学位論文要旨



No 118100
著者(漢字) 大津,和弘
著者(英字)
著者(カナ) オオツ,カズヒロ
標題(和) イネ呼吸系遺伝子の構造と発現に関する研究
標題(洋)
報告番号 118100
報告番号 甲18100
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2489号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堤,伸浩
 東京大学 教授 長戸,康郎
 東京大学 教授 大杉,立
 東京大学 助教授 平野,博之
 東京大学 助教授 吉田,薫
内容要旨 要旨を表示する

 ミトコンドリアは、真核生物において、酸素呼吸によって大量のATPを生産する重要な細胞内小器官である。植物においては、発芽時や開花期などに、特異的にATPの需要が高まることが知られており、逆にこれらの時期にATPの供給量が不足すると、植物の生育は大きく阻害されることがある。従って、植物におけるATP生産機能を詳細に理解することは、有用な作物を作出する上で重要である。

 ミトコンドリアのATP生産機能を解析する上で、ミトコンドリアで機能する呼吸系遺伝子の発現調節機構を調べることが、基本的かつ重要であると思われる。植物のミトコンドリアにおける電子伝達系には、シトクローム経路とオルタナティブ経路という、二種類の電子伝達経路が存在している。呼吸系遺伝子の発現調節機構を解析し、ミトコンドリアのATP生産機能を理解するには、これらの経路に関わる個々の遺伝子に関して、その構造と発現を明らかにする必要がある。そこで私は、イネを材料に用い、各々の経路の末端酸化酵素であるcytochrome c oxidase(COX)とalternative oxidase(AOX)をコードする遺伝子の構造と発現を調べた。

1.イネにおける核ゲノムコードCOX遺伝子であるCOX6b遺伝子の解析

 シトクローム経路で働くタンパク質複合体の多くは、そのサブユニットをコードする遺伝子が、核ゲノムに存在しているものとミトコンドリアゲノムに存在しているものに分かれている。従って、機能的なタンパク質複合体が形成されるために、核ゲノムとミトコンドリアゲノムによる協調的な遺伝子の発現調節機構が存在すると考えられている。この協調的な遺伝子の発現調節機構の解明には、核ゲノムとミトコンドリアゲノムに存在する呼吸系遺伝子をそれぞれ解析することが必要であるが、植物においては、ミトコンドリアゲノムに存在する遺伝子に比べて、核ゲノムに存在する遺伝子の解析が非常に遅れている。そこで私は、シトクローム経路の末端酸化酵素であるCOXに関して、その核ゲノムコードの遺伝子であるCOX6b遺伝子を単離し、構造と発現について調べた。

 イネにおけるCOX6b遺伝子は、ヒトや酵母のCOX6bと比べて、N末端側に伸張配列を持ったアミノ酸配列をコードしているOsCOX6b1遺伝子と、ヒトや酵母のCOX6bとほぼ同じサイズのアミノ酸配列をコードしているOsCOX6b2遺伝子の二種類が存在していた。この、二種類の遺伝子が存在しているという特徴が、他の植物でも保存されているかどうかを調べるため、シロイヌナズナにおけるCOX6b遺伝子の同定も行った。その結果、シロイヌナズナにおいても、伸張配列を持ったアミノ酸配列をコードしているAtCOX6b1遺伝子と、伸張配列を持たないアミノ酸配列をコードしているAtCOX6b2遺伝子及びAtCOX6b3遺伝子の存在が明らかになった。

 アミノ酸配列を比べると、OsCOX6b1は、OsCOX6b2よりも、AtCOX6b1との相同性のほうが高かった。また、ゲノム配列における遺伝子の構造を比較すると、OsCOX6b1遺伝子とAtCOX6b1遺伝子のイントロンの挿入位置は完全に一致していたが、OsCOX6b1遺伝子の二番目のイントロンとOsCOX6b2遺伝子の一番目のイントロンに関しては、挿入位置が一致していなかった。これらのことから、COX6b1遺伝子とCOX6b2遺伝子が分岐したのは、単子葉植物と双子葉植物が分岐する以前であったことが推定された。

 イネとシロイヌナズナのCOX6b遺伝子の、様々な器官における発現を、ノーザンハイブリダイゼーションによって調べたところ、OsCOX6b1遺伝子とAtCOX6b1遺伝子、それにAtCOX6b3遺伝子は、調べた器官において恒常的に転写物が蓄積していた。また、OsCOX6b2遺伝子とAtCOX6b2遺伝子に関しては、主に根において転写物の蓄積が見られたが、AtCOX6b2遺伝子の転写物は、ほとんどが分解されていた。

 単子葉植物であるイネと、双子葉植物であるシロイヌナズナにおいて、共通した性質を持ったCOX6b遺伝子が存在していたことや、AtCOX6b2遺伝子を除いて、それらの遺伝子の転写物が様々な器官で蓄積していたことから、本研究において同定した遺伝子は、それぞれの植物体において何らかの機能を担っている可能性が高いと考えられた。

2.イネにおける新規AOX遺伝子であるAOX1c遺伝子の解析

 高等植物のミトコンドリアには、ATP合成と共役したシトクローム経路の他に、ATP合成と共役していない、オルタナティブ経路というもう一つ別の呼吸経路が存在する。AOXは、このオルタナティブ経路の末端酸化酵素である。AOXは、電子伝達系で働く他のタンパク質と違い、タンパク質複合体は形成しない。また、AOXをコードする遺伝子は核ゲノムに存在しており、今まで調べられたほとんどの植物において、AOX遺伝子は複数存在していることが知られている。イネにおいても、すでに当研究室でAOX1a遺伝子およびAOX1b遺伝子という二つのAOX遺伝子が同定されていた。しかし、ゲノミックサザンハイブリダイゼーションの結果をみると、それら二つの遺伝子以外にも、イネAOX遺伝子が存在していることが推定された。そこで私は、イネにおける新規AOX遺伝子の単離を試みた。

 ゲノミックライブラリーからのスクリーニングにより、イネ新規AOX遺伝子であるAOX1c遺伝子が単離された。RT-PCRによって得られた断片から、AOX1c遺伝子のcDNAの配列を決定し、ゲノム配列と比べたところ、イネAOX1c遺伝子は、他の多くのAOX遺伝子と同じく、そのコード領域が三つのイントロンによって分断されていた。また、推定アミノ酸配列を、他のAOXの配列と比べたところ、イネAOX1cには、AOXの活性に必要と思われる構造が保存されていた。従って、イネAOX1c遺伝子は、機能的なAOXをコードする遺伝子であることが推定された。

 イネAOX1c遺伝子の、様々な器官における転写物の蓄積パターンは、AOX1a遺伝子およびAOX1b遺伝子のパターンと異なっていた。また、AOX1a遺伝子およびAOX1b遺伝子の転写物の蓄積は、低温処理によって増加するのに対して、AOX1c遺伝子の転写物の蓄積は、低温処理によって増加しなかった。従って、イネAOX1c遺伝子は、AOX1a遺伝子およびAOX1b遺伝子とは異なる機能を担っている可能性が考えられた。

3.イネAOX1c遺伝子の配列を一部含んだMutator様トランスポゾンとその類似配列

 イネにおいて、AOX遺伝子の保存領域をプローブに用いてゲノミックサザンハイブリダイゼーションを行うと、10本以上のバンドが得られる。これは、イネのゲノム中には、AOX1a遺伝子、AOX1b遺伝子、及びAOX1c遺伝子以外にも、AOX遺伝子と相同性のある配列が存在することを示している。実際、上記2におけるゲノミックライブラリーを用いたスクリーニングの結果、AOX1c遺伝子の他に、AOX遺伝子配列の一部を含むクローンが二つ得られてきた。これらの配列は、イントロンや3'UTRを含めて、AOX1c遺伝子との相同性が高かった。そこで、AOX1c遺伝子の配列と、これらの配列を詳細に比較してみたところ、得られた二つのクローンの配列は、AOX1c遺伝子配列を一部含んだMutator様トランスポゾン(OsMuA(AOX))であることが明らかとなった。さらに、データベースを検索すると、同様の構造を持った配列が他に二つ見つかった。イネゲノム中に、OsMuA(AOX)が4コピー存在することは、ゲノミックサザンハイブリダイゼーションの結果からも支持された。

 データベースを検索していく中で、OsMuA(AOX)のTIRと相同性の高いTIRを持ったMu様因子が多数見つかったので、それらのうち22個の配列に関して解析を行った。これらの配列は、全て非自立性因子であり、イネにおけるMu様因子の中で、新規のグループを形成していた。これらの因子におけるTIRの内側には、AOX1c遺伝子以外にも、既知の遺伝子配列の一部と相同性の高い配列が多く見られた。また、レトロトランスポゾンをはじめ、イネゲノム中の反復配列、またはその一部を含んでいるものもいくつか見られた。これらの結果は、Mu様因子の多様性には、遺伝子配列の獲得や、反復配列の挿入など、様々なイベントが関与していたことを示している。

 以上のように、本研究では、核ゲノムコードCOX遺伝子であるOsCOX6b遺伝子が、ヒトや酵母にはない特異的な構造を持つことを明らかにした。また、イネAOX遺伝子ファミリーの構成を明らかにし、重複した遺伝子間に機能分化があること、さらに、一部の配列はMu様因子に取り込まれてゲノム再構成にかかわったことを明らかにした。

審査要旨 要旨を表示する

 植物においては,発芽時や開花期などに特異的にATPの需要が高まることが知られており,これらの時期にATPの供給量が不足すると植物の生育は大きく阻害されることがある.したがって,植物におけるATP生産機能を詳細に理解することは,有用な作物を作出する上で重要である.本論文ではミトコンドリアで機能する呼吸系遺伝子の構造と発現調節機構について,シトクローム経路の末端酸化酵素cytochrome c oxidase(COX)遺伝子とオルタナティブ経路の末端酸化酵素alternative oxidase(AOX)遺伝子に焦点を当てて解析している.

 第1章では,イネにおける核ゲノムコードCOX遺伝子のひとつである,COX6b遺伝子について解析をおこなっている.イネにおけるCOX6b遺伝子は,ヒトや酵母のCOX6bと比べて,N末端側に伸張配列を持ったアミノ酸配列をコードしているOsCOX6b1遺伝子と,ヒトや酵母のCOX6bとほぼ同じサイズのアミノ酸配列をコードしているOsCOX6b2遺伝子の二種類が存在することを見出した.この二種類の遺伝子が存在しているという特徴が,他の植物でも保存されているかどうかを調べるため,シロイヌナズナにおけるCOX6b遺伝子の同定も行った.その結果,シロイヌナズナにおいても伸張配列を持ったアミノ酸配列をコードしているAtCOX6b1遺伝子と,伸張配列を持たないアミノ酸配列をコードしているAtCOX6b2遺伝子及びAtCOX6b3遺伝子の存在が明らかになった.アミノ酸配列を比べると,OsCOX6b1はOsCOX6b2よりもAtCOX6b1との相同性のほうが高かった.また,ゲノム配列における遺伝子の構造を比較すると,OsCOX6b1遺伝子とAtCOX6b1遺伝子のイントロンの挿入位置は完全に一致していたが,OsCOX6b1遺伝子の二番目のイントロンとOsCOX6b2遺伝子の一番目のイントロンに関しては,挿入位置が一致していなかった.これらのことから,COX6b1遺伝子とCOX6b2遺伝子が分岐したのは,単子葉植物と双子葉植物が分岐する以前であったことが推定された.イネとシロイヌナズナのCOX6b遺伝子の様々な器官における発現をノーザンハイブリダイゼーションによって調べたところ,OsCOX6b1遺伝子とAtCOX6b1遺伝子,それにAtCOX6b3遺伝子は調べた器官において恒常的に転写物が蓄積していた.また,OsCOX6b2遺伝子とAtCOX6b2遺伝子に関しては,主に根において転写物の蓄積が見られたが,AtCOX6b2遺伝子の転写物はほとんどが分解されていた.単子葉植物であるイネと,双子葉植物であるシロイヌナズナにおいて,共通した性質を持ったCOX6b遺伝子が存在していたことや,AtCOX6b2遺伝子を除いて,それらの遺伝子の転写物が様々な器官で蓄積していたことから,本研究において同定した遺伝子は,それぞれの植物体において何らかの機能を担っている可能性が高いと考えられた.

 第2章では,イネにおける新規AOX遺伝子であるAOX1c遺伝子について解析している.イネにおいては,すでにAOX1a遺伝子およびAOX1b遺伝子という二つのAOX遺伝子が同定されていた.しかし,ゲノミックサザンハイブリダイゼーションの結果をみると,それら二つの遺伝子以外にもイネAOX遺伝子が存在していることが推定された.そこでイネにおける新規AOX遺伝子の単離を試みた結果,イネ新規AOX遺伝子であるAOX1c遺伝子が単離された.RT-PCRによって得られた断片から,AOX1c遺伝子のcDNAの配列を決定しゲノム配列と比べたところ,イネAOX1c遺伝子は他の多くのAOX遺伝子と同じく,そのコード領域が三つのイントロンによって分断されていた.また,推定アミノ酸配列を他のAOXの配列と比べたところ,イネAOX1cにはAOXの活性に必要と思われる構造が保存されていた.したがってイネAOX1c遺伝子は機能的なAOXをコードする遺伝子であることが推定された.イネAOX1c遺伝子の様々な器官における転写物の蓄積パターンは,AOX1a遺伝子およびAOX1b遺伝子のパターンと異なっていた.また,AOX1a遺伝子およびAOX1b遺伝子の転写物の蓄積は低温処理によって増加するのに対して,AOX1c遺伝子の転写物の蓄積は低温処理によって増加しなかった.この結果から,イネAOX1c遺伝子はAOX1a遺伝子およびAOX1b遺伝子とは異なる機能を担っている可能性が考えられた.

 第3章では,イネAOX1c遺伝子の配列を一部含んだMutator様トランスポゾンとその類似配列についてその特徴を明らかにした.イネにおいて,AOX遺伝子の保存領域をプローブに用いてゲノミックサザンハイブリダイゼーションを行うと,10本以上のバンドが得られる.これは,イネのゲノム中にAOX1a遺伝子,AOX1b遺伝子およびAOX1c遺伝子以外にも,AOX遺伝子と相同性のある配列が存在することを示していた.実際,第2章におけるゲノミックライブラリーを用いたスクリーニングの結果,AOX1c遺伝子の他に,AOX遺伝子配列の一部を含むクローンが二つ得られてきた.これらの配列は,イントロンや3UTRを含めて,AOX1c遺伝子との相同性が高かった.そこで,AOX1c遺伝子の配列と,これらの配列を詳細に比較してみたところ,得られた二つのクローンの配列はAOX1c遺伝子配列を一部含んだMutator様トランスポゾン(OsMuA(AOX))であることが明らかとなった.さらに,データベースを検索すると同様の構造を持った配列が他に二つ見つかった.イネゲノム中に,OsMuA(AOX)が4コピー存在することは,ゲノミックサザンハイブリダイゼーションの結果からも支持された.さらに,データベース検索により,OsMuA(AOX)のTIRと相同性の高いTIRを持ったMu様因子が多数見つかったので,それらのうち22個の配列に関して解析した.これらの配列は全て非自立性因子であり,イネにおけるMu様因子の中で新規のグループを形成していた.これらの因子におけるTIRの内側には,AOX1c遺伝子以外にも,既知の遺伝子配列の一部と相同性の高い配列が多く見られた.また,レトロトランスポゾンをはじめイネゲノム中の反復配列,またはその一部を含んでいるものもいくつか見られた.これらの結果は,Mu様因子の多様性には,遺伝子配列の獲得や,反復配列の挿入など様々なイベントが関与していたことを示している.

 以上,本論文は核ゲノムコードCOX遺伝子であるOsCOX6b遺伝子が,ヒトや酵母にはない特異的な構造を持つことを明らかにした.また,イネAOX遺伝子ファミリーの構成を明らかにし,重複した遺伝子間に機能分化があること,さらに一部の配列はMu様因子に取り込まれてゲノム再構成にかかわったことを明らかにした.これらの知見はイネの呼吸調節機構の解明に新たな視点を与え,将来の農業生産の効率化に寄与するものである.よって審査員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた.

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