、VLと直接相互作用する位置にはない。H95がGlyのとき、CDR H3ループの柔軟性が顕著に増大するという報告(Kim,S.T,et al. Proteins 37,683-696(1999))があることから、H95がGlyのとき、ループ全体の柔軟性が高くなることによって、VH、VL間のパッキングがさらに密になり、よりVLとの相互作用が強くなった可能性がある。

 今回用いたVH/VL間相互作用の弱いクローン29IJ2VHwtは、VHとVLをリンカーで結合したscFvの状態では充分な抗原結合能をもっていることから、このクローンがOS-ELISAに璋さなかった理由は、VH/VL間相互作用が弱すぎるためにパラトープを充分に形成できなかったためであると推測される。

3.Open Sandwich ELISA法のBisphenol A濃度測定への応用

 OS-ELISA法に適した抗体を効率よく選択するためには、抗体Fvの抗原への結合能およびVH/VL間相互作用の抗原濃度依存性を迅速に検証できる系が必要となる。そこで、繊維状ファージM13のマイナーコートタンパク質pIXとpVIIそれぞれにVH、VLを融合することによりファージ表面にFvを提示させ、同時にVL遺伝子とgVIIの間にアンバーコドンを配し、ホスト大腸菌のsupE変異の有無によりVL断片の提示と分泌の切り替えが可能な新規ファージディスプレイ法を開発した(split Fv(spFv)system.)。spFv systemを用いることにより、ベクターの組み換えなどを行うことなしに1)supE変異株TG-1をホストとして調製したVHおよびVLを提示したファージを用いてFvの抗原結合能の評価が可能となり、2)非sup変異株HB2151をホストとしてファージを調製し、VLを培養上清に分泌させたときには、VLをマイクロタイタープレート上に固定化し、OS-ELISAを行うことが可能となる。

 また、Pellequer J. L. (J. Mol. Recognit. 12, 267-275(1999))らの、抗原結合に際してVH/VL界面は、抗原がハプテンのような小分子の場合に,よりコンパクトな構造をとるように変化し、タンパク質性の大きな抗原のときにはあまり変化しないという報告を参考にして、小分子のほうがOS-ELISAのターゲットとしてより適していると考え、今回は抗原として、化学物質であり、また内分泌撹乱作用をもつとされ、近年生体及び環境中での濃度測定の必要性の高まっているBisphenol A(BPA)を用いることとした。

 ここでは、spFv system及び既存のハイブリドーマ由来の抗体遺伝子を用いて、OS-ELISA法によるBPA濃度測定系の可能性を検討した。3種の抗BPA抗体scFv遺伝子(BBA2187、BBA2617、BTE3456)からspFvベクターを構築し、まずTG-1sup+をホストとしてVH、VL共に提示したファージを調製し、3種の抗BPA抗体spFvのBPA結合能を評価した。その結果、いずれの3種も充分なBPA結合能を保持していることを確認した。

 次にHB2151をホストとしてVHのみを表面に提示したファージと分泌されたVLを含む培養上清を用いて、OS-ELISAを行った。BPAを多価で結合させたウサギ血清アルブミン(BPA-RSA)を抗原として測定を行ったところ、3種共に抗原濃度依存的シグナル変化が見られたが、BBA2187が最も感度良く検出できた。次にBPAを抗原としてBBA2187を用いてOS-ELISAを行ったところ、抗原濃度依存的シグナル変化が見られ、その感度は1ng/ml以下であった。

4.緒言

 本研究では、これまでほとんど知見の得られていなかった抗体VH/VL間相互作用の強弱とFvアミノ酸配列の関係について、ヒト抗BSA抗体をモデルとしてCDR H3の根元にあるH95GlyがVH/VL間相互作用の強弱を決定することを見出した。しかし、H95に変異を加えてVH/VL間相互作用を弱めるだけではOS-ELISA法に適した抗体を得ることはできなかったことから、今後さらにVH/VL間相互作用に関与する残基について知見を蓄積していくことが必要であると思われる。

 また新規ファージディスプレイ法spFv systemを利用してOS-ELISAによるBPA濃度測定系の構築を行った。その感度は1�r/ml以下と市販のBPA測定キットと比較して同等またはそれ以上であった。またspFv systemを用いることで、OS-ELISA法に適した抗体を迅速に判定できることが示された。

審査要旨 要旨を表示する

 免疫測定法は、基礎研究や臨床診断、環境分析など、さまざまな分野で利用され、欠かすことのできない技術となっている。現在、汎用的に使用されている免疫測定法には、Sandwich ELISA法と競合ELISA法がある。非競合法のSandwich ELISA法は、感度が良く測定範囲が広いため、最も一般的に用いられている。しかし、抗原を二種類の抗体で挟むという測定原理上、単価抗原(ハプテン)の測定を行うことができない。そのため、ハプテンの測定には、Sandwich ELISA法と比較して感度の点で劣る競合法が使用されている。

 Open Sandwich ELISA法は、VH/VL間相互作用の強弱が抗原の有無によって変化する抗体Fvを用いて抗原濃度を測定する新規免疫測定法である。Open Sandwich ELISA法は、Sandwich ELISA法と比べて測定時間を短くすることができるという利点のほかに、単価抗原濃度を非競合法で測定できるという利点があり、非常に応用性の高い免疫測定法である。本研究は、前半ではVH/VL間相互作用の強弱と抗体アミノ酸配列の関係について基礎的な検討結果を、後半ではOpen Sandwich ELISA法に適した抗体を選択するための新規ファージディスプレイ法の開発とその応用について述べており、全7章で構成されている。

 第1章は、論文の構成について、第2章では、研究の背景と研究の目的について述べている。

 第3章、第4章では、ヒトフレームワークをもつ抗体Fvをモデル系として、VH/VL間相互作用の強弱と抗体アミノ酸配列の関係について検討を行っている。第3章では、互いにVH/VL間相互作用の強弱が異なる、牛血清アルブミン(BSA)に対する4種の抗体Fvをモデル系として、VH/VL間相互作用の強弱を決定するアミノ酸残基を、アミノ酸置換とファージディスプレイの手法を用いて同定している。まず、これら4種の抗体のVH、VLの全ての組み合わせについて、VH/VL間相互作用の強弱を測定することにより、VHが相互作用の強弱を決定していることを明らかにした。また、相互作用の強いVHと弱いVHで異なる6アミノ酸残基に注目し、ファージディスプレイの手法を用いて解析を行ったところ、相補性決定領域(CDR H3)の最初のアミノ酸がGlyのVHは全てVLとの相互作用が強いことを見出した。そこで、この残基を他の全てのアミノ酸に置換した19種類の変異体を作製し、VLとの相互作用をELISAで測定した結果、CDR H3の最初のアミノ酸がGlyのVHだけが強い相互作用を持つことを明らかにした。さらに、このVHがBSAに対する抗体VL以外の、尿由来のポリクローナルなL鎖に対しても強い相互作用を示したことから、VH/VL間相互作用の強弱の決定には、CRD H3の最初の残基のアミノ酸が重要な役割を担っていると結論している。

 第4章では、さらにフレームワークは第3章の抗BSA抗体と同じものを持ち、8アミノ酸のCDR H3のうち最初の5残基がランダムな配列となっているVHのファージライブラリを用いて、VLとの相互作用について検討を行っている。ライブラリを用いて、VLに対してパニングを行い、強弱さまざまなVH/VL間相互作用をもったVHを多数得ている。そのCDR H3アミノ酸配列を解析した結果、さまざまなCDR H3配列が得られ、CDR H3配列がVH/VL間相互作用の強弱に大きく関与していることを示している。

 第5章、第6章では、まずOpen Sandwich ELISA法に適した抗体断片を効率良く選択するための新規ファージディスプレイ法を開発している。次にそれを応用して、内分泌撹乱物質Bisphenol A(BPA)に対する4種の抗体の中から、Open Sandwich ELISA法に適した抗体を選択し、選択した抗体のVHとアルカリフォスファターゼ(PhoA)の融合タンパク質を用いて、Open Sandwich ELISA法による高感度なBPA濃度測定系を構築している。第5章では、VH、VLを繊維状ファージのマイナーコートタンパク質pIX、pVIIとそれぞれ融合タンパク質とすることで、ファージ上にVH、VL断片を提示する系split Fv systemを構築している。このとき、VL遺伝子とgVIIの間にアンバーストップコドンを挿入することによって、ファージディスプレイを行うときの大腸菌ホストのサプレッサー変異の有無によってVLの提示の有無を切り替えることができるように設計を行っている。このようなsplit Fv systemを用いて、BPAに対する4種の抗体から、最もOpen Sandwich ELISAに適した抗体を選択し、本提示システムの実用性を示した。

 第6章では、第5章で選択した抗体のVHとPhoAとの融合タンパク質を作製しくこれを用いたOpen Sandwich ELISA法により、BPA濃度を1ng/ml以下という高感度で測定することに成功している。この、Open Sandwich ELISA法の測定感度は同じ抗体Fvを用いた競合法と比較して、約2桁高い感度であった。

 第7章では以上の結果をまとめ、Open Sandwich ELISA法を一般化するための研究の今後の展望を述べている。

 本論文は、Open Sandwich ELISA法に用いることが可能な抗体Fvに関して、有用な新しい知見を得るとともに、実用的な選択方法を確立したものであり、化学生命工学、特に免疫診断分野、環境分析分野の進展に寄与するところ大である。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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