学位論文要旨



No 118091
著者(漢字) 坂西,俊明
著者(英字)
著者(カナ) バンザイ,トシアキ
標題(和) オヒルギ(Bruguiera gymnorrhiza)の耐塩性に関与する遺伝子の探索とその機能の解析
標題(洋)
報告番号 118091
報告番号 甲18091
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5549号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小宮山,眞
 東京大学 教授 浜窪,隆雄
 東京大学 助教授 浅沼,浩之
 東京工科大学 教授 輕部,征夫
 東京工科大学 教授 花方,信孝
内容要旨 要旨を表示する

 現在地球上の灌漑耕地のおよそ半分にあたる土地が塩害を被っているといわれている。これらの土地でも生育が可能な耐塩性作物の育種は、食料問題への対処策として期待されている。これまで耐塩性作物の育種は主に交配による手法により行われていたが、近年、塩生植物種に特徴的な耐塩性機構であるNa+の液胞への隔離機構に関与する遺伝子を導入したトマトが、野性株の生長に最適な濃度のおよそ80倍の高NaCl濃度下においても通常通り生長可能であったという報告がなされた。これは遺伝子工学的手法による耐塩性作物の育種の可能性を示すとともに、そのためには塩生植物種の有する耐塩性機構を理解することが重要であることを示唆している。

 そこで本研究では、塩生植物種のなかでもとりわけ耐塩性能の高いマングローブ植物の一種、オヒルギ(Bruguiera gymnorrhiza)に着目し、その耐塩性機構を遺伝子レベルから解明することを試みた。マングローブ植物種はその大半が木本植物であり、核酸抽出が困難であるということから、これまでに遺伝子レベルでの解析はほとんど行われていないのが現状である。そこで本研究ではまずオヒルギの葉からのRNA抽出法を確立し、塩ストレス応答性遺伝子の探索とその遺伝子の塩ストレス時における生化学的機能の検討を中心に解析を進めた。

 第1章は緒論であり、高等植物の耐塩性機構に関する研究およびマングローブ植物の耐塩性に関する研究について、これまでに得られている知見をまとめた。

 第2章では、まずオヒルギの葉からのRNA抽出方法の確立を行い、次に塩ストレス応答性遺伝子の探索を行った。遺伝子の探索には、500mM NaClによる塩処理前、塩処理6時間目、3日目および28日目のオヒルギの葉から抽出したRNAを比較サンプルとして、differential display法を用いた。次にそこで得られた遺伝子断片を用いてノーザン解析を行い、塩ストレス応答性遺伝子に対応する遺伝子断片を9つ単離した。本研究ではノーザン解析の結果を受け、塩ストレス時における発現パターンによりこれらを3つの群に分類した。Group Iは塩処理6時間目で一時的に発現量の増加する遺伝子群、Group IIは塩処理6時間目から少なくとも28日目まで発現量が増加する遺伝子群、Group IIIは塩処理3日後で一時的に発現量の増加する遺伝子群である。次にこれらの遺伝子断片に対応する全長cDNAのクローニングのため、cDNAライブラリーのスクリーニングを行い、5つの遺伝子断片について、対応する全長cDNAのクローニングに成功した。これらについては塩基配列の解析、さらにデータベースの相同性検索を行い、遺伝子産物を同定した。

 第3章では、Group IIIに分類したbg56(dihydrolipoamide dehydrogenase;DLDH)とbg64(lipoate synthase;LAS)について、その塩ストレス時における生化学的機能に関する解析を行った。ノーザン解析の結果、これらの遺伝子は光条件とは無関係に塩処理1日目から3日目にかけて塩処理前と比較して発現量が増加した。また、塩処理時におけるオヒルギの葉からの二酸化炭素放出量を測定した結果、この転写量の増加に伴い、二酸化炭素放出量が増加した。これらの結果は、塩処理1日目から少なくとも3日目にかけて、DLDHとLASが関与するミトコンドリア中の酵素複合体のうち、TCA回路に関連した反応を触媒するピルビン酸脱水素酵素および2-オキソグルタル酸脱水素酵素の機能が強化され、呼吸代謝が活性化されていることを示している。

 第4章では、第3章での解析結果を受け、塩処理時における呼吸代謝の活性化の生化学的意義について検討を行った。呼吸代謝の活性化は通常ATP生産量の増加を意味する。塩ストレス時にこのATPを消費する分子機構の一つの候補として、Na+の液胞への隔離機構が挙げられる。そこで本章では、塩処理時におけるオヒルギの葉中のNa+含量変化の測定および液胞へNa+を輸送するNa+/H+ antiporter遺伝子の発現解析を行った。オヒルギの葉中のNa+含量は、塩処理直後から10日目過ぎにかけて急激に増加し、その後はゆっくりと増加していた。一方、Na+/H+ antiporter遺伝子の転写レベルでは塩処理1日目から7日目にかけて、すなわち葉に急激にNa+が流入している際に、発現量が増加しており、処理14日目および28日目には再び処理前と同じレベルにまで減少した。これらの結果は、オヒルギの葉においては塩処理1日目から7日目過ぎにかけてNa+の隔離機構が活性化されていることを示唆している。Na+を液胞へと輸送する際には液胞膜内外のプロトン勾配が必要であるが、これはH+-ATPaseによるATPエネルギーを利用したプロトン輸送により形成されていることが知られている。したがって、呼吸代謝の活性化によるATP生産量の増加の意義は、活性化のタイミングが一致していることからも、主にこの一連のNa+の隔離機構の活性化のためではないかと考えられる。

 第5章では、Group Iに分類したbg51(6-phosphofructo-2-kinase/fructose-2,6-bisphosphate 2-phosphatase;F6P2K/F26BPase)について、水ストレス時における機能を中心に解析を進めた。脱水処理、1M mannitol処理および500mM NaCl処理6時間により水ストレスを与えたオヒルギについて、転写レベルでの発現量および両酵素活性の測定、さらに代謝産物であるfructose-2,6-bisphosphate(F26BP)の定量を行った。その結果、いずれの処理によっても葉のF26BP含量が非処理の対照と比較して増加した。また、1Mmannitol処理および500mM NaCl処理6時間といった、急激な浸透圧変化を伴う水ストレス時には、転写量の増加と両酵素活性の増加がみられた。これは酵素量の増加を意味しており、これによりF26BP含量が増加していた。一方、脱水処理により水ストレスを与えた際には、F6P2K/F26BPaseのkinase活性とphosphatase活性の比(K/P比)が増加し、それにより葉のF26BP含量が増加した。

 次に塩処理を行ったオヒルギについて同様の解析を行った。その結果、一塩処理時には常に葉のF26BP含量が塩処理前と比較しておよそ2倍に増加した。転写レベルでの発現量の増加がみられたのは、葉が強くしおれている塩処理6時間目のみであった。葉のしおれが回復した処理1日目以降のオヒルギでは、発現量に変化はみられず、K/P比が増加していた。これらの結果は、オヒルギは塩処理時には常に水ストレスの影響を受けていることを示唆している。

 第6章では、シロイヌナズナにおける水ストレス応答性遺伝子であるRD22遺伝子の、オヒルギにおける相同遺伝子となるBgBDC3に着目し、これを用いた発現解析から、塩ストレス時における水ストレスの影響について解析を行った。RD22はシロイヌナズナにおいては植物ホルモンアブシジン酸(ABA)を介して水ストレス時に発現が誘導されることが知られているが、その相同遺伝子となるBgBDC3はオヒルギにおいては逆の発現パターンを示し、ABAを介して水ストレス時には発現が抑制されることがわかった。オヒルギの塩処理時におけるBgBDC3の発現パターンを解析した結果、塩処理により数時間後には発現が抑制され、少なくとも処理28日目まで発現は抑制されたままであった。これは、オヒルギは塩処理中は常に水ストレスの影響を受けていることを示しており、第5章での解析を裏付ける結果となった。

 第7章では、Group IIに分類した新規遺伝子bg70およびGroup Iに分類した機能未知のタンパク質をコードするbg55について、アミノ酸配列のキャラクタリゼーションおよびノーザン解析の結果からその機能を考察した。bg55のコードするタンパク質はCa2+結合ドメイン、核移行シグナル配列、さらに他のタンパク質と相互作用するモチーフを有することから、ストレス時におけるシグナル伝達に関与している可能性が示唆された。

 一方、bg70に関してはノーザン解析の結果、水ストレスにより発現量が増加すること、さらにアミノ酸配列の解析の結果、細胞外または液胞中へと輸送される可能性の高い疎水性タンパク質をコードしている遺伝子であることがわかった。これらの特徴はこれまでに水ストレス時に蓄積することが知られているタンパク質とは逆の性質を示すものであり、またこの遺伝子がオヒルギあるいはその近縁種に特有の遺伝子であることからも、オヒルギに独特な特徴である高い耐塩性能に深く関わっているのではないかと推察される。

 第8章は結論であり、本研究で得られた知見をオヒルギの塩処理応答としてまとめた。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、高い耐塩性能を有するマングローブの一種、オヒルギ(Bruguiera gymnorrhiza)の耐塩性遺伝子の探索とその機能解析に関するものであり、8章より構成されている。

 第1章は緒論であり、本研究の行われた背景について述べ、本研究の目的と意義を明らかにしている。

 第2章では、まず、本研究で確立したオヒルギの葉からのRNA抽出法について述べている。さらにdifferential display法の適用により塩(500mM NaCl)処理に応答して発現する遺伝子の探索を行っている。その結果、9つの塩ストレス応答性遺伝子を特定し、そのうちの5つについて遺伝子産物を同定している。これらはそれぞれ、bg51が6-phosphofructo-2-kinase/fructose-2,6-bisphosphate 2-phosphatase,bg55が機能末知のタンパク質、bg56がdihydrolipoamide dehydrogenase,bg64がlipoic acid synthase,bg70が新規タンパク質をコードしていることを明らかにしている。また、塩処理時における経時的な転写発現パターンにより、これらの遺伝子を処理6時間目で一時的に発現量が増加するGroup I、処理6時間目から少なくとも28日目まで発現量が増加するGroup II、さらに処理3日目で一時的に発現量が増加するGroup IIIという3つの群に分類している。

 第3章では、Group IIIに分類したbg56とbg64についてその生化学的機能の解析を行っている。これらの遺伝子の転写発現量が光条件に無関係に塩処理1日目から3日目にかけて増加すること、およびこれに伴いオヒルギの葉の呼吸活性が増加することを明らかにしている。このことから、塩処理1日目から少なくとも3日目にかけてTCA回路が活性化され、呼吸代謝が活性化されていると述べている。

 第4章では、呼吸代謝の活性化の意義を明らかにするために、ATPエネルギーの消費機構のひとつであるNa+の液胞への隔離機構に着目して解析を行っている。塩処理直後から10日目までの間、葉へ急激にNa+が流入していること、および、Na+を液胞へと輸送するNa+/H+ antiporter遺伝子の転写発現量が塩処理1日目から7日目にかけて増加していることを明らかにしている。呼吸代謝およびNa+の液胞への隔離機構の活性化のタイミングが一致していることから、ATP生産量の増加は、主にこのNa+の液胞への隔離機構への供給のためではないかと述べている。

 第5章では、Group Iに分類したbg51について、酵素活性およびその反応生成物の定量をもとに機能の解析を行っている。この酵素が触媒する反応の生成物であるfructose-2,6-bisphosphate(F26BP)が水ストレスに応答して増加することを明らかにしている。また、急激な浸透圧変化をオヒルギが受けた際にのみ遺伝子の転写発現量が増加し、酵素活性およびF26BP含量の増加がみられることを明らかにしている。さらに塩処理時には、常にF26BP量が増加することを明らかにし、処理中は常に水ストレスを受け続けている可能性があると述べている。

 第6章では、第5章での解析結果を受け、塩処理時における水ストレスの影響を解析している。シロイヌナズナにおいて水ストレス時にアブシジン酸(ABA)により発現制御を受けることが知られている遺伝子のオヒルギにおける相同遺伝子(BgBDC3)の転写発現解析を行い、水ストレス時にABAを介してBgBDC3の転写発現が抑制されることを明らかにしている。さらに、塩処理時には、常にBgBDC3の転写発現が抑制されることから、塩処理中オヒルギは常に水ストレスの影響を受けていることを明らかにしている。

 第7章では、Group Iに分類したbg55、および、Group IIに分類したbg70について、アミノ酸配列の解析および転写発現の解析から機能の推定を行っている。bg55のコードするタンパク質に関しては核移行シグナル、Ca2+結合モチーフ、他のタンパク質と相互作用するモチーフ構造を有していることから、ストレス応答遺伝子発現の際のシグナル伝達に関与している可能性があると述べている。bg70に関しては転写発現パターンの解析により水ストレス応答性遺伝子であること、さらに細胞外または液胞へと輸送される疎水性の高いタンパク質をコードしていることを明らかにしている。また、これまでに報告のある水ストレス応答性遺伝子とは逆の性質を有すること、およびこの遺伝子がオヒルギに特有の遺伝子であることから、オヒルギに特徴的な高い耐塩性能に深く関与している可能性があると述べている。

 第8章は総括であり、本研究を要約して得られた研究成果をまとめている。

 以上のように、本論文は、遺伝子レベルでの解析が困難であったオヒルギからのRNA抽出法を確立し、differential display法の適用により、9つの塩ストレス応答性遺伝子を特定している。特にそのうちの5つについては、遺伝子産物の同定に成功している。また、塩ストレス時におけるこれらの遺伝子の生化学的機能の解析により、これらの遺伝子それぞれが、イオンストレス、水ストレスおよび浸透圧の急激な変化といった塩ストレスに付随する種々のストレス要因のいずれに対抗するための機能を果たしているのかを明らかにしている。さらに、これらの遺伝子の発現パターンと対抗するストレス要因、および葉のしおれと回復、薬へのNa+の蓄積といったオヒルギの応答との間によい相関関係があることを見い出し、今後オヒルギの耐塩性遺伝子を網羅的に探索する際の指針を提示している。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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