学位論文要旨



No 118105
著者(漢字) 西川,尚志
著者(英字)
著者(カナ) ニシガワ,ヒサシ
標題(和) ファイトプラズマの染色体外DNAに関する研究
標題(洋)
報告番号 118105
報告番号 甲18105
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2494号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 難波,成任
 東京大学 教授 日比,忠明
 東京大学 教授 白子,幸男
 静岡大学 教授 瀧川,雄一
 東京大学 助教授 宇垣,正志
内容要旨 要旨を表示する

 ファイトプラズマは植物の篩部細胞内に寄生する最小の細菌であり、数百種の植物に病気を引き起こす農業上重要な植物病原細菌である。主にヨコバイにより伝搬され、感染・発病した植物には萎縮・叢生・黄化・緑化・葉化などの症状を引き起こす。しかし人工培養が出来ないことから、検出・診断はもっぱら病徴観察や昆虫伝搬試験、電子顕微鏡観察などに頼っていた。しかし、近年ファイトプラズマDNAの分離とその解析が可能となり、分子生物学的手法を用いた研究が急速に進み、系統解析によるファイトプラズマの分類体系の確立など、ファイトプラズマ研究はここ数年で著しい進展を見せている。

 一般に、植物病原細菌には染色体外DNAにその病原性に関与する遺伝子がコードされている例の多いことが知られている。本研究では、タマネギ萎黄病ファイトプラズマ(OY)の野生株であるOY-Wをモデル系統に用い、その継代過程で分離された病徴の極めて穏やかな変異株(OY-M)より昆虫伝搬能喪失変異株(OY-NIM)を作出した。そして、各分離株よりそれぞれ極めてユニークな染色体外DNAを見出し、その構造および病原性や昆虫伝搬能との関係を解析した。

1.昆虫伝搬能喪失変異株の作出および染色体外DNAの抽出法の確立

 昆虫による伝搬能を失った変異株を作出する目的で、OY-Mの接木のみによる継代を繰り返し行った。継代のたびに、媒介昆虫であるヒメフタテンヨコバイ(Macrosteles striifrons)に吸汁させ、昆虫伝搬能を試験した。その結果、約2年にわたる継代ののち、昆虫伝搬能を喪失した変異株(OY-NIM)を作出した。OY-NIMが昆虫伝搬能を喪失した要因を調べる目的で、OY-NIM感染植物を吸汁した媒介昆虫よりDNAを抽出し、ファイトプラズマに特異的な16SrRNA遺伝子を増幅するPCRによりファイトプラズマの存在を調べた。

 その結果、ファイトプラズマの存在は認められなかったことから、OY-NIMは昆虫体内に侵入できないか、あるいは昆虫体内で増殖できないものと考えられた。本研究により、人工培養できないファイトプラズマに対し、OY-NIMの作出により、昆虫伝搬のメカニズムに関する実験系を確立することが出来た。

 そこで、これら野性株および変異株を用いて染色体外DNAを大量かつ高度に抽出・精製する手法を確立した。すなわち、ファイトプラズマが植物の篩部細胞内に局在することを利用し、植物維管束組織を用いて酵素処理によりプロトプラスト化し、磨砕処理、分画遠心によりファイトプラズマの濃縮画分を得ることができた。この画分よりDNAを抽出したところ、クローニングするのに十分な量の染色体外DNAを得ることが出来た。電気泳動解析により、OY-Wに3種類、OY-Mに2種類、OY-NIMに2種類の環状と思われる染色体外DNAの存在が示唆されたので、制限酵素処理によりクローニングを試みた。同時に、もとのファイトプラズマの濃縮画分のDNA試料よりライブラリーを構築し、染色体外DNAの全長の構造を解析した。

2.ウイルス型複製酵素を持った染色体外DNA

 OY-Wから最大の染色体外DNA(EcOYW1,7005bp)をクローニングし、その全長の塩基配列を決定した。EcOYW1にコードされる複製酵素(Rep)は植物と昆虫に感染する環状1本鎖DNAウイルスであるジェミニウイルスのRepと相同性の高い、ユニークなウイルス型染色体外DNA(EcOY-DNA)であった。

 EcOYW1には7つのopen reading frames(ORF)が認められ、ORF1にはRepが、またORF5には、Clostridium perfringensのプラスミドpIP404等にコードされるコピー数制御タンパク質と相同性の高いタンパク質がコ一ドされていた。EcOYW1の複製・遺伝子発現を解析する目的で、Repを大腸菌で大量発現ののち精製し、Rep抗体を作製してウェスタンブロット解析を行ったところ、OY-W感染植物特異的に予想される約42kDaのバンドが観察され、感染植物体内でRepが発現していることが確認された。また、EcOYW1の一部をプローブとして用いてサザンブロットを行ったところ、OY-M感染植物より抽出したDNAとは反応しなかったことから、EcOYW1に相当する染色体外DNAはOY-Mおよびこれに由来するOY-NIMには存在しないことが明らかとなった。このことからOY-MはOY-Wを継代する過程でEcOYW1を失ったと考えられ、この染色体外DNAの有無と病原性との関係が示唆された。

3.ユニークな複製酵素を持つプラスミドDNA

 OY-W、OY-M、OY-NIMにはそれぞれ約3〜4kbpの環状染色体外DNA、pOYW(3933bp,5ORFs)、pOYM(3932bp,50RFs)、pOYNIM(3062bp,3ORFs)が認められた。これらのDNAはpLS1 familyプラスミドのRepに似た複製酵素(Rep)をもったプラスミドDNA(pOYプラスミド)であった。しかし、pOYプラスミドのRepはpLS1 familyのRepに比べC末端側が約120アミノ酸長く、この領域には哺乳動物のサーコウイルスなどの1本鎖DNAウイルスのRepのヘリカーゼドメインと高い相同性が認められた。プラスミドがこのような構造のRepを持つ例はこれまで知られておらず、(1)pOYプラスミドの祖先がウイルスのヘリカーゼドメインを組換えにより獲得した可能性や、(2)真核生物の1本鎖DNAウイルスは原核生物のプラスミドから進化したと考えられているが、pOYプラスミドがその進化の中間体を起源としている可能性が示唆された。

 pOYWとpOYMには1本鎖DNA結合タンパク質(SSB)遺伝子と相同性の高い遺伝子をコードするORFが認められたが、その他のORFにはRep以外には既知の遺伝子との相同性は認められなかった。また、pOYNIMは約900bp短く、ORF4(SSB)とORF3が欠失していた。ORF3は、膜貫通領域を2つ持つ膜タンパク質をコードしていると推定された。

 同じMollicutes綱の植物病原細菌であるスピロプラズマでも、接木により継代を繰り返すことで昆虫伝搬能喪失変異株が作出されているが、その欠失している遺伝子に関しては詳細には明らかにされていない。また、動物マイコプラズマで知られている感染に必要な接着性の膜タンパク質と相同性の高いタンパク質がスピロプラズマにおいても見出され、昆虫伝搬能との関連が示唆されている。ファイトプラズマは細胞壁を持たないために、膜タンパク質が直接宿主と相互作用するはずで、昆虫伝搬においても何らかの機能に関与している可能性がある。

4.染色体外DNAのダイナミックな組換え

 OY-W、OY-M、OY-NIMにはそれぞれ約5kbpの環状染色体外DNA、EcOYW2(5560bp,7 ORFs)、EcOYM(5025bp,60RFs)、EcOYNIM(5045bp,60RFs)が認められた。Repの特徴からこれらはEcOY-DNAであり、ORF4およびORF5にSSBとRepがそれぞれコードされていたが、その他のORFには既知の遺伝子との相同性は認められなかった。これらの染色体外DNAの遺伝子構造をEcOYW1やpOYWと比較した結果、EcOYW2はEcOYW1のRep遺伝子周辺の約2kbp、およびpOYWのORF1〜4を含む約2kbpと相同な領域を有していること、また、EcOYW1とEcOYNIMにはEcOYW1のORF7を含む領域を有していることが分かった。このことから、EcOYW2はEcOYW1とpOYWのダイナミックな組換えによって出現し、EcOYMはOY-MがOY-Wから分離される過程でさらに一部EcOYW1との間に組換えを起こして生じたと考えられた。このように、細菌の変異の過程で染色体外DNA同士がダイナミックな組換えを起こした興味深い痕跡が見いだされた。

5.PCRによるファイトプラズマの検出と識別

 EcOYW2、EcOYM、EcOYNIMに共通する塩基配列を用いて、それぞれ異なるサイズが増幅されるようなPCRプライマーセット(EC-d1/EC-d2)を設計した。各ファイトプラズマ感染植物から抽出したtotal DNAを用いてPCRを行った結果、それぞれから予想されたサイズのDNA断片が増幅された。染色体外DNAはゲノムDNAよりコピー数が多く、ribosomal RNA遺伝子より同一種内での変異が大きいこと、また、PCRによる検出はハイブリダイゼーションよりも約500倍感度が高いという報告があることから、EC-d1/EC-d2を用いたPCRはファイトプラズマの高感度な検出と識別には有効である。また、各分離株を区別できることを利用して、混合感染した植物における干渉現象の解析などにも応用できることが期待される。

 以上を要するに、本研究により、タマネギ萎黄病ファイトプラズマの野性株および作出した変異株よりユニークな染色体外DNAの全セットを構造的かつシステマティックに初めて解析し、EcOY-DNAについては病原性と、プラスミドについては昆虫伝搬性との関連性を示唆した。pOYプラスミドの構造的特徴から、その複製酵素の祖先が、環状1本鎖DNAウイルスの複製酵素の祖先へと進化した可能性を示唆した。

 また、約5kbpのEcOY-DNAは、EcOY-DNAおよびpOYプラスミドとの間のダイナミックな組換えによって生じたことを示唆した。細菌において染色体外DNA間の組換えは進化的に重要な役割を果たしており、新たな環境への急速な適応を可能としていることから、このような組換えが、ファイトプラズマの広い宿主と多様な病原性との関連性を示唆した。本研究成果により、ファイトプラズマのリバースジェネティックスによる病原性や昆虫伝搬能の解明への道を開く基礎的知見を得ることができた。

審査要旨 要旨を表示する

 ファイトプラズマは主にヨコバイにより伝搬され、数百種の植物に萎縮・叢生・黄化・緑化・葉化などの病気を引き起こす農業上重要な植物病原細菌である。しかし人工培養が出来ないことから、その研究は遅れていたが、近年ファイトプラズマDNAの分離とその解析が可能となり、分子生物学的手法を用いた研究はここ数年で著しい進展を見せている。

 一般に、植物病原細菌には染色体外DNAにその病原性に関与する遺伝子がコードされている例の多いことが知られている。本研究では、タマネギ萎黄病ファイトプラズマ(OY)の野生株(OY-W)の継代過程で分離された病徴の極めて穏やかな変異株(OY-M)より昆虫伝搬能喪失変異株(OY-NIM)を作出した。そして、各分離株よりこれまでにないタイプのユニークな染色体外DNAをそれぞれ見出し、その構造および病原性や昆虫伝搬能との関係を解析した。

1.昆虫伝搬能喪失変異株の作出および染色体外DNAの抽出法の確立

 昆虫による伝搬能を失った変異株を作出する目的で、OY-Mの接木のみによる継代を繰り返し行った結果、約2年後に昆虫伝搬能を喪失した変異株(OY-NIM)の作出に成功した。また、ファイトプラズマが植物の篩部細胞内に局在することを利用し、効率的な染色体外DNAの抽出法を確立した。

2.ウイルス型複製酵素を持った染色体外DNA

 OY-Wには染色体外DNA(EcOYW1,7005bp,7open reading frames(ORFs))が存在し、ジェミニウイルスの複製酵素と相同性の高いウイルス型複製酵素(Rep)と、Clostridium perfringensのプラスミド等にコードされるコピー数制御タンパク質と相同性の高いタンパク質の両方をコードしていた。また、EcOYW1に相当する染色体外DNAはOY-MおよびOY-NIMには存在しなかったことから、EcOYW1の有無と病原性との関係が示唆された。

3.ユニークな複製酵素を持つプラスミドDNA

 OY-W、OY-M、OY-MINにはpLS1 familyプラスミドの複製酵素に似たRepをもつ染色体外DNA(pOYプラスミド)、pOYW(3933bp,50RFs)、pOYM(3932bp,50RFs)、pOYNIM(3062bp,30RFs)がそれぞれ認められた。しかし、pOYプラスミドのRepのC末端側の領域には、1本鎖DNAウイルスのRepのヘリカーゼドメインと高い相同性が認められたため、(1)pOYプラスミドの祖先がウイルスのヘリカーゼドメインを組換えにより獲得した可能性、あるいは、(2)真核生物の1本鎖DNAウイルスは原核生物のプラスミドから進化したと考えられているが、pOYプラスミドがその進化の中間体を起源としている可能性が示唆された。

 また、pOYNIMには膜タンパク質をコードしていると推定されるORF3が欠失していた。ファイトプラズマは細胞壁を持たないために、膜タンパク質が直接宿主と相互作用すると考えられるため、このタンパク質が昆虫伝搬能と何らかの関連性を持つことが示唆された。

4.染色体外DNAのダイナミックな組換え

 OY-W、OY-M、OY-NIMには以上の染色体外DNAに加え、それぞれ5kbpの染色体外DNA、EcOYW2(5560bp,7ORFs)、EcOYM(5025bp,6ORFs)、EcOYNIM(5045bp,6ORFs)が認められた。これらを他の染色体外DNAと比較した結果、5kbpのEcOY-DNAはEcOYW1およびpOYプラスミドとの間で組換えを起こして生じた可能性が強く示唆された。細菌において染色体外DNA間の組換えは進化的に重要な役割を果たしていることから、このような組換えが、ファイトプラズマの広い宿主と多様な病原性と関連していることが示唆された。

5.PCRによるファイトプラズマの検出と識別

 EcOYW2、EcOYM、EcOYNIMに共通する塩基配列を用いて、それぞれ異なるサイズが増幅されるようなPCRプライマーセット(EC-d1/EC-d2)をデザインし、高感度な検出と識別する手法を確立した。これにより、ファイトプラズマの混合感染や干渉現象のメカニズムを解析することが可能となった。

 以上の結果は染色体外DNAが生物学的に重要な意味を持つことを示すものであり、学術上・応用上の価値もきわめて高く、特にファイトプラズマのリバースジェネティックスによる病原性や昆虫伝搬能の解明および、その防除においても今後非常に役立つ知見となることが期待される。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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