No | 118070 | |
著者(漢字) | 島田,信量 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | シマダ,ノブカズ | |
標題(和) | 哺乳動物ミトコンドリアのセリルtRNA合成酵素によるtRNA認識機構 | |
標題(洋) | ||
報告番号 | 118070 | |
報告番号 | 甲18070 | |
学位授与日 | 2003.03.28 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(工学) | |
学位記番号 | 博工第5528号 | |
研究科 | 工学系研究科 | |
専攻 | 化学生命工学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | [緒言] タンパク質合成(翻訳)の精度は、tRNAが対応するアミノ酸を受容する段階(アミノアシル化過程)で決定され、基本的にこれ以降は翻訳の校正機構が存在しないと考えられている。20種類のアミノアシルtRNA合成酵素(aaRS)が、互いに似通った構造を持つtRNA群の中から対応するtRNAのみを正確に識別するために、個々のtRNAには特徴的な配列、構造から成る「tRNAアイデンティティー(アミノ酸特異性)決定因子」が備わっている。これまでの研究により、tRNAアイデンティティー決定因子は通常tRNAのアンチコドン部位またはアクセプターステム上に存在することが知られている。しかし例外的にセリンtRNAは、特徴的な長いエキストラアーム領域でセリルtRNA合成酵素(SerRS)の認識を受けることが原核生物及び真核生物の細胞質の翻訳系において明らかにされている。 哺乳動物ミトコンドリアの翻訳系にはAGY(Y=U, C)コドンに対応するtRNASerGCUとUCN(N=A, U, C, G)コドンに対応するtRNASerUGAの2種類のセリンtRNAが存在し、前者はDループをほぼ完全に欠き、後者は長いアンチコドンステムを持つなど、共に通常のクローバー葉型構造とは異なる特徴的な二次構造を持つことが知られている(図1)。加えて両者ともにエキストラアームが短く、他の生物のセリンtRNAとはSerRSによる認識様式が明らかに異なることが予想されるが、両者の間にはtRNAアイデンティティー決定因子と思われるような共通部位が殆ど存在しない。これまでに単一のaaRSが構造の異なる複数のtRNA群を認識するという報告例はなく、単一のミトコンドリアSerRS(mtSerRS)が両者を認識するならば、あらゆる生体高分子相互作用の中でも他に類を見ない非常にユニークなケースであると言える。 そこで本研究では、哺乳動物mtSerRSのセリンtRNA認識機構を解明するために様々な生化学的解析を行った。この特異なaaRS-tRNA相互作用機構の研究を通じて、哺乳動物ミトコンドリアが非常に興味深い翻訳精度維持機構を備えていることが示唆された。 [実験と結果] [1]野生型mtSerRSのキャラクタリゼーション 既に当研究室の横川が、ウシ肝臓からほぼ単一の野生型のウシmtSerRSを精製することに成功している。そこで、この野生型酵素を用いてゲルシフトアッセイを行った。いずれのセリンtRNA存在下でもmtSerRSのバンドがシフトして、複合体と思われるバンドを形成した(図2)。さらにアミノアシル化反応の活性測定を行い、単一の哺乳類mtSerRSが異なる構造を持つ2種類のセリンtRNAをほぼ同等の活性でセリル化することを証明した。 次に、ウシcDNAライブラリーからのスクリーニング、RT-PCR、5'-RACEを行い、最終的にウシmtSerRSをコードする塩基配列の全長(1557bp)を決定した。 [2]mtSerRSによるtRNA認識機構 [2]-1ウシmtSerRS大量発現系の構築 生化学的解析に充分な量の野生型酵素をウシ肝臓から精製することは困難なため、mtSerRSの大腸菌内での大量発現系の構築を行った。N末端にヒスチジンタグを付加して大腸菌内で発現させて、Ni2+カラムでほぼ単一に精製した。次いで組換え酵素の活性測定を行い、組換え酵素が野生型酵素とほぼ同じ性質を持つことを確認した。以下の実験は全て組換え酵素を用いて行った。 [2]-2フットプリント法によるtRNA上の結合部位の同定 リン酸基のアルキル化試薬であるエチルニトロソウレアを用いて、tRNAフットプリントを行った。その結果、tRNASerGCUのリン酸基は57-58位と64-67位の2箇所で(図3A, C左)、tRNASerUGAのリン酸基もほぼ同じ位置(55-59位と65-67位;図3B, C右)で、mtSerRSと結合することが分かった。この結果から、mtSerRSは2種類のセリンtRNAに対して共通に、TΨCループとアクセプターステムの根元の2箇所で結合していることが明らかになった。この内、アクセプターステムヘの結合はSerRSがアミノアシル化反応を行う上での必要なプロセスと考えられ、残るTΨCループがセリンtRNAの認識に関与すると考えられる。 [2]-3変異tRNAを用いたtRNAアイデンティティー決定因子の同定 [2]-3-1tRNASerUGAのアイデンティティー 次に、変異tRNAを用いてアイデンティティー決定因子の同定を行った。tRNAフットプリントでの考察に従い、TΨCループを中心に変異を導入したtRNASerUGAを試験管内転写反応により調製した。次いで、変異tRNAのアミノアシル化活性を測定した。 顕著に活性が低下した変異はG19C、C56G、U54A、A58U、U54A・A58Uの5種類であった(図4)。このことからmtSerRSはtRNASerUGAのTΨCループ領域を配列特異的に認識していることが分かった。加えて、G19C・C56Gの塩基置換により活性が完全に回復したことから、G19:C56を中心とするDループ-TΨCループ間の三次元相互作用がTΨCループの認識に必須であることも明らかになった。 [2]-3-2tRNASerGCUのアイデンティティー 変異tRNASerGCUの調製は、当研究室の林らによって完成された、大腸菌内でのtRNASerGCUの大量発現系を用いて行った。tRNASerUGAの場合と同様の部位に変異を導入し、精製した変異tRNAの活性を測定した。 tRNASerUGAの場合と異なり、擬似Dループ上の変異は活性に殆ど影響を与えなかった。しかし、TΨCループ上の変異の殆ど(A57U、A58U、U54A・A58U、U59A・A60AU;図4)が顕著に活性を低下させた。このことから、mtSerRSが認識の際にTΨCループ上の57位から60位付近の塩基だけを特異的に認識していることが分かった。中でもA57とA58はmtSerRSの結合部位であるため(図3A, C左)、A57とA58がtRNASerGCUのアイデンティティー決定因子であることが強く示唆された。 [2]-4mtSerRSのtRNA認識機構 以上の実験により、mtSerRSはどちらのセリンtRNAに対してもTΨCループを配列特異的に認識して結合するという、認識機構の「共通性」が明らかになった。しかし、Dループ-TΨCループ間の三次元相互作用はtRNASerUGA認識の場合にのみ必要であることから、mtSerRSは2種類のセリンtRNAのTΨCループを「異なった」メカニズムで認識している可能性が示唆された。具体的には、tRNASerGCUはTΨCループ単独でmtSerRSのtRNA認識部位と強い結合を組むことができるが、tRNASerUGAのTΨCループは結合力が弱いので、Dループの一部の塩基がTΨCループを空間的に支えることでmtSerRSとの結合を促進しているのではないかと考えられる。 [3]哺乳動物ミトコンドリアにおける翻訳精度維持機構 [3]-1mtSerRSによるグルタミンtRNAのミスアミノアシル化 mtSerRSの認識にはセリンtRNAのTΨCループ配列が重要であることが示されたので、次に他のミトコンドリアtRNAの中に類似した配列を持つものが存在するかどうか調べたところ、tRNASerGCUに関しては存在しなかった。一方tRNASerUGAについては、グルタミンtRNAが同じTΨCループ配列を、グルタミン酸tRNAとチロシンtRNAがそれぞれ1、2塩基異なるもののよく似た配列を持つことが分かった。そこでウシ肝臓から精製した野生型のtRNAを用いて活性を測定したところ、mtSerRSはグルタミン酸tRNAとチロシンtRNAを全くアミノアシル化しなかったが、驚くべきことにグルタミンtRNAを有意にミスアミノアシル化することがわかった(図5)。 [3]-2アミノアシルtRNA合成酵素-tRNA間ネットワークによって支配される新規の翻訳精度維持機構(kinetic discrimination)の提唱 このようにtRNAの識別が曖昧なaaRSが翻訳系に存在する場合に、どのようにして翻訳の精度は保たれているのだろうか。MtSerRS-グルタミンtRNAのミスアミノアシル化の反応速度は、tRNASerUGAを基質とした場合の約4000分の1しかない。実際の生体内にはグルタミンtRNA合成酵素(mtGlnRS)が存在するので、グルタミンtRNAを共通の基質とする競争反応がmtSerRSとmtGlnRSの間で生じ、反応速度的に劣るミスアミノアシル化反応の効率が一般的な翻訳のエラー頻度(10-4〜10-5)以下にまで抑えられるのではないかと考えられる。 tRNA認識の曖昧さは哺乳動物ミトコンドリアaaRSの一般的な特性である可能性が高い。もしそうだと仮定するならば、ミトコンドリア翻訳系においては基質となるtRNAに対するaaRS同士の競争反応によってミスアミノアシル化を抑え、その結果翻訳精度が維持されている(kinetic discrimination)と考えられる。 | |
審査要旨 | タンパク質合成(翻訳)の精度は、tRNAが対応するアミノ酸を受容するアミノアシル化過程で決定されている。この反応を触媒するアミノアシルtRNA合成酵素(以下、aaRSと略す)は、互いに似通った構造を持つtRNA群の中で、ほとんどの場合対応するtRNAの特定配列(アンチコドン部位またはアクセプターステム)を厳密に識別して認識するが、原核生物及び真核生物の細胞質の翻訳系におけるセリルtRNA合成酵素(以下、SRSと略す)のみはセリンtRNAの局所構造(長いエキストラアーム領域)を認識することが明らかになっている。 ところが、哺乳動物ミトコンドリアの翻訳系には、原核生物や真核生物(細胞質)のセリンtRNAのように長いエキストラアーム領域を持たず、しかもお互いに塩基配列や高次構造が全く異なる2種類のセリンtRNAが存在し、それぞれAGYコドン(YはCとU)とUCNコドン(NはA、G、C、U)に対応して翻訳機能を果たしていることが知られている(以下、前者のtRNAをtRNASerGCU、後者をtRNASerUGAと略す)。これらのtRNAは哺乳動物ミトコンドリアのセリルtRNA合成酵素(以下、mtSRSと略す)によってどのように認識されるのか、まずmtSRS自身それぞれのtRNAに対応して2種類の酵素が存在するのか、あるいは単一の酵素であるのか、などの興味深い問題が提起される。本研究はmtSRSについて、主として分子生物学的な手法を用いてこれらの問題の解明をはかったものであり全6章からなっている。 第一章(序章)は哺乳動物のミトコンドリアとその特異な遺伝子発現系についての概論である。 第二章では研究背景として、原核生物aaRSを対象とした既往の研究によって得られている知見、中でもaaRSによって認識されるtRNA上の特定の配列・構造因子(tRNAアイデンティティー決定因子)について解説した上で、本論文の研究目的を記述している。 第三章では、ウシmtSRSのクローニングとそのtRNA特異性に関する解析を行っている。まずウシミトコンドリアからほぼ単一に精製された野生型mtSRSを用いて活性測定を行い、単一のmtSRSが異なる構造を持つ2種類のセリンtRNAを同等の活性でアミノアシル化することを証明した。次いで、ウシ、ヒト、及びマウスのmtSRSをコードする遺伝子配列を決定している。これら哺乳動物mtSRSと原核生物SRSのアミノ酸配列の相同性を比較することで得られた配列情報に基づいて、mtSRSの触媒機能とtRNA認識様式に関する考察を行っている。 第四章では天然のmtSRSに比べてその酵素機能に殆ど遜色のない、大腸菌内で発現させた高純度の組換えmtSRSを用いてtRNA上の認識部位の同定を試みている。核酸修飾試薬を用いたtRNAフットプリント法と、転写反応により合成した変異セリンtRNAのアミノアシル化活性測定を行うことにより、mtSRSは共通してセリンtRNAのTΨCループ配列を特異的に認識してこの領域に結合するが、tRNASerUGAの認識ではさらにDループがTΨCループを三次元相互作用を介して空間的に支えることでmtSRSのTΨCループヘの結合を促進していることを明らかにした。この結果は、mtSRSによる2種類のセリンtRNAの認識様式が互いに異なっていることを示している。これまでに単一のaaRSが対応するtRNA群を異なる様式で認識することを見出した研究報告はなく、これが初めての例となった。 第五章では、哺乳動物ミトコンドリアにおける翻訳精度の維持機構について述べている。まずグルタミンtRNAがtRNASerUGAと同じTΨCループ配列を持つことに着目し、mtSRSによるアミノアシル化の実験を行うことで、グルタミンtRNAが弱いながらもセリンを受容しうることを明らかにした。aaRSによる天然のtRNAのミスアミノアシル化反応を高等生物の翻訳系で見出した研究報告は他になく、これは非常に興味深い知見である。細胞内でこのようなミスアミノアシル化が起これば翻訳精度の低下を引き起こすため、実際にはグルタミニルtRNA合成酵素がグルタミンtRNAを優先的に認識し、反応速度論的にmtSRSによるミスアミノアシル化を排除することを考察している。 第六章(最終章)では全体を総括した考察が行われている。前半ではmtSRSのtRNA認識メカニズムに関する進化的な考察を行い、後半では、mtSRSに見られるtRNA識別能力の低さはミトコンドリアaaRS全体の特徴である可能性が高いことに言及し、ミトコンドリア翻訳系におけるアミノアシル化過程は元来厳密なものではなく、翻訳精度は基質tRNAに対するaaRS同士の競争反応(kinetic discrimination)によってエラー頻度(10-4〜10-5)以下にまで抑えられていると推測している。 以上、本論文はaaRS-tRNA間の分子識別機構に関して新しい知見を提供し、哺乳動物ミトコンドリアにおける新規の翻訳精度維持システムを提唱したものである。これらの成果は翻訳系における構造生物学や分子生物学に貢献し、化学生命工学の進展に寄与するところ大である。 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 | |
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