学位論文要旨



No 118096
著者(漢字) 大里,修一
著者(英字)
著者(カナ) オオサト,シュウイチ
標題(和) ムギ類萎縮ウイルスのRNA複製酵素p152およびp211の生物学的特性に関する研究
標題(洋)
報告番号 118096
報告番号 甲18096
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2485号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 白子,幸男
 東京大学 教授 日比,忠明
 東京大学 教授 難波,成任
 東京大学 助教授 山下,修一
 東京大学 助教授 高野,哲夫
内容要旨 要旨を表示する

 ムギ類萎縮ウイルス(Soil-bome wheat mosaic virus:SBWMV)はFurovirus属のタイプ種で、土壌中に生息するplasmodiophoraceous菌類のPolymyxagraminisによって伝搬され、植物体への感染増殖には20℃以下の低温を必要とする。世界各地のコムギ生産地において、冬コムギに萎縮病およびモザイク病を引き起こし、収量の減少をもたらす農業上重要な病原ウイルスである。SBWMVは2分節のプラス鎖RNAゲノムを持ち、日本分離株のRNA1は7226塩基とRNA2は3574塩基からなる。RNA1には5'末端側から、152-kDaタンパク質(p152)と211-kDaタンパク質(p211)の2種類のRNA複製酵素がコードされている。p152はN末端領域にメチルトランスフェラーゼ領域とC末端側にヘリケース領域を持つ。p211はp152のUGA終止コドンのリードスルーによりポリメラーゼ領域がC末端側に付加されている。ウイルス感染細胞内のp152とp211の合成量比は約10:1と推定されている。一方、RNA2の5'末端側には19kDaの外被タンパク質(CP)がコードされ、そのUGA終止コドンのリードスルーにより外被タンパク質直下流の64-kDa領域(RT)を含む合計83kDaのタンパク質(CP-RT)と、3'末端側には、機能不明のシステインに富むタンパク質がコードされている。

 プラス鎖RNAウイルスは、分節ゲノム、サブゲノムによる発現、ポリプロテイン発現、リードスルー発現、リーキースキャンニング発現、フレームシフト発現など、さまざまなゲノム構成と遺伝子発現様式を有するが、複製酵素には必ずゲノム複製を司るRNA-dependent RNA polymerase(RdRp)をコードしており、機能ドメインが単一のタンパク質成分に全て存在している場合と、2種類のタンパク質成分に別れて存在している場合がある。

 本研究は、SBWMVのRNA複製酵素の発現様式と生物学的特性との関連を明らかにする目的で行った。すなわち(1)p152とそのリードスルー産物であるp211発現変異型RNA1を数種類作出し、これらの変異体の複製能を、局部病斑宿主および全身感染宿主への感染性試験と、植物体中のウイルス増殖や子孫ウイルスの解析により明らかにし、p211の複製における役割を調べた。(2)さらに詳細な研究を細胞レベル・分子レベルで行うために、オオムギ葉肉プロトプラスト実験系を確立し、作出した変異体の細胞レベルにおける複製能の解析を行い、p152とp211の関係について考察した。(3)本ウイルスの感染成立には低温が必要であるという知見から、低温要求性とウイルス複製の関連性を明らかにするために、オオムギ葉肉プロトプラストヘの感染系を利用し、温度感受性要因がウイルスRNA複製に基づくことを証明した。(4)複製酵素本体の分子間内相互作用を検証し、p152とp211のタンパク質レベルでの関係を調べた。

1.植物個体を用いたp152およびp211変異体の感染性の解析

 RNA1の全長cDNAクローンpJS1を用いて、p152遺伝子のTGA終止コドンをセリン(TCT,TCA)、アルギニン(AGG,CGA)、トリプトファン(TGG)、チロシン(TAT)、システイン(TGC)の各コドンに置換して、p152を生じずp211のみを発現する7種類のp211変異体を構築した。それぞれのin vitro転写産物をRNA2感染性全長cDNAクローンpJS2由来のin vitro転写物と共にChenopodium quinoa(局部感染宿主)葉に機械的に接種を行った結果、p211変異体では接種葉に野生型より小型の退緑斑が形成され、病斑粗汁液からウイルス外被タンパク質がウェスタンブロット法で検出された。すなわちp211はC.quinoa細胞においてp152非存在下でウイルスRNA複製能を有しp211変異型RNA1は野生型RNA2と共に、細胞間移行することが明らかとなった。また、トリプトファン(UGG)およびアルギニン(CGA)置換変異型RNA1は置換センスコドンが、UGAおよびUAGコドンへ復帰変異することが明らかとなった。一方、全身感染宿主であるコムギには感染は認められなかった。

 野生型のUGA終止コドンをUAGおよびUAA終止コドンに置換した終止コドン変異体では、in vitroタンパク質合成系においてp211合成量が野生型に比べ約10分の1に減少していたが、C.quinoa接種葉上において野生型ウイルスと同様に大型の退緑斑を形成し、コムギに全身感染した。以上の結果より、p211は単独でRNA複製酵素活性を有するが、p152が共発現することにより野生型の感染性を示すことが明らかとなった。

2.植物プロトプラストを用いたp152およびp211変異体の複製様式の解析

 感染性試験で得られた結果は、(1)p211変異型RNA1から翻訳されるp211複製酵素単独の活性が野生型の複製酵素活性よりも低いために生じた複製レベルの現象か、(2)細胞間移行も関わった現象かの2つの可能性を示す。そこで、細胞レベルでのウイルスRNA複製を解明するために、SBWMVの全長cDNA由来の感染性in vitro転写産物を用いたオオムギ葉肉プロトプラスト感染系を確立し、以下の実験を行った。

(i)SBWMV感染の低温要求性

 SBWMVは、20℃以下の低温で感染、増殖するウイルスであることが知られていたが、その原因は全く分かっていない。そこで、野生型感染性cDNAクローンとオオムギ葉肉プロトプラストを用いて、細胞レベルにおける温度とウイルスの増殖・複製の関係について調べた。野生型を接種したプロトプラストを15℃、17℃、20℃、22℃、25℃の各温度で24時間培養し、それぞれのウイルス増殖性を検定した。ウエスタンブロット法では外被タンパク質が、ノーザンブロット法ではRNA1およびRNA2のゲノムとサブゲノムがそれぞれ検出されたことから、SBWMV RNAの複製効率は17℃で最も高く、複製量は高温になるにつれて減少し、25℃では複製出来ないことが明らかとなった。またRNA1のみでも複製し、複製最適温度は17℃であったことから、RNA2コードされる各タンパク質ならびにRNA2分子そのものが温度感受性に影響を及ぼさないことも明らかとなった。従って、RNA複製適温の低下がSBWMV感染性における低温要求性の主因であることが示唆された。

(ii)RNA1変異体のRNA複製能

 植物体を用いた感染性試験の結果をうけて、各RNA1変異体のオオムギ葉肉プロトプラストヘの感染性を調べた。先ず、UAGおよびUAA変異型RNA1と野生型RNA2の組み合わせで、接種24時間後には、CPとCP-RTが検出され、その蓄積量は野生型のCPとCP-RT検出量と同程度であった。またウイルスゲノムおよびサブゲノムの検出量も野生型との違いは認められなかった。次に、p211変異型RNA1を用いた場合には、接種後72時間目でもCPは検出されなかった。しかし、ノーザンブロット解析において、ウイルスゲノムが検出され、その量は野生型に比べ著しく少なかった。以上の結果からp211単独の複製能は細胞レベルにおいて低いことが明らかとなり、感染性試験の結果は複製レベルの現象であることが示された。

(iii)p152の発現様式とRNA複製酵素活性の関連

 p211のみで複製酵素活性を持つということは、一方で、感染細胞中に多量に存在すると考えられるp152はどのような役割を有しているのだろうか。そこで、p152のみしか発現しないように、Pol領域を欠失させたpJS1.△Po1とp152遺伝子の終止コドン直下流にさらに2つの終止コドンを加えたpJS1.+AmOcの2種類のp152変異体を構築した。p211変異体とp152変異体を共にプロトプラストに接種し、感染細胞から得られた全RNAを用いたノーザンブロット解析を行ったところ、p211変異型RNA1およびp152変異型RNA1の複製量は、野生型に比べて低く、p211変異型RNA1単独接種の場合と違いは認められなかった。すなわち、p152を供給しても複製量に違いは認められず、p211の複製能は高まらなかったといえる。以上から、p152をトランスに供給してもp211の複製活性を高めないことが明らかとなった。従って、p152とp211は異なるRNAから翻訳された場合、活性の高い複製酵素複合体を形成せず、同一RNAから翻訳されることで活性の高い複合体が形成させる可能性が示唆された。

3.酵母2ハイブリットを用いたp152とp211間の相互作用

 p152とp211がトランスに相互作用するか否かを調べるために、酵母2ハイブリッド実験系を用いてp152とp211におけるタンパク質間相互作用の有無を検討した。複製酵素の全長および各ドメインを基準に、DNA-BDとADとの融合タンパク質して発現させ、2種類の酵母と2種類の酵母two-hybrid用のプラスミドを用いた。また、通常のtwo-hybrid検定の温度は、酵母の生育適温の30℃であるため、SBWMVの複製適温である17℃でも検定を試みた。いずれの場合においても相互作用は認められず、p152とp211間の相互作用は検出できなかった。

 以上のすべての結果を総合して、SBWMVの複製最適温度は17℃であった。複製酵素のp211とp152はトランスに翻訳されても、活性の高い複製酵素複合体を形成することはできず、複合体形成には宿主因子の関与も考えられるが、少なくとも同一RNA分子から両タンパク質が翻訳されながら複合体を形成する、すなわち翻訳共役的複合体形成が必要であることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、世界各地で栽培される冬コムギに発生する重要病原ウイルスであるムギ類萎縮ウイルスのRNAポリメレースタンパク質p152及びp211の発現様式と生物学的特性についての詳細な解析とその結果を報告したものである。ムギ類萎縮ウイルスゲノムは2分節のRNA断片から構成され、7.1kbのRNA1にはp152およびp211 RNA複製酵素遺伝子とp37推定移行タンパク質遺伝子が、3.6kbのRNA2には外被タンパク遺伝子、推定菌伝搬性決定因子、および機能不明のp19遺伝子が存在する。接種源には感染性全長cDNAクローン由来のin vitro転写産物を用い、感染宿主にはオオムギ葉肉プロトプラスト(Hordium vulgare L. cv Monori)、局部感染宿主Chenopodium quinoa及び全身感染宿主コムギ(Triticum aestivum L. cv Fukuho)を用い、細胞レベルでのウイルスRNA複製、接種葉一次感染細胞から周辺組織への二次感染及び維管束部を使った全身感染性、さらにそれにともなうウイルスゲノム変異を解析している。

 第一章の緒論では、植物RNAウイルスのゲノム構造とRNA複製酵素の発現様式について述べた後、本ウイルスのRNA複製酵素p152およびp211の発現がタバコモザイクウイルスのp126およびp183RNA複製酵素同様に、p152遺伝子終止コドンの部分的読み過ごしによりp211が翻訳することに着目し、その生物学的意義に関する現在の理解を概説している。

 第二章では、本ウイルスの野生型感染性RNA1全長cDNAクローンを用い、p152のみあるいはp211のみを発現する変異型RNA1コンストラクト、および野生型p152遺伝子のUGA終止コドンをUAG及びUAA終止コドンに改変した変異型RNA1コンストラクトを作成し、先ず、ウサギ網状赤血球ライセート中での無細胞タンパク質合成系を用いて、目的とするタンパク質が合成されることを確認した。次に、各変異型RNA1コンストラクトと野生型RNA2コンストラクト由来のin vitro転写産物を用いて局部感染宿主C. quinoaへの接種試験を行い、P152遺伝子終止コドンのUAGあるいはUAA変異体RNA1は、野生型RNA1と同様に感染し、大型の退緑病斑を形成することを示した。一方、UGA終止コドンをセンスコドンに改変しp152を翻訳せず、p211のみを翻訳する変異型RNA1を用いた場合には極小型病斑のみを形成することを示した。極小型病斑からウイルスRNAを抽出し、改変部位の塩基配列を調べた結果、1塩基置換でUGAおよびUAGコドンに変異しうる場合はどちらかの終止コドンへ復帰変異することを明らかにした。全身感染宿主コムギに対してはUAGおよびUAA変異型RNA1は野生型RNA1同様にRNA2と共に全身感染したが、p152およびp211変異型RNA1には感染性は認められなかった。以上の結果は2種類のRNA複製酵素タンパク質がp152遺伝子終止コドンの部分的読み過ごし翻訳により合成されることに重要な意味があることを示している。

 第三章では、第二章で用いた変異型RNA1由来のp152およびp211複製酵素の複製能をオオムギ葉肉プロトプラストを用いて細胞レベルで解析している。先ず、ムギ類萎縮ウイルスと植物プロトプラストの感染系を確立した報告例はないため、技術的確立を試みた。その結果、in vitro転写RNAを接種源とし、約50%以上の細胞が感染する系の確立に成功した。その過程で、本ウイルスRNAの複製適温が17℃であり、それより低温および高温では複製能が著しく低下し25℃では全く活性を示さないことを明らかにした。また、p152とp211は異なるRNA分子から翻訳させても野生型の複製酵素活性を示すことはなく、同一分子からp152遺伝子終止コドンの部分的読み過ごし翻訳による両タンパク質の合成が野生型活性に必須であることが示された。

 第四章では、イースト2ハイブリッド実験系を用いて、p152およびp211を含め、本ウイルスRNAにコードされる全タンパク質間の相互作用を17℃の培養温度で調べた。その結果、全ての組み合わせで反応は検出されなかった。

 第五章では、第二章から第四章の実験結果に基づく綜合考察を行なっている。その中で、p152とp211 RNA複製酵素が同一RNA分子から翻訳される必要があり、それぞれ単独に翻訳された場合には活性が向上せず、酵母核内でも反応しなかった事実から、一つのモデルとして翻訳共役的複製酵素複合体形成について提案している。これはタバコモザイクウイルスを始め、同様の複製酵素発現様式を取る他のウイルスについても適用できる斬新なアイデアである。

 以上、本研究では、農業上重要なムギ類萎縮ウイルスのRNA複製について、温度感受性を明確に証明し、野生型RNA複製複合体形成に関する有力なモデルを提唱した。従って、本研究の成果は植物RNAウイルスの複製と病原性を理解する上で、農学および生物学両面に大きく貢献するものである。よって、審査員一同は、本論文を博士(農学)の学位論文として価値あるものと判断した。

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