学位論文要旨



No 118098
著者(漢字) 春原,英彦
著者(英字)
著者(カナ) スノハラ,ヒデヒコ
標題(和) イネにおける穂の構築と稈の伸長に関する発生遺伝学的解析
標題(洋)
報告番号 118098
報告番号 甲18098
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2487号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長戸,康郎
 東京大学 教授 堤,伸浩
 東京大学 助教授 平野,博之
 東京大学 助教授 経塚,淳子
 東京大学 助教授 山岸,順子
内容要旨 要旨を表示する

 イネの穂は、収穫物としての種子をつける重要な器官であり、その形態やサイズは収量に大きく影響する。しかし、穂の形づくりの制御機構の解析は、重要であるに関わらず、ほとんど明らかになっていない。また、穂の形態の変異体は、同時に栄養器官(葉や稈)の異常も示すことが多い。多くの場合、稈の伸長と穂の発生は時間的にオーバーラップしており、穂の発生が稈の節間伸長と相互作用している可能性が考えられる。従って、穂の形づくりの機構を明らかにすることは、稈の伸長についての理解を深めることになろう。しかし、穂の発生と稈の節間伸長とがどのように関係しているのか、という研究はほとんど行われていない。そこで本研究では、穂のサイズ及び形に特徴的な異常を示す変異体を用いて穂の構築機構を解明するとともに、穂の発生と稈の伸長との関係を明らかにすることを目的とした。

1.野生型イネの穂の構築と稈の伸長の発生学的解析

 野生型台中65号の穂の発生過程を詳細に解析した。中央縦断切片の観察に基づいて、幼穂発生過程を幼穂転換期、1次枝梗分化期、1次枝梗伸長期、1次枝梗側生器官分化期、穎花分化・穂伸長期の5つに分けることができた。また、茎頂分裂組織特異的に発現するOSH1をプローブとしたin situハイブリダイゼーションにより、穂軸分裂組織の失活が1次枝梗分化期の終了とほぼ一致することが明かとなった。次に、穂の発生と稈の節間伸長とのタイミングについて調べた。幼穂の発生は、稈の第3節間の伸長開始とほぼ同調し、第2節間の伸長は1次枝梗伸長期の頃に、第1節間の伸長は1次枝梗側生器官が伸長を始めた頃に始まった。また、第4以下の下位節間の伸長は、幼穂の分化以前にすでに始まっていた。このように、穂の発生と稈の上位節間伸長との間には、時間的な同調性が存在していると考えられた。

2.穂の変異体の同定と解析-特に稈の節間伸長との関係

 台中65号を遺伝的背景とした、穂や花に異常を持つ変異体18系統を用いて、穂の発生が稈の伸長にどのような影響を及ぼしているのかについて解析を行った。まず、穂のどの器官に異常を示したかによって18変異体を3グループに分類した。第1グループ(10系統)は主に穂軸及び枝梗で、第2グループ(4系統)は小穂及び小花で、第3グループ(4系統)はその両方で異常が見られたものである。第1及び第3グループのほとんどの変異体は稈長の異常を示した。9系統が稈の短化を示し、2系統が長化を示した。また、稈長は野生型と同じだが、節間伸長パターンが異常な変異体もあった。稈の節間伸長の異常は上位節間ほど顕著であったが、中には下位節間の過伸長、伸長節間数の増加を示す変異体もあった。穂の各形質(穂軸長、1次枝梗数、1次枝梗長など)と稈の節間長との相関を調べたところ、穂の各形質は第1と第2節間長あるいは第1節間長のみと高い正の相関を示した。特に穂軸長と第1節間長は非常に高い正の相関を示し、両者には共通の制御が働いていると考えられた。さらに、18変異体の稈の各節間長を用いた主成分分析から、花に異常を示す変異体(第2グループ)は野生型の近傍に分布したが、穂に異常を示すもの(第1グループ)は野生型から離れて分布する傾向が見られた。両方に異常を示す変異体(第3グループ)は両者にまたがって分布していた。つまり、穂軸や1次枝梗を形成する穂の初期発生が、稈の節間伸長と強く関連していることが示唆された。

3.短穂変異体の発生学的解析

 穂軸の短化を示す変異体5系統を用いて、短穂が形成されるメカニズムについて解析するとともに、短穂変異体における穂の発生と稈の節間伸長の関係についても解析を行った。穂軸の長さの変異は、穂軸節間の長さ及び数の変異として理解できる。そこで、穂軸節間の長さと数に基づいて、グループA(TCM2084、TCM2542):穂軸節間は短いが、節間数は野生型とほぼ同じ、グループB(TCM2902):穂軸節間長は野生型とほぼ同じだが、節間数は減少、グループC(TCM2830、TCM3064):穂軸節間が短く、かつ数も減少、の3グループに分類した。全ての系統で1次枝梗も短化していた。また、1次枝梗節間についても計測したところ、グループ間に差はなく、ほぼ一様な短化と数の減少を示し、穂軸の短化によって1次枝梗は短化するが、穂軸節間のパターンは反映されないことが示唆された。次に、穂軸分裂組織と穂の短化の関係を調べるために、OSH1をプローブとしたin situハイブリダイゼーションを行った。グループAでは、OSH1の発現パターンは野生型とほぼ同じで、1次枝梗原基が約10個分化した頃にその発現は見られなくなった。一方、穂軸節間が野生型より少ないグループBとグループCでは、野生型に比べ1次枝梗原基が少ない時期に穂軸分裂組織の失活が見られ、その後の1次枝梗の分化は見られなかった。穂軸分裂組織の失活のタイミングが早いため、分化する1次枝梗原基が減少し、その結果として穂軸節間が減少し、穂軸が短化したと考えられる。つまり、穂軸分裂組織の失活の早晩が、穂軸節間数を決める重要な要因であると考えられる。また、これらの変異体の幼穂は野生型よりも小さかった。さらに、穂軸分裂組織が早期に失活するグループBとグループCでの穂の発生と稈の節間伸長とのタイミングについて調査したところ、異常は見られなかった。しかし、全ての変異体で成熟個体の稈は短化あるいは異常な伸長パターンを示しており、穂軸の長さは、稈の節間伸長に影響していると考えられる。

4.穂軸節間の異常な伸長パターンを示す変異体の発生遺伝学的解析

 穂軸節間の伸長パターンが異常な変異体3系統(TCM0268、TCM0269、TCM2410)を用いて、異常な穂軸節間の伸長パターンを解明するとともに、これらの変異体における穂の発生と稈の節間伸長との関係について解析した。3変異体はほぼ同じ表現型を示し、野生型では大半の穂軸節間が伸長するのに対し、これらの穂では、その半分以上が伸長せず、そのために複数の1次枝梗がクラスター状に、離散的に形成された。伸長する穂軸節間は、野生型よりも長く、中でも最下位の伸長節間は極端な過伸長を示し、その結果、野生型よりも長い穂軸となった。穂首節の苞葉も過伸長を示した。これら変異体の幼穂を観察したところ、1次枝梗分化期の頃から、穂軸分裂組織の中央帯、周辺帯以外の組織での細胞の肥大が見られた。また、1次枝梗分化期の幼穂の走査型電子顕微鏡による観察から、野生型と同様に求頂的に2/5らせん生で1次枝梗原基を分化していることが分かった。つまり、これらの変異体では1次枝梗原基の分化パターンに異常はなく、穂軸の細胞の肥大が顕著であることから、この細胞の肥大が穂軸節間の異常な伸長パターンと関係していると考えられる。また、この肥大した細胞は、稈で見られる細胞と似ており、穂軸の内部にまで、稈のアイデンティティを持った細胞が侵入していると考えられた。稈と穂軸の節間における大維管束数の計測、横断切片の観察からも、この考えは支持される。これら変異体の稈の節間長を測定したところ、第1と第2節間が短化し、第3以下の節間長は正常であった。中には、第2節間が特異的に非伸長を示すものもあった。次に、これらの変異体における穂の発生と稈の節間伸長とのタイミングについて調査したところ、野生型とほぼ同じであった。さらに、3変異体の表現型は、ブラシノステロイドの合成あるいは感受性の変異体と類似しているところがあった。そこで、変異体の1つ(TCM0268)とブラシノステロイド非感受性変異体d61(Osbril)との2重変異体を作出した。この2重変異体は、両親よりもシビアな表現型を示しており、TCM0268もブラシノステロイド生合成あるいは情報伝達系に関与する可能性が示唆された。しかし、ブラシノステロイドの添加によるラミナジョイントの屈曲試験を行ったところ、野生型と同じ程度の屈曲を示したので、ブラシノステロイドの感受性に関わる変異体ではないと考えられる。

 以上、本研究は、穂の異常を示す多くの変異体を用いて、穂の構築機構を解析するとともに、それと稈の節間伸長との関連について明らかにしたものである。

審査要旨 要旨を表示する

 イネの穂は収穫物である種子をつける重要な器官であるが、その形作りの遺伝的制御機構はほとんど明らかになっていない。また倒伏性に関与する重要な農業形質である稈長の決定には、穂の発育が影響すると示唆されているが、その実態は明らかでない。本研究は、穂のサイズ及び形に特徴的な異常を示す変異体を用いて穂の構築機構を解明するとともに、穂の発生と稈の伸長との関係を明らかにすることを目的として行われたものである。本論文の内容は、4つの章から構成されている。

1.野生型イネの穂の構築と稈の伸長の発生学的解析

 野生型台中65号の穂の発生の経時的な観察から、穂の発生過程を幼穂転換期、1次枝梗分化期、1次枝梗伸長期、1次枝梗側生器官分化期、穎花分化・穂伸長期の5つに分けた。OSH1をプローブとしたin situハイブリダイゼーションにより、穂軸分裂組織の失活が1次枝梗分化期の終了とほぼ一致することを明かにした。また、穂の発生と稈の節間伸長とのタイミングの解析から、穂の発生と稈の上位節間伸長との間には、時間的な同調性が存在していることを明らかにした。

2.穂の変異体の同定と解析-特に稈の節間伸長との関係

 台中65号を遺伝的背景とした、穂や花に異常を持つ変異体18系統を選抜し、穂の発生が稈の伸長にどのような影響を及ぼしているのかについて解析を行った。まず、穂のどの器官に異常を示したかによって18変異体を3グループに分類した。第1グループは主に穂軸及び枝梗で、第2グループは小穂及び小花で、第3グループはその両方で異常が見られたものである。第1及び第3グループのほとんどの変異体は稈長あるいは節間伸長パターンの異常などの何らかの稈の異常を示したが、第2グループの変異体では稈の異常は認められなかった。穂の形質と稈の節間長との相関を調べたところ、穂の形質は第1と第2節間長のみと高い正の相関を示した。さらに、18変異体の稈の各節間長を用いた主成分分析から、小穂及び小花に異常を示す第2グループは野生型の近傍に分布したが、穂軸及び枝梗に異常を示す第1グループは野生型から離れて分布することを明らかにした。以上の結果は、穂の初期発生が、稈の節間伸長、特に上位2節間の伸長と強く関連していることを示している。

3.短穂変異体の発生学的解析

 穂の長さの制御機構を明らかにする目的で、穂軸の短化を示す変異体5系統を用いて短穂が形成される機構について解析した。穂軸節間の長さと数を計測し、5変異体を、グループA:穂軸節間は短いが、節間数は野生型とほぼ同じもの、グループB:穂軸節間長は野生型とほぼ同じであるが、節間数は減少するもの、グループC:穂軸節間が短くかつ数も減少するもの、の3グループに分類した。穂軸の細胞長を計測し、5変異体と野生型はほぼ同じ細胞長であり、変異体での穂軸節間の短化は細胞数の減少が原因であることを示した。また、0SH1をプローブとしたin situハイブリダイゼーションを行い、穂軸節間が少ないグループBとグループCでは、野生型に比べ1次枝梗原基が少ない時期に穂軸分裂組織の失活が見られ、穂軸分裂組織の早期の失活が、穂軸節間の減少の原因であることを明らかにした。穂の発生と稈の節間伸長とのタイミングは正常であったが、成熟個体は稈の短化あるいは異常な伸長パターンを示し、穂軸の短化が稈の節間伸長に影響することを示した。

4.穂軸節間の異常な伸長パターンを示す変異体の発生遺伝学的解析

 穂軸節間の伸長パターンが異常な変異体3系統を用いて、異常な穂軸節間の伸長パターンの形成される機構を解析した。3変異体はほぼ同じ表現型を示し、穂軸の長化、穂軸伸長節間パターンの異常(特に最下位節間の過伸長)、苞葉の過伸長などが見られた。これら変異体の幼穂を観察し、穂軸分裂組織のrib領域以下の細胞が肥大することを明らかにし、これが穂軸節間の異常な伸長パターンと関係している可能性を示唆した。そこで、穂軸と稈の細胞長の測定、穂軸と稈の節間の構造の解析を行い、穂軸最下位節間が稈のアイデンティティーを持っていることを示した。これら3変異体と類似した表現型を示すブラシノステロイド非感受性矮性変異体d61との2重変異体が、両親よりもシビアな表現型を示したことから、用いた3変異体はブラシノステロイド生合成あるいは情報伝達系に関与する可能性を示唆した。

 以上、本研究は、イネの穂の形作りの研究に新たな視点をもたらすとともに、穂の発生と稈の伸長との相互作用の存在を明らかにしたものであり、学術上、応用上価値が高い。よって、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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