学位論文要旨



No 118097
著者(漢字) 小池,淑子
著者(英字)
著者(カナ) コイケ,ヨシコ
標題(和) カイコのZ染色体の構造解析
標題(洋)
報告番号 118097
報告番号 甲18097
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2486号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 嶋田,透
 東京大学 教授 小林,正彦
 東京大学 教授 岸野,洋久
 東京大学 教授 堤,伸浩
 東京大学 助教授 石川,幸男
内容要旨 要旨を表示する

 昆虫は雌雄異体の生物であり、その性は遺伝的に決定されている。昆虫の性を決める遺伝要因は、性染色体に存在する場合が多いが、性決定因子が常染色体に存在する昆虫や半倍数性によって性が決定する昆虫なども知られている。性染色体を有する昆虫の多くは、雌がXX、雄がXYという雄ヘテロ型の性染色体構成を有するのに対し、鱗翅目および近縁の毛翅目の昆虫は、雌がZWまたはZO、雄がZZという雌ヘテロ型の性染色体構成を持つという特徴がある。ZO/ZZで雌雄が決定されることは、Z染色体の数が、これら昆虫の性を決定する要因であることを示しているが、一方でカイコのようにW染色体の雌決定能力が大きい種も存在する。鱗翅目昆虫のZ染色体は、性的形質以外に、交尾選好性、雑種の妊性、休眠性、概日時計などの生態的に重要な形質を支配することが知られている。カイコにおいても、古くから幼虫の発育速度や休眠性が伴性遺伝を示すことが報告され、実用上の観点からZ染色体の機能が注目されてきた。性染色体を有する生物の多くでは、X染色体上の遺伝子の転写産物の量を細胞あたり一定にするような「遺伝子量補正」が行われている。しかし、最近カイコのZ染色体上の二つの遺伝子BmkettinおよびT15.180aにおいて、遺伝子量補正が見られないことが報告された。これらが当該遺伝子だけの特徴であるのか、またはカイコのZ染色体全域における遺伝子量補正機構の欠失を意味しているのか、不明であり、より広範囲にわたる発現解析が必要である。また、Z染色体は減数分裂時にW染色体と対合することから、両染色体の間には何らかの構造的な類似が予想され、両者の構造解析はこれら染色体の進化の解明にもつながる。

 本研究は、以下の3点をおもな研究目的とした。(1)カイコのZ染色体上の遺伝子を同定し、個々の生物機能を推定するとともに、全体としてどのような機能的特徴があるかを明らかにする。(2)Z染色体上の反復配列の分布やGC含量などから、W染色体および常染色体との類似性を検討する。(3)Z染色体上の多数の遺伝子の細胞あたりのmRNA蓄積量を雌雄で比較し、遺伝子量補正の有無を明らかにする。

第一章Z染色体のBACコンティグ作製およびショットガンシーケンス法による構造解析

1.BACコンティグの作成

 カイコの染色体は、互いに大きさが似通っているうえ、各種染色によるバンディングも不鮮明であるため、顕微鏡下での識別が困難である。また、セルソーターやパルスフィールドゲル電気泳動などによる染色体の分離も成功していない。そのため、本研究では、カイコZ染色体の構造解析のために、カイコのBACライブラリーからZ染色体由来のクローンを探索することにした。農業生物資源研究所の三田らによって作製されたカイコのBACライブラリーは、平均168kbの挿入断片を含んでおり、カイコのゲノムサイズの11倍に相当する数の独立クローンで含んでいる。Z染色体に座乗することが報告されていたBmkettin、Bmper、T15.180aおよびRcf96の4遺伝子をプローブとして、カイコのBACライブラリーを探索し、陽性クローンを単離した。これらBACクローンの末端の塩基配列に特異的なプローブを用いたスクリーニングを繰り返すことにより、塩基配列が重複するBACクローンを得た。その結果、Bmkettinを出発点として約320kb、Rcf96を出発点として約270kbにわたるBACコンティグをそれぞれ作製した。また、T15.180aおよびBmperをプローブとして、それぞれ約170kbの断片を含むBACを複数個得た。これらにより、Z染色体の約5%をカバーするBACを得たことになる。

2.ショットガン法による塩基配列の解析

 得られたZ染色体由来のBACからDNAを抽出し、機械的剪断ののちプラスミドpUC18にサブクローニングしてショットガンライブラリーを作製し。各ライブラリーから数千個のプラスミドの塩基配列を決定してアセンブリーした。それら塩基配列をqueryにして、公共の塩基配列データベースあるいはタンパク質データベースを対象にBLASTNまたはBLASTXによる相同性検索を行った。その結果、Bmkettin周辺の約320kbにおいて、13個の遺伝子Bmfkbp13、Bmhig、Bmhepa、Bm6922、Bmlap、Bmprojectin、Bmtitin1、Bmtitin2、Bmmiple、Bmsyx6、BmPM-Scl、Bmtkz1、BmubcD4を同定した。またBmperのBACにはBmcopgを、.Rcf96のBACからはBmublz、Bmdod、BmGs2およびBmzygの4個の遺伝子を、T15.180aのBACからは、Bmfw9095、BmZn9A5およびBmpdhpの3個の遺伝子を、それぞれ同定した。

3.遺伝子密度

 前項の結果から、Bmkettin、Rcf96およびT15.180aそれぞれの領域において、遺伝子密度は約30kbあたり1個であった。W染色体には、すでに調べられている数百kbの範囲に、機能的な遺伝子は一つも見つかっていない。カイコの遺伝子数は約2万個程度と考えられており、ゲノムサイズは約530Mbであるから、平均すれば約27kbあたり1個の遺伝子密度と推定される。従って、Z染色体の遺伝子密度は常染色体に類似していることになる。

4.Z染色体上の遺伝子がコードするタンパク質の機能推定

 Z染色体上の遺伝子の塩基配列から推定されるアミノ酸配列から生物機能を推定したところ、ショウジョウバエにおけるオーソログは、神経機能や運動機能など行動に関わる遺伝子が若干多い傾向があった。しかし、ハウスキーピング遺伝子と思われる遺伝子も多く存在しており、Z染色体上の遺伝子に大きな機能的偏りがあるとは考えられなかった。

5.転移因子の分布とその構造

 本研究で決定したBmkettin、Rcf96およびT15.180aの各周辺領域の塩基配列中には、non-LTR型レトロトランスポゾン、SINE因子(Bm1)、そしてDNA型トランスポゾンが複数個存在し、その平均含有率は、それぞれ4.7%、2.7%および1.5%であった。一方、LTR型レトロトランスポゾン様配列は1個も発見できなかった。また、発見したnon-LTR型レトロトランスポゾン、Bm1およびDNA型トランスポゾンは、全て不完全な長さであり、3'側あるいは5'側を欠失していた。non-LTR型レトロトランスポゾンでは、約40%から98%の長さが、DNA型トランスポゾンmariner様配列では、約10%から97%の長さが、それぞれ欠失していた。W染色体には、LTR型レトロトランスポゾンが多数存在すること、および各種転移因子が完全長で存在する場合が多いという特徴が知られている。Z染色体は、転移因子の構造で見る限り、W染色体よりもむしろ常染色体に類似している。

6.カイコのZ染色体とショウジョウバエゲノムとの間のシンテニー

 Bmkettin周辺の約320kbおよびRcf96周辺の約170kbに存在する遺伝子の配列順序や転写の向きを明らかにし、ショウジョウバエの遺伝子地図と比較してみたところ、ショウジョウバエのオーソログは、第2および第3染色体に分散して存在し、X染色体とのシンテニーはなかった。しかし、カイコZ染色体上のBmprojectin、Bmkettin、Bmtitin1、Bmtitin2およびBmmipleと並ぶ約130kbpの領域と、ショウジョウバエの第3染色体左腕の約3Mbの領域との間で弱いシンテニーが認められた。一方、W染色体には、レトロトランスポゾンをはじめとする転移因子が極めて複雑な「入れ子」状態で蓄積されており、現在までに機能的遺伝子は見つかっていない。カイコとショウジョウバエは祖先昆虫から分岐した後で、それぞれ独自に性染色体を進化させてきたものと推定される。

第二章Z染色体上の遺伝子の転写産物量の雌雄間比較

1.雌雄のmRNA蓄積量の測定

 Z染色体における遺伝子量補正の有無を調査するため、第1章でBmkettin周辺およびRcf96周辺から発見した23種類の遺伝子について、リアルタイムRT-PCR法により、カイコ細胞あたりのmRNA蓄積量を雌雄で比較した。鋳型としては、4齢3日の幼虫の胸部筋肉および頭部、5齢3日の幼虫の胸部筋肉および翅原基、羽化0日目成虫の胸部筋肉および頭部から得たpoly(A)RNAを用いた。その結果、さまざまな発育段階や組織において、細胞あたりのmRNA蓄積量は、21個?の遺伝子で、雄のほうが雌よりも多かった。しかし、雄:雌の比率は必ずしも2:1であるとは限らず、雄で2倍を超えるmRNAを蓄積している遺伝子や、逆に雌でより多くのmRNAを蓄積している遺伝子もあった。したがって、少なくともこれらの染色体領域において、遺伝子量補正は行われていないこと、ならびに個々の遺伝子に関しては個別の性依存的転写調節がなされる場合があること、の2点が明らかになった。

2.遺伝子量補正の欠如の生物学的意義

 Bmkettin、Bmtitin1、Bmtitin2およびBmprojectinの4遺伝子のショウジョウバエや哺乳類における相同タンパク質は、筋原線維の構造を保持する機能を果たす。これらのmRNAの蓄積量も、雄では雌の2倍以上検出された。このような筋肉や神経の機能を支配するmRNA量が雄で多いことは、カイコの行動に見られる雌雄差を部分的に説明することができる可能性がある。ショウジョウバエでは、遺伝子量補正機構は、その欠損が雄特異的致死をもたらすことから、個体の生存に不可欠な機構と考えられている。一方、カイコのZ染色体には、雄で多く発現することが有利な遺伝子および雌の発現量が少なくても問題がない遺伝子が座乗していると推定され、雌雄差が不利になる遺伝子や雌で多く発現すべき遺伝子については、個別に発現調節を行っているのであろう。

 要するに、本研究は、カイコのZ染色体の塩基配列を広範囲に決定するとともに、その転写産物量の雌雄差を解析することにより、Z染色体の機能を推定したものである。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文「カイコのZ染色体の構造解析」は、カイコの性染色体の一つであるZ染色体について、その部分構造を解明して機能を推定したものである。昆虫の多くは、雌XX、雄XYという性染色体を有するが、鱗翅目および近縁の毛翅目の昆虫は、雌がZWまたはZO、雄がZZという雌ヘテロ型の性染色体構成を持つ。鱗翅目昆虫のZ染色体は、性的形質以外に、交尾選好性、妊性、休眠性などの生態的に重要な形質を支配することが知られている。性染色体を有する生物では、普通X染色体上の遺伝子の転写産物の量を雌雄で等しくするための「遺伝子量補正」が行われているが、カイコのZ染色体上の二つの遺伝子においてはmRNA量が雄で多いことが報告されている。本研究の目的は以下の3点である:(1)カイコのZ染色体上の遺伝子を同定し、個々の生物機能を推定する。(2)Z染色体の構造をW染色体および常染色体と比較する。(3)Z染色体上の多数の遺伝子のmRNA蓄積量を雌雄で比較する。

 第一章では、カイコZ染色体の構造解析のために、Bmkettin、Bmper、T15.180aおよびRcf96の4遺伝子をプローブとして、カイコのBACライブラリーを探索した。得られたBACクローンの末端に特異的なプローブを用いてスクリーニングすることにより、塩基配列が重複するBACクローンを得た。その結果、Bmkettinを出発点として約320kb、Rcf96を出発点として約270kbにわたるBACコンティグを作製した。また、T15.180aおよびBmperをプローブとして、それぞれ約170kbの断片を含むBACを1個ずつ得た。得られたZ染色体由来のBACについて、ショットガン法で全塩基配列を決定した。その結果、Bmkettin周辺の約320kbにおいて、13個の遺伝子を同定した。またBmperのBACには1個の遺伝子を、Rcf96のBACからは4個の遺伝子を、T15.180aのBACからは、3個の遺伝子を、それぞれ同定した。

 解析した各領域において、遺伝子密度は約30kbあたり1個であった。W染色体には、調べられている範囲に遺伝子は一つも存在しない。カイコの遺伝子数は約2万個程度と考えられており、平均すれば約27kbあたり1個の遺伝子密度と推定される。従って、Z染色体の遺伝子密度は常染色体に類似している。推定されるアミノ酸配列から生物機能を推定したところ、Z染色体の遺伝子には神経機能や運動機能など行動に関わるものが多い傾向があったが、ハウスキーピング遺伝子と思われる遺伝子も多く存在していた。

 Bmkettin周辺の約320kbおよびRcf96周辺の約170kbに存在する遺伝子の配列順序や転写の向きを明らかにし、ショウジョウバエの遺伝子地図と比較してみたところ、ショウジョウバエのオーソログは、常染色体に分散して存在し、X染色体とのシンテニーはなかった。しかし、カイコZ染色体上のBmprojectin.Bmmipleの5遺伝子が並ぶ約130kbpの領域と、ショウジョウバエの第3染色体の一部領域との間で局所的シンテニーが認められた。

 第二章では、Z染色体の遺伝子量補正の有無に着目し、第1章でBmkettin周辺およびRcf96周辺から発見した23種類の遺伝子について、リアルタイムRT-PCR法により、mRNA蓄積量を雌雄で比較した。鋳型には、4齢.5齢幼虫および成虫の各組織から得たRNAを用いた。その結果、さまざまな発育段階や組織において、細胞あたりのmRNA蓄積量は、全体に雄のほうが雌よりも多かった。しかし、雄:雌の比率は必ずしも2:1であるとは限らず、雄で2倍を超えるmRNAを蓄積している遺伝子や、逆に雌でより多くのmRNAを蓄積している遺伝子もあった。したがって、少なくともこれらの染色体領域において、遺伝子量補正は行われていないこと、ならびに個々の遺伝子に関しては個別の性依存的調節がなされる場合があることが明らかになった。

 Bmkettin、Bmtitin1、Bmtitin2およびBmprojectinの4遺伝子の他動物における相同タンパク質は、筋原線維の構造を保持する機能を果たす。これらのmRNAの蓄積量も、雄では雌の2倍以上検出された。筋肉や神経の機能を支配するmRNA量が雄で多いことは、カイコの行動に見られる雌雄差を部分的に説明することができる可能性がある。

 以上のように本研究は、昆虫の性染色体の構造と機能の深い理解をもたらし、農学・生物学の両面に大きく貢献するものである。よって、審査員一同は、本論文を博士(農学)の学位論文として価値あるものと判断した。

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