学位論文要旨



No 118107
著者(漢字) ロギエ,アリヤリ
著者(英字) Roghiyh,Aliyari
著者(カナ) ロギエ,アリヤリ
標題(和) ショウジョウバエS2細胞におけるアルファウイルス複製に関する研究
標題(洋) Studies on Alphavirus replication in Drosophila S2 cells
報告番号 118107
報告番号 甲18107
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2496号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 白子,幸男
 東京大学 教授 小林,正彦
 東京大学 教授 日比,忠明
 東京大学 教授 岸野,洋久
 東京大学 助教授 遠矢,幸伸
内容要旨 要旨を表示する

 約12kbのプラス鎖RNAをゲノムとするアルファウイルス属ウイルスは、自然界で蚊と哺乳動物および鳥類の間を循環し、南極大陸を除く地球上の全大陸での発生が認められている。現在アルファウイルス属には26種のウイルスが登録されており、日本ではゲタウイルスの1系統と考えられるサギヤマウイルスが1956年にコガタアカイエカから分離されている。現在までに、サギヤマウイルスあるいはゲタウイルスは、鳥類、家畜、蚊から分離されており、実験的に培養細胞に対する宿主範囲も極めて広い。しかし人に対する病原性はなく、同じアルファウイルス属のシンドビスウイルスやセムリキ森林ウイルス同様に安全性が高く、プラス鎖RNAウイルスの複製機構の研究に適したウイルスである。

 これまで、培養細胞を用いたアルファウイルス研究では、扱いの容易なハムスター腎臓由来のBHK21細胞、ニワトリ胚由来の繊維芽細胞、ヒトスジシマカ由来のC6/36細胞の3種類の細胞が主として用いられ、感染からRNA複製、タンパク質合成と修飾、ヌクレオキャプシド形成から成熟粒子形成に至るウイルス増殖機構の詳細が明らかにされてきた。

 一方、アルファウイルスの自然界での宿主であるコガタアカイエカやヒトスジシマカと同じ双翅目に属するショウジョウバエは、20世紀初頭から遺伝学や発生学研究のモデル動物として、真核生物全体の遺伝学の発展に大きく寄与し、2000年には全ゲノム構造も解読されている。また、最近真核生物における新たなウイルス感染防御および遺伝子調節機構として発見されたRNAサイレンシングの研究においても、ショウジョウバエ胚由来のS2細胞は重要な役割を果している。しかしながら、ショウジョウバエ細胞におけるアルファウイルス複製の研究例はまだなく、S2細胞に対する感染性、増殖性、そしてRNAサイレンシング経路からの回避機構は明らかではない。

 そこで本研究では、我が国で分離され最近研究が進展しているサギヤマウイルスを用い、ショウジョウバエS2細胞におけるウイルス複製とウイルスゲノムの適応変異、およびRNAサイレンシング回避機構の解明を目的に、下記の実験を行い、新知見を得た。

1.サギヤマウイルスゲノムのショウジョウバエS2細胞に対する適応変異

 (i)サギヤマウイルスのS2適応変異株の分離

 サギヤマウイルスの全長cDNAクローンから感染性RNAを試験管内で転写し、BHK細胞にトランスフェクションし、細胞培養液から野生型ウイルスを回収した。回収ウイルス液はcDNAクローン由来であるから、全てのウイルス粒子中のRNAは同一の塩基配列を持つものと想定される。このウイルス接種源を用い、ショウジョウバエS2細胞へ接種した。接種後のS2細胞は25℃で3日間培養した。エバンスブルー染色の結果、細胞死は観察されなかった。S2細胞で増殖後のウイルス粒子のタイターは接種直後に比べて100倍程度の増加が認められ、S2細胞内でサギヤマウイルスが増殖することが明らかになった。そこで、さらにS2細胞を用いて15回から49回継代した。希釈限界法により、ウイルスをクローニングした。その結果、15回継代後のウイルス液からBHK細胞で野生型よりも小型のプラークを形成する変異株(A15-71)と、逆に極大型のプラークを形成する変異株(A15-81)が得られた。さらに17回継代後のウイルス液からは微小型のプラークを形成する変異株(D17-C11)が、49回継代後のウイルス液からは小型のプラークを形成する変異株(D49-F2)が得られた。しかし、野生型のプラークを形成するクローンは得られなかった。従って、S2細胞で継代する過程で少なくとも15回継代以前に野生型ウイルスは、変異型ウイルスに置き変わったことが示唆された。

 (ii)S2細胞適応変異ウイルスのゲノム解析

 得られたBHKプラーク表現型の異なる4ウイルス株の全長の塩基配列をRT-PCR産物から直接シークエンスし、野生型配列との違いを特定した。その結果、アミノ酸置換を伴う変異がゲノム全域に認められ、特にE2膜タンパク質遺伝子には4ウイルス株に共通した複数のアミノ酸置換が見出され。これらの変異を含むcDNA断片を野生型全長cDNAクローンのものと置換た後、試験管内転写RNAをBHK細胞にトランスフェクションし、変異型プラーク表現型をもたらすアミノ酸置換を同定した。その結果、E2膜タンパク質のN末端から7番目、70番目および75番目のアミノ酸がそれぞれアスパラギンからアスパラギン酸に、イソロイシンからトレオニンに、メチオニンからトレオニンに置換した場合に極大プラークを形成し、S2細胞での増殖性が野生型ウイルスに比べて100倍程度高まることが明らかになった。

 (iii)S2細胞適応変異ウイルスの増殖性の解析

 E2膜タンパク質の3つのアミノ酸置換、N7D/I70T/M75Tがもたらす増殖性の増大の原因を明らかにするため、2粒子性サギヤマウイルスベクターを用いたGFP発現系を用いて、野生型E2膜タンパク質を持つベクター粒子とN7D/I70T/M75T変異型E2膜タンパク質を持つベクター粒子をS2細胞に接種しGFP蛍光の発光を調べた。その結果、野生型ベクター粒子は全体の1%以下しか光らなかったのに対し、3アミノ酸変異型ベクター粒子は70%以上の細胞でGFP蛍光を発した。発色の強度は野生型と変異型の間で有意な差は認められなかった。従って、S2細胞適応変異ウイルスの増殖性の増大はS2細胞への吸着か侵入効率を高めており、感染細胞内でのRNA複製能には影響しないものと判断された。

 (iv)S2細胞適応変異ウイルスのS2細胞感染に対するヘパリンの影響

 多くのアルファウイルスでは様々な細胞種の表面に存在する硫酸ヘパランをリセプターとして利用され、ウイルスをヘパリン処理することで細胞吸着率が低下し、逆に細胞をヘパリン処理することでウイルスの細胞吸着率が増大することが報告されている。そこで、S2細胞適応変異ウイルスの感染性の増大がS2細胞の硫酸ヘパランヘの吸着効率の向上によるためか否かを調べるため、2粒子性サギヤマウイルスベクターを用いたGFP発現系を用いて、野生型ベクター粒子とE2膜タンパク質3アミノ酸変異型ベクター粒子を用いて接種試験を行った。その結果、ウイルス粒子をハパリン処理した場合、S2細胞をヘパリン処理した場合ともに、野生型ベクター粒子で蛍光を発する細胞数の増加が見られた。また野生型ウイルスおよびE2膜タンパク質3アミノ酸変異型をBHK細胞に接種した場合にはプラーク形成数が著しく減少した。これらの結果より、サギヤマウイルスも他のアルファウイルス同様、細胞表面の硫酸ヘパランをリセプターとし、E2膜タンパク質の3アミノ酸変異はS2細胞リセプターへの結合効率を高めている事が示唆された。

2.S2細胞のRNAサイレンシング経路の確認とサギヤマウイルス感染におけるサプレッサータンパク質の特定

 (i)ショウジョウバエS2細胞はRNAサイレンシング経路を持ち、生細胞のみならず細胞ライセートにも2本鎖RNAをsiRNAへ切断する活性を持つことが証明されている。そこで、GFP遺伝子をマーカーとし、GFP遺伝子に対する2本鎖RNAによるRNAサイレンシング現象を確認した。すなわち、S2細胞へGFP遺伝子をクローニングしたpMTベクター(インビトロゲン)をリン酸カルシウム法でトランスフェクションし、銅イオンでGFP遺伝子の発現を誘導したところ、80%以上の細胞で強いGFP蛍光が観察された。そこで、PMT/GFPベクターと共にGFPに対する2本鎖RNAあるいは植物ウイルスの外被タンパク質遺伝子に対する2本鎖RNAを同時にS2細胞に導入し、発現誘導をかけたところ、GFPに対する2本鎖RNAを同時に導入した場合にのみ蛍光細胞が著しく減少した。抗GFP抗体を用いてウエスタンブロット法でGFPタンパク質を検出した場合も同様の結果が得られた。

 (ii)上記の系を利用し、サギヤマウイルスにコードされる全ての非構造タンパク質および構造タンパク質遺伝子をpMTベクターにクローニングした。すなわち、非構造タンパク質nsP1、nsP2、nsP3、nsP4、P34(nsP3とnsP4のポリプロテイン)、C、E3/E2、6K/E1、C/E3/E2/6K/E1(全ての構造タンパク質を含むポリプロテイン)をpMTベクターにクローニングし、pMT/GFPおよびGFPに対する2本鎖RNAと共にS2細胞にトランスフェクションし、誘導後GFPの発現を蛍光観察と抗GFP抗体を用いたウエスタンブロット法で検出した。その結果、nsP3とP34を同時発現した場合にのみ、GFP蛍光の増大が認められ、ウエスタンブロット法においても明瞭なバンドが検出された。他のタンパク質を用いた場合は、コントロール同様にGFP蛍光は検出されず、ウエスタンブロット法でもGFPのバンドは検出されなかった。以上の結果より、サギヤマウイルスゲノムにコードされたnsP3がS2細胞におけるRNAサイレンシングに対するサプレッサーとして機能し、ウイルス増殖阻害を抑制している可能性が示唆された。

 以上を要するに、本研究では遺伝学の発達したショウジョウバエのS2培養細胞を用い、プラス鎖RNAウイルスの代表例であるアルファウイルスの感染適応を明らかにし、S2細胞の持つRNAサイレンシングに対するサプレッサー遺伝子の特定を試み、候補タンパク質nsP3を同定した。今後、本研究の成果によりサギヤマウイルスとS2細胞を用いた実験系でアルファウイルスの複製機構、宿主防御反応およびウイルス側の抑制機構の詳細が明らかになる事と期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 プラス鎖RNAをゲノムとするアルファウイルス属ウイルスは、自然界では蚊と哺乳動物および鳥類の間を循環し、実験的に培養細胞に対する宿主範囲が極めて広い。日本で分離されたサギヤマウイルスは人間に対する病原性がないため、同じアルファウイルス属のシンドビスウイルスやセムリキ森林ウイルスと同様、プラス鎖RNAウイルスの複製機構の研究に適したウイルスである。

 これまで、培養細胞を用いたアルファウイルス研究では、扱いの容易なハムスター腎臓(BHK)、ニワトリ胚、ヒトスジシマカ由来の細胞が主として用いられ、感染からRNA複製、タンパク質合成と修飾、ヌクレオキャプシド形成から成熟粒子形成に至るウイルス増殖機構の詳細が明らかにされてきた。

 本論文は、アルファウイルスの自然界での宿主であるイエカやシマカと同じ双翅目に属するショウジョウバエ由来のS2培養細胞に対する感染性と増殖性そしてRNAサイレンシング経路からの回避機構を明らかにする目的で行なわれた実験結果を報告し、考察したものである。

 先ず、サギヤマウイルスゲノムのショウジョウバエS2細胞に対する適応変異が解析された。ウイルス材料として、野生型サギヤマウイルス全長cDNAクローン由来の感染性RNAをBHK細胞にトランスフェクション後の細胞培養液を用いた。回収ウイルス液はcDNAクローン由来であるから、全てのウイルス粒子中のRNAは同一の塩基配列を持つものと想定される。このウイルス接種源を用い、ショウジョウバエS2細胞へ接種し、25℃で3日間隔で15回から49回継代した。希釈限界法により適応変異ウイルスをクローニングし、BHK細胞におけるプラーク表現型の異なる4株を得た。それらのゲノムを野生型ウイルスゲノムと比較したところ、アミノ酸置換を伴う変異がゲノム全域に認められ、特にE2膜タンパク質遺伝子には4ウイルス株に共通した複数のアミノ酸置換が見出され。これらの変異を含むcDNA断片を野生型全長cDNAクローンと置換た後、試験管内転写RNAをBHK細胞にトランスフェクションし、変異型プラーク表現型をもたらすアミノ酸置換を同定した。その結果、E2膜タンパク質のN末端から5番目、70番目および75番目のアミノ酸がそれぞれアスパラギンからアスパラギン酸に、イソロイシンからトレオニンに、メチオニンからトレオニンに置換した場合にS2細胞での増殖性が野生型ウイルスに比べて100倍以上高まることが明らかになった。

 次に、E2膜タンパク質の3つのアミノ酸置換がもたらす増殖性の増大の原因を明らかにするため、2粒子性サギヤマウイルスベクターを用いたGFP発現系を用いてS2細胞に接種しGFP蛍光の発光を調べた。その結果、野生型ベクター粒子は全体の1%以下しか感染しなかったのに対し、3カ所のアミノ酸変異型ベクター粒子は70%以上の細胞でGFP蛍光を発した。発色の強度は野生型と変異型の間で有意な差は認められなかった。従って、S2細胞適応変異ウイルスの増殖性の増大はS2細胞への吸着か侵入効率を高めており、感染細胞内でのRNA複製能には影響しないものと判断された。次に、多くのアルファウイルスが様々な細胞種の表面に存在する硫酸ヘパランをリセプタ一として利用することから、S2細胞へのサギヤマウイルス感染におけるヘパラン硫酸処理効果を調べた。その結果、S2細胞をヘパリン処理した場合、野生型ベクター粒子で蛍光を発する細胞数は変異型ベクター粒子接種S2細胞同様に70%以上に上昇した。従って、サギヤマウイルスも他のアルファウイルス同様、細胞表面の硫酸ヘパランをリセプターとし、E2膜タンパク質の3アミノ酸変異はS2細胞リセプターヘの結合効率を高めている事が示唆された。

 一方、ショウジョウバエS2細胞はRNAサイレンシング経路を持つことが証明されている。そこで、先ずGFP遺伝子をマーカーとし、GFP遺伝子に対する2本鎖RNAによるRNAサイレンシング現象を確認した。銅イオン誘導性ベクターpMTプラスミッドを用い、GFP遺伝子をS2細胞で発現し、GFP遺伝子に対する2本鎖RNAによる塩基配列特異的に発現抑制を確認した。その上で、サギヤマウイルスにコ一ドされる全ての非構造タンパク質および構造タンパク質遺伝子をpMTベクターより発現し、RNAサイレンシング抑制効果を比較した。その結果、非構造タンパク質nsP3およびP34発現細胞にのみGFP発現に対するRNAサイレンシング抑制効果が検出された。従って、nsP3およびそれを含むポリプロテインがS2細胞におけるRNAサイレンシングのサプレッサーとして機能し、ウイルス増殖阻害を抑制している可能性が示唆された。

 以上を要するに、本研究では遺伝学の発達したショウジョウバエS2培養細胞を用い、プラス鎖RNAウイルスの代表例であるアルファウイルスの感染適応を明らかにし、S2細胞の持つRNAサイレンシングに対するサプレッサー遺伝子の特定を試み、候補タンパク質nsP3を同定した。今後、本研究の成果によりアルファウイルスの複製機構、宿主防御反応およびウイルス側の抑制機構の詳細が明らかになるものと期待され、生物資源科学上、基礎および応用面で貢献する所が多い。従って、審査委員一同は本論文が博士(農学)を授与するに相応しいものと判断した。

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