学位論文要旨



No 118101
著者(漢字) 大野,豪
著者(英字)
著者(カナ) オオノ,スグル
標題(和) 形態・DNA・性フェロモンに基づくウスジロキノメイガ種群の体系学的研究
標題(洋)
報告番号 118101
報告番号 甲18101
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2490号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田付,貞洋
 東京大学 教授 岸野,洋久
 東京大学 助教授 久保田,耕平
 東京大学 助教授 嶋田,透
 東京大学 助教授 石川,幸男
内容要旨 要旨を表示する

 鱗翅目ツトガ科に属するアワノメイガ属Ostriniaの一種,ウスジロキノメイガO.latipennis(以下ウスジロと略)は,日本では本州中部以北に分布し,タデ科のイタドリ類(Reynoutria spp.)を寄主とする.私は最近,長野県志賀高原(標高1,600m)において,ウスジロに形態が酷似し,本種と同所的に生息し同一寄主植物を利用するが,翅およびオス交尾器の形態においてウスジロと区別可能な複数個体を発見し,これらをO.ovalipennisの種名(和名:マルバネキノメイガ,以下マルバネ)の下に新種として記載した.本論文ではこれら2種を,ウスジロキノメイガ種群(以下ウスジロ種群)として扱う.

 本研究では,ウスジロ種群に関して,種間の形態的差異を記述し,地理的分布・寄主植物について野外調査を行い,さらに,形態測定形質・ミトコンドリアDNA塩基配列・メス性フェロモン成分における種間・種内変異を分析した.これらの調査・分析は,ウスジロ種群の自然史に関する理解を深めるために不可欠であるとともに,農業害虫における外見が酷似した種・レースの識別の問題に対し,複数の手法を総合的に用いた例として重要な知見を与えるものと考えられる.

1.形態学的記載

 外部形態の観察と形態計測により,日本各地から採集したウスジロと長野県産マルバネの間の形態的差異を詳細に調べた.翅とオス交尾器におけるいくつかの形質に種間差が観察されたが,とりわけ前翅斑紋の形状とオス交尾器のsacculusの長さが種間で明瞭に異なっていた.

2.日本における地理的分布と寄主植物

 ウスジロは本州中部以北の低標高地から高標高地にかけて広く分布することが再確認された.マルバネは,長野県からは地理的に離れた北海道の数地点から新たに発見され,本種は本州の高標高地と北海道という寒冷な地域に隔離分布することが示唆された.鱗翅目では,本州の山地と北海道に離れて分布するいくつかの種が知られている.これらは氷河期に大陸から日本に侵入し,その後の気候の温暖化によって寒冷な地域に分布が限定されるようになったと考えられているが,マルバネもこのような分布形成史を経験した可能性がある.本種がウスジロよりも局地的な分布を示す生理・生態的要因のひとつとして,高温に対する耐性がウスジロよりも低いことが考えられる.

 長野と北海道のそれぞれにおいて,両種の成虫は同時期に発生することがわかった.また,両種の幼虫は国内の分布域全体にわたってイタドリ類を寄主植物とすることが確認された.ウスジロはまれにイタドリ類と同所的に生息する他属・他科の植物にも食入する場合があった.このことは,本種が潜在的に広食性であることを示しており,食性の広い農業害虫の種を含むアワノメイガ属全体における寄主利用の進化を考える上で重要であると思われた.

3.形態測定形質における地理的変異

 マルバネが本州山地と北海道に隔離分布するならば,それらの集団が分化しているかもしれない.特に,翅以外の重要な種の区別点であるとされたsacculus長が地理的変異を示すならば,形態測定形質における種の識別標徴を再検討する必要が生じる.国内における分布域を代表する多数の標本を用いて,sacculus長を含む10形態計測形質(交尾器4形質,非交尾器6形質)の多変量解析を行った.さらに,地理的分布パターンの種間差が形態の地理的分化に及ぼす影響を検討するため,マルバネとウスジロの双方について,長野・北海道間で形態分化の程度を調べた.

 Sacculus長には長野と北海道のマルバネの間で統計的に有意な変異がみとめられ,その値はウスジロと北海道産マルバネとの間でわずかながらも重なっていた.このため,sacculus長単独ではマルバネの一部個体をウスジロから識別できないことがわかった.一方,10形質に対する主成分分析では,2種は互いに重ならない異なるクラスターとして認識された.判別分析により,sacculus長と中脚腿節長の2形質だけで,2種を採集地域によらずに正確に区別できることが明らかになった.上記の主成分分析では,マルバネは北海道と長野の集団がそれぞれ異なるクラスターとして認識されたのに対して,ウスジロは北海道・長野間で互いに大きく重なっていた.形質ごとに北海道・長野集団を比較したところ,マルバネではすべての交尾器形質が有意な分化を示したが,ウスジロでは交尾器形質に有意な分化は観察されなかった.非交尾器形質はどちらの種においても一部の形質が集団間分化を示した.このように,マルバネはウスジロよりも地理的変異の程度が大きいことが明らかになり,地理的隔離による集団間の遺伝子交流の断絶が,この種の形態における地理的分化を促進したものと解釈された.一方,ウスジロは連続的に分布しているため,集団間の遺伝子流動により形態の分化が妨げられていると考えられた.

4.ミトコンドリアDNAの種間・種内変異

 ウスジロ種群の2種間における近縁度,および,それぞれの種内における分子レベルでの地理的変異を調べるために,国内の分布域を代表する多数の標本に対してミトコンドリアCOII遺伝子682塩基対の配列を決定した.

 ウスジロには,COII遺伝子塩基配列に変異は認められなかった.マルバネからは,互いに1塩基異なる2つの塩基配列(ハプロタイプ)が見つかった.種間には4個または5個(0.6-0.7%)の塩基置換が認められた.同属種ユウグモノメイガから発見された2ハプロタイプを外群とした分子系統樹では,ウスジロ種群の3ハプロタイプおよびマルバネの2ハプロタイプの単系統性がそれぞれ高いブーツストラップ確率(90%以上)で支持された.マルバネの2ハプロタイプの頻度は,北海道と長野間で有意に異なっていた.

 ウスジロ種群2種間に認められた程度のミトコンドリアDNA分化は,昆虫全般でみれば種内変異レベルに相当し,これらが近い過去に分化した非常に近縁な種であることを示唆する.節足動物のミトコンドリアDNAに対して提唱されている標準的な分子時計に従えば,2種の分化は約30万年前に起こったと推定される.マルバネのハプロタイプ頻度にみられた地理的分化は形態測定分析の結果と符合し,集団間の遺伝子交流が制限されているとする説を支持した.ウスジロのCOII遺伝子における変異の欠如は,本種の連続的な地理的分布と形態の不明瞭な地理的変異に矛盾しないように思われた.

5.メス性フェロモン成分の種間比較

 同所的・同時期に発生し,寄主植物の利用に分化が認められない2種,ウスジロとマルバネの間の交尾前生殖隔離がどのような機構で維持されているかに興味がもたれた.メスが放出する性フェロモンの違いの交尾前隔離に対する寄与を調べるため,2種間で性フェロモン成分の比較を行った.

 これまでの研究により,ウスジロは(E)-11-テトラデセノール(E11-14:OH)をメス性フェロモンの単一成分として利用していることがわかっている.マルバネのメス尾端の抽出物からは,ガスクロマトグラフィー(GC)およびGC-質量分析により,E11-14:OHに加えて,その約9倍量の(E)-11-テトラデセニルアセテート(E11-14:OAc)が検出された.合成化合物を用いた野外トラップ試験を長野県志賀高原において行ったところ,2種はそれぞれ,自身のフェロモン成分を含んだ誘引源を備えたトラップだけに捕獲された.これにより,メス性フェロモンの成分組成の違いが,2種間の野外での交尾前隔離に強く寄与していることが示唆された.

6.ウスジロにおけるオス交尾器のアロメトリー

 ウスジロ種群におけるオス交尾器形態の進化プロセスに対する理解を深めるため,多数のサンプルが得られたウスジロの3つの地域集団について,オスの16の形態測定形質(交尾器5形質,非交尾器11形質)における相対成長(アロメトリー)を調べた.

 3集団のすべてにおいて,交尾器形質は非交尾器形質よりも有意に表現型分散が小さかった.アロメトリー係数も同様に交尾器形質のほうが有意に小さかった.アロメトリー直線のまわりのばらつきの程度は,交尾器形質と非交尾器形質の間に有意差はなかった.これらの結果は,本種では交尾器形質のほうが非交尾器形質よりも変異が小さく,それはアロメトリー係数そのものが小さいことに起因することを示す.

 オス交尾器形質における小さいアロメトリー係数は,他の目の昆虫やクモにおいても報告されており,これは交尾器サイズが安定化選択によって一定の大きさに保たれている結果であると解釈されている.本研究の結果もウスジロのオス交尾器にこのような安定化選択が働いていることを示唆する.交尾器サイズに安定化選択が働くことを予測する仮説としては,ウスジロの場合では形態的・行動的特性から,「鍵と鍵穴説」よりも「性選択説」が妥当ではないかと考えられた.

 本研究により,ウスジロ種群の自然史に関する多くの知見を得ることができた.ウスジロ種群の種分類は,形態測定形質,ミトコンドリアDNAおよび性フェロモン成分の分析によっても支持された.ウスジロ種群において,どこでどのように種分化が起こり,どのような過程を経て現在みられる形態・性フェロモンの多様性や地理的分布ができ上がったのかはたいへん興味深い.これらの問題の解決のためには,近隣諸国における分布調査とサンプル収集を行ったうえで系統地理学的・遺伝学的分析を行う必要がある.

 本研究は,形態・DNA・性フェロモンという複数の形質の調査によって,外見上見分けのつきにくい近縁種を識別可能にしたモデルケースとしての重要性をもつ.このような総合的なアプローチに基づく体系学的分析は,他の害虫の近縁種群における種の識別法の確立にも有効であろう.

審査要旨 要旨を表示する

 ウスジロキノメイガOstrinia. Iatipennis(以下ウスジロ)は,日本では本州中部以北に分布し,タデ科のイタドリ類を寄主とする。申請者は最近,長野県志賀高原でウスジロの同胞種O. ovalipennis(和名:マルバネキノメイガ,以下マルバネ)発見して新種記載した。これら2種は形態,生態ともに酷似し,ウスジロキノメイガ種群(以下ウスジロ種群)として扱われる。本研究では,本種群に関して,形態,地理的分布,寄主植物,ミトコンドリアDNA,ならびに雌性フェロモンの種間比較および種内変異の分析を行ない,これらを総合的に考察してウスジロ種群の自然史に関する理解を深めるとともに,農業害虫における同胞種・レースの識別の問題に対し,複数の手法を総合的に用いて解析するモデルとして重要な知見を与えることを目的としている。

1.形態学的記載

 外部形態の観察と形態計測により,日本各地から採集したウスジロと長野県産マルバネの間の形態的差異を詳細に調べたところ,とくに前翅斑紋の形状とオス交尾器のsacculusの長さが種間で明瞭に異なっていた。

2.日本における地理的分布と寄主植物

 ウスジロの分布域が再確認された。マルバネは長野県のほか,北海道から新たに発見された。寒冷地域での隔離分布は,氷河期に大陸から侵入し,その後の温暖化によって寒冷地域に分布が極限された可能性を示す。長野と北海道の双方で,両種の成虫が同時期に発生すること,両種ともに幼虫がイタドリ類を寄主とすることが確認された。

3.形態測定形質における地理的変異

 マルバネの隔離分布は,長野と北海道の集団が分化している可能性を示唆した。そこで10形態計測形質の多変量解析を行った。さらに,分布パターンの差と形態の地理的分化の関係を検討するため,両種について長野・北海道間で形態分化の程度を調べた。その結果,マルバネだけでsacculus長に長野・北海道間で有意な変異が認められた。主成分分析で2種は異なるクラスターとして認識され,さらに判別分析によりsacculus長と中脚腿節長の2形質だけで2種が正確に識別された。主成分分析で,マルバネは北海道・長野間で異なるクラスターを形成したが,ウスジロは互いに重なった。これらから,マルバネはウスジロよりも地理的変異の程度が大きいことが明らかになった。

4.ミトコンドリアDNAの種間・種内変異

 両種間の近縁度と分子レベルでの地理的変異を調べるために,ミトコンドリアCOII遺伝子682塩基対の配列を決定した。ウスジロには塩基配列の変異はまったく存在しなかったが,マルバネからは互いに1塩基異なる2つの塩基配列(ハプロタイプ)が見つかった。種間には4個または5個(0.6-0.7%)の塩基置換が認められた。分子系統樹からはウスジロ種群の3ハプロタイプとマルバネの2ハプロタイプの単系統性が支持された。マルバネの2ハプロタイプの頻度は,北海道・長野間で有意に異なった。ウスジロ種群2種間に認められた分化の程度は,昆虫全般では種内変異のレベルに相当し,2種が近い過去(約30万年前と推定)に分化したことが示唆された。マルバネのハプロタイプ頻度にみられた地理的分化は形態測定分析の結果と符合した。一方,ウスジロのCOII遺伝子における変異の欠如も,本種の連続的な分布と形態に明らかな地理的変異がないことと符合した。

5.メス性フェロモン成分の種間比較

 同所・同時的に発生し,同じ寄主植物を利用する両種間の交尾前生殖隔離機構に興味がもたれた。そこでまず雌の性フェロモン成分の違いを調べた。ウスジロの雌性フェロモンは(E)11-テトラデセノール(E11-14:OH)であることが既知である。マルバネの雌抽出物からは,GCおよびGC-MS分析により,E11-14:OHとその酢酸エステル,(E)-11-テトラデセニルアセテートがE11-14:OHの約9倍量検出された。野外トラップ試験では,2種はそれぞれ自身のフェロモン成分を備えたトラップだけに捕獲され,雌性フェロモンの違いが2種間の交尾前隔離に強く寄与していることが示された。

6.ウスジロにおけるオス交尾器のアロメトリー

 オス交尾器形態の進化プロセスを理解するため,ウスジロの3地域集団について,雄の16形態測定形質(交尾器5形質,非交尾器11形質)におけるアロメトリーを調べた。3集団のいずれでも,交尾器形質は非交尾器形質よりも表現型分散とアロメトリー係数が有意に小さかった。これらの結果は,交尾器形質のほうが非交尾器形質よりも変異が小さく,それはアロメトリー係数そのものが小さいことに起因することを示す。このことは,他の昆虫などと同様,雄交尾器サイズが安定化選択によって一定の大きさに保たれるからであると解釈された。

 以上,本研究では,ウスジロ種群2種について,形態測定形質,ミトコンドリアDNAおよび性フェロモン成分の分析など異なる手法を総合することにより,本種群の成立に関する多くの知見が得られ,種分類が明らかになった。さらに,本研究の成果は,外見上見分けのつきにくい近縁種を多く含む害虫においても総合的なアプローチに基づく体系学的分析によって識別できるモデルケースとしての重要性ももつ。したがって,本研究は学術面でも応用面でも十分な貢献をするものであり,審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として十分価値があるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク