学位論文要旨



No 118085
著者(漢字) 加藤,義清
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,ヨシキヨ
標題(和) 進化的知識マネジメントプロセスの実現のためのシステム : 複雑システムのライフサイクルを対象として
標題(洋) A System for Enabling Evolutionary Knowledge Management Process across the Life Cycle of Complex Engineering Systems
報告番号 118085
報告番号 甲18085
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5543号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀,浩一
 東京大学 教授 岩田,修一
 東京大学 教授 馬場,靖憲
 東京大学 助教授 中須賀,真一
 東京大学 助教授 杉本,雅則
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

 現代は知識創造が企業の競争力の源泉となる知識経済の時代に突入しており,知識マネジメントヘの関心が高まっている.一言「知識マネジメント」と言っても,経営手法から,組織のあり方,知識創造の環境作り,そして情報システムの利用まで,その要素は多岐に渡る.本研究はその中でも知識マネジメントを実現するための情報システムについて取り組んだものである.

2.従来のナレッジマネジメントシステムの問題点

 従来の知識マネジメントシステムでは知識は静的な資産として扱われ,整理された形で知識を蓄え,組織で共有することを目的としている.従来のアプローチの問題点としては,システムに登録される知識の品質を一定以上保つために,人によって知識を選別し,整理した形で残されることが求められるため,知識を登録するコストが非常に高いことが挙げられる.知識マネジメントシステムが有用である為にはある一定以上の知識の量(臨界点)が登録されている必要がある.知識マネジメントシステムを導入した当初に登録されている知識の量が臨界点に達していないと,ユーザはシステムを有用だとは感じず,コストのかかる知識の登録作業に対する動機が失われてしまう.その結果,知識は蓄積されず,知識量が臨界点に達しないままシステムが使われなくなってしまうということがおきる.このような問題はcapture bottleneckの問題と呼ばれる.

 従来のアプローチのもう1つの問題として,システムから知識を取り出してもそれを実際の現場で適用するのが難しいことが挙げられる.その原因の一つとして挙げられるのは,システムに登録された知識は登録の際に行う選別,整理の過程でその知識が生まれた文脈から切り離された,精錬されてしまっていることである.システム上にある「知識」はそのままではただの情報に過ぎず,人間がそれを解釈し実行に移すことで初めて知識として活きる.しかし,知識が生まれた文脈から切り離されてしまうと,その知識を解釈して自分の置かれた文脈に置き直すという作業が困難になり,その結果として適用が難しくなる.

3.ナレッジリサイクリング

 本研究ではこれらの問題に対して,ナレッジリサイクリングの枠組みを提案する.ナレッジリサイクリングは,航空機,人工衛星,原子力プラントに代表されるような大規模・複雑システムの開発過程で生まれてくる膨大な情報に着目し,その中からに開発者の知識,経験,文脈を反映したような断片的な情報である「知識断片」を取り出し,利用するというものである.既存の情報を利用することにより入力のコストを下げるとともに,実際に開発を遂行していく上で利用している情報に基づくことにより,今までは知識から切り離されてしまっていた文脈との結びつきを保つことを狙う.これにより,今までは十分に活用されてきたとは言えない,大規模・複雑システムの開発プロジェクトの途上で生まれる大量の情報を知識と結びつけて活用することが可能となることが期待される.

4.IDIMS

 本研究ではナレッジリサイクリングの枠組みの実現可能性を検証するための基盤となるシステムとして設計情報統合管理システムIDIMS(Integrated Design Infomation Management System)の開発を行うとともに,ナレッジリサイクリングの実現の為の3つの技術について取り組んだ.IDIMSは設計文書,電子メール,Issue/Decision項目,機能構造モデル,不具合事例,時系列データと言った多岐に渡る設計に関連する情報を蓄積し,これらの情報を有機的に結びつけて設計や運用などの活動を支援する.以降,3つのシナリオを通して本研究で取り組んだナレッジリサイクリングを実現する技術について説明する.

5.電子メールのアノテーションによるデザイン・ラショナルの獲得

 電子メールは今やコミュニケーションには欠かせない道具となっているが,当然の事ながら多人数がかかわる大規模・複雑システムの開発プロジェクトでも使われる.本研究では電子メールによるコミュニケーションの上で現れる設計に関する議論から,設計に関わる意思決定の背景や根拠であるデザイン・ラショナル(DR)を獲得するための技術として,電子メールに対するアノテーションによりDRを記述する手法についての検討を行った.これまでにDRの記述法はいくつか提案されているが,いずれも記述のコストが問題とされている.本研究ではできるだけ入力のコストを下げるために,設計上の問題,懸念事項をissueとして,問題の解決や設計に関する決定事項をdecisionとして表し,issue及びdecisionの間のリンク構造によりDRを表現する記法(Issue/Decisionモデル)を開発した.更にIDIMSにメーリングリスト機能を実装し,その中で電子メールに付けられたアノテーション用のタグを解析し,文書レポジトリに登録するようにした.

 IDモデルの有効性を確認するため,宇宙科学研究所で開発されているINDEX衛星の開発プロジェクトメーリシグリストでのメールを解析した.解析の際,議論の構造から発見できる「未解決の問題」に着目したところ,実に11通に1個の割合で問題が未解決のまま放置されていることが明らかになった.但し,決定がメーリングリスト上で報告されない場合もあることを考えると,全てが未解決のまま放置されているとは考え難いが,開発のある時点で未解決の問題を全て確認することにより,問題の見逃しを防ぐ効果は期待できる.更には解析を通じて,電子メールの返信関係に基づくメールの構造に比べて,IDモデルを用いる事により,より粒度の細かい構造の記述が可能である事が明らかになった.

6.開発中に経験された不具合情報の運用における活用

 大規模・複雑システムの開発の途上ではシステムの試験を幾度と無く実施して,期待通りに動作するか確認が行われる.特に一回一回特注品となってしまうロケットや人工衛星などは打ち上げ前に入念な試験を行うが,それでも不具合は生じる.その不具合に対処するにあたっては,開発中の試験で得られた情報はシステムの特性を示す貴重な資源である.本研究では,開発中に経験された不具合情報をシステム運用中の故障診断時に参照するための技術として,オントロジーと機能構造モデルを利用した不具合情報による故障診断支援について検討した.手法の有効性を検証するために,実例として,学生による小型人工衛星開発プロジェクトである東京大学CubeSatプロジェクトで実施された気球通信試験を題材に,模擬的な故障診断実験を行ったところ,実際の故障診断の場面でも提案手法が有効であることを示すことができた.

7.時系列データによる文書検索

 大規模・複雑システムの試験で得られるデータの内,時系列データは非常に豊かな情報を含んでいる.本研究では試験で得られた時系列データを元に,効率的に試験報告書を検索するための技術として,時系列データによる文書検索の技術に取り組んだ.提案する手法は以下の通りである.一定窓幅で切り出した時系列データに対してウェーブレット変換及び主成分分析を施した結果を時系列セグメントの特徴量として抽出する.各セグメントに対して特徴量空間におけるK-means法によりクラスタリングを行い,各クラスタを隠れマルコフモデル(HMM)の状態とする.予め与えておいた時系列データの分類に対してHMM学習を行う.問い合わせに際しては,問い合わせ時系列から特徴量を抽出し,各分類のHMMに当てはめて最も尤度の高いものに分類を行うと言うものである.前出のCubeSatプロジェクトで得られた時系列データに対して実験を行った所,高い精度で分類することが出来た.

8.デザイン・ラショナル記法の比較実験

 本研究の主張として,capture bottleneckの問題を解決するためには,ナレッジマネジメントシステムを使用する上でのコスト対効果を考慮しなければならないというものがある.そこで,本研究で提案したDR記法IDモデルと既存の他のDR記法であるIBIS及びQOCと,コスト対効果について比較をする実験を行った.実験は被験者にCubeSatプロジェクトでやり取りされたメールを読ませて,指定したDR記法を用いてDRを記述させると言うものであった.コストとしては記述に要した時間で測定し,効果としては各記法がメールに現れる論点をどれだけ補足できているか,その割合で測定を行った.実験の結果,DRを採用する際に検討すべきコスト対効果について指針を与えるデータが得られた.

9.おわりに

 本研究は従来のナレッジマネジメントシステムが抱えるcapture bottleneck問題に対するアプローチとしてナレッジリサイクリングの枠組を提示し,システムの構築を通じてその実現可能性を検討したものである.従来は十分に活用されて来なかった,大規模・複雑システムの開発過程で生ずる膨大な情報の活用法を提案し,その有効性について検討を行った.そして,様々な技術の検討やユーザ実験を通して将来のナレッジマネジメントシステムのあり方についての一つの方向性を与えた.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、「A System for Enabling Evolutionary Knowledge Nanagement Process across the Life Cycle of Complex Engineering Systems(進化的知識マネジメントプロセスの実現のためのシステム〜複雑システムのライフサイクルを対象として〜)」と題し、9章からなる。

 現代社会が、大量生産工業社会から知識社会あるいは知価社会と呼ばれる社会に変化しつつあることに伴い、組織の持つ知識を有効に活用し新しい知識を創造していくための知識マネジメントの技術が、重要な技術として注目を集めている。しかし、多くの組織において、現在の知識マネジメントのための情報技術は有効に働いていない。その最大の原因のひとつは、capture bottleneckと呼ばれる知識獲得の負荷であるとされている。本論文は、動的に進化するような知識マネジメントシステムを目標とし、最初の知識獲得の負荷を可能な限り低減するための、新しい方法を提案するものである。

 従来の知識マネジメント技術は、複雑な知識表現の枠組みを用意し、それにあてはめて知識を記述することを求めるものがほとんどであった。これに対して、本論文では、知識リサイクリングというアイディアを提案している。これは、組織の中にすでに豊富に存在しているものの従来は活用されずに捨てられてしまっていた電子メールや議事録などの情報の中から、後で知識として有効活用可能な知識断片と呼ぶ情報を、できるだけ自動的に抽出して再利用しようという考えである。本論文では、これを可能にするシステムを実装し、人工衛星開発における知識マネジメントを例題に、その効果を実験的に実証している。

 第1章は序論であり、本研究の背景、位置付け、および目的を述べている。

 第2章では、関連研究を紹介し、本研究の位置付けを明らかにしている。

 第3章では、知識リサイクリングの考えを提案している。火星探査機Mars Climate Orbiterの失敗事例を教訓に、せっかく存在していたのに活用されていなかった情報を再構成して知識として再利用することの必要性を述べている。

 第4章では、IDIMS(Integrated DesignInfomation Management System)と称するシステムを提案している。組織の中で流通しているものの、その中の情報が有効に利用されていなかった電子メールや議事録などの情報を一括して管理し、後で知識として再構成して利用するための、最低限の付加的な処理を提案している。

 第5章では、設計開発プロセスの中で交わされる電子メールの中に埋もれている設計意図に関わる情報を抽出し蓄積するための方法を提案している。電子メールを書くユーザが、IssueとDecisionという最小限のタグを電子メールの中の情報に付与することにより、設計意図情報を簡単に抽出できることを示している。

 第6章では、前章で提案したシステムの有効性を検証する実験を行い、従来手法との比較を行っている。最小限のタグにとどめることにより、小さな負荷で有効な情報を抽出できることを実証している。

 第7章では、設計開発段階で生じる試験情報から有用な情報を抽出し、知識として再利用するための方法を提案している。設計開発の対象の機能構造モデルの表現と有機的に連携させた情報抽出と再利用の方法を与え、システムの実装と実験を行なっている。

 第8章では、人工物から生じる時系列データの中から、有用な情報を見つけ再利用するための方法を提案し、システムの実装と実験を行なっている。

 第9章は、結論であり、本研究の成果をまとめ今後の課題を示している。

 以上を要するに、本論文は、進化する知識マネジメントシステムを可能にするための、知識リサイクリングの方法を提案し、システムの実装と実験によりその有効性を確認したものであり、工学上寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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