学位論文要旨



No 118095
著者(漢字) 清水,巧
著者(英字)
著者(カナ) シミズ,タクミ
標題(和) タバコモザイクウイルスの複製・移行に関与する宿主タンパク質の構造と機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 118095
報告番号 甲18095
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2484号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 日比,忠明
 東京大学 教授 白子,幸男
 東京大学 教授 難波,成任
 東京大学 助教授 山下,修一
 東京大学 助教授 宇垣,正志
内容要旨 要旨を表示する

 植物ウイルスの研究においては、すでに1995年頃に代表的なウイルス種ほぼすべての全ゲノム配列が明らかになり、ポストゲノム時代を迎えた。これにより、ウイルスの遺伝子構造からそのコードするタンパク質の機能を予測したり、また、遺伝子工学的に種々の変異や欠失を導入したウイルスcDNAあるいはそのトランスクリプトを宿主植物に感染させることによって、ウイルスタンパク質の構造と機能との関係を詳細に解析することが可能になった。一方、ウイルスゲノムには限られた遺伝情報しかコードされておらず、ウイルスはその複製あるいは細胞間移行のために宿主の多数の因子を流用していると考えられている。従って、ウイルスタンパク質と相互作用する宿主植物のタンパク質を単離・同定して、その構造と機能を解析する研究は非常に重要である。しかしながら、宿主ゲノムがコードするタンパク質はウイルスタンパク質に比べて桁違いに多種であるために、そのような知見は、きわめて乏しい現状にある。そこで本研究では、タバコモザイクウイルス(TMV)の複製・移行に関与する宿主タンパク質の構造と機能を解明することを目的として、各種の分子生物学的な解析を行った。得られた結果の概要は以下の通りである。

1.TMV RNA複製酵素のヘテロダイマー形成に対するアルギニンデカルボキシラーゼの阻害作用

 TMV RNA複製酵素のアポ酵素はTMVゲノム由来の126Kタンパク質と183Kタンパク質とのヘテロダイマーで構成されており、これにさらにいくつかの宿主タンパク質が結合することによって活性のあるホロ酵素が形成されると考えられている。このヘテロダイマーの形成には、両タンパク質のヘリカーゼ(H)ドメインとInH領域(Internal領域後半からHドメインN末端部分)が関与することが示されている。一方、本研究室において、酵母two-hybrid法によりHドメインと特異的に相互作用する宿主因子のひとつとしてアルギニンデカルボキシラーゼ(ADC)がタバコcDNAライブラリーから単離された。そこで、最初に、ファーウェスタン法によりin vitro条件下におけるADCとHドメイン間の特異的結合を再確認した。次いで、ADCとTMV RNA複製酵素との関係を明らかにするため、HドメインとInH領域間の結合に対するADCの作用について、酵母three-hybrid法を用いて解析を行った。その結果、ADCはこの結合を強く阻害することが示された。以上から、ADCは宿主の防御分子のひとつとしてTMV RNA複製酵素のヘテロダイマー形成を阻害するが、一方、感染細胞内では過剰な126Kタンパク質が生産されることから、TMVはADC分子をこれに引きつけることによって宿主の防御反応に対抗しているのではないかというひとつの仮説を導いた。

2.TMV移行タンパク質と結合する宿主タンパク質

1)アフィニティークロマトグラフィーによるTMV感染葉からの移行タンパク質の精製とこれと結合する宿主タンパク質の検出

 TMVの移行タンパク質(MP)と結合する宿主タンパク質を探索するため、まずはじめに、大腸菌で大量発現させたTMV MPを精製し、これを抗原としてポリクローナル抗体を得た。次に、この抗体を用いてTMV感染タバコ葉における移行タンパク質の蓄積についてウェスタン分析を行ったところ、ウイルス接種3〜5日後をピークにして、その後、時間の経過と共に減少することが示された。このことから、感染細胞におけるMPの蓄積は一過的であり、また、MPが非常に不安定なタンパク質であると推測された。そこで、この接種3〜5日後の感染葉より膜成分を抽出し、これを界面活性剤CHAPSで処理してMPを可溶化させた後、上記の抗体を担体に結合させたカラムを用いて、MPおよびこれと挙動をともにする宿主タンパク質の精製を試みたが、特異的な宿主タンパク質を検出することはできなかった。しかし、大腸菌で発現・精製したグルタチオンS-トランスフェラーゼ(GST)融合MPを用いてファーウェスタン解析を行った結果、感染葉から抽出した可溶化画分中にMPと特異的に結合する微量の宿主タンパク質が存在することが示された。そこで、二次元電気泳動法によりこの宿主タンパク質の精製を試みたが、このタンパク質が微量かつ不安定でその精製がきわめて困難であったため、結局、本法によるアプローチを断念した。

2)酵母two-hybrid法によるTMV MP結合宿主タンパク質の探索と同定

 そこで、酵母two-hybrid法を用いてMPと結合する宿主タンパク質のスクリーニングを行った。その結果、3種のDnaJ様タンパク質(NtDnaJ-t1、NtDnaJ-t2、NtDnaJ-t3)を含むクローンが単離された。オリジナルのbaitプラスミドpBD-MP、コントロール用baitプラスミド、および空ベクターを用いて結合の特異性を検定した結果、この3種のうちNtDnaJ-t3のみが陽性クローンであることが示された。さらに、大腸菌で発現・精製したNtDnaJ-t3タンパク質とMPとの結合をファーウェスタン解析した結果、酵母内で示された両タンパク質相互間の結合が確認された。このNtDnaJ-t3をコードする遺伝子はタバコでは未報告の新規遺伝子で、5'-RACE法により完全長cDNAの塩基配列を決定した結果、全長1,994塩基からなるひとつのORF(推定442アミノ酸)をコードしていた。モチーフサーチの結果、NtDnaJ-t3は典型的なDnaJタンパク質であり、N末端側より、Jドメイン、Gly/Phe richドメイン、Cys richドメイン、推定基質結合部位が、順に配置されていた。次いで、TMV MPについて部分欠失クローンを作製し、酵母two-hybrid法によりNtDnaJ-t3との結合部位を調べた結果、MP分子内の2カ所で結合することが明らかになり、その領域は、それぞれ、MPのフォールディングに必要な領域と、細胞間移行に関わる領域とに一致することが示された。

 一般に、大腸菌のDnaJや真核生物のDnaJ様タンパク質HSP40は、通常、DnaKあるいはDnaK様タンパク質HSP70のコシャペロンとして機能することが知られている。一方、HSP70はタンパク質のフォールディング、輸送、複合体の会合と解離、変性タンパク質の修復や分解など、タンパク質の一生のあらゆる局面に関与していることが知られている。また、クロステロウイルス属のウイルスはHSP70のホモログを自身のゲノムにコードしており、これが移行機能に深く関与していることが知られている。TMV MPはこのようなHSP70との相同領域は有していないことから、MPをフォールディングし、細胞間移行に至る過程において、本実験で得られたNtDnaJ-t3とともに、これと結合する宿主HSP70分子シャペロン系が関与しているという可能性が推測された。

3)酵母two-hybrid法によるNtDnaJ-t3結合宿主タンパク質の探索と同定

 そこで、NtDnaJ-t3と相互作用するHSP70を単離する目的で、酵母two-hybrid法によってNtDnaJ-t3と結合する宿主タンパク質のスクリーニングを行った。その結果、HSP70は得られなかったものの、興味あるひとつのタンパク質遺伝子クローンNtKN1が単離された。NtKN1はタバコで未報告の新規遺伝子で、トウモロコシのKNOTTED1(KN1)型ホメオドメインタンパク質をはじめとするKN1様タンパク質に特徴的なC末端側348アミノ酸の配列をコードしていた。次いで、この上流の配列についてNtKN1特異的プライマーを用いて5'-RACE法により解析し、完全長cDNAの塩基配列を決定した結果、NtKN1は全長1,569塩基からなるひとつのORF(推定391アミノ酸)をコードしていることが示された。この翻訳タンパク質の構造は、トウモロコシKN1と同様にN末端側より、KNOX1、KNOX2、ELK、HOXの各ドメインがこの順に配置されていた。KN1は形態形成を制御する転写因子で、植物ウイルスのMPと同様に原形質連絡の排除分子量限界を拡大させ、自身やそのmRNAを選択的に細胞間移行させる能力を有することが明らかにされている。

2)の結果と合わせて、NtDnaJ-t3が、TMV MPおよびこれと類似の機能を有すると推定されるNtKN1にともに結合することが示されたことから、このDnaJ様タンパク質がTMV MPとNtKN1の細胞間移行において同様の機構を果たしている可能性、あるいはTMV MPがNtDnaJ-t3を介してNtKN1と結合し、このNtKN1の移行能に依存して細胞間移行を行うという可能性が示唆された。

 以上、本研究において、宿主タンパク質ADCがTMV RNA複製酵素の126Kタンパク質と183Kタンパク質とのヘテロダイマーの形成を阻害する作用を持つことを明らかにした。一方、TMV MPと特異的に結合する宿主タンパク質NtDnaJ-t3が単離され、さらに、このNtDnaJ-t3と結合する他の宿主タンパク質としてNtKN1が単離された。NtDnaJ-t3が、細胞間移行能を有するMPおよびこれと類似の機能を有すると思われるNtKN1にともに結合することから、このDnaJ様タンパク質がTMVの細胞間移行に関与する宿主タンパク質の有力候補のひとつであることが示唆され、植物ウイルスの細胞間移行ならびに植物自身の高分子の細胞間移行の分子機構を解明して行く上で、きわめて重要な知見が得られたものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 ウイルスゲノムには限られた遺伝情報しかコードされておらず、ウイルスはその複製あるいは細胞間移行のために宿主の多数の因子を流用していると考えられている。従って、ウイルスタンパク質と相互作用する宿主植物のタンパク質を単離・同定して、その構造と機能を解析する研究は非常に重要である。そこで本研究では、タバコモザイクウイルス(TMV)の複製・移行に関与する宿主タンパク質の構造と機能を解明することを目的として、各種の分子生物学的な解析を行った。

1.TMV RNA複製酵素のヘテロダイマー形成に対するアルギニンデカルボキシラーゼの阻害作用

 TMV RNA複製酵素のアポ酵素はTMVゲノム由来の126Kタンパク質と183Kタンパク質とのヘテロダイマーで構成されており、これにさらにいくつかの宿主タンパク質が結合することによって活性のあるホロ酵素が形成される。このヘテロダイマーの形成には、両タンパク質のヘリカーゼ(H)ドメインとInH領域(Internal領域後半からHドメインN末端部分)が関与することが示されている。一方、本研究室において、酵母two-hybrid法によりHドメインと特異的に相互作用する宿主タンパク質のひとつとしてタバコからアルギニンデカルボキシラーゼ(ADC)が単離された。そこで、ファーウェスタン法によりADCとHドメイン間の特異的結合を再確認した後、HドメインとInH領域間の結合に対するADCの作用について、酵母three-hybrid法を用いて解析したところ、ADCはこの結合を強く阻害することが示された。

2.TMV移行タンパク質と結合する宿主タンパク質

1)アフィニティークロマトグラフィーによるTMV感染葉からの移行タンパク質の精製とこれと結合する宿主タンパク質の検出

 TMVの移行タンパク質(MP)と結合する宿主タンパク質を探索するため、はじめに、接種3.5日後の感染タバコ葉より可溶化膜分画を抽出し、抗MP抗体カラムを用いて、MPおよびこれと挙動をともにする宿主タンパク質の精製を試みたが、特異的な宿主タンパク質を検出することはできなかった。一方、グルタチオンS-トランスフェラーゼ(GST)融合MPを用いたファーウェスタン解析の結果、上記分画中にMPと特異的に結合する微量の42kDa宿主タンパク質が存在することが示された。しかし、この宿主タンパク質の精製がきわめて困難であったため、本法によるアプローチを断念した。

2)酵母two-hybrid法によるTMV MP結合宿主タンパク質の探索と同定

 そこで、酵母two-hybrid法を用いてMPと結合する宿主タンパク質のスクリーニングを行った。その結果、DnaJ様タンパク質(NtDnaJ-t3)を含む陽性クローンが単離され、さらに、ファーウェスタン解析によって両タンパク質相互間の特異的結合が確認された。NtDnaJ-t3の完全長cDNAは、全長1,866塩基からなるひとつのORF(推定442アミノ酸)をコードしており、N末端側より、Jドメイン、Gly/Phe richドメイン、Cys richドメイン、推定基質結合部位が、順に配置されていた。次いで、MPの部分欠失クローンを作製し、NtDnaJ-t3との結合部位を調べた結果、MP分子内の2カ所(MPのフォールディングに必要な領域と細胞間移行に関わる領域)で結合することが示された。

3)酵母two-hybrid法によるNtDnaJ-t3結合宿主タンパク質の探索と同定

 次いで、NtDnaJ-t3と結合する宿主タンパク質のスクリーニングを行った結果、クローンNtKN1が単離された。NtKN1は全長1,551塩基からなるひとつのORF(推定391アミノ酸)をコードしており、N末端側より、KNOX1、KNOX2、ELK、HOXの各ドメインがこの順に配置されていた。これはKN1様タンパク質に特徴的な構造である。KN1は形態形成を制御する転写因子で、植物ウイルスのMPと同様に原形質連絡の排除分子量限界を拡大させ、自身やそのmRNAを選択的に細胞間移行させる能力を有することが明らかにされている。NtDnaJ-t3が、MPおよびNtKN1にともに結合することから、このDnaJ様タンパク質がTMV MPとNtKN1の細胞間移行において同様の機能を果たしている可能性、あるいはTMV MPがNtDnaJ-t3を介してNtKN1と結合し、このNtKN1の移行能に依存して細胞間移行を行うという可能性が示唆された。

 以上、本研究において、宿主タンパク質ADCがTMV RNA複製酵素の126Kタンパク質と183Kタンパク質とのヘテロダイマーの形成を阻害する作用を持つことを明らかにした。一方、TMV MPと特異的に結合する宿主タンパク質NtDnaJ-t3、および、このNtDnaJ-t3と結合する宿主タンパク質NtKN1が単離された。NtDnaJ-t3が、細胞間移行能を有するMPおよびNtKN1にともに結合することから、このタンパク質がTMVの細胞間移行に関与する宿主タンパク質の有力候補のひとつであることが示唆された。本研究で得られた成果は学術上、応用上寄与するところが大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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