学位論文要旨



No 118074
著者(漢字) 鶴田,文憲
著者(英字)
著者(カナ) ツルタ,フミノリ
標題(和) キナーゼによるミトコンドリア依存的細胞死制御機構の解析
標題(洋)
報告番号 118074
報告番号 甲18074
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5532号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 後藤,由季子
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 多比良,和誠
 東京大学 講師 新海,政重
 東京大学 教授 一條,秀憲
内容要旨 要旨を表示する

 生物は、発生や分化の過程、また恒常性維持において、不必要になった細胞を除去する機構を備えている。この機構はアポトーシスと呼ばれ、生物の生存に重要な役割を担っている。また、種々の神経変性疾患で観察される神経細胞死もアポトーシスの異常から発症することが知られている。そのため、アポトーシスの分子機構を解明することは、生命現象を理解するのみならず、様々な神経変性疾患の治療法確立に多大な貢献をするものと考えられる。

 近年、アポトーシスの制御にミトコンドリアが重要な役割を担っていることが明らかとなってきた。様々なストレス刺激で活性化した細胞死シグナルは、一度ミトコンドリアに収束し、シトクロムCを細胞質に放出する。細胞質に放出されたシトクロムCは、アダプタータンパク質であるApaf-1を介して、カスパーゼ9と、その下流のカスパーゼ3、6、7を活性化して細胞死を誘導する。カスパーゼとはアポトーシスの実行において中心的な役割を果たすプロテアーゼである。このように細胞死シグナルがミトコンドリアに到達してから細胞死に至るまでの機構は比較的良く研究されているが、細胞死シグナルがミトコンドリアに至るまでの分子機構の詳細は明らかとなっていない。そこで本研究では、細胞死誘導タンパク質であるBaxに着目して解析を行った。Baxとその類似タンパク質であるBakのダブルノックアウト細胞では、様々なストレス刺激を加えてもシトクロムCの放出や細胞死が起こらないことから、Baxがミトコンドリアの上流で、細胞死シグナル伝達に必須の役割を果たしていることが示唆されていた。通常、Baxは細胞質に局在しているが、様々なストレス刺激を受けることでミトコンドリアヘと移行し、シトクロムCの放出を誘導する。しかしながら、どのようにしてBaxの局在変化が制御されているかは不明であった。そこで本研究では、生存シグナルと細胞死シグナルが、それぞれBaxの局在を制御する分子機構について検討した。

 まず、様々なストレス刺激によって引き起こされる細胞死がAktやMAPKといったキナーゼにより抑制されることから、これらのキナーゼがBaxのミトコンドリア移行を抑制するか検討した。最初に、血清が細胞の生存促進に働く系において、血清刺激がBaxの局在を制御するかを調べた。その結果、HeLa細胞では血清を除去することでBaxのミトコンドリア移行が起こり、血清刺激がBaxを細胞質にとどめておくのに必要であることが示唆された。次に、血清刺激や増殖因子刺激の下流で活性化するPI3K-Akt経路やMAPK経路のいずれが、Baxのミトコンドリア移行を抑制する働きがあるか検討した。PI3K阻害剤を用いて、PI3K-Akt経路を抑制したところ、血清刺激によるBaxのミトコンドリア移行抑制効果が部分的に阻害された。一方、MAPK経路を抑制するMAPKK阻害剤を加えた場合は、このような効果は見られなかった。従って、血清刺激はPI3K-Akt経路を介して、Baxのミトコンドリア移行を抑制している可能性が示唆された。そこで次に、活性型Aktを細胞に発現してBaxの移行を抑制できるか検討した。Baxの局在は、GFPとBaxの融合タンパク質(GFP-Bax)を細胞に発現させてモニターした。GFP-Baxを発現させた細胞に、細胞死誘導剤であるスタウロスポリンを処理するとGFP-Baxがミトコンドリアに移行した。このとき活性型Aktを発現させておくと、スタウロスポリン刺激によるGFP-Baxの移行が抑制されることが示された。さらに、活性型Aktが内在性Baxのミトコンドリア移行も抑制できるか調べた。細胞を分画し、ミトコンドリア画分中に含まれる内在性Bax量を調べたところ、スタウロスポリン刺激はミトコンドリア画分のBax量を増加させたが、活性型Aktの発現により、この効果が抑制された。以上の結果から、血清刺激による生存シグナルはPI3K-Akt経路の活性化を介して、Baxのミトコンドリア移行を抑制することが示された。

 次に、ストレス刺激によるBaxのミトコンドリア移行誘導機構について検討した。本研究では、Baxの移行を促進するメディエーターの候補としてJNKに着目した。JNKは様々なストレス刺激で活性化するキナーゼで、JNK遺伝子を欠損したマウス線維芽細胞では、UV照射によるシトクロムCの放出や細胞死誘導が起こらないことが報告されていることからも、JNKはミトコンドリアの上流で細胞死誘導に寄与していることが示唆されている。そこで、JNKがBaxのミトコンドリア移行を促進するか検討した。その結果、活性型JNKをGFP-Baxと共に細胞に発現させたところ、GFP-Baxのミトコンドリア移行が促進された。また、JNK阻害剤を前処理しておくと、JNK活性化剤であるアニソマイシン刺激によるGFP-Baxのミトコンドリア移行が抑制された。このことからJNKはGFP-Baxのミトコンドリア移行を促進するのに重要な働きをすることが示唆された。さらに、JNKが内在性Baxのミトコンドリア移行を促進するか検討した。ミトコンドリア画分中に含まれる内在性Bax量を調べたところ、活性型JNKを発現させた細胞では、ミトコンドリア画分に含まれるBax量が増加した。以上の結果から、JNKがBaxのミトコンドリア移行を促進する機能があることが示された。次に、どのようなメカニズムでJNKがBaxのミトコンドリア移行を促進するか検討した。最近、14-3-3がBaxの細胞質アンカーとして機能しているという仮説が報告された。すなわち、通常、Baxは14-3-3と結合することで細胞質に局在しているが、細胞死刺激で活性化したカスパーゼが14-3-3を切断すると、Baxが14-3-3から解離してミトコンドリアヘ移行するというモデルである。しかしながら、カスパーゼ阻害剤存在下でもBaxのミトコンドリア移行が起こる系もあることから、カスパーゼ以外にも14-3-3とBaxの解離を制御する機構があるものと考えられる。14-3-3は、細胞内に豊富に存在するタンパク質で、ほ乳類では7種類のアイソタイプが報告されている。さらに、これらのアイソタイプのうちβ、ε、ζ、σにはJNKによってリン酸化されうる配列SPが存在する。そこで本研究では、JNKが14-3-3をリン酸化することで、14-3-3とBaxとの結合能が低下するというメカニズムがありうるのではないかと考えた。そこで最初に、JNKが14-3-3をリン酸化するか検討したところ、JNKはin vitroで14-3-3ζとσをリン酸化することがわかった。次に、細胞内でJNKが14-3-3をリン酸化するかを調べるために、14-3-3ζのリン酸化されたS184、14-3-3σのリン酸化されたS186に特異的に反応する抗体を用いたウェスタンブロッティングにより検討した。その結果、アニソマイシンで細胞を刺激すると、14-3-3ζとσのリン酸化が有意に上昇していた。また、JNK阻害剤を前処理しておくと、アニソマイシン刺激による14-3-3のリン酸化が抑制された。以上の結果より、JNKは細胞内で14-3-3ζとσをリン酸化することが示された。次に、JNKの活性依存的に14-3-3とBaxの結合能が低下するか検討した。Bax抗体で内在性Baxを免疫沈降し、共沈してくる14-3-3量を調べた結果、活性型JNKを発現させた細胞では共沈してくる14-3-3量が減少することがわかった。さらに、JNKによる14-3-3のリン酸化依存的にBaxとの結合が制御されているか検討した。GST pull down法により、GST-14-3-3ζと結合してくるBax量を調べた結果、あらかじめ活性型JNKでリン酸化反応を行った14-3-3はBaxとの結合能が減少することを見いだした。一方、不活性型JNKでリン酸化反応を行った14-3-3や14-3-3のリン酸化部位変異体ではこのような効果は見られなかった。このことから、14-3-3はJNKによるリン酸化依存的にBaxとの結合能が制御されていることが示唆された。次に14-3-3がJNKによる細胞死誘導において主なターゲットであるのかを検討するため、14-3-3ζおよびσのリン酸化部位変異体を細胞に発現させ、GFP-Baxのミトコンドリア移行、シトクロムCの放出、核凝集による細胞死について調べた。その結果、14-3-3変異体を発現させた細胞は、コントロールと比べ、Baxの移行、シトクロムCの放出、細胞死のそれぞれを有意に抑制することが示された。以上の結果から、JNKは14-3-3のリン酸化を行うことで14-3-3とBaxの解離を誘導し、その結果、Baxのミトコンドリア移行を促進し、シトクロムCの放出や細胞死を誘導する可能性が示唆された。

 本研究の結果より、前半ではPI3K-Akt経路がBaxのミトコンドリア移行を抑制するのに重要であること、後半ではJNKがBaxのミトコンドリア移行を促進すること、またこの際、JNKが14-3-3をリン酸化することでBaxが14-3-3から解離し、ミトコンドリアヘ移行するという分子機構が示唆された。本研究で明らかにしたAktやJNKによるBaxのミトコンドリア移行の制御機構が、様々な神経変性疾患の発症機構の解明や、それに基づいた治療法の開発につながることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 細胞の生死は、生存シグナルとアポトーシスシグナルがお互いに抑制しあうことで制御されていることが明らかとなっている。その一方で、この制御バランスの崩壊は、癌や神経変性疾患など様々な疾患の発症原因となることが知られている。それゆえ、これら種々の疾患の薬剤開発を行う上でも細胞の生死を制御するメカニズムを解明することは重要な意味があるものと考えられる。本研究ではアポトーシス誘導において重要な役割を持つことが知られているBaxに着目した。通常Baxは細胞質に局在しているが、様々なストレス刺激によりミトコンドリアヘと移行してシトクロムCを放出し、アポトーシスを誘導することが知られている。このことからBaxのミトコンドリア移行は細胞の生死を決定する上で重要なステップとなっていることが考えられる。本研究では、血清刺激によって活性化した生存シグナル、およびストレス刺激により活性化したアポトーシスシグナルが、それぞれどのようにしてBaxの局在を制御しているかを解析した。

 第一章では、研究の背景、既往の研究及び研究の目的について述べている。

 第二章では、血清刺激により活性化した生存シグナルがBaxのミトコンドリア移行を抑制するか解析した結果について述べている。Baxは種々の生存シグナルによりミトコンドリアヘの移行が抑制されることが報告されているが、どのようなメカニズムでBaxの局在が制御されているかは明らかではなかった。本章では、まず血清刺激が内在性Baxのミトコンドリア移行を抑制する活性を持つことを明らかにした。また血清刺激の下流で活性化し、生存促進に貢献するPI3K経路とMAPK経路のうち、PI3Kの活性化がBaxのミトコンドリア移行を抑制するのに重要であることを示した。その一方で、MAPK経路はBaxの局在制御には関与しないことを示した。さらにPI3Kの下流で活性化するAktがBaxのミトコンドリア移行を抑制するのに重要であること、Akt同様、PI3Kの下流で活性化するSGKはBaxの局在制御には関与しないことを明らかにした。以上の結果、血清刺激により活性化したPI3K-Akt経路がBaxのミトコンドリア移行を抑制するのに重要であることを明らかにした。Baxはミトコンドリアを介したアポトーシス誘導において重要な働きをすることから、本章の結果は、生存シグナルによるアポトーシス抑制メカニズムを解明する上で、重要な知見を与えるものであると結論付けた。

 第三章では、ストレス刺激によるBaxのミトコンドリア移行誘導メカニズムについて解析した結果について述べている。本章では、Baxの移行を促進するストレス刺激のメディエーターの候補として、様々なストレス刺激で活性化するJNKに着目した。本章では、まずJNKの活性化がBaxのミトコンドリア移行を促進すること、ストレス刺激によるBaxのミトコンドリア移行にJNKが必要であることを明らかにした。その一方で、JNKの基質として報告されている転写因子c-Junは、JNKによるBaxのミトコンドリア移行には関与しないことを明らかにした。次に、Baxの細胞質アンカーとして働くことが報告されている14-3-3のうち、14-3-3ζのSer-184および14-3-3σのSer-186がJNKによりin vitroおよびin vivoでリン酸化されることを示した。さらに、JNKによってリン酸化された14-3-3はBaxとの結合能が低下することを示した。また、14-3-3ζおよび14-3-3σリン酸化部位変異体を発現させた細胞はJNKによるBaxのミトコンドリア移行やシトクロムCの放出、アポトーシス誘導を抑制することを示した。これらの結果、JNKは14-3-3のリン酸化を介してBaxのミトコンドリア移行を促進することを明らかにした。本章の結果は、今まで解明されていなかったJNKによるアポトーシス誘導の新規の分子メカニズムを提唱するものであり、アルツハイマー病などJNKが関与していると考えられている疾患の治療法を確立する上でも重要な貢献をなすものであると結論付けた。

 第四章では、第二章、第三章の研究について総括している。

 以上のように、本論文の提出者はアポトーシス誘導タンパク質であるBaxに着目し、生存シグナルおよびアポトーシスシグナルがどのようなメカニズムでBaxの局在制御を行っているかを明らかにした。これらの結果は細胞の生死を制御するメカニズムを解明するのみならず、癌や神経変性疾患など様々な病気の発症原因の解明、薬剤開発におけるターゲット分子の提供、さらには治療法の確立など、医学、薬学、工学分野に多大な貢献をなすことが期待できるものである。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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